101 『又衛兵と戸次鑑連(立花道雪)』
1543年4月25日
正重率いる楠予軍4500は、湯築城の南に位置する荏原城へ入城した。
ここで正重たちは、大友軍が1万を超える大軍であると言う事を知る。
広間では急きょ軍議が開かれ、
源太郎が地図を指し示す。
「今ならば池田の里に退却する事も可能だ。だがここで大友を撃退せねば、大友が伊予に拠点を持ち、楠予家は窮地に陥るだろう」
又衛兵が腕を組み、低く唸った。
「確かに退けばいずれ大友に喰われるやも知れぬ。ここは勝負に出るべきであろうな」
兵馬が声を張る。
「敵は大軍といえど、多くは農民の寄せ集めに過ぎぬ! 我らは鍛え抜かれた精鋭揃い、負けはせぬ!」
大保木佐介が頷く。
「その通りでござる。楠予家の兵は敵の軍と鍛え方も、隊の仕組みも違いまする」
この時代の戦国大名の軍勢には農民兵が多く、しかもそれぞれの家臣が自らの部隊を率いていた。そのため50人規模の隊もあれば300人規模の隊などもあり、規模がバラバラで全体の統制が困難であり、効率的な陣形とは言えなかった。
そのため武田信玄などは軍制改革を行い、寄親・寄子制を導入した。兵力の足りない有力家臣(寄親)に複数の小集団(寄子)を預けて再編成させ、一定規模の部隊としてまとめることで、より効率的な指揮・運用を可能にした。
正重は地図に目を落とし、しばし沈黙した後、力強く言い放った。
「よし、退却はせぬ。ここを拠点に兵を整え、敵の出方を見極める。そして大友を討つ。楠予家の存亡はこの一戦に懸かっておる、よいな!」
「「ははっ!」」
ーー
翌4月26日、大友軍は楠予軍が荏原城に姿を現したことを受け、周辺の城攻めに向かわせていた兵を湯築城へ集結させた。
さらに2000の兵を池田の里へ退却する際の道筋に配置し、楠予軍の逃げ道を封じる。
楠予軍の退路を断つことで、大友もまた、この一戦で楠予に致命傷を与えようとしていた。
ーー
翌4月27日、夜。
湯築城、大友義鑑。
広間では甲冑に身を固めた武将たちが盃を傾けつつ、軍議をしていた。
戸次鑑連が酒に酔い、声を張る。
「楠予め、びびっちょんのか。出るんやったら出る、降るのなら降る、腹ぁ決めちょけや!」
臼杵鑑栄が静かに言う。
「戸次殿、我らの大軍を目にすれば、楠予とて、そう軽々しくは動けはせぬ」
吉弘鑑理は前のめりに声を発した。
「楠予めが動かぬのなら、こちらから仕掛ければよい」
吉岡長増は眉間に皺を寄せ、低く呟いた。
「いや。楠予は、我らの兵糧が尽きるのを待っておるのやもしれませぬ」
戸次鑑連が笑い、盃を掲げる。
「補給路は万全、先に兵糧が尽きるのは楠予であろう」
大友義鑑が盃を傾け、静かに言った。
「楠予はここで終いじゃ。逃がしはせぬぞ」
「その通りにござる!」
「楠予は終いじゃ」
重臣たちは一斉に頷き、広間には楠予を討つ決意が満ちていた。
ーー
翌4月28日、朝。
湯築城。
広間では甲冑を枕に、大友の武将たちが横たわり、まだ寝息を立てていた。
そこへ外に陣を敷いていた入田親誠が駆け込む。
「御屋形様! 楠予軍、ここより西の勝山を奪いましてございます!」
寝ていた武将たちは一斉に身を起こし、ざわめきが広間に広がった。
義鑑の目が開き、親誠へと注がれた。
「西の勝山だと……」
「はっ! 我が軍の退路と補給路を塞ぐのが狙いかと!」
吉岡長増は顎に手を当て、低く呟いた。
「楠予も我らとの決戦を望んでいると言う事か……」
大友軍と楠予軍は互いの退路に陣を置き、相手の喉元に刃を突き付けた。
楠予軍の一手は大友軍にとって予想外のものであった。
義鑑は傍らの盃を手に取り、床へ投げつけた。
「楠予如きが図に乗りおって! 楠予が決戦を望むならば、受けて立つ!」
戸次鑑連が声を張り上げる。
「御屋形様、楠予の策に乗ってはなりませぬ。敵は防御に有利な勝山を拠点にしておりますぞ」
義鑑は鼻で笑った。
「臆したか戸次! 小さな山など脅威ではないわ!」
曽根高昌が口を開く。
「御屋形様、楠予の弓を侮ってはなりませぬ。勝山の頂に弓兵を配置したのは間違いありませぬ」
義鑑は鋭く睨み返した。
「その方の言うことは当てにならぬ! 2000の兵を集めると豪語しておいて、未だに500弱の兵しか集まっておらぬではないか!」
曽根高昌が視線を逸らす。
「それは……思いのほか国人衆たちの人望がなく……」
国人衆たちと共に河野家を裏切った曽根であったが、思うように兵は集まらなかった。
国人衆たちの元の領地の民たちは、楠予家の三公七民を喜んでいた。ゆえに殆どの者たちが旧主の招集に応じなかった。民は招集の声を聞かなかったものとして耳を塞いだのである。
義鑑が切り捨てるように言った。
「もうよい。その方は黙って従うのだ」
「はっ……」
重臣たちの視線が冷ややかに曽根へ注がれた。
吉岡長増が、静かに口を開いた。
「今宵、夜陰にまぎれ使者を海路より宇都宮軍へ送っては如何でしょうか」
義鑑が眉を寄せる。
「宇都宮……」
「楠予家の背後を取るよう伝えるのです。我らだけが戦う必要はございませぬ。急がせれば半月以内にはこちらに到着いたしましょう」
義鑑はニヤリと笑う。
「その方の申す通りじゃ。これは奴らの戦でもある、楠予を挟み撃ちにしてくれよう」
「御意」
その後八日間、両軍は睨み合いを続けた。
楠予軍は大友軍の兵糧が先に尽きると見て、敵が痺れを切らして攻め寄せて来るのを待った。
ーー
5月6日
正重の元に孫次郎から書状が届いた。
源太郎が問う。
「父上、孫次郎はなんと?」
正重がニヤリと笑う。
「孫次郎は連合軍を破り、その時に宇都宮豊綱を捕らえたそうだ」
陣中がざわめき、又衛兵が感嘆の声を上げる。
「さすが孫次郎だ、俺が見込んだだけの事はある!」
正重が言葉を繋ぐ。
「それだけではない。明日、大友軍を誘き出すそうだ。もし、我らが昼までに勝利出来なかったのならば、正午に大友軍の側面を突くと書かれておる」
源太郎が問う。
「父上、孫次郎はどのようにして大友軍を誘き出すつもりなのですか?」
「それはだな――」
ーー
その頃、湯築城の大友義鑑の元に、宇都宮豊綱からの書状が届いていた。
大友義鑑が書状に目を通し言う。
「宇都宮どもめ、ようやく来おった。待たせおって」
臼杵鑑続が膝を叩く。
「それでは楠予軍は袋の鼠になりますな。これで当家の勝ちは揺るぎませぬ」
吉岡長増が問う。
「して、宇都宮たちはいつ頃、此方に参ると?」
大友義鑑が眉を寄せる。
「明日の正午、南西より楠予軍の側面を突くとある。ゆえに我らには楠予軍の注意を引き、適当に戦っていて欲しいと申しておるわ」
戸次鑑連が床に拳を打ちつける。
「あ奴ら、我らを囮にする気か! いったい何様のつもりだ!」
吉岡が言う。
「いや、我らが囮になるのは悪くない策でござる。楠予軍の目を我らに向けておき、楠予軍が疲れ始めた時に援軍が到着すれば、我らの士気は上がり、楠予軍の士気は地に落ちる。それで一気に勝敗が決しましょう」
義鑑が目を閉じる。
「……よかろう。ここは宇都宮たちの策に乗ってやろう」
臼杵鑑続
「さすが御屋形様、度量が大きゅうございますな」
義鑑は皆に告げる。
「皆の者。明日、楠予を討つ。分かったな!」
「「ははっ!」」
夜明け前、大友義鑑の本軍は湯築城を密かに出陣した。
義鑑らは西の勝山に本陣を置く楠予軍を東から囲むように、鶴翼の陣を敷き、楠予軍との決戦に挑んだ。
ーー
5月7日06時。
楠予軍本陣。
又衛兵が笑う。
「御屋形様、孫次郎の申す通り大友軍が湯築城を出ましたな。我らに勝てると思い込み、決戦に及ぶ気です」
正重は静かに頷き、地図に目を落とした。
「うむ、ようやく動いたか……。だが気を抜いてはならぬ、数の面では敵の方が上なのだ」
兵馬が甲冑の籠手を鳴らし、笑みを浮かべた。
「御屋形様、心配は御無用! 地の利、人の理、天の時、全て此方にあります! 今こそ楠予軍の力を天下に示す時。寄せ集めの大友軍など、我らの敵ではござらん!」
正重は力強く立ち上がり、声を張った。
「うむ、ならば決戦じゃ! 楠予家の存亡はこの一戦に懸かっておる。皆の者、心してかかれ!」
「「ははっ!」」
ーーー
午前7時。
鬨の声が響き、両軍の槍隊が突き進んだ。
槍と槍がぶつかり火花が散り、甲冑の軋む音と怒号が戦場を覆う。
倒れ伏す兵を踏み越えながら押し合いが続き、合戦の幕が切って落とされた。
ーー
午前9時。大友軍本陣。
開戦から2時間、戦いは楠予軍の一方的な展開で動いていた。
義鑑が軍配を握りしめる。
「おのれ楠予軍め! なんだあの赤い鎧の軍勢は! 我が軍が一方的に押されておるではないか!」
その時、伝令が本陣に駆け込んできた。
「申し上げます! 臼杵鑑続様、お討ち死に!」
義鑑が軍配で陣台を叩いた。
「臼杵までもが討死だと! おのれ楠予め!」
吉岡長増が声を荒げる。
「御屋形様! 我が方は鶴翼、臼杵殿までが討たれては中央が持ちませぬ!」
吉弘鑑理が声を張り上げる。
「急ぎ予備兵を中央へ! このままでは左右の翼も巻き込まれますぞ!」
戸次鑑連が膝を叩き、怒声を放った。
「某が参りましょう! あの赤備の将を討てば、敵の勢いは削げます!」
義鑑は歯を食いしばり、陣台を再び叩いた。
「よい、鑑連に出陣を命ず! あの軍の敵将を討って参れ!」
吉岡長増が戸次鑑連に言う。
「頼んだぞ戸次殿! 昼まで耐えれば、援軍が楠予の後方を突く。さすれば楠予は崩れる!」
「おう!」
ーーー
赤備隊の総大将・兵馬はご機嫌だった。楠予軍が強すぎて、大友軍が逃げ惑う雑魚に見えた。
兵馬が陣頭で指揮を取る。
「皆の者、もう一押しじゃ! 敵は間もなく総崩れを起こすぞ!」
赤備隊の槍衆が鬨の声を上げ、真紅の旗が風に翻った。
兵馬は馬上から軍勢を見渡し、軍配を振り下ろす。
「突き崩せ! 楠予の赤備の強さを見せ付け、敵に恐れを刻み込め!」
「「おおっ!」」
赤備隊が大友軍中央を押し崩し、槍衆の鬨の声が戦場を震わせていた。
――その刹那、側面の林を突き破って戸次鑑連の騎兵隊が現れた。
「楠予の赤備の大将、その首貰った!」
戸次の軍勢が横合いから突撃し、赤備隊の側面を鋭く突き崩す。兵馬の馬が大きく揺れ、敵槍の穂先が肩口をかすめて血が飛び散った。
「ぐっ……!」
兵馬は血に濡れた肩を押さえ、必死に馬上で踏みとどまった。
だが戸次鑑連の刃が迫り、赤備の兵らも押し返され始める。
――その時。
「兄上は討たさぬ!!」
又衛兵の騎馬隊が烈風のごとく突入し、戸次の軍勢と激しくぶつかった。
兵馬は振り返り、苦悶の声を漏らす。
「又衛兵……すまぬ……」
又衛兵は槍を構え、鋭く叫んだ。
「兄上は一度体制を立て直して下さい! この将は俺が討つ!」
その言葉に兵馬は頷き、赤備の兵を率いて後方へ退いた。 戦場の中央には、戸次鑑連と又衛兵、二人の猛将が対峙する緊張が走った。
「俺の名は楠予又衛兵、お前の名は!」
戸次鑑連は馬上で笑い、槍を振りかざした。
「よくぞ問うた! 死出の旅路への餞として教えてやる。我が名は戸次鑑連、参るぞ!」
両者の馬が地を蹴り、槍の穂先が閃光のように交錯した。
火花が散り、馬の嘶きが轟き、戦場の中央に二人の猛将の一騎打ちが始まった。
周囲の兵らは息を呑み、その死闘に釘付けとなった。
又衛兵は鋭い突きを放ち、鑑連の兜をかすめた。
「戸次鑑連! この槍で貴様を地に伏せる!」
鑑連は槍を大きく振り回す。
「よいぞ! その気迫、まさしく猛将じゃ!」
幾度も槍がぶつかり合い、刃が火花を散らす。
互いの馬が血を浴び、戦場は二人の死闘に釘付けとなった。
だが次の瞬間、鑑連の槍が鋭く突き込み、又衛兵の腹を深々と貫いた。
「ぐっ……!」
槍が抜かれると血が噴き出して、又衛兵は馬上で大きく仰け反った。又衛兵は必死に槍を鑑連に振り下ろすが、穂先は空を切り、馬から崩れ落ちるように地へ落ちた。
周囲の赤備が急いで又衛兵を助けようと突撃する。だがその時、地に落ちた又衛兵の背を鑑連の槍が貫いた。
戦場を一瞬の静寂が走り、楠予兵は声を失い、ただ立ち尽くした。
槍に串刺しにされた又衛兵は、虚ろな目で何もない虚空へと手を伸ばし、声を絞り出す。
「……すまぬ……幸……」
伸ばした又衛兵の手が地に沈むと、大友軍に歓声が上がった。




