表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/106

100 大友軍の襲来。

 1543年4月5日。


 楠予軍4500が伊予西南部の豪族、宇都宮家と西園寺家を討伐するため、池田の里を出陣しようとしていた。


 次郎が正重に笑顔で言う。

「御屋形様、無事のご帰還をお待ちしております」

「うむ。留守を頼んだぞ次郎。村上水軍も、細川も此度は動かぬだろう。だがゆめゆめ、油断してはならぬぞ」

「はっ!」


 鎧に身を包んだ源太郎が馬上で小聞丸に言う。

「小聞丸、吉報を待っておれ。楠予家の軍は強い。宇都宮や、西園寺など敵では無い」

「はい父上!」


 陣太鼓が鳴り響く中、甲冑を整えた又衛兵は馬から降り、妻のこうの前に降り立った。 幸と隣の侍女の腕の中にはそれぞれ赤子が抱かれている――2カ月前、幸は双子の男児を出産した。


 幸は赤子を胸に寄せ、静かに夫を見つめた。

「無事のお帰りを、子らとともに待っております」

「うむ、分かった」


 赤子は小さな手を動かし、父の姿に気づいたかのように鳴き声を上げた。

 又衛兵は膝を折り、赤子の頬に指を触れ、微笑んだ。

「心配するな。父は御屋形様と共に必ず勝ち、戻って来る。お前たちが立派に育つまで、父は戦い続けるのだ」


 幸は微笑んだ。

「はい、御武運をお祈りしております」


 又衛兵は力強く頷き、馬に跨がると振り返りざまに笑った。

「では行って参る! 子らを頼んだぞ!」


 幸と侍女は赤子を抱いたまま頭を下げ、その背を見送った。


ーー


 池田の里を出陣して3日後。正重たちは湯築城に到着した。ここで湯築城周辺の兵が加わり、兵数は5500に膨らんだ。

 正重は湯築城から南下し、宇都宮家の城や砦の攻略を開始した。だが宇都宮らの軍勢は一向に姿を現さなかった。


 4月19日、正重は宇都宮家の居城・大洲城までの城砦を全て攻略し、大洲城の北側に布陣した。

 大洲城の西と南には西園寺家と一条家の軍がそれぞれ布陣しており、楠予軍の渡河を待ち構えていた。


 このため正重は本陣にて軍議を開いた。


 大保木佐介が言う。

「物見の報告では、西園寺軍は2000、一条軍は3000との事でござる。また間者によれば大洲城には1200ほどの兵が詰めておるとか」


 源太郎が眉を寄せる。

「土佐一条家が出て来るとは厄介だな……」


 兵馬が唸る。

「一条だろうが西園寺だろうが、野戦なら簡単に打ち破れる。だが城の手前の川が邪魔だな」


 又衛兵が地図を指差す。

「西と南に軍を分け、川を渡河して一気に西園寺と一条の軍を攻め潰せばいい」


 孫次郎が首を振る。

「いくら我が軍が精強でもそれでは被害が出すぎます。大洲城は肱川と久米川の合流点に築かれた『川を天然の堀とする要害堅固な城』です。正面から当たれば多大な損害は免れませぬ」


 又衛兵が身を乗り出す。

「孫次郎、ならば如何する?」

「……我らは鍛錬でもしていればよいかと存じます。やがて敵は痺れを切らして動くかと」


 正重が問う。

「孫次郎ほかに策はないか?」

「さらば東南より迂回し、西園寺領へ中入り致すのも一策かと存じます。楠予軍は分隊・小隊にて素早く動けますゆえ、成就の可能性は大きいでしょう」


 正重が暫し考えて、口を開く。

「中入りは危うい、ここは敵が動くのを待つ。皆もそれでよいな」

「「はっ」」


※※※※※


 4月20日 

 湯築城。

 楠予家家臣・河野通宣。


 平岡房実は血相を変え、廊下を駆け抜けた。

 近習たちが慌てて呼び止めるも、房実は振り払って奥の間へと突き進む。

 襖を乱暴に押し開けると、そこには当主・河野通宣が座していた。


 「殿の御前に無断で踏み入るとは、不届き千万!」

 近習の真鍋頼房が慌てて脇差に手を掛け、平岡を睨みつける。


 平岡は息を切らしながらも真鍋を無視して、声を張り上げた。

「殿一大事にございます! 大友軍の豊後水軍が西の三津浜に現れました。船の数からして、恐らく3000の兵が乗船しているとの報せにござる!」


 奥の間に緊張が走り、近習たちは息を呑んだ。


 平岡が言葉を繋ぐ。

「船からの下船や物資の陸揚げ、兵の再編を考えると、大友軍の進軍は明日になる筈。時間の憂慮はあります、今すぐ兵の召集を!」


 通宣は眉をひそめ、静かに平岡を見据える。

「大友め……。御屋形様が南に兵を送っている時に攻めて来るとは……」


 平岡が言う。

「大友は、御屋形様が出兵するのを待っていたのやも知れませぬ! このままでは御屋形様の軍は南北から挟まれまする!」


 通宣が顔色を変える。

「すぐに御屋形様にお報せせねば!」


 平岡は声を強めた。

「御屋形様にはそれがしが使者を出しまする! 殿は兵の召集と具足の準備を!」

「あい分かった!」


 平岡は頭を下げた。

「湯築城で7日も耐えれば、御屋形様の援軍が来るはずです!」


 通宣は力強く頷いた。

「うむ、湯築城は決して落とさせはせぬ!」

「はっ!」


 その日の夕刻。

 戒能通森が五十人の兵を率いて湯築城に登城した。

 甲冑に身を包んだ兵たちが城門をくぐると、城内の空気は一層張り詰めた。


 通宣は広間で戒能を迎え、力強く声を掛けた。

「通森、よく参った。今は一人でも兵が欲しい時、汝らの一族が来てくれた事、心強く思うぞ」


 通森は膝をつき、深く頭を下げる。

「殿、我ら戒能一族、命を賭して湯築城を守り抜きます。五十といえど精鋭揃い、必ずやお役に立ちましょう」


 通宣は頷き、平岡に目を向けた。

「平岡、通森の兵を城内の守備に組み入れ、警備を強化せよ」


「はっ!」

平岡は即座に応じ、兵の配置を指示するために立ち上がった。


――その時、近習の真鍋頼房が広間に入って来た。


「殿、一大事にございます! 曽根高昌、謀反! 国人衆を率いて西の搦手門(裏門)を制圧しました! すぐにこちらにも兵がやって来ます!」


 広間の空気が一瞬にして凍りついた。

 通宣は目を見開き、低く唸るように言った。

「曽根高昌が余を裏切った……」


 平岡はすぐに立ち上がり、声を張り上げた。

「殿、いそぎ東の大手門よりお逃げ下され!」


 通宣は苦渋の面持ちで頷く。

「っく……仕方あるまい!」


 通宣と戒能通森、平岡は広間を飛び出し、僅かな兵を連れて東の大手門へと走った。だが廊下の先には、既に曽根の兵が押し寄せていた。


 平岡は振り返り、声を張り上げた。

「殿、ここは私が道を切り開きます! 戒能殿は、殿を守ってくれ!」


戒能通森は力強く応じた。

「承知した! 平岡殿、ご武運を!」


 通宣は苦渋の面持ちで平岡を見た。

「平岡……すまぬ!」


 平岡は頷くと、脇差を抜き放ち、迫り来る敵兵に向かって叫んだ。

「その方らに殿は討たせぬ! この平岡が相手だ!」


 戒能は配下の兵とともに通宣を守り、平岡の切り開いた隙間を通り抜け、大手門へと逃げた。

 背後では平岡の奮戦の声が響き、城内は修羅場と化していた。


ーーーーー


  翌4月21日昼。 湯築城。


 大友義鑑は5000の兵を率いて堂々と湯築城へ入城した。

 城門をくぐる兵の列は果てしなく続き、鬨の声と甲冑の軋む音が城内を震わせる。

 湯築城の空気は一変し、誰もがその威容に息を呑んだ。


 広間にて、曽根高昌が謁見を許され、進み出た。

 彼は甲冑のまま膝をつき、深く頭を垂れる。


「義鑑様、大友家のため命を賭して戦う覚悟にございます。我ら戒能一族と国人衆は、大友家こそ伊予の国主に相応しいと存じまする」


 広間に響くその声は力強く、しかし重圧の中に沈む城の空気をさらに引き締めた。大友義鑑は静かに頷き、冷ややかな眼差しで曽根高昌を見据えた。


「その言葉、信じてよいのか? その方は2000の兵を揃えると豪語しておったが、今は500しかおらぬではないか」


 曽根は顔を上げ、毅然と答えた。

「国人衆は奪われし領地の民に召集を掛けております。先祖伝来の地の民たちが恩義を忘れるはずもございませぬ。必ずや駆け付け、兵数は整いましょう」

 義鑑は静かに頷く。

「ならばよし。伊予を支配した暁には、約定の通りその方に2万石をつかわす」

「ははぁ!」


 吉岡長増が曽根高昌に声を掛ける。

「曽根殿は智勇にて知られる平岡房実の首を挙げ、さらに幽閉されていた河野通直を捕らえられた。その功績、まことに大ききものにございます」


 曽根は深く頭を垂れ、静かに答えた。

「いずれも御家のため、当然の働きにございます。功を誇るは武士の道にあらず。すべては義鑑様の御威光あってのこと」


 広間の空気はさらに張り詰め、義鑑は冷ややかに曽根を見据えたまま、わずかに口元を歪めた。

「……よい。曽根高昌、その忠義、今しばらく見せてもらおう」


ーーーー


 その頃、河野通宣は正重率いる楠予軍本陣を目指していた。

 本陣は伊予の西南、大洲の地に置かれており、湯築城からは40キロ近くあった。道中は山道を越えねばならず、徒歩では一昼夜を要する距離であった。

 ゆえに通宣は精鋭の兵を少数選び、馬で山道を駆け抜けた。通宣自らが危険を冒してでも、正重に会わねばならぬと判断したのである。


ーー


 夕刻、大洲の楠予軍本陣。


 河野通宣が馬を駆って現れると、兵たちの間でざわめきが起こった。

 少数の騎馬を連れ、甲冑に汗を滲ませた通宣の姿に、兵たちは目を見開き、口々に驚きの声を上げる。


 正重の近習が声を掛ける。

「河野殿、いかがされたのですか!?」

「急ぐのだ! まずは御屋形様にお目通りを!」


 通宣は兵たちを動揺させないために、大友軍の襲来を告げなかった。


 それでも近習は尋常で無い事が起こったのだと悟り、頷いた。

「分かりました、ではこちらへ」


 近習が通宣を連れて本陣に入ると、中央に座していた正重たちの目が一斉に通宣に集まった。


 「通宣! なぜここに!?」

「御屋形様、大友軍が襲来しました! その数、3000以上と思われまする!」


 又衛兵が口を開く。

「それで通宣殿、自らが報せに参ったのか?」

「申し訳ございませぬ! 湯築城は曽根と国人衆の謀反により落城致しました!」


 又衛兵が床几から立ち上がる。

「っ、なんだと! では我らは後方を奪われ補給路を絶たれたと言う事か!」


 孫次郎が大声で笑う。

「又衛兵殿、大げさですぞ。細道を使えば直接、池田の里から補給を受けられます。それに次郎殿が湯築城は危ういと申され、多くの兵糧は宇都宮から奪った城に、分散して入れたではありませぬか。それらの食料が半年分はございましょう」


 又衛兵が首を傾げる。

「そうであったな。いや、だが半年分は多くないか? 多くても三月分であろう」


 兵馬が叱る。

「バカ、又衛兵。孫次郎は態と多く言ったのだ。兵の士気の下がるような、事を申すな! 周辺の近習たちも聞いておるのだぞ!」

「ああ、なるほど! 確かに、半年分の兵糧があったあった!」


 大野虎道が大声で笑う。

「わっはっは。又衛兵殿、それは幾らなんでも遅すぎまするぞ!」

「さようさよう!」


 重臣たちが笑い、場の雰囲気が持ち直した所で、正重が手で制す。

「ともかく兵たちは多少なりとも動揺するであろう。皆は兵たちを落ち着かせよ。我らは5500、北の大友軍はたかだか3000、追い払えば良いだけじゃ」

「「ははっ!」」


 源太郎が顎に手を当てる。

「北に向かうのは良いとして、問題は西園寺どもの抑えに誰を残すかですな」


 孫次郎が進み出る。

「抑えは、某と福田頼綱にお任せ下され」


 正重が問う。

「……うむ、では兵はいかほど必要か」

「楠予軍5500の内、4500は1年以上の訓練を受けた精鋭です、これらは大友軍を討つため必要。ゆえに残りの新兵1000をお預け頂きとうございます」

「あい分かった。では孫次郎たちに1000の兵を与える」

「はっ!」


 正重は皆を見た。

 「我らは今宵、密かに北の貞行城に移る。そして明朝、さらに北上し、大友軍を討つ!」

「「ははっ!」」


 深夜。

 夜陰に紛れ楠予軍は密かに大津城の前から撤退を開始した。


 福田頼綱が孫次郎に問う。

「孫次郎、6000の敵を僅か1000で抑える策でもあるのか?」

「特に何も考えてないな……。まあロングボウは防御に強いし、楽に守り通せるだろ」

「……だが新兵なのであろう?」


 孫次郎は笑って言う。

「連れて来た新兵は、新兵の中でも上澄みの連中だ。俺たちが本気で指揮をすれば、勝つことだって出来るさ」

 福田頼綱も笑う。

「確かに、俺たちならやれるな」


 孫次郎と頼綱は互いの拳を合わせた。


ーー

 翌4月22日昼。


 宇都宮軍を先鋒に6000の軍勢が孫次郎と福田頼綱の立て籠もる貞行城を取り囲んだ。

 正重の居ない城を一挙に落とそうと、連合軍は威勢よく攻め寄せて来た。だが、孫次郎たちは難なくこれを撃退した。


 その日の夕刻。

 孫次郎が砦内を見回っていると、福田頼綱が駆け寄って来た。

「孫次郎、敵から矢文が届いたぞ!」


 孫次郎は肩をすくめ、笑みを浮かべた。

「どうせ降伏せよとでも申して来たのであろう」


「その通りだ。だが、書かれている内容がただ事ではないのだ」


 頼綱から手紙を受け取った孫次郎は、矢文を広げて目を走らせた。

 そこには『大内軍1万が伊予に攻め込み、河野家の国人衆2000も大内に味方し蜂起した。ゆえに今すぐ降伏せよ』と記されていた。


 福田頼綱は孫次郎を見ながら言う。

「御屋形様たちが簡単に負けると思わんが、1万2千もの大軍に勝つのは容易ではあるまいな……」


 孫次郎は深く息を吐いた。

「あ~あ、楽して功を挙げられると思って残ったんだけどな。頼綱、少し無理をしてみるか?」


 頼綱は『ふっ』と笑う。

「仕方あるまい、やってやろう」


 孫次郎は眼下を覆いつくす連合軍六千の篝火を見て呟いた。

「地の利も人の理も此方にある、ここは問題ない。あとは大友をどうするかだな……」


 孫次郎の思考は既に、眼下の敵を葬ったあと、大友軍とどう戦うかに向けられていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ