剣友
誰が漏らしたのか、久秀が決闘をするという話を知らない太夫はいない。
あと数日の命かもしれないというのに、義理堅い久秀は大門を潜り、世話になった女たちに挨拶をして回った。
「逃げちまいなよ、久さん。年季が明けたらわっちが食わしてやろうほどになあ」
数人の太夫に同じようなことを言われ、苦笑いを浮かべる久秀。
役目を終えたにもかかわらず、未だに肥後屋に巣食っている胡蝶の部屋にも顔を出した。
「世話になったねえ、胡蝶ちゃん。いつまでここにいるつもりなの?」
「まだ指示が無いのです。たぶん柳の葉が落ちるまでかなと思います」
「そうか、ご苦労だねぇ。そうそう、俺がいなくなっても柳屋の弁当はよろしくね」
「誰が運ぶんですか? それによりますよ。たぶんどの見世の女も同じだと思います」
「誰だろう? まあお楽しみにね」
「どちらにしても、もう戻らないおつもりですか?」
「実はまだ考えていないんだ。生きていれば咲良のもとに戻る。死んだとしても魂だけは咲良のもとに戻る。決まっているのはそれだけさ」
胡蝶が三つ指をついた。
「ご武運をお祈り申し上げております」
「うん、ありがとう。胡蝶ちゃんも早く出られればいいね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあもう行くね。今までありがとう」
胡蝶の目に大粒の涙が浮かんだが、久秀は気付かない振りで部屋を出た。
柳葉の部屋まで行ったが、結局久秀は声をかけなかった。
丁度通りかかった柳葉の禿に、持ってきた菓子を握らせて一緒に食べろとだけ伝える。
会わないのかという禿の頭を撫でながら、久秀はお道化たように言った。
「その方が太夫のためさ」
去って行く久秀の背中を眺めながら、禿は小首を傾げていた。
暫しそのままいたが、思い直して柳葉太夫の部屋に入る。
久秀の言葉と菓子を差し出すと、柳葉太夫がポツリと言った。
「そうね、合わせる顔もないもの。ありがたいわ」
禿が出て行くと、柳葉は文机を開けてさらさらと文をしたためた。
何度か迷った末に、やっと宛名を書き終える。
それをそのまま引き出しに戻して、客を迎える準備を始めた。
「お帰りなさいませ。お二人ともお待ちかねですよ」
そういう咲良に頷き返し、久秀は柳屋の裏庭に回った。
宇随と柴田が二間ほどの間をとって対峙している。
久秀が声を掛けると、その場の空気の色が変わった。
「相変わらず凄い殺気ですね。表まで漏れてましたよ」
久秀がそう言うと、柴田が口を開けた。
「放つことはできるのだが、受け流すのが難しい。どうやら俺はまだ未練があるようだ」
「未練なんてあって当り前さ。俺だってめちゃめちゃあるよ。咲良と祝言をあげたいし、咲良との子も欲しいもの」
宇随が呆れた声を出す。
「さっさと始めるぞ。時間が無いんだ。俺だって早くお市を抱いて眠りたいんだからな」
そう言うと宇随と柴田が並んで久秀に相対した位置をとる。
それぞれが下段と上段に竹刀を構えて、久秀に殺気を飛ばす。
久秀は腰を落として竹刀を帯に差し込んだ。
ふわっと久秀の鬢が揺れる。
どのくらいそうしていただろうか、三人を包む空気が色を失い音が消えた。
「たあぁ!」
最初に動いたのは柴田研吾だ。
下段の構えのまま間を詰めて、一気に袈裟に切り上げようとする。
久秀はほとんど動かず、その切っ先を受け流した。
「遅いぞ。掴めるかと思った」
久秀の声に啞然としたのは宇随だ。
「今のが遅いだと? ではこれでどうだ」
構えなおした柴田研吾の横に並び、二人はほぼ同時に左右から薙ぎ払った。
カンカンという乾いた音がして、攻撃が防がれたことがわかる。
宇随は更にもう一度打ち込んだ。
「おっと! なるほどこれですか。なかなか恐ろしいですね」
「そう言いながら避けたお前もなかなか恐ろしい奴だよ」
久秀がニコッと笑いながら言った。
「研吾は打ち込むとき利き手の小指が緩むな。宇随さんはさすがに隙がないですが、眉間に二度皺が寄ります。それが合図になるから防ぎやすい」
三人が並んで裏庭の縁側に座った。
「ねえ、宇随さん。宇随さんがよく言う先見ってどんな感じなんですか?」
「どんな感じ……そうだなあ。相手の動きが重なって見える感じかな。分かり易く言うと残像のようなものが先に見えるんだ」
「ぜんぜん分かり易くないです」
柴田研吾の不貞腐れたような声に、宇随が大きな声で笑った。
命を賭けた戦いまであと二日。




