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剣の極意

「新之助様……見事仇討ち敵いましたこと、心よりお祝い申し上げまする」


 久秀の羽織りに包まれた咲良が新之助の前に三つ指をつく。

 頷いた新之助が咲良に自分の道着を脱いで渡そうとすると、咲良がそれを押しとどめた。


「新之助様、まだ終わってはおりませんよ」


「あ……でも咲良が」


「お気遣いありがとうございます。でも私はこれが嬉しいのです」


 久秀の羽織に頬擦りをして咲良がニコッと笑った。


「新之助様、道着は鎧なのです。全てが終わるまで脱いではなりません」


「しかし久秀はそれを脱いだぞ?」


「あのお方は鬼神の如くお強いですから、きっと下帯ひとつでも勝ちますわ」

 

 女たちを鉄砲洲へ送るという役人に、ここに残ると告げた咲良は、新之助と共に剣客たちの真剣勝負を見守った。

 山本半兵衛の正面には宇随義正。

 久秀と柴田研吾は山本半兵衛の斜め後ろに陣取っている。


「どうやら景浦は良き弟子を持っていたようじゃな」


 半兵衛の声に宇随が反応する。


「なぜ悪事に手を染めた」


「主の意向だ。否は無い」


「諫めるのも従たる者の務めであろう」


「バカなことを。この先何年武士の世が続くとおもうておるのか。侍など消えてなくなるだけ。剣の腕などクソの役にもたたん時代が来るのがわからぬか?」


 睨む宇随から目を離さないまま、斜め後ろで殺気を飛ばしている久秀に言った。


「吉原で太鼓持ちになったと聞いて頭の良い奴と思うておったが、存外にバカじゃったの」


 久秀は何も言わない。

 その代わりに反対側で構えていた柴田研吾が口を開いた。


「なぜあなたほどの方が……残念でなりません」


 半兵衛が笑った。


「私は賢いからな。幕府は終わりだ。金を持っている者の勝ちだよ」


 久秀がやっと口を開いた。


「なぜ景浦先生を手にかけた」


 半兵衛がフッと息を漏らす。


「あいつの娘に五十嵐喜之助が手を出したのは知っているな? 景浦は娘を取り返すために単身で乗り込んできたのさ。私の家にね」


「お前の家?」


「ああ、喜之助は私の姉の子だ。我が屋敷に匿っていた。姉は山名藩主将全様の側室さ」


 柴田が驚いた声を出す。


「では五十嵐は……山名様の?」


「フンッ! 今となってはどうでも良い。乗り込んできた景浦を、喜之助が弓で射て私が引導を渡した。剣豪と奉られても呆気ないものだ。娘を殺すと言われて剣を捨ておったわ。おお、そういえば喜之助はどうした?」


 宇随が鼻で嗤う。


「あいつなら両手両足を切り捨てられて、地を這う蟲のように転がっているよ。そろそろ失血死でもしているかもしれんな。ざまあみろだ」


「やれやれ、私の可愛い甥をそんな目に合わせたのか……まあ仕方もあるまい。弱いのが悪いんだ。さあ、そろそろ始めようじゃないか。誰からだ? 三人一緒でも構わんぞ」


 宇随が無言のまま一歩前に出た。


「いきなり真打の登場か。せいぜい楽しませてもらおう」


 山本半兵衛は憎々しい口をきいて、不敵な笑みを浮かべた。

 宇随が空気を切り裂くような声を出し、柴田と久秀は一歩下がって見守る体制をとる。


「なかなかの使い手だが……景浦の弟子特有の癖が抜けておらんな。ほれ、右肩が下がりすぎておる。光政もそうじゃった。何度言うてやっても頑固な奴で、これで良いと抜かしおった」


 まるで二人の間の空気が凝固したかのように動かない。

 しばらくまんじりともせず睨み合った後、半兵衛が誘うようにぴくっと手首を動かした。


「まだまだぁぁぁ!」


 宇随が大声を出す。


「フンッ! さすがに乗らんか」


 半兵衛がそう吐き捨てた瞬間、宇随が地を蹴った。

 ギンッという音が夜空に響く。

 

「なるほど、接近戦か。よほど私が怖いとみえる。お前らも免許皆伝なら居合くらいは使えよう?」


「良くしゃべる男だ」


 半兵衛がパッと飛び下がる。

 それを追って宇随が間合いを詰めた。

 腰に佩いた鞘の剣を沿わせた半兵衛が腰を落とす。

 柴田と久秀がほぼ同時に動いた。


「ガキンッ」


 左右を久秀と柴田が固め、中央で最上段に大きく構えた宇随。


「やるな……三位一体で私の居合術を封じたつもりか」


 半兵衛がすっと体を引き、宇随はその場でグッと腰を落とし、中段に構えなおす。

 久秀と柴田は、宇随から一間の距離をとり、油断なく半兵衛の攻撃に備えた。


「風だ、風になれ。風を切るのではない。風そのものになるのだ」


 半兵衛がそう呟いたあと、嬉しそうな顔で続けた。


「荒ぶる心を鎮めるのではなく解き放つのだ。全てを受け入れる度量を持て。それができれば真の自由を知ることができる。自由な心は風と同じ。おのれが透明な風になった瞬間こそが最強」


 その刹那、半兵衛と宇随がすれ違った。

 

「なんだ……やればできるじゃないか……絶対に忘れるなよ……」


 腹から臓物をぶら下げた状態の半兵衛が、脇差を抜いて自分の頸動脈に当てる。

 男たちは罪人に墜ちたとはいえ、剣聖とまで言われた男の技の消失を惜しんで跪いた。


「凪だ……剣の極意は凪た心だ。宇随、柴田、安藤……怠るなよ」


 剣客たちは、剣聖山本半兵衛の最期の言葉に顔を歪めた。


「宇随さん、大丈夫ですか」


 柴田が駆け寄ると、宇随の体が少し傾いた。


「悔しいよ。あのくそジジイ、最後の最後で手を抜きやがった」


 左の腕を押さえながら、宇随が唇を嚙みしめた。

 羽織りの袖がはらりと落ち、襦袢に血がにじんでいる。

 それを見た久秀が片眉を上げた。


「宇随さん? それって女物?」


「ああ、お市の襦袢だ。今朝がた脱がせてそのまま着てきた」


「宇随さん……」


 久秀が溜息を吐きながら、困った顔を向けた先の柴田が小さく呟いた。


「ちぇっ! 俺も美千代のを着て来ればよかった」


 久秀はその時初めて、柴田の妻女の名を知った。


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