114 結花との祝言
1543年10月中旬。
楠予屋敷。
長宗我部家たちの降伏により、土佐のほとんどが楠予家の手中に落ちた。
情勢が落ち着いたのを機に、次郎と結花の祝言が行われる運びになった。
結花は側室になるため、本来は結婚式は行われない。
だがお澄の時と同じく、正重の特別の配慮により式が許可された。
式は壬生屋敷ではなく楠予屋敷で開かれた。広間には、白い布を掛けた小さな卓が据えられ、その前に正重と源太郎が静かに座していた。
側室の祝言のため重臣たちは呼ばれていないが、正重が結花を重要な人物と認識している事から、それなりの規模の式が開かれた。
お澄は淡い色の小袖に身を包み、結花の支度を手伝うため奥の部屋に控えていた。
お琴は広間で父の隣にちょこんと座り、落ち着かない様子で足を揺らしていた。
「……次郎、緊張しておるな」
源太郎が横目で笑うと、次郎は苦い顔で返した。
「あ、いえ……その……」
(緊張するに決まってるだろ……なんで御屋形様と源太郎様が側室の祝言に出席してるんだよ……)
正重は扇を膝に置き、静かに目を閉じていた。
その姿は、祝言というより“儀式の監督者”である。
やがて、襖の向こうからお澄の声がした。
「……お父様、結花さんの支度が整いました」
正重がゆっくりと目を開ける。
「通せ」
襖が静かに開き、
そこに立っていたのは――
白いウエディングドレスに身を包んだ結花の姿だった。
本来は引きずるほどの長さがあるトレーンだが、動きやすいように足元までの丈に仕立ててある。
その白は、白無垢の白とはまったく違う。
絹の光沢ではなく、光を吸い込んで返すような柔らかな白。
袖も裾も軽やかで、まるで風そのものをまとっているようだった。
広間の空気が、ふっと止まる。
「「おおっ」」
参列者の口から感嘆の声が漏れた。
源太郎も輝く純白のウエディングドレスを見て驚きの声を漏らす。
「すごい……。これが仙人の国の衣装か……」
お琴が思わず声を上げた。
「きれい……! 仙女様みたい!」
結花は、ほんの少し頬を赤らめて言った。
「……次郎君。どう、かな。変じゃない?」
次郎は言葉を失った。
「……大丈夫、綺麗だ」
(……これは……本当に結花なのか……)
正重は満足そうに頷いた。
「うむ。よく似合っておる。
流石は結花殿、衣装についても素晴らしい技術をお持ちだ」
結花は小さく微笑み、次郎の方へ歩み寄る。
「次郎君……今日から、よろしくね」
「お、おう……」
結花は次郎の前に立つと、白い裾をそっと摘まんで軽く会釈した。
その仕草は、普段のずうずうしさとはまるで別人のように上品だった。
お琴がぱあっと顔を輝かせた。
「お父様! お琴も次郎ちゃんとの祝言で、あの綺麗な服を着たい!
お澄ちゃんの時の白無垢も、結花ちゃんの白い服も、両方着てもいい?!」
「ん、ああ……。あとで次郎に頼みなさい」
「うん分かった!」
弥八が静かに二人の間に進み出る。
「では……盃を」
弥八が盆を差し出すと、
正重がゆっくりと姿勢を正した。
「次郎様、結花殿。
これより盃を交わし、夫婦の契りを結ぶがよい」
次郎は緊張で喉が鳴った。
結花は逆に、どこか楽しそうに微笑んでいる。
(なんでこいつはこんな時に余裕なんだよ……)
盃が結花の手に渡る。
白いドレスの袖口から覗く指先は、いつもの医術の時とは違い、かすかに震えていた。
(あれ……緊張してるのか?)
結花は盃を持ったまま、ほんの一瞬だけ次郎を見上げた。
その瞳を見て次郎はドキリとした。
「……次郎君?」
「ん?」
「次郎君の番だよ?」
「ああ、うん」
次郎は盃を受け取り、結花の手にそっと触れた。
「……本当に俺の嫁でいいのか」
結花の目がわずかに揺れ、次の瞬間、ふっと微笑んだ。
「……うん」
二人が盃を交わすと、正重が静かに頷いた。
「これにて、祝言は成った」
「あっ、ちょっとお待ちください!」
進行係の弥八が止めに入る。
「結花さまの指示で、最後に誓いのキス? と言うものをするそうです」
「はああああああ!?」
次郎が弥八の言葉に声を上げる。
次郎の困惑とは別に、周囲の者は首を傾げていた。
弥八が二人の前に進み出ると、結花が書いた手元の紙を広げ、眉をひそめながら読み上げた。
「えっと……結花さん、あなたは次郎様を……えー、愛し、支え、時には殴ってでも正しい道へと導くことを誓いますか?」
「ぶほっ」
「はい、誓います!」
次郎は小声で文句を言う。
「なんで殴るんだよ! おかしいだろ!」
「次郎君シー。いまは式の最中だよ」
その頃、源太郎もまたむせていた。
「ごほっ……な、殴る……? これが仙人の夫婦なのか?」
お琴は純粋な目で源太郎に聞く。
「お父様……なぐってって何かな……?」
「仙人様の言葉だ。あとで次郎に聞きなさい」
「うん!」
弥八は咳払いをして、次郎の方へ向き直った。
「では……次郎様。あなたは結花さんを、愛し、敬い、死が二人を分かつまで支える事を誓いますか?」
次郎は思わず眉をひそめた。
(なんで俺だけ普通なんだよ……)
「……はい、誓います」
次郎がそう答えた瞬間、弥八が満面の笑みで手を叩いた。
「では誓いのキスを!」
次郎は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら結花を見る。
「……本当にやるのかよ……」
結花は静かに頷いた。
「うん。だって結婚式だよ」
次郎は覚悟を決め、結花の頬にそっと手を添え――
二人の唇が触れ合った。
その瞬間。
広間が爆発した。
「「「なっ……!!?」」」
源太郎は椅子から転げ落ちそうになり、
「け、け、け、けしからん!!」
と叫んだ。
お琴は目をまん丸にして固まる。
「じ、じろうちゃんと結花ちゃんの……く、口がくっついた……!?」
お澄は口元を押さえて固まった。
弥八は紙を落とし感動していた。
「こ、これが……仙人の……結婚式! いい! すごくいい!!」
正重だけは冷静だった。
「……なるほど……皆に見せつける事で夫婦になった事の証明をしておるのか」
次郎は唇を離すと、広間の全員が固まっているのに気づいた。
(え? そんなに驚くもの?)
ここでおとよが、男たちに大きな台車を押させて広間に入ってきた。
台車の上には、白くて大きくて、妙にふわふわした“塔”のようなものが鎮座していた。
「では、次は……結花さんが作ったケーキと言う“甘い菓子”をお出ししますね」
おとよの言葉に、広間の空気が一気にざわめく。
「な、なんだあれは……?」
「白い……山……?」
「あれが菓子なのか、大きすぎる……」
源太郎が目を丸くする。
「甘い菓子……? 羊羹ではなさそうだな」
正重も興味深そうに眉を上げた。
結花は得意げに胸を張る。
「皆さま。これは楠予家の牧場の牛乳と砂糖で作った、特別なウェディングケーキです!」
次郎は思わず叫んだ。
「やっぱりウエディングケーキか! お前よく作ったな!?」
結花はにやりと笑う。
「うん結婚式だよ?
ウエディングケーキは当然だよね?」
真っ白いクリームをまとったスポンジケーキには、柿や梨、ぶどうなど秋の果実が美しく添えられていた。
二人のケーキ入刀が行われたあと、細かく切り分けられたケーキが参列者の手元へと配られる。
そして――
初めて口にする甘味に、参列者たちは一斉に驚きの声を上げた。
「……っ!? な、なんだこれは……!」
「と、とける……口の中で……!」
「甘い……! 飴の甘さとはまったく違う……!」
「口の中で……溶ける……だと……?」
「結花ちゃんすごい!」
広間が一気にどよめいた。
源太郎は目を見開き、皿を持つ手が震えている。
「こ、これは……美味い……。
こんな菓子、生まれて初めてだ……!」
正重は静かに目を閉じ、味を確かめるように噛みしめた。
「……なるほど……甘く、柔らかく、心が和らぐ味だ。だが少々わしには甘すぎるな」
弥八は感動のあまり涙ぐんでいた。
「仙人の……仙人の甘味……!
わたしは今日、生涯の宝を見た……!」
お琴はというと、すでに二個目に突入していた。
「おいしいいいいっ!! お琴、これ大好き!!」
結花はそんな皆の反応を見て、満足げに胸を張った。
「苦労して作ってよかった。ケーキって幸せの味だからね!」
「幸せの味か……」
祝言の広間は甘い香りと笑い声で満ち、そのまま和やかに、無事に祝言の幕を閉じた。
こうして次郎と結花は、正式な夫婦となった。




