33 半所半禄
1540年8月下旬。
源左衛門は主だった家臣たちを、池田の屋敷に呼び集めた。
広間に並ぶ家臣たち。
戦の余熱が冷めぬ中、源左衛門がゆっくりと立ち上がる。
「……これより、我が名は楠予・源左衛門・正重と改める。
旗を掲げるだけでは、家は立たぬ。
旗の下に、形を築く。名もまた、その始まりとする」
ざわめきが走る。
源太郎は静かに頷き、玄馬は目を細めた。
源左衛門が声を張る。
「次郎、前へ」
十四歳の少年が、静かに進み出る。
その足取りは、幼さを残しながらも、確かなものだった。
源左衛門が次郎を見据える。
「名を授ける。これより壬生次郎忠光と名乗るがよい。
なお忠光を、家中整備役に任ず。
所領の在り方、家の形、その整えを、これより忠光に委ねる」
次郎は一礼し、広間を見渡す。
(やべえ、めっちゃ緊張する。みんなこっち見てる…)
兵馬が身を乗り出し、友之丞は筆を止める。
吉田作兵衛は眉をひそめ、玉之江甚八は腕を組んだまま動かない。
次郎が口を開く。
その声は格式を守りながらも、どこか熱を帯びていた。
「皆様、壬生次郎忠光でございます。
このたび、家中整備役の任を賜り、所領の新たなる在り方を申し述べます」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「これより加増される場合は、半所半禄。半分を所領、残り半分を俸禄とする事を、我が楠予家の基本方針と致します」
広間に、静かなざわめきが広がった。
「半所半禄」――聞き慣れぬ言葉に、家臣たちの眉が動く。
吉田作兵衛が、鼻を鳴らした。
「なぜそんな回りくどいことを。
禄の分だけ所領を多く与えれば済む話でしょう。地を持たせ、責任を負わせる――それが武士の筋だ。
家から禄を付け足すなど、甘やかしに過ぎん。忠義は、地に根を張ってこそだ」
次郎は一礼しながら、心の中で呟いた。
(……やはり、そう来るか。俸禄が齎す効果が、何も見えていないな)
次郎は、丁寧に言葉を返す。
「仰る通り、所領は責任の証にございます。
しかし、家からの支えがなければ、家臣はやがて独立を志すようになるかも知れません。
忠義とは、所領と家の両方に根を張るもの――その形を、試みたく存じます」
一拍置いて、次郎は少しだけ声を落とし、さらに皆に説明する。
「半所半禄とは、所領を半分、俸禄を半分、頂く事です」
(本当は、これだと。本来の約3割しか、所領として貰えないって、あとで気が付いたけど。この割合の方が兵農分離が進むんだよね)
次郎は腹の中で詫びながら続けた。
「ただし、俸禄は家が本来与える所領から得た、軍事費を除く利益の部分だけを支給したもの。
つまり、俸禄は所領の管理は家が担い、家臣はその利益だけを受けるものです。
所領を持つ責任と家からの支えに分けることで、忠義の柱を二重に築くのです。
地を預かる重みと、家からの信任――その両方が揃ってこそ、忠義は揺るがぬものとなります」
友之丞が筆を走らせながら、ぽつりと呟いた。
「……制度が、忠義を育てる。そういうことか」
兵馬が腕を組み直す。
「貰える所領は減るが、その分俸禄が増える…。その俸禄は全て使っても問題ないのか?」
次郎は、兵馬の目を見て言った。
「基本的には構いません。ですが、俸禄は軍事費を除いた純益です。
百石につき最低二名――すなわち千石ならば二十名の常備兵をお雇い下さい。農民兵を含めてはなりません。
それを満たした上で、残りをどう使うかは、皆さまの裁量に委ねます」
玉之江甚八が、腕を組んだまま目を細めた。
「……その兵役は軽そうだな。兵が少なくなってしまう。本当にそれで大丈夫なのか?」
次郎は、甚八の目を見て言った。
「はい、所領分はこれまで通りの兵役とし、俸禄分は常備兵を雇って頂きます。常備兵は戦専門の武士、農民兵とは根本が異なります。数ではなく、質と連携で戦うのが楠予家の方針です。
それに、農民兵が死ねば田が荒れ、食料が減り、石高が下がります。
常備兵が死ねば痛みはありますが、領地の収入には響きません。
つまり、戦に強く、国に優しい兵です。――それが常備軍。我らだけの新たなる国造りです」
甚八は目を細めたまま、しばし黙していた。
「……国に優しい兵、か。面白いことを言う」
その声に、広間の空気がわずかに揺れた。
源左衛門――正重は、静かに頷いた。
「壬生次郎の言葉、聞いたな。
この制度は、試みである。
だが、試みは形となり、形は柱となる。
楠予家は、戦に勝つだけでは足りぬ。
制度でも他国に勝つのだ」
源左衛門は静かに立ち上がる。
広間を見渡し、家臣たちの顔を順に確かめた。
そして、声を張る。
「楠予家が独立の旗を掲げし時、共に戦った者は、楠予家の柱である。
よって、壬生次郎・大保木佐介・吉田作兵衛・玉之江甚八――これら四名を、譜代家臣と致す。
そして、これより加わる者は、外様として迎える。
ただし、忠義と功績により、譜代への昇格もまた道として開かれよう」
広間に、静かなざわめきが広がった。
譜代昇格の言葉が落ち着くと、四人の姿がわずかに動いた。
大保木佐介は、膝をついたまま、深く頭を下げる。
言葉はなかったが、その礼に、確かな感謝が込められていた。
吉田作兵衛は、筆を置き、鼻を鳴らす。
「……筋は通ったな」
それだけ言って、静かに座り直す。
その背には、わずかな誇りが滲んでいた。
玉之江甚八は、腕を組んだまま、目を細めた。
何も言わず、ただ一度、忠光に視線を送る。
その目には、戦場で見せるものとは違う、静かな熱が宿っていた。
そして、壬生次郎は、広間の空気を感じながら、そっと息を吸った。
(俺が柱? なんか、いつの間にか、めっちゃ出世してるんだけど!!)
※※
「ではこれより論功行賞を行う。壬生次郎の制度に基づき。
まずは、旗の柱となった者より始める――」
源左衛門が次郎を見る。
「まずは、壬生次郎忠光。
所領五百石と俸禄五百石を与える。
忠光は、家中整備役。制度の柱であり、家の形を築く者なり」
忠光は一礼し、言葉を発さず、ただ静かに頷いた。
その背に、広間の視線が集まる。
「次に、大保木佐介。
戦において先陣を切り、旗を守りし忠義、顕著なり。
所領五百石と俸禄五百石を与える。
佐介は、旗の柱として、家の武を支える者なり」
佐介は深く頭を下げ、言葉なく礼を尽くす。
その姿に、広間の空気がわずかに引き締まった。
「次に吉田作兵衛、並びに玉之江甚八。
まず、両名が治めている吉田と玉之江は私有地とし、此度の制度の対象外とする。ただし兵役の義務は残す。
また作兵衛と甚八は此度の戦で、功績を上げた。よって所領五百石と俸禄五百石を与える。
作兵衛と甚八は、旗の柱として、家を支える者なり」
作兵衛は目を見開いて、礼を言う。
「此度はご加増は無いと、思っておりました。改めて忠誠を誓わせて頂きます」
その背に、わずかな誇りが滲んでいた。
玉之江もまた、礼を述べた。
「御屋形様に感謝申し上げる。玉之江甚八、御屋形様のご信頼に応えてみせましょう」
次郎が進み出る。
十四歳の少年――だが、その足取りには、確かな重みがあった。
「では、ここからの論功行賞は、わたくしより申し上げます。
一門衆の加増につきましては、すでに御屋形様より承っております」
広間に、わずかな緊張が走る。
源左衛門は黙して頷き、その背を見守る。
「では、御屋形様より承りました一門衆への加増につき、制度に基づき申し述べます。
まずは、楠予源太郎様。
所領千石、俸禄千石を賜ります。
源太郎殿は、お世継ぎとして家の安定を支える柱にございます。
次に、楠予玄馬殿。
所領七百石、俸禄七百石を賜ります。
玄馬殿は、家の政を支える者にございます。
続いて、楠予兵馬殿。広江元安を討ち取った功、顕著にて――
所領八百石、俸禄八百石を賜ります。
兵馬殿は、家の戦を支える者にございます。
次に、楠予友之丞殿。
所領五百石、俸禄五百石を賜ります。
友之丞殿は、学をもって家の未来を支える者にございます。
最後に、楠予又衛兵殿。
大野軍、金子軍、壬生軍との戦いの功により――
所領六百石、俸禄六百石を賜ります。
又衛兵殿は、武勇をもって家を支える者にございます」
次郎は皆の表情を窺ったあと、静かに口を開いた。
「皆様。ここで一つ、我が楠予家の状況を申し上げます。
金子との戦、そして壬生との戦により、我らが得た所領は二万八千石。
この石高は、戦果として新たに加わったものであり、元来の領地とは別にございます」
次郎は一呼吸し、言葉を続けた。
「このうち、三割――八千四百石を蔵入地として確保し、
残る一万九千六百石を、所領と俸禄の原資となるよう配分いたしました。
その結果、所領として五千六百石を配分し、俸禄の原資として、その二・五倍の一万四千石を割り当てました」
広間に、わずかなざわめきが走る。
次郎は視線を巡らせ、語調を崩さずに続けた。
「制度に基づき、役目に応じて精一杯の分配を行いました。
これ以上の加増は、現時点では叶いませぬ。
どうか、我が国の状況をお汲み取りいただき、正しい所領の配分が行われた事を,お認め頂ける事――お願い申し上げます」
玉之江甚八が静かに口を開いた。
その声は低く、広間に響いた。
「やはり所領が、少なく感じ申す。
されど――御屋形様が、可能な限りの加増を下されたこと、承知いたしました。
この制度、試してみる価値はあると存じます」
そこで甚八は次郎を一瞬見た。
言葉は短くとも、そこには筋を見極めた者の重みがあった。
甚八の言葉が広間に響いた直後、
吉田作兵衛が慌てて一歩前に出る。
「そ、それがしも、試す価値があると思いまする!
所領を自ら管理せずとも、俸禄を頂けるというのがまたいい――これは、長所にございますな!」
言葉の端々に、場の空気を読んだ気配が滲む。
広間の一部に、わずかな苦笑が漏れた。
次郎は吉田を見たが、何も言わず、ただ頷いた。
※蔵入地とは、大雑把に言えば領主の直轄地です。
家臣に与える知行地とは別に、領主自身が直接管理し、年貢を集める土地のこと。