表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/77

14 簿記と算盤

1539年10月中旬。


鍛冶場の奥、火床の脇に置かれた帳簿台。


次郎は墨を含ませた筆を走らせながら、静かに呟いた。

「……借方、鉄30文。貸方、買掛30文。これで、材料と支払いが釣り合う」


弥八は隣で首を傾げていた。

「師匠、それ……今までの帳簿と違いますよね? 前はただ、使った分と残りを書いてただけだったのに」


次郎は筆を置き、帳簿を弥八の前に回した。

「これは複式簿記という。遠い国で使っている記録法だ。物と金の流れを、両側から記す。片方だけでは、真の損益が見えぬ。それに売掛と買掛がどれだけ残ってるかの把握に強いんだ」


弥八は目を輝かせた。

「すげえ……これなら、どこで損してるかも分かるってことか!」

「そうだ。鍛冶場だけでなく、村の商いにも使える。覚えておけ。お前はもう家臣だ。火だけでなく、帳も扱えねばならん」


弥八は墨を取り、震える手で筆を握った。

「貸方……鉄30……借方……鍬15、釜15……」


その姿は、火を打つ時とは違う真剣さに満ちていた。

次郎は黙って見守っていたが、ふと背後から声がした。

「師匠、私にも教えてください!」


振り返ると、弟子の庄吉が立っていた。

その隣には、おとよが帳簿を覗き込んでいる。

「弥八ばっかりずるいです。私も、火だけじゃなくて帳も覚えたいです!」


庄吉も頷いた。

「俺も、鍛冶場の金の流れが分かれば、無駄を減らせると思ってたんです」


(おっ、これってこいつらに簿記を教えれば、いずれ村全体に浸透できるんじゃね?)


次郎はしばらく黙っていたが、やがて微笑んだ。

「いいだろう。でも、これは火よりも難しい。数字は嘘をつかない。誤魔化しも通じない。覚悟はあるか?」


三人は声を揃えた。

「はい!」


次郎は新しい帳簿を三冊取り出し、火床の横に並べた。

「では、今日から鍛冶場は火と帳の両輪で動かす。いずれお前たちが俺を、村を支える柱となるのだ」


火の音が、静かに響いていた。

その奥で、知の炎が静かに燃えていた。


翌日、次郎は算盤を作り、より早く正確に計算できるようにした。

そして数か月後には、鍛冶場の帳簿を見た玄馬が複式簿記の凄さを悟り、算盤と複式簿記を村の書院に導入する事になってゆく。



※※※※※※


1539年10月中旬。

鍛冶場の奥、火床の脇で、次郎は鉄の歯を一本一本、円筒状の車輪に打ち込んでいた。

隣では弥八が柄を削り、庄吉が木枠を組んでいる。


「師匠、これ……稲の間を押して進むだけで、草が取れるって本当ですか?」

「そうだ。腰を曲げずに済むように考えた。稲の列の間を押して進めば、鉄の歯が泥を掻き、草を巻き込む。名は……手押し除草機とでもしておこう」


弥八が笑った。

「じゃあ、婆様でも使えるな。千代婆に見せたら喜ぶぞ」


次郎は頷いた。

「それともう一つ。こちらは鍬を改良したものだ。歯を三本から五本に増やし、柄を短くして力が逃げぬようにした。土が硬くても、女衆でも打てる。つまりこれで新田開発や畑の拡張が数倍楽になるのだ」


庄吉が鍬を持ち上げて振ってみる。

「おお、軽い! でも打ち込みは深い!!」


次郎は二つの道具を風呂敷に包み、鍛冶場を後にした。


_____



村長屋敷。

庭の畑では、番人が土を均していた。権左衛門は縁側に座り、茶を啜っている。

「次郎。今日は何を持ってきた?」


次郎は風呂敷を広げ、手押し除草機と備中鍬を並べた。

「これは、村の冬仕事と春の畑に向けた新しい道具です。鍛冶場で考え、作りました」


権左衛門は目を細めた。

「ほう……これは? 車輪に歯が生えておる」

「手押し除草機です。水田の条間を押して進めば、草を掻き取ります。腰を曲げずに済み、年寄りでも使えます」

「なん…じゃ…と! あつっ、あつっ!」

権左衛門は持っていた湯呑を落としてしまう。


「村長様、大丈夫ですか!」

「平気じゃ……ただ、あまりにも驚いただけじゃ」

権左衛門は湯呑を拾い上げ、袖で茶を拭いながら、除草機をまじまじと見つめた。


「腰を曲げずに草が取れるとな……そんな道具、わしは見たことも聞いたこともない。次郎、お前は本当に面白き男よ」


次郎は静かに頭を下げた。

そして鍬を手に取り、庭の畑に打ち込んだ。


ザクリ、と音を立てて、硬い土が深く割れた。

「鍬を改良しました。歯を増やし、柄を短くして力が逃げぬようにしました。女衆でも使えます」


権左衛門は立ち上がり、鍬を手に取った。

重さを確かめ、庭の土に打ち込む。

「……軽い。だが、深い。これも凄いぞ!」

「はい、これを使えば畑の拡張も新田開発も数倍、楽になるでしょう」


権左衛門は鍬を見つめたまま、しばらく黙っていた。

やがて、ゆっくりと息を吐き、縁側に腰を下ろした。


「この鍬を大量に作れ、これで徳田村を開拓できる」

「……徳田村?」


権左衛門が次郎を見て微笑んだ。

「そうじゃ、徳田村は荒地や新田開発できる土地がたくさんある。次郎、わしは人を他国よりも呼び寄せ、徳田村で大規模な開拓を行うぞ!」

「人を呼んでの大規模開拓、それはすごいです村長様!」


「わしの領土は池田村、願連寺村 ,徳田村の3か村で、石高は8000石じゃ。それを3年で2000石増やし1万石にする!」


(村長の領土が合計一万石、それってもう大名じゃないか!)


次郎は真面目な顔で村長を見た。

「1万石と言えばもはや大名でございます! これよりは御屋形様と呼びとうございます!」


権左衛門は目を見開いた。

そして、ゆっくりと次郎の両肩に手を置いた。

「…………次郎、よくぞ言うてくれた。

 これまでわしがどれだけ力をつけようと、周りの者はいつまでたっても村長と呼ぶのじゃ。三村を束ね、兵を動かし、石高は一万に届こうというのに、いつまでも村長では示しがつかぬ、これでは楠予家くすのよけに未来はない」


次郎は静かに頷いた。

「私が先駆けとなります。私が御屋形様と呼べは周りも変わるはず。まずは我が弟子から始めましょう。そして御屋形様のご子息たちにも御屋形様と呼ばせれば、すぐに村人全員が御屋形様と呼びます」


権左衛門はしばらく黙っていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。

「次郎……、感動したぞ。お前は言葉でも人の心を動かすのだな。では、まずはお前の弟子たちから始めよ。弥八、庄吉、おとよ……あの者たちが『御屋形様』と呼べば、村の空気も変わる」

「はい。鍛冶場に戻り次第、申し伝えます」

「そして、わしの子らにも言わせる。これで家の格式も上がるというものじゃ」


数か月後、村人は楠予くすのよ権左衛門を御屋形様と呼び。楠予家くすのよけによる村人の家臣化が劇的に進む事になった。

それは「評議制度の整備」「家臣団の再編」を可能にした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ