覚悟
「同じ浪人の妻でも、武家らしい品位を保っていないとダメなんだろうな。しかも美人であることも必要だ。若くて美しくて所作が上品な武家の女なんて、そうそう手にはいるものではない。奴らにとって咲良という女は絶対に欲しい『商品』なのだろう」
自分を商品に例えられた咲良の鼓動が早くなった。
しかし、相手にとっては千載一隅の好機だろうが、それはこちらとしても同じ。
ここしかないと咲良は覚悟を決めた。
「旦那様、私……参ります。明日にでもお朝さんのところに行って、息子が道場で寝泊まりするので旦那様がお帰りなるまで家で一人なのだと言って誘いを掛けてきます」
「ダメだ! 何をバカなことを……絶対にダメだ!」
久秀が立ち上がって咲良の肩を掴んだ。
「旦那様、この好機を逃してはなりません。もしも私が連れ去られたとしても、必ず助けて下さいますでしょう? ですから、私をお使いください」
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 咲良、お前の気持ちは分かるが……危なすぎる」
「あたしも同道いたしましょう」
お市が何事も無いように声を出す。
「ああ、あたしも行くよ」
お嶋も言いながら笑顔を浮かべた。
「あなた達……何を言っているのかわかっているのか?」
久秀が殺気を纏うほどの怒りを見せる。
「わかってますよ。でもね、久さん。きっと私とお市さんは帰される。もし奴らがいたら、何か言い訳をつけて咲良さんだけが残されるはずだ。でも、中の状況は知ることができるし、それをここにいる皆さんに伝えることはできる」
お市が続ける。
「そうですよぉ。万が一あたしたちも一緒に捕まっちまったら、それこそ好機じゃありませんか。義さまが乗り込む理由ができるのですもの」
宇随と久秀が苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
権左が冷静な声を出した。
「このところ抜け荷の取締りを強化しておりますので、おそらくは最後の取引きと考えているのではないでしょうか。次があるならこれほどの強硬手段を取るとは思えません。公儀を動かすには場所と日時は絶対です。それさえわかれば必ず救出できる」
久秀が権左を睨みつけた。
「簡単に言ってくれるなよ。女を囮にするなど出来るものか!」
咲良が静かに言った。
「旦那様、私は身命を賭して仇を討つと申し上げたはずです。大事の前では、私の命など小事でございます。そう誓いあって、共に江戸を目指したはずですよ? 違いますか?」
久秀が音がするほど奥歯を嚙みしめた。
「安藤、俺は明日の一番で柴田道場に向かう。入れ替わりに柴田をここに来させよう。あの家は吉田夫婦の家だと思い込ませるんだ。そしてお前は何としてでも柳葉太夫に接触して情報を手に入れろ」
「宇随さん……」
「何も気付かず、能天気に太夫達の機嫌を取っているように見せかけて、油断を誘え。俺が柴田道場で妻女と新之助殿を守る」
久秀は返事をしない。
宇随は悲痛な表情を浮かべて続けた。
「お市はお嶋さんと一緒にここで待て。もしも戻れなかったら、俺と柴田が必ず乗り込んでいくから」
「あい、義さま」
咲良が久秀の手を取った。
「旦那様、今日は家に戻りましょう。荷物のこともございますし、新之助に渡さねばならぬものもございます」
久秀が魂を吐き出すような溜息をついた。
「咲良……他にも方法があるかもしれない。もう少し考えさせてはくれないか?」
咲良が静かに首を横に振った。
その覚悟を見たお市がお嶋に言う。
「お嶋様、ご迷惑でしょうけれど今宵はここに泊めてもらえませんか?」
そう言って宇随の顔を見る。
お市と同じことを察したお嶋はすぐに頷いた。
「もちろん構いませんよ。部屋ならたんと余っていますからね。それにあんなお荷物まで預かるんだ。宇随様くらいの剣士様にいていただくちゃ恐ろしいもの」
そう言って土間に転がっている男たちの方へ顎をしゃくった。
「さあ、旦那様」
咲良が久秀の手を引いた。
泣きそうな顔をした久秀がのろのろと立ち上がる。
柳屋と書いてある提灯を借りて、久秀と咲良は日本堤を下って行った。
道端の草がさわさわと音をたてる。
のろのろと歩く久秀の後ろをついてゆく咲良。
まるでその背中を目に焼き付けようとしているかのようだ。
「ねんねん ころりよ おころりよ 坊はよいこじゃ ねんねしな」
咲良が子守唄を口ずさんだ。
久秀の足が止まる。
振り向いた久秀は、目に涙を溜めていた。
「旦那様……」
久秀がスッと手を差し出した。
その手に自分の手を重ね、二人は並んで歩き出す。
「ねんねん ころりよ おころりよ 坊がねんねをしてるまに 赤いままちゃを炊いといて
白いままちゃも炊いといて ふくめてふくめてみな食わそ」
歌い終わった咲良の顔を覗き込んだ久秀がポツンと言う。
「咲良……」
それ以上の言葉は出てこない。
しかし、咲良はそれだけで十分だった。




