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36 涙の再会

 楠予屋敷


 楠予家が三つの技術を渡すと決めた翌日。越智家の使者・古谷宗全は、屋敷の一角に通された。

そこでは次郎が、三つの品を順に並べていた。


次郎が古谷宗全に自己紹介する。

「私、楠予家重臣の壬生次郎忠光みぶじろうただみつと申します。今回、楠予家が技術提供する、品の説明をさせて頂きます」

古谷が頷く。


「こちらは三間槍さんげんやりです――柄を三間に延ばし、防御力に優れ、騎馬の突撃も止められます」

槍立てに据えられた三間槍の穂先を見上げ、古谷は目を細めた。


「千歯扱き(せんばこき)――穂を引き、籾を外す道具。農の力を支えるものです」

木製の歯板が並ぶのを、古谷は不思議そうに見つめる。


「望遠鏡――遠くを見通せます」

次郎は、筒を持ち上げ、遠くの屋根を指さした。

古谷が覗き込み、息を呑む。


「これら三つの技術を――お譲りいたします」

次郎の声は静かだったが、確かだった。


古谷宗全は一瞬驚き、満足するように頷いた。

「そうですか。よくぞご決断された。正直、殿には困っておりましてな。この交渉が失敗すれば、本当にお澄様の命はなかったでしょうな」

と笑う。


古谷の目つきが変わり、言葉を重ねる。

「で、お澄様の返還ですが――技術提供の後と言うことで、よろしいですな?」

口調は丁寧だが、目は試すように細められていた。


「いいえ。私、壬生次郎忠光みぶじろうただみつは楠予家の重臣です。わたくしが職人を連れて参りますので、私の国分寺城到着とともに、お澄様の返還を願います」


古谷の眉がわずかに動いた。

「あなたご本人が?」

「はい。技術は、お澄様の返還を見届けたのち、職人が伝授いたします。

 その間、わたくしがお澄様に代わり、人質を務めます。ただし、技術提供が2つ終わった時点で、私は帰らせて頂きます」

次郎の声は静かだったが、揺るがなかった。


屋敷の奥では、兵馬と又衛兵が沈黙していた。

昨日の話し合いで、全員が次郎が行く事に反対した。

だが次郎は、強引に押し切った。


古谷は少し考えた後。

「まあ、良いでしょう。それで結構です――殿も、お喜びになるでしょうな。わっはっはっ」

古谷の笑い声が、屋敷の柱にまで響く。

その声はまるで勝者の雄たけびのようだった。




※※※


数日後。

次郎は家臣の弥八、弟子のおとよ、

そして数名の兵を連れ、国分寺城へと向かった。


城に着くと、古谷宗全が出迎えた。

「お澄様は、こちらにおいでです」

その声は、いつになく柔らかかった。


次郎は案内され、城の奥へと進む。

障子の向こうに、静かな気配があった。

空気は澄んでいたが、どこか冷たい。


(お澄様。俺は……迎えに来ました。ようやく、ここまで……)


障子が開くと、侍女のさやが立っていた。

お澄は、奥の畳に座っていたが、顔を上げようとしなかった。

髪は整えられていたが、表情は見えない。


「……お澄様は、記憶を失われました」


さやの声は震えていた。

「流産の後、部屋に閉じ込められて……それで、お心を……深く痛められたのだと思います。越智家でも、医師を呼びましたが……」


次郎は、言葉を失った。

(流産? 閉じ込める? 記憶を……失った?)


次郎の胸の奥が、急に冷たくなる。

振り返り、古谷の胸倉むなぐらを掴んだ。

「古谷殿、一体これはどう言う事だ! お澄様をこの様にしておいて、よくも技術を寄越せなどと言えたな!!」

古谷は目を見開き、手を上げて制した。

「まっ、待たれよ! わしは知らぬ。何も聞いておらん。池田に向かった後の事でござろう」


次郎は、古谷を突き放し、お澄の元に駆けた。


「お澄様。俺です。次郎です! 覚えておられますよね!」

お澄は、静かに顔を上げ次郎を見つめた。

その瞳は、どこか遠くを見ていた。

「……あなたは、どなたです?」

「っ!!」

次郎は、何も言えなかった。

ただ、呆けたようにお澄の顔を見つめていた。

だがその瞳に、次郎の姿は映ってはいない。


「……お澄様」

次郎の頬に、一筋の涙が伝う。

声は震え、胸の奥が痛む。

(…救えなかった。――また俺は、お澄様を守れなかった!!)






※※※※※

 余談:


次郎の弟子が、越智家に技術を伝授して1月後の話。


古谷宗全は越智輔頼のお褒めに預かった。

三間槍、千歯扱き、望遠鏡を作る技が伝授されたからだ。


図に乗った古谷宗全は、

楠予家が能島村上水軍に望遠鏡を売ってるそうなので、我らは来島村上水軍に望遠鏡を売りましょう、と輔頼に言った。村上水軍は、能島・来島・因島の三家に分かれており、それぞれが独自の航路と勢力を持っていた。

古谷宗全は、楠予家がすでに能島村上と通じていると聞き、あえてそのライバルとも言える来島村上に目をつけたのだ。


そして望遠鏡が――越智家の誇る技として、来島村上水軍に持ち込まれた。


来島村上の屋敷。

古谷宗全が、布に包まれた筒を差し出した。

「こちらが、越智家が誇る望遠鏡でございます。遠くの彼方まで見通せます」


村上通康は、筒を受け取り、無言で覗き込んだ。

しばらくの沈黙のあと、彼は奥へと歩き、別の筒を持ち出した。

「これは、能島の島吉利殿から頂いたもの。水軍のよしみでな。これを覗かれてみよ」

二つの筒を並べ、小谷宗全は交互に覗いた。


「こ、これは……」

「お分かりになったかな。越智家の望遠鏡は子供のおもちゃじゃ。話にならん。水晶の大きさも、筒の焦点も、段違いじゃ」

「…っ!」

宗全は声にならない悲鳴を上げる。輔頼の怒り狂う姿を幻視した。

「能島のものは、海の波まで見える。越智殿のこれは……浜辺の貝も怪しい」

宗全は顔をこわばらせた。

村上通康は筒を机に置き、静かに言った。

「技術を得たと聞いて期待したが――どうやら、いっぱい食わされましたな。わっはっは」


宗全は口を開いたが、言葉が出なかった。

唇が震え、ただ深く頭を下げるしかなかった。


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