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最後の足搔き

 三良坂の配下の者たちが駆け寄ってきて、山本半兵衛の遺体を戸板に乗せている。

 不出世の剣豪と呼ばれながらも、なぜか田舎大名家の剣術指南役に望んで甘んじていた男の、あまりにも悲しい最期だった。


「行こうか。まだ終わってはいない」


 宇随が二人に声を掛けて歩き出す。

 

「なんだ? てっきり咲良さんにへばりついて、俺たちのことなど忘れると思っていたが」


 宇随が久秀を揶揄った。


「そうしたいのは山々ですが、そんなことをしたら咲良が口を利いてくれなくなってしまいますよ。咲良は俺なんかよりよっぽど男前ですからね」


「なるほど……でももう良いんじゃないか? 安藤、そして柴田もよく耐えた。さすが我が後輩どもだ」


 ニカッと笑った久秀が駆けだした。

 柴田が宇随に寄り添う。


「足もですか?」


「ああ。お前達が防いでくれたから、この程度で済んだ。左右両方から連続で薙ぎ払うあの早さ……恐ろしい技だな。最期の最後で、もう一太刀放ちやがったのは避けきれなかったよ」


「歩けますか?」


「ああ、腱までは届いていない。肉が少し削がれた程度だろうぜ」


「無理はしないで下さいね。それこそお市さんに怒られる。お市さんおっかなそうだもの」


「ああ、お市はおっかないぞ。だから後は任せる。俺は大人しく見届けよう」


「ええ、四年間あの子なりに磨き続けてきましたよ。その突き技を見てやってください」


「ああそうしよう。見事本懐を遂げさせてやれ」


 柴田が宇随に肩を貸して、三良坂達のいる場所まで歩いてきた。


「師の仇討ち、お見事でござった。さあ、こちらも始めましょうか」


 そう口を開いたのは火付盗賊改め方長官につい最近着任したばかりの駒井信義だ。

 現長官が病をえたために同時就任を申しつけられ、慣れない仕事ながらも真面目な仕事ぶりで高く評価されている。


「山名藩江戸家老、柴田清右ヱ門忠親。そなたが主導していた抜け荷の罪は明らかだ。この期に及んでなお申し述べたきことはあるか?」


「ございませんな」


「藩ぐるみの犯行ということだな?」


「いえ、私の独断でございます」


「では次男正晴のことはなんと説明する?」


「あの方は幼い頃から乱暴者で、殿も心を痛めておられました。抜け荷のことも、元々は正晴様が始めたことでございます。ことが大きくなりすぎて、手に負えなくなったのでしょう。教育係だった私に声を掛けてきたのですよ。殿は何もご存じではありません」


「抜け荷で得た金は?」


「吉原で太夫を囲うておりました」


「それだけとは思えぬが? 正直に話せ」


「私の取り分はその女郎に全て注ぎ込んでおりました。正晴様の分は存じませんな」


「三沢長政の一件はなんと申し開きをする?」


「あれは正晴様が三沢の妻女に懸想をしただけのこと。此度のことには何の関りもございませんよ。ただの痴情の縺れというやつです」


 久秀が駒井に視線を送ると、小さく頷いた。

 

「肥後屋の柳葉がすでに白状に及んだ。正直に話せよ」


 久秀の声に柴田清右ヱ門の背がぴくっと揺れた。


「柳葉が?」


「柳葉は五十嵐が攫って犯した景浦光政先生の一人娘の小夜だと言ったよ。さんざん弄んだあとで、いつものように長崎の異人に売ろうとしたが、三沢様に気付かれたのだろう?」


 清右ヱ門の口角が片方だけ上がる。


「だったらなんだ? 理由はどうあれ、三沢もこちらについたのだ。あいつも罪人さ」


 新之助がギュッと拳を握った。


「まあ何とでもお言いなさい。どちらにしてもあんたは三沢様ご一家の仇だ。その無念を晴らすにはお前の命だけでは足りないよ。俺が今日までじっと耐えてきたのは、公儀を巻き込むためさ。こちらにおわすは、長崎奉行筒井政憲様の義弟であり、此度の調査を託された前御庭番三河守、三良坂弥右衛門様だぜ? それにお前を裁いておられるのは、現火付盗賊改め方長官である駒井信義様だ。言い逃れができるなど思うなよ?」


 清右ヱ門の顔色が変わった。


「ふざけるな! 大恩ある殿様に累を及ぼすつもりか!」


「大恩? それこそふざけないでくれ。俺は三沢家の家臣だ。ああ、そういえばさっき山本半兵衛が言っていたが、半兵衛の姉ってのが山名将全様の側室なんだって? で、五十嵐喜之助は本当に山名様の子か? 本当はお前の子ではないのか?」


 清右ヱ門がフイッと横を向いた。

 ずっと黙っていた柴田研吾が顔を歪めて言った。


「おいおいマジかよ……あの卑怯者が俺の弟だと? 頼むから止めてくれ。なあ久秀……俺、名前変えたい。柴田って名乗るのも嫌だ」


 久秀が清右ヱ門から目を離さず答える。


「そうだな。こいつにとって子供はただの捨て駒。研吾は早くに見切って正解だったよ。まあお前の家名は置いといて、肝心なのは山名藩の江戸家老が大名家の次男と組んで、抜け荷や拐しをやっていたという事実だ。そうですよね? 駒井様」


 駒井が頷いた。


「その通りだ。ここに居る山名藩国家老三沢長政が家臣、安藤久秀よりの訴状により捜査を進めておったのだ。もはや言い逃れはできぬと思え」


 久秀が三良坂弥右衛門の顔を見た。

 フッと笑って声を出す三良坂。


「そういうことにしないと、もみ消されかねんのだ。訴状は後でこちらが用意する」


「卑怯だぞ!」


 柴田清右ヱ門が怒鳴った。

 久秀は自分の耳に小指を突っ込みながら嘯く。


「卑怯だと? 笑わせてくれる」


 そう言うと自分の脇差を抜いて、柴田清右ヱ門を縛っていた綱を切った。

 それを見た新之助が、青褪めた顔で立ち上がる。


「父と母、そして兄の仇。覚悟せよ!」


 スラっと抜きはなったのは、父長政の脇差だ。

 脇差といっても室内での切り合いを想定して、長めのものを用いるのは城勤め武士の常。

 長政のそれも同じで、その長さは一尺八寸の中脇差で、無銘ながら大和の名工千手院の作と伝えられている。

 

「フンッ! 小癪な小童が…… 覚悟するのはお前の方だ。返り討ちにしてやろう」


 柴田清右ヱ門の目がヌラッと光る。

 

「助太刀致す」


 安藤久秀がスラっと大剣を抜き放った。


「我が剣を戻せ」


 柴田清右ヱ門の声に動く者はいない。

 盛大な溜息をついた駒井が目配せをしてから声をあげた。


「三沢長政が遺子、新之助の仇討ち。この駒井信義がしかと見届けようぞ。誰かそやつに剣を渡してやれ」


 水夫の格好をした男たちが並び、柴田清右ヱ門の逃亡を防ぐように人垣を作る。

 捕縛したときに取り上げていた大剣を、権左が清右ヱ門の前に投げ捨てた。

 久秀から視線を逸らさず、それを拾い上げた清右ヱ門がニヤッと嫌な笑みを浮かべる。


「安藤、そこな女はお前のイロか? なかなか良き味わいだったぞ。正晴様も気に入られたご様子でなぁ。売るのは惜しいなどと言いだされて困ったよ」


 清右ヱ門が舌なめずりをしてみせた。


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