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女の技量

「あれえ、お嶋さんじゃないか。それに咲良さんも」


 お朝が襷がけを外しながら出迎えた。


「こちらは吉田様のご友人の奥様でね、お市さんだ。旦那さんが何やら忙しくて江戸見物にも連れて行ってくれないって言うものだから連れてきたんだ。迷惑じゃなかったかい?」


 お嶋の言葉にお朝が笑い声をあげた。


「何が迷惑なものか。お市さん、あたしはお朝といいます。見ての通り商家の妾ですよ。以後お見知りおきくださいまし」


 お朝が頭を下げると、お市もそれに倣った。


「お市と申します。島田宿から参りました。旦那様の親しいご友人の祝言のために来たのですが、何やら私にはわからないことがあったようで、放っておかれちまってるんですよ。暇に任せてついてきました。何かお手伝いでもあればお申し付け下さいな」


 四人が姦しく話していると、奥から富士屋又造が顔を出した。


「おい、お朝。あれ……これはこれは、きれいどころが揃い踏みでしたか。こいつはとんだご無礼を」


 如才なく挨拶をしながらも、その目は女たちを値踏みしていた。


「すみません、旦那さん。すぐに支度をします」


 お朝が慌てて言うと、間髪入れずお嶋が声を出した。


「なんだいお朝ちゃん、旦那さんを待たせてたのかい? 言ってくれりゃすぐに帰ったのに。申し訳ございません、旦那さん」


「いえいえ、今日はお客様がありましてね。いつもより早いものですから。どうぞごゆっくりなさってください」


 お市は奥から様子を伺っている視線に気付いた。

 それとなく咲良とお嶋に目配せをすると、二人は小さく頷いている。


「お朝ちゃん、仕事の手を止めたお詫びだ。支度を手伝うよ」


 お嶋がずんずんと上がり込んだ。


「さあさあ、咲良さんもお市さんも手伝ってくださいな」


 二人は『はい』と声を出し、土間から板場に上がった。


「悪いねぇ、どうも慣れなくて手際が悪いんだよ」


「お朝さんはよく頑張っておられますよ」


 咲良がにこやかに応じた。

 お市もそれに乗る。


「私なんて未だに何もできないのですよ。できるのはお茶を淹れるのと五平餅を買って来るだけですもの」


 お嶋が派手な笑い声を出す。


「ではお市さんにはお茶の支度をお願いしましょうか。咲良さんは何でもできるから……お朝ちゃん、このアジは焼くのかい?」


「うん、一夜干しをいただいたのよ」


「じゃあ咲良さん……といってもそのきれいな着物じゃ匂いが心配だ。そっちはあたしがやるから、味噌汁を頼むよ」


「はい、畏まりました」


 咲良は袂から新しい腰ひもを出して襷に掛けた。

 お市がすかさず言う。


「さすがお武家様の奥様だ。ちゃんと準備しておられるのですねぇ」


 咲良が頷いて言う。


「母に躾けられましたので。こればかりは習慣でございますね」


 奥の襖がカラッと開いた。

 ぬっと顔を出したのは老人と言ってもよいほどの男だ。

 何も言わずじっと咲良を見ているその目は、剣の心得の無い咲良でさえ殺気を感じるほどだった。


「申し訳ございません。煩くしてしまいました」


 咲良が頭を下げると、その男が徐に口を開いた。


「いやいや、華やかな声がしたので、楽しそうだと思って覗いていただけですよ。男ばかりだったので明るくなって結構なことだ。こちらは急ぎませんので、どうぞゆっくりと」


 顔を引っ込めて襖が閉じる。

 蛇に睨まれた蛙はこんな気持ちなのだろうと咲良は思った。

 富士屋又造が部屋に戻ったのを見計らってお嶋が咲良に耳打ちをする。


「知ってる顔かい?」

 

 咲良が首を横に振る。

 お市が眉間に皺を寄せながら言った。


「義さまと同じくらいの気迫だねぇ、ああ恐ろしい」


 同じように感じた咲良が、竈の前にしゃがんで薪を抜いているお朝に言った。


「いつもお見えになる方々なのですか? 随分と遠慮がないような感じでしたが」


 お朝が火照った顔を上げた。


「ええ、大体同じ顔ぶれですよ。二人が三人になったり四人になったりはするけれど。でも今日は初めてお目にかかる方もおられましたねぇ……」


「同じ顔ぶれって、この前の方々でしょう? ええっと……富士屋の若旦那さんと、どこぞのお武家様のご次男様でしたっけ? お名前が……」


 咲良がそう言うと後ろから声がした。


「山名正晴だ。覚えておけ。おい女、こっちに来て酌をせよ」


「はい、ただいま」


 お嶋とお市が同時に声を出した。


「お前たちじゃない。そこの女だ」


 咲良を指さして下卑た顔を向ける正晴。

 お嶋がすかさず声を出した。


「あらあら、咲良さんはお朝さんのお手伝いがございますので。用意が整いましたらお伺い致しますから、それまではあたしたちで勘弁してくださいませな」


 フンッと鼻を鳴らして部屋に戻る正晴を見送りながら、お嶋が座敷まで届くような声でお朝に言った。


「お朝ちゃん、燗をつけるのかい? それともお冷かね」


「お冷がお好みですよ。姐さん、すまないねぇ。もう少しだからよろしく頼むよ」


「ああ、任せておきな。こっちの手伝いはできないが、酒の酌なら慣れたものさ」


 お嶋はわざと蓮っ葉な言い方をした。


「さあ、お市さん。昔取った杵柄だ」


「あい、姐さん」


 これで二人は玄人だと認識されたと思った咲良は、ホッと息を吐いた。

 自分の命はもう捨てているが、この三人にはかすり傷ひとつも負わせたくない。

 お朝が小声で話しかける。


「どうしたんだい? 何やらおかしいが」


「ええ、もしかしたらあの中の誰かが、旦那様の追っている人かもしれないのです」


「え? 久さんの? ああ……そういうことか。それで揃って来たんだね? あのお市というのは?」


「旦那様の剣の先輩の奥様です。その方が同じ人を追っているんですって」


「なるほど。あたしも久さんが絡んでいるなら協力は惜しまないよ。でも咲良さん、危ないと思ったらすぐに逃げるんだよ? いいね?」


「ありがとうございます」


 その時奥からお嶋の声がした。


「お酒を頼みますよ~」


「はい、ただいま」


 お朝が返事をして、咲良が膳の用意を引き継いだ。

 アジの干物が程よく焼けて、香ばしい香りが漂う。

 香の物は野芹と茗荷の浅漬けだ。

 醬油を片口に移し小皿を添える江戸ならではの準備を整える。

 味噌汁は豆腐と根深で、炊きあがった白米を茶碗によそって軽く塩を振った。


「お願いします」


 咲良が部屋に声を掛けると、三人の女たちが出てきて膳を運び出す。

 すっと寄ってきたお市が咲良にこそっと耳打ちをした。

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