10 今張の夜
昼も過ぎ、夕方に近づく頃、潮の香りが鼻をついて来た。
次郎と又衛兵は、今張の湊に到着したのだ。
港には、船が三艘ほど停泊していた。
荷揚げの男たちが掛け声を上げ、魚や薪、布袋を運んでいる。
その喧騒の中に、鉄と鋼を扱う商人たちの声が混じっていた。
「玉鋼だよ! 備前からの上物だ!」
「こっちは安いぞ、関の鉄だ! 斧にも鍬にも使える!」
次郎は荷車を止め、目を細めた。
鋼材が並ぶ露店の前に立つと、脳裏にスキルの知識が浮かび上がる。
──玉鋼は、青白く光る。
──関の鉄は、炭素量が安定しているが、粘りに欠ける。
「これ……玉鋼じゃないな。色が濁ってる」
次郎は一束の鋼材を手に取り、指先で撫でた。
温度を思い浮かべ、火床に入れたときの反応を想像する。
「これは……備前じゃなくて、播磨の鉄だ。焼き入れが難しい」
次郎の説明を聞いた又衛兵は、驚いていた。
商人が眉をひそめた。
「お若いの、目利きができるのかい?」
商人は笑った。
「なら、こっちを見てみな。玉鋼の中でも“白肌”と呼ばれる上物だ。特別に1束800文にしてやる」
次郎は手に取った瞬間、脳裏に鋼の声が響いた。
──これは、確かに語る鋼だ。
「これを……2束ください。刀を打ちます」
商人は目を見開いた。
「刀か。ならば、火床を整えてからにしな。鋼は嘘をつかんが、火は容赦しないぞ」
次郎は頷いた。
「大丈夫だ」
(作り方はすでに知っている)
※※※
次郎たちが買い物を終え、峠を越え宿へ向かっていると、後ろから馬の蹄音と怒号が響いた。
次郎が荷車を引いていた道の後ろから、血相を変えた男が駆けてくる。
その背には、縄で縛られた幼い子供の姿があり、後方から三騎の武者が追っている。
「止まれ!その子は村上家の御当主ぞ!」
人さらいは焦り、幼児を盾にして逃げようとする。
だが又衛兵が道を塞いだ。
「命が惜しければ、その子を置いていけ」
人さらいは短刀を抜き、幼児の喉元に突きつける。
「近づけば、この子の命は──」
その言葉が終わる前に、又衛兵の体が風のように動いた。
一閃。
短刀が宙を舞い、人さらいの腕が切り裂かれた。
幼児は地面に倒れ込むが、すぐに次郎が駆け寄り、抱き起こす。
「大丈夫か。怪我はないか?」
幼児は震えながらも、次郎の胸にしがみついた。
追っての武者たちが到着し、地面に倒れた人さらいを見て驚く。
「……おぬしら、何者だ」
又衛兵は刀を納め、静かに言った。
「俺は池田村の楠予家の五男・又衛兵だ」
武者の一人が深く頭を下げた。
「道祖次郎様をお救いくださり、感謝の言葉もござらん。それがしは能島・村上家の家臣、島吉利と申す」
「お二人には、今張の宿にて改めて礼を申し上げたい。このご恩は忘れぬ」
※※※※
次郎たちは思いも欠けず。村上水軍の案内で、今張の港でも屈指の宿に、無料で泊まれる事になった。
宿の女将は、何も聞かずに二人を囲炉裏の間に通した。
「お二人には、村上様よりのご厚意でございます。今夜はごゆるりと」
囲炉裏には、鯛の兜煮、炙った鰆、山菜の胡麻和え。
湊の宿らしい、海と山の恵みが並んでいた。
次郎は箸を止めて、ぽつりと言った。
「うまい……こんな飯は前世でもゴホンっ、ゴホン。こんな美味い飯、初めてですよ! いつも干し芋と粟粥ばかりでしたからね。ほんと美味しいですね!」
又衛兵は鯛の骨を外すのに苦戦していた。
「お前、魚の骨も器用に捌くんだな」
次郎は笑った。
「川魚で、なれているから、ですかね?」
「なんで疑問形なんだよ?」
「はっはっは、気にしないでください。私が骨を外してさしあげましょう」
二人は楽しくしゃべりながら魚料理を楽しんだ。
外では波の音が静かに響いている。
又衛兵が、酒を次郎の盃に注いだ。
「次郎、お前はすごい奴だ。これから楠予家を盛り立ててくれよ」
「いえいえ、賊を斬った又衛兵さまの刀さばきにはかないません」
「ふふふ、俺に世事話はいらん。そうじゃ俺と義兄弟にならぬか?」
次郎は盃を持ったまま、目を見開いた。
囲炉裏の火が揺れ、酒の表面に赤い光が踊る。
「……義兄弟……ですか?」
又衛兵は鰆の骨を口にくわえたまま、にやりと笑った。
「お前は見所がある、今日の玉鋼の目利きは見事であった。それにプリン…。農民の出だが俺の義兄弟にしてもよいと俺の感が言っているのだ」
次郎は盃を見つめた。
「……わかりました。私でよろしければ、喜んで又衛兵様の義兄弟になります!」
又衛兵は盃を持ち上げ、次郎の盃と静かに合わせた。
「ならば、今夜を境に、わしらは義兄弟だ。生まれた日は違えど死ぬ日は一緒だ」
「いやいや、一緒に死ぬのは勘弁してください、負け戦で死ぬみたいじゃないですか」
「わっはっは。やはりお前はおもしろいのう、さすが俺の義弟じゃ」
二人は盃を傾けた。
酒が喉を通ると、胸の奥が熱くなった。
「……義兄さん、これからよろしくお願いします」
「うむ、義弟よ、これから頼むぞ!」
外では波の音が静かに響いていた。
(まさか又衛兵様が俺の義兄になるとは思わなかったな。この世界に来て初めての本当の家族ができた、ふふふ)