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27 金子・石川連合軍

1540年7月中旬。

朝霧の立ちこめる山道を、楠予軍192名が進んでいた。

目的は、越智輔頼の飛び地――氷見村と古川村を接収する事。


「兵の数は、恐らくこちらが倍以上。だが油断はするな」

源太郎が低く言い、玄馬が地図を広げて進路を確認する。


次郎は槍隊の後方に控え、三間槍の穂先が揺れるのを見つめていた。

氷見村の手前、丘の上に越智軍の旗が見えた。

(敵は五十か六十くらいだな。思ったより少なくてよかった)


兵馬が眉をひそめた。

「まさか、あの数で出てくるとは……愚かな」

友之丞が静かに言った。

「輔頼の兵は、思ったより残っていなかったのかもしれません。これなら、楽に落とせる」

又衛兵が戒める。

「油断するな。兵が少ないのは伏兵に回したのかも知れん」


そのとき、越智軍の陣から一騎がこちらへ向かってきた。

馬上の男は、鎧の上に白布を巻き、手には何も持っていない。


「……誰だ?」

又衛兵が槍を構えたが、

源左衛門が手を上げて制した。

「待て。降伏の使者かもしれん」


騎馬が近づき、男は馬上から声を張った。

「我は越智軍の大将、大保木佐介。氷見・古川を預かる者である。

兵の命を保証していただけるならば、我らは降伏いたす」


陣内にざわめきが走った。源左衛門は馬を進め、佐介の前に立つ。

「命は取らぬ。村を明け渡せば、それでよい」

佐介は深く頭を下げ、馬を返した。

越智軍は静かに武器を置き、楠予軍の進軍を見送った。

「……無傷で、二つの村が手に入ったな」

源太郎が呟き、兵馬は笑った。

「これで、五か村を制したぞ!」

兵馬の声に応え、皆が歓声を上げた。


次郎は、村の入口に立ち、風に揺れる稲の葉を見つめていた。

戦の音はなかった。槍の穂先も、血を浴びることはなかった。

氷見の村に、楠予軍が足を踏み入れた。

その地は、静かに彼らを受け入れていた。


※古川の決断


氷見の村に夜が訪れ、楠予軍は久方ぶりの安堵に包まれていた。

源左衛門は囲炉裏の前で地図を広げ、次郎は三軒槍の手入れをしていた。

翌朝、配下となった古川の村から伝令が駆け込んだ。


「金子元成軍、東より現れました。その数、約七百!」

源左衛門は即座に立ち上がり、全軍に移動を命じた。

越智軍の降伏兵も加わり、総勢二百四十八名。古川へ急ぎ進軍する。


古川村に着くと、すでに金子軍が陣を敷いていた。

幟が風に翻り、槍の列が地平まで続いている。


「七百か……」源太郎が唸る。

「一部を退却させるべきだ」と慎重派の兵馬が言う。

「ここで引けば、氷見も古川も失う。池田も危うくなるぞ!」

好戦派の友之丞が声を張って戦う事を主張し、意見が割れた。


源左衛門は沈黙し、又兵衛に目を向けた。

「勝てるか?」

又兵衛は笑みを浮かべ、次郎を振り返る。

「次郎の三間槍もある。勝って見せます!」

(えっ、俺!? 改良しても槍じゃ勝てないって!!)


その言葉に陣内が沸き立つ――が、次の瞬間、遠方に新たな旗が現れた。

「……石川軍。五百か」


誰もが言葉を失った。

金子七百、石川五百。敵は合計千二百になったのだ。

源左衛門は静かに言った。

「引くしかあるまい。もし追撃してくるなら、池田村近くの山で迎え撃つ」


そのとき、越智家の大将、大保木佐介が進み出た。

「我らも連れて行ってください。我らは越智家の者、金子軍には降れぬ」

源左衛門は頷いた。

「共に来い。楠予の旗の下で戦え」


こうして、二百四十八名の楠予軍は氷見、古川を捨て、池田への帰路についた。

背後には、迫る千二百の敵。

次郎は金子軍が池田の村に来ない事を願った。


※※


二日後の夕刻、楠予軍は池田村へ戻った。

兵たちは疲れた足を引きずりながら楠予屋敷へと向かい、

広間には一族の男たちが集まった。


囲炉裏の火が静かに揺れる中、源左衛門は座敷の中央に陣取り、皆の顔を見渡した。

「金子軍の動きは速い。次に狙われるのは、ここ池田村だろう」

沈黙の中、長男・源太郎が口を開いた。

「父上。越智元頼様に援軍を願ってはどうでしょう。

金子の侵攻は越智家全体への脅威です。

主君に訴えれば、動いてくださるかもしれません」


源左衛門は眉をひそめ、首を横に振った。

「元頼様は、輔頼との戦に手一杯だ。援軍を出す余裕などあるまい」

源太郎は言葉を継いだ。

「ならば輔頼にも頼るのはどうでしょう。

今は内輪で争っている場合ではありません。

越智家の領土が侵されているのです。共に立たねば…」


その声に、次男・玄馬が低く笑った。

「兄上。皆も分かっているはずです。

元頼様と輔頼が和解することはない。つまり援軍は…来ぬ」


その言葉が広間に落ちると、空気が凍ったように静まり返った。

誰もが口を閉ざし、囲炉裏の火だけがパチパチと音を立てた。


源左衛門は目を閉じ、しばし沈黙した後、静かに言った。

「援軍はない。

ならば、金子軍が来れば、命を賭して村を守るしかない。

もし敗れれば…我が一族は……滅ぶ」


その言葉は、重く、確かに広間の空気を変えた。

三男・兵馬が拳を握りしめた。

「…ならば、死ぬまで戦います。一族の女子供には手を出させません」

四男・友之丞が頷いた。

「父上の御決断、しかと承りました」


源左衛門は、囲炉裏の火を見つめながら言った。

「戦に備えよ、座して死ぬわけにはいかん」


屋敷の外では、風が稲穂を揺らしていた。

戦の気配は、すでに村の空に染み始めていた。


※※



氷見・古川から撤退した五日目の朝、楠予家が恐れていた事態が起こる。

金子・石川連合軍千二百がついに里の近くに現れたのだ。


楠予軍は、予定通り山で迎え撃つ事にする。

総勢二百四十八名。

勝てぬと知りながらも、戦わねばならない。

それが一族の誇りであり、名であり、意地であった。


女たちは黙って見送った。

涙は流すが、声には出さない。

別れの言葉は、武運を祈る一言に集約されていた。


その時だった。

「遅いぞ、次郎! 臆したか!」

玄馬の怒声が、悲しみの空気を引き裂いた。


「待て、義弟はそんな男ではない」

又衛兵が即座に駆けつけ否定する。


源左衛門が見ると次郎がいた。

次郎は弟子たちを従えて、台車を押している。

その姿はいつもの槍兵の装束ではない、

弓を扱う者の装束に近かった。


次郎は一礼し、源左衛門の前に進み出る。

「御屋形様。遅れましたのには、訳がございます。

どうか、こちらをご覧ください」


弟子たちが台車の布をめくる。

そこに並んでいたのは、異形の弓。

長く、黒く、重く――まるで獣の骨のような存在感。

「これは……何だ?」

誰かが呟いた。


次郎は一歩前に出て、声を張った。

「異国の弓を改良いたしました。名はロングボウにございます。

有効射程は、和弓の四倍。命中度も、遥かに高うございます」


「四倍……」

玄馬が呟いた。

その声は、驚きではなく、恐れだった。


「さすがは俺の義弟じゃ!」

又衛兵が笑う。

だが、その笑いは、死を覚悟した者のそれだった。

「これで金子軍に一矢報い、華々しく死ねるわっ」


次郎は首を振り否定する。

「いいえ義兄上、死ぬ必要はございません。この戦……勝てます!!」


皆が息を飲んだ。

次郎は言った。

「どうか、山ではなく、丘の上に陣を敷いてください。

三間槍で敵の突撃を防ぎ、丘の上からロングボウで撃てば――

例え十倍の兵であろうと、勝てると存じます!!」


その言葉は、戦術ではなく、未来の予言のようだった。

源左衛門は、次郎の目を見た。

その瞳に、嘘も曇りもない。

あるのは、技術と覚悟と、生きる意志。

「皆の者…布陣を変えるぞ。全軍、丘へ向う」


その一言が…戦の風を変えた。

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