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焦燥

 柳屋は使用人を大切にする店だ。

 いかに人気があるとはいえ、久秀も五日に一日は休みがある。

 そんな日は決まって柴田道場に顔を出した。


「なかなか鋭くなってきただろう?」


 柴田の声に久秀は大きく頷いた。


「うん、凄い進歩だな。しかし彩音殿の剣捌きは実に見事だ。若い頃のお主を彷彿とさせる」


「あれが男ならと何度も思ったが……まあ女剣士というのも悪くないさ」


「女剣士か……咲良を今から鍛えようかな」


「はぁ? 何かあったのか?」


 久秀はお朝のところに咲良が出向くことを話した。


「なるほど、そりゃ心配だな。しかし度胸のある人だ」


「そうなんだよ。だから余計に心配なんだ。なあ、俺って化粧しても女に見えない?」


 じっと久秀の顔を見ていた柴田だったが、聞こえなかったことにしたらしい。


「行きは良いが帰りが怖いな」


「近くまでなら迎えに行くが、俺は面が割れているからなぁ」


「五十嵐も来るだろうか」


「どうだろう、あいつが仇として追われる身だということは富士屋にも知れたのだ。暫くは表に出ることは無いと思うが……」


 柴田が暫し考えた後、口を開く。


「俺が咲良さんの送迎をしてやろうか? 俺なら道場も違うし面も割れてない」


「どういう触れ込みで?」


「そりゃ咲良さんの旦那ってことで」


「助かるが、ものすごく癇に障る」


「まあ任せておけ。しかしその五十嵐ってのが地下に潜ったとなると、お前の家も心配だな」


 久秀が驚いた顔をする。


「お前が探っているのだ、あちらも同じことを考えるんじゃないか?」


「なるほど……あり得るな」


「その手伝いに行くという日、新之助はうちで預かる。お前がここを守ってくれ。咲良さんは無事にここへ連れて戻るから、お前たちも泊れ」


 ホッと久秀が息を吐いた。


「ありがたい」


 暫し二人の剣客は無言のまま稽古を見ていた。


「彩音殿は右手に頼りすぎているな……あれでは強い打ち込みを受けた時、手首を痛めるぞ」


「ああ、そこなんだが、師とはいえ父親という甘えがあるのだろう。なかなか直らない。お前がちょっと稽古してやってくれないか?」


「うん、いいよ」


 すくっと立った久秀が彩音を手招きする。

 それに気づいた彩音がすり足で駆けてきた。


「はい、安藤先生。お呼びでしょうか」


「ちょっと合わせてみようか」


「えっ! ありがとうございます!」


 彩音には軽めの木刀を持たせ、久秀は一番短い竹刀を手にした。

 師がいつも褒める剣客が手合わせを披露するとあって、皆が固唾を飲む。


「さあ! さあさあさあ!」


 久秀の誘いに彩音が歯を食いしばる。


「来いよ! ほら!」


「やぁぁぁぁぁぁ!」


 彩音が自慢の突きを繰り出した。

 パシッという音がして軽くいなされてしまう。


「まだまだ甘い! 一歩目を強くダンッと蹴って体重を前に!」


「やぁぁぁぁ!」


「まだまだ!」


 彩音はすでに肩で息をしている。


「今度はこちらから行くぞ」


 久秀が竹刀を水平に構えると、彩音が腰を落とした。


「うん、いいね。それ正解」


 そう言うが早いか、久秀が彩音の木刀を目掛けて竹刀を振り下ろした。


「それまで!」


 木刀を取り落としたまま呆然とする彩音。


「ありがとうございました」


「うん、とても良いスジをしているよ。ただ少しだけ右手に頼りすぎてるかな。あれだと打ち込みは強いが守りが弱くなる。受け流してから攻めるのも大切な流れだよ。そのためには利き手でない方の手の強さが重要なんだ」


「はいっ」


 彩音は目を輝かせて久秀の指導に聞き入っている。

 

「素振りの時、右手を下にしてやってごらん。すぐに直るから」


「はいっ。ありがとうございました」


 ふと見ると新之助が羨ましそうな顔をしていた。


「新之助、来なさい」


 久秀は構えなおして新之助と相対した。


「よろしくお願いします」


「うん、どこからでも打ってきなさい」


 新之助の顔色が変わり、ジリジリと気圧されている。

 久秀は殺気だけで新之助を威圧していた。


「来い! 俺を親の仇だと思って必死で来い!」


「はいっ!」


 おそらく新之助にとって、大きな岩と対戦しているようなものだろうと柴田は思った。

 子供相手にあそこまでの殺気を飛ばす久秀の心情を慮る。


「なるほど……一太刀だけでもということか」


 柴田は明日からの稽古方法について考えた。

 何度転がされても喰いついていく新之助を頼もしく思いつつも、どうすれば大人相手に怯まない強さを持たせられるだろうか。


「それにしても……もしや近いのか?」


 新之助を威嚇するような視線を飛ばす久秀を見て、柴田は友の焦燥を思った。


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