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拉致

「部屋には五人、侍は三人。奥の小部屋にもう一人いるけれど姿を見せない」


 こくんと頷いた咲良は、草履を脱いで板場に上がった。

 膳を持って部屋に入ると、上座に山名正晴、そのすぐ下手には初めて見る顔の男が悠然と座っている。

 その横に先ほど顔を覗かせた年配の武士が座り、二人の向かい側に富士屋の若旦那と大番頭という並びだ。


「先だってはお世話になりました」


 咲良が何食わぬ顔で正晴と富士屋の二人に挨拶をした。

 お嶋とお市は甲斐甲斐しく老武士二人の世話を焼いている。

 咲良はもう少し突っ込んでみることにした。


「前回の方々だとばかり思っておりましたので、気安く大きな声で話してしまい、失礼をいたしました」


 今度は老武士二人に向き直る。

 獲物を射るような鋭い視線に、怯みそうになるのを必死で堪えた。

 上座に座る正晴が能天気な声を出す。


「ああ、この前は廻船問屋との席だったか。奴らは切った。それよりこっちに来て酌だ」


 舐めまわすような視線に耐えながら、咲良がにこやかに立ち上がる。

 気を利かせたお嶋が正晴に聞いた。


「この前の方々は……確か三河屋のご隠居さんと岩本様とお呼びしてましたよね? こちら様はなんとお呼びすれば?」


 老武士の上座の男が苦笑いを浮かべる。

 正晴が徳利を持つ咲良の手を撫でながら声を出した。


「こっちの偉そうなのが清右ヱ門で、あっちの死にそうなのが半兵衛だ。どうだ? お前たち、女に名前で呼ばれるのもオツだろう?」


 清右ヱ門と呼ばれた上座の男が、一瞬だけ正晴を睨んだが、すぐに柔らかい顔に戻した。


「左様ですなぁ、思えば女房にさえ名でよばれませんからなぁ。のう? 半兵衛殿よ」


 半兵衛と呼ばれた老武士は笑いもせずに頷いた。

 お嶋が場を和ませるように明るく言う。


「お名前を知ればお酌もし易いというものですよ。さあ、おひとつどうぞ、清右ヱ門さま」


「こちらもどうぞ、半兵衛様」


 お市も同じように徳利を手に取った。


「お前も飲め」


 正晴が自分の猪口を咲良に差し出す。


「申し訳ございません、不調法なればどうぞご容赦下さいませ」


「なんだ、面白くない奴だな。お前の亭主は酒も飲ませてくれんのか」


 咲良が困った顔を正晴に向ける。


「祝言の盃だけで立てなくなったのを覚えているのでございましょう」


「なんだ、それほどまでに弱いのか。南蛮の葡萄酒を飲ませてやろうと思うたのに」


 咲良が首を傾げる。


「葡萄酒? 聞いたこともございません」


「その名の通り、葡萄で作った酒だ。渋いのもあるが甘いのもある」


 正晴は上機嫌だった。

 スッと咲良の尻を撫でた正晴が、ニヤッと咲良の顔を見た。

 それを見咎めたのか、清右ヱ門が咲良に話しかける。


「武家のご妻女。名は咲良と言ったか?」


「はい、吉田咲良と申します」


「国は?」


 咄嗟に母親の故郷を口にした。


「紀伊でございます」


「ご主人はどちらのご家中か?」


「主人は親の代から浪人でございます。剣の修行で紀伊に立ち寄りました折に縁がございまして」


「そうか。今は江戸に?」


「はい、修行仲間を頼って江戸に参りまして、もう四年でございます」


「どちらにお住まいか?」


 咲良が清右ヱ門の顔を見た。


「あの……何か不調法を致しましたでしょうか……」


 慌てて笑顔を作る清右ヱ門。


「いやいや、これほどの武家の妻女が、粋筋の姐さん方と知り合いというのが不思議でな。ちょっと聞いたまでだ」


 お嶋が清右ヱ門に酒を注ぎ足しながら口を開いた。


「咲良さんの旦那様があたしのイロのご友人でしてね、その縁でお付き合いをしているのでございますよ」


「なるほど、そういうことか。合点がいった」


 丁度その時、裏口から声が掛かった。


「お待っとうさんでしたぁ。ご注文のお酒でございますぅ」


「はぁい」


 富士屋の二人を相手にしていたお朝が腰を上げた。

 手伝おうと女たちが一斉に立ち上がると、正晴が咲良の手を引く。


「お前はここに居れ。皆が行くほどのことでもあるまい」


 咲良が諦めて座りなおすと、酒の配達に来たらしい男が大きな声を出した。


「こちらに来ているお嶋さんって方に頼まれものを預かってきましたぁ」


 咲良はその声が権左のものだと気付いた。

 権左は前回の席で面が割れているのに、余程変装に自信があるのだろう。


「お嶋はあたしですよ。頼まれものってなんだい?」


「どうもお店にお市さんと咲良さんのご亭主が来られたそうで、帰ってくるようにとのことですよ。さっき柳屋さんに酒を届けたときに言伝を頼まれましてね」


「ああそうかい、ありがとうよ。どうも長居をしてしまったね。お朝ちゃん、今日はそろそろお暇するよ」


「うん、わかった。ありがとうね。助かったよ」


「またいつでも呼んどくれ。さあ、咲良さん、帰ろうかね」


 お嶋が大きな声で咲良を呼んだ。

 返事をしようとする咲良を押しとどめ、正晴が富士屋の若旦那に目配せをする。

 頷いた若旦那が台所に向かった。


「お嶋さん、申し訳ないがどうやら若様が咲良さんをお気に入りのようだ。もう少し居残ってもらいますよ。もう一刻ほどで私たちも引き上げますから、それまでのことです。後は送らせますので」


 お嶋とお市が顔を見合わせる。


「でも……」


 お嶋が不平を言おうとすると、富士屋が懐から小判を出して握らせた。


「これでなんとかよろしく伝えて下さいませ」


 迷う振りをしながらお嶋が奥に声を掛けた。


「咲良さん? 良いのかえ?」


 返事がない。

 富士屋が慌てて言う。


「咲良さんは先ほど厠へ立たれました。ご本人にも同じように心付けをお渡ししますので」


 酒屋に扮した権左が言った。


「あっしは帰りやすよ。確かに伝えやしたからね?」


 酒樽を板の間において、さっさと出て行く。

 権左を隠すように立ち位置を変えたお嶋がお市に言った。


「まあ、吉田様のところもいろいろ物入りだもの。きっと喜ばれますよ。では私たちはお先に帰りましょうか、お市さん」


「そうですね。富士屋さん、必ず送って差し上げてくださいね? もう一刻ほどだと伝えますからね?」


「はいはい、必ずそう致しましょう。ご安心くださいませ」


 お嶋とお市が頷いた。


「じゃあお朝さん、後は頼んだよ」


 お朝が真剣な顔で頷いた。


「うん、わかった」


 二人が裏口から出た時には、咲良はすでに正晴に羽交い絞めにされ、半兵衛に小刀を向けられていた。


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