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35 技術交渉

1540年9月下旬。 国分寺城・輔頼すけより視点


蝉の声が遠くに響く。

国分寺城の広間では、越智輔頼を囲んで重臣たちが顔を揃えていた。

「ええい、忌々しい……元頼め、動かぬか」

輔頼が扇を机に叩きつける。


「膠着状態が長すぎる。兵を動かせば、民が騒ぐ。動かさねば、兵が腐る」

古谷宗全こたにそうぜんが低く言う。


「ならば、頓田川の渡しを封じては?」

桜井道兼が提案する。


「封じたところで、奴は動かぬ。動かぬ者に策は効かぬ」

輔頼の声は苛立ちを帯びていた。


「殿、ならばこちらから挑発を――」

徳重家忠が言いかけたその時、控えの間から足音が響いた。


「ご報せにございます」


現れたのは、お澄の侍女・さやの使いの者。膝をつき、頭を下げる。

「ご正室、お澄の方。……流産されました」


広間が、静まり返った。

扇の音も、蝉の声も、遠くなった。

家臣の一人が、声を絞り出す。

「殿……、残念にございましたな」


輔頼は、冷たく言い放った。

「何が残念なものか! 楠予の血が入った子など、いらぬ。

嫡男でも生まれれば、面倒であった。これは――吉報じゃ!」

空気が凍る。

誰もが言葉を失った。


やがて、川之江兵部が口を開く。

「そうじゃ。殿の申される通りじゃ。楠予は元頼に寝返ったあげく、壬生を謀略により討ち取り、越智から独立した。憎き敵じゃ」


輔頼は報せの者に目を向けた。

「お澄に伝えよ。そなたは、正室の任に堪えず。

降格し、側室とするとな。

「はい…」

使いの者は頭を下げ、静かに去ってゆく。


沈黙の中、桜井道兼が口を開く。

「殿……本当に、よろしいので?」

輔頼は扇を閉じ、目を細めた。

「よい。お澄は、これより――人質にすぎぬと心得よ」

広間の空気が、再び張り詰めた。


沈黙が続く中、徳重家忠がぽつりと口を開いた。

「殿……それなら、楠予の農業技術と、お澄様を交換してはいかがでしょう。

人質は、飯も着物も要りますし、金がかかります。

使い道がないなら、少しでも得になる方がよいかと」


輔頼は眉をひそめた。

「楠予の農業技術? 何の話だ」

川之江兵部が頷く。

「それがしも聞いたことがあります。楠予の屋敷では、脱穀が三倍早くなる道具があるとか。

村人たちが、こっそり話していたのを商人が聞いたそうです。どうも、楠予の屋敷内でのみ使い、外に漏れぬ様にしているとか」


徳重家忠が付け加える。

「他にもございます。楠予家の最近の強さは、独自に開発した槍と弓の技術が関わっているとか。それに村上水軍が先の戦で、勝利を収めたのは、楠予家が作った、遠くを見る事の出来る道具の力が大きかったと、聞き及んでおります」


古谷宗全が腕を組んで言った。

「そのような技術があるなら、ぜひ一つは欲しいですな。お澄様の返還を条件に、楠予に“技術を出せ”と迫るのも、手では?」


輔頼は扇を止め、しばらく考え込んだ。

「……そうだな、ならば古谷。そなたが赴き、真偽を見極めよ。そして技術を差し出すならば、お澄は生かして返すと伝えよ。最低でも2つの技術を奪うのじゃ。

もし楠予が断れば――お澄の命もそこまでよ」

広間の空気が、また重くなった。

蝉の声だけが、遠くで鳴いていた。




※※

 楠予屋敷の畑


うねは静かだった。

植え付けから十二日。芽が出るはずだった場所の半分が、ただの土だった。


次郎はしゃがみ込み、指先で土を撫でた。

「……切った芋は、秋には向かない」

自分で言った言葉が、胸に刺さる。

スキルを買った男が、土の声を忘れていたのだ。


その時、足音がした。

小さな足音。軽くて、真っ直ぐで、迷いがない。

「次郎ちゃん!」


振り向かなくても分かる。お琴だった。

まつはもう、送り出すだけ。

お琴は一人で来るようになったのだ。

それが、次郎には少し怖かった。

「おいもさん、ねえ……」

お琴はうねを見つめて言った。


「土の中で、泣いてるの?」

次郎は、言葉が出なかった。

お琴は続けた。

「芽が出たくないって、言ってるみたい。

なんか、さみしいね…」


次郎は、土に手をついた。

芋の声を聞こうとしていた。聞けるはずだった。

でも、聞き損ねた。

「……泣いてるのは、俺の方だよ」


その時、お琴がそっと次郎の頭に手を乗せた。

小さな手。あたたかくて、軽いのに、重かった。


「だいじょうぶだよ」

お琴は、まっすぐ言った。

「いたいのいたいの、とんでいけ!」

次郎は、笑った。

「ありがとう……」

誰にも見せたくない笑顔だった。

でも、お琴の手は、そこにあった。




※※※

1540年10月初旬。


源左衛門・正重の命により、次郎は池田の屋敷へと呼び出される。

そこには、一門衆――源太郎、玄馬、兵馬、友之丞、又衛兵の五人が揃っていた。

空気は重く、沈黙が支配していた。次郎は、胸の奥に嫌な予感を覚える。


源太郎は、屋敷の縁側で次郎に向き直った。

「越智輔頼の使者が来た……使者は古谷宗全。輔頼派の重臣だ。

四つの技術のうち三つを渡せば、お澄を返す。

だが渡さねば――殺すと」


次郎は、言葉を失った。


源太郎は続けた。

「父上は拒まれた。だが、使者は一日の猶予を与えると言った。

明日が、最後の交渉になる。

我らが技術隠蔽をしたため、越智家は技術の詳細を知らぬようだ。

噂を聞きつけておるだけ――交渉の余地はある。

場合によっては2つでも済むかも、知れん」


沈黙の中、玄馬が口を開いた。

声は低く、だが鋭かった。

「次郎。元を正せば――技はお前のものだ。

望遠鏡も、千歯扱きも、三間槍も、ロングボウもだ。

お前も、渡すべきではないと考えるか?」


次郎は、言葉を探した。

だが、見つからなかった。

胸の奥で、何かが軋んでいた。


その時、友之丞が身を乗り出した。

目は赤く、声は震えていた。

「次郎! お澄を助けてくれ!

お前なら救えるだろう!」


正重が扇を閉じた。

その音が、広間の空気を裂いた。

「友之丞、黙れ」

声は冷たく、重かった。


「次郎の心を乱すでない。

これは、技と命の秤じゃ。情で動いてはならぬ」

次郎は、拳を握った。

畑の芋が腐った日を思い出していた。

お琴の手の温もりも、思い出していた。


源左衛門・正重が、次郎に目を向けた。

その目は、揺れていなかった。

「次郎。正直に申せ。

渡してもよい技術は――あるのか?」


広間が、静まり返った。

灯りの揺れが、次郎の影を歪ませた。

次郎は、ゆっくりと顔を上げた。

その目には、迷いと決意が同居していた。

「……2つなら問題はありません。三間槍は、すでに中央でも使われ始めているでしょう。それに千歯抜き。民のためになるなら、渡してもよいと存じます」


源太郎は、次郎の言葉を聞き終えると、静かに頷いた。

「……二つか。だが、これで希望は見えた。父上、明日は、この二つで交渉しましょう」

その声には、わずかな安堵が滲んでいた。


「お待ちください」

次郎の一言に、広間の空気が再び張り詰めた。

「私に、策があります」

一門衆が、次郎を見つめた。

「三間槍、千歯抜きに加えて、望遠鏡の技術を渡します、ただし5倍の技術です」


越智に渡すのは、5倍の望遠鏡。

15倍とは、技のレベルが違う。


  ※筒の長さ 

・5倍は短い。携帯性重視。

・15倍は長くなる。焦点距離が必要。


  ※レンズ構成 

・5倍は単純。対物+接眼の2枚で済む。

・15倍は複雑。収差補正のため複数枚が必要。


  ※素材の精度 

・5倍は多少の歪みも許容される。

・15倍は水晶の透明度と均質性が命。


  ※加工技術 

・5倍は粗い研磨でも機能する。

・15倍は髪の毛一本分の誤差が命取り。


越智が手にするのは“見える道具”。

楠予が守るのは“見通す道具”。

この差は、埋まらない。


正重は、扇を膝に置いたまま、次郎を見つめた。

その目は、いつになく柔らかかった。

「見事じゃ。これでお澄を取り戻せる。

父として――礼を言う」

源左衛門・正重は、深く頭を下げた。


「身に余るお言葉です」

次郎も頭を下げた。

(お澄様が――戻って来る!)



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