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剣術と柔術

 権左が立ち上がった。


「では私は戻ります。お迎えに行かれるのでしょう?」


「うん、今から行ってくる。ああ、そうだ権さん、一緒に行かないか? 柴田は権さんと同じ北辰派の使い手だ。仲良くなって損は無いし、例のあれを見せてくれよ」


「例のあれ? ああ、袖釣り込み腰ですか? 私が久さんを投げても良いので?」


「うん、投げてくれ。でも俺も本気で抗っちゃうよ」


「それは楽しみですね」


 二人は連れだって歩き出した。

 途中で柳屋に寄り、お嶋に留守を告げる。

 柴田道場に行くと言ったら、仕出しに入れる和菓子を包んでくれた。


「料理もあるし、子供達への菓子もある。柳屋様々だねぇ」


 柴田道場につくと、夕食を共にと言われた。

 持ってきたものを妻女に渡し、その前にやりたいことがあるからと柴田を誘って道場に向かう。

 久秀は柴田の道着を借りて、竹刀を振り体をほぐした。


「この人はね、島田宿で知り合った岩本権左という人だよ。剣はお前と同じ北辰一刀流だが、柔術が本道らしいんだ。今日は技を見せてもらおうと思ってね」


 久秀の言葉に、柴田が笑顔を浮かべた。


「ご同流ですか。どちらの道場で?」


 権左が答える。


「私は水戸の藩邸で習いました。と申しましても未熟なうちに浪人となりましたので、お恥ずかしい限りですが」


「水戸……水戸なら水府流ですね? あそこはなかなか他流試合をしないから、実際に見たことは無いのですよ。いやぁ楽しみだなぁ。是非お手合わせを願いたい」


 剣士たちは互いにその力量を推し量っている。

 権左は久秀と柴田はほぼ互角だと嗅ぎ取った。


「いやぁ……お二人には勝てる気がしません。むしろ私は柔術の方でお相手させて戴きたい」


「では私から」


 柴田が立ち上がる。

 久秀が審判として中央に立つと、一瞬で空気が張り詰めた。


「互いに礼……始め!」


 柴田が気合を入れるために声を出す。

 劈くようなその声に、奥にいた女たちは体を震わせた。

 一方それに呼応する様に野太い声を一度だけあげた権左は、竹刀の先が触れないぎりぎりの距離を保っている。

 誘うように柴田が踏み出すと、鍔の下に潜り込んだ権左がその腕を捻りあげた。


 たまらず左手を離したその瞬間、柴田の左袖口が権左の右手に制圧される。

 振り解こうとすれば胴ががら空きになると察した柴田は、左手を諦めて右手だけで応酬を試みた。


「まだまだ!」


 柴田が声を出す。

 権左が左を更にねじり込み、柴田の体制を崩そうとしている。

 竹刀を握っている自分の右手をぐいと引き、権左の体を引き寄せた柴田が、竹刀ごと体をぶち当てた。

 そのあまりの勢いに、溜まらず後退った権左だが、柴田の袖口を離すことは無かった。


「凄まじい握力だな」


 柴田が言うと、権左が答える。


「生命線ですからね」


 もう一度柴田が押し込むと、権左の体が横にずれた。

 

「それまで!」


 久秀の声がかかり、二人は正座をして互いに礼を交わした。


「いやぁ……凄いな。どうにも体が動かんから焦ったよ」


 柴田がそう言うと、照れくさそうに鬢をかく権左。


「いえいえ、これが真剣であれば私の指などとっくに転がっています。竹刀で助かりました」


 謙遜する権左に久秀が言う。


「しかしきれいに舞ったなぁ。柴田が背中から叩きつけられたのを見るのは二回目だ」


 柴田が笑いながら言い返した。


「お前なぁ……まだ幼い頃の話だろ。それに相手が悪かったよ。なんせ天才剣士宇随義正だもの」


「ああ、そういえば宇随さんが江戸に来るよ。お市さんという女性も一緒だ。俺の家に泊まってもらおうと思っているんだ。ここにも連れてくるよ」


「江戸に? あの事件以来国許に戻られたのではなかったのか?」


「うん、今は島田で道場を預かっておられる。あの事件のカタをつけるための江戸入りだ」


 権左が横から口を挟んだ。


「お市さんと言うのは、芸者のお市さんですか?」


 久秀が頷いてやると、権左がポツリと言った。


「安藤さんといい柴田さんといい、宇随さんまでもだ。どうしてそれほどまでに美人と縁があるんです?」


 久秀と柴田が同時に笑った。


「さあ権さん、息が整ったら今度は俺の相手を頼むよ」


 久秀がそう言うと、柴田が続けた。


「おう! お前も床に叩きつけられろ! 権さん、手抜きは無しだぜ」


 三人が立ち上がると、襖の隙間から覗いていた柴田の妻女が溜息を洩らした。


「こうなると終わりませんよ。今日は泊って下さい」


「いえ、今日は旦那様も一緒ですし戻ります」


「そうですか? では夕食の支度をしましょうか」


 二人は立ち上がって台所に向かった。

 座敷では子供達……といっても、年が明けて十一と十三になった新之助と咲良が背比べをしている。


「新之助様、いったい何を食べたらそんなに背が伸びるの? もうこんなに違ってるもの」


 彩音と新之助の背はいつからか逆転し、今では新之助の耳辺りが彩音の頭だ。


「何を食べたら? どうでしょう。毎日食べているのは豆腐と納豆ですね。ご飯は朝夕三杯いただきます。後は……何だろう」


「お豆腐と納豆なら私も毎日いただきますが、ちっとも背が伸びません」


「じゃあ違うのかな? なんでしょうね。それより彩音様はお裁縫の腕は上がりましたか?」


 新之助の声にプイっと横を向く彩音。

 道場では何度目かのダンッという音が響いている。

 咲良がポロっと言った。


「あんなことがどうして楽しいのでしょうね。痛いでしょうに」


 柴田の妻女が肩を竦める。


「子供だからじゃないですか? うちの旦那様は偉そうにしてますけれど、熱いものと辛い物が苦手なんですよ。子供でしょ?」


 咲良が笑いながら返す。


「うちの旦那様は、酸っぱいものがお嫌いですよ。あと、魚の食べ方がとても下手なんです」


 妻たちにコテンパンなことを言われているとも知らず、三人の男たちは楽し気な声をあげていた。


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