今の暮らし
「少し冷たいですよ」
咲良の声に新之助が泣きそうな顔をした。
「ひゃぁぁぁ」
二の腕にくっきりと残った青痣に軟膏を塗った晒しをのせる。
「我慢しなさい」
「は……はい」
久秀が江戸を離れて数日後から、新之助は毎日どこかに傷をこさえて帰るようになった。
柴田の稽古が格段に厳しくなったせいだが、久秀から仕込むように頼まれたのだと言われると何も言うことはできない。
新之助も何かを察しているのか、泣き言も言わず食らいついている。
「辛いですか?」
「いいえ、私が未熟なせいですから」
「でも新之助はまだ幼いのですから」
「母上、幼いと言えど私は使命を持った人間です。命を繋ぐためには、それを奪おうとする者よりも上の力を持たねばならぬと先生が仰いました。私もその通りだと思います」
「わかりました。もう私は何も言いますまい。その代わり泣いても良いですが、泣き言は聞きませんよ」
「はい」
「夕食にしましょうか。今日はお嶋さんが鶏肉を差し入れて下さいましたので、いつもよりも豪華です」
「わぁい! 楽しみです」
二人きりの夕食も、ひと月も経てば慣れるものだ。
「母上、おいしゅうございます」
「それはようございました。お嶋さんを見かけたらあなたからもお礼を述べてくださいね」
頷きながらお代わりの茶碗を差し出す新之助の腕が、一回り逞しくなったように感じる。
これを久秀が見ればなんと言うだろうか。
「時に新之助、道場ではどのような稽古をするのですか?」
「はい、型の素振りを全員でやった後、年の近い者同士で打ち合いをします。都度柴田先生が直すべきところを注意してくださるのです。最近になって彩音さんが私の相手をして下さるようになりました。彩音さんの突きはとても早くて、私は時々避け損ねてしまいます」
「彩音さんが……そうですか。彩音さんはお強いのですね」
「はい、さすが先生の愛娘だと他の方々も仰っています。それに私より背が高くて……」
「彩音さんはお幾つでしたか?」
「私より二つ上ですので、年が明けると十二になられます」
その言葉に故郷を捨ててもう一年以上が過ぎたのだと改めて感じた。
「その年頃はおなごの方が大きいものです。きっと新之助もすぐに追いつきますよ。少しでも早く追いつくために、このおひたしもお煮つけも残さず召し上がってくださいね」
「……はい……」
干した筍と椎茸の煮つけは、子供の口には合わないようだが、咲良は残すことを許さない。
眉間に皺をよせ、目を瞑って口を動かしている新之助を微笑ましくみつめながら、咲良は久秀を思った。
久秀は今どこで何をしているのだろうか。
危険な目にあったりしていないだろうか。
誰が作った何を食べているのだろうか。
「ごちそうさまでした」
「はい、今日もよく召し上がりました。偉かったですよ」
これを言うたびに、心から嬉しそうな顔をする新之助が愛おしくて仕方がない。
しかし大人相手に仇討ちともなれば、新之助も無傷ではすむまい。
それを考えて久秀は柴田に託したのだろう。
この状況で自分にできることは何だろうかと咲良は考える。
「新之助、今日の書き取りは済みましたか?」
「あと二枚残っています。寝る前にやります」
「わかりました。私はここを片づけたら針仕事をいたしますので、その間に頑張りましょう」
咲良が考えた自分にできることは、新之助の健康を維持し、勉学を進めることだ。
そしていざという時には、この身を盾にしてでも本懐を遂げさせる。
他には無いだろうか……咲良はいつもそのことを考えていた。
翌朝、新之助を道場まで送った帰りに、頼まれていた着物を届けに行った咲良は、ふと刀剣屋の前で足を止めた。
新之助が腰に差しているのは、亡き父三沢長政の形見である脇差だ。
今の新之助には丁度良い長さだが、もうすぐ長剣を持たねばならなくなるだろう。
「いくら位するものなのかしら」
鹿の角を磨いて刀置きに設えたものに飾ってある長剣を見ていると、中から声が掛かった。
「いらっしゃいまし。何かお探しでございますか」
「あ……申し訳ございません。おなごの身でございますので、刀のことは何も存じませんものですから。いったいどのくらいするものなのかと思いまして」
「さあさあ、どうぞご覧くださいませ。お主人様のお腰のものでございますか?」
「いいえ、実は息子がもうすぐ元服を……」
「左様でございますか。刀というものはそれこそピンからキリまでございますよ。お持ちになる方のご身分にもよりますし、刀鍛冶の力量にもよります」
「例えば……例えばでございますよ? 大名家の国家老を父にもつ男子ですとどの程度のものなのであれば良いのでしょうか」
「ご家老様のご子息ともなれば……最低でもこの程度かと」
そう言いながら店のものが示したのは、鞘に螺鈿細工が施してある二尺六寸のものだった。
鈍色に光るハバキが全体を引き締め、鞘のコウガイの色と合わせてある。
下緒は若草色に黒の差し色が鮮やかで、清冽な印象だ。
「波紋が美しいでしょう。これは大和の国の名工千手院の作でございます」
「大和?」
「ええ、刀といえば備中備前が有名ですが、この千手院は大和で刀鍛冶をしている一族で、素晴らしいものを数多く作り出しております」
大和といえば三沢長政の妻小由女の故郷だと咲良は思った。
「これはいかほどですか?」
「こちらはお勉強させていただいて、金10両というところでしょうか」
「じゅ……十両……」
店員が慌てたように言う。
「こちらはかなりの上物でございますのでね。御家人様のご子息ですと三両から五両辺りのものをお求めになられます」
「なるほど。勉強になりました。お手間をとらせてしまい申し訳ございませんでした」
「いえいえ、またいつでもいらしてくださいませ。ご本人様のお好みというのもございますし、一度ご一緒にいかがですか」
「はい。戻りまして家の者ともよく相談を致しましょう」
見送られながら店を出た咲良は、軽い眩暈を覚えていた。
息子一人を元服させるのにいったいいくら掛かるのだろう。
世の親というものはどのくらいの苦労をしているのだろうか。
刀の他にも着物も必要だし、寄り親への謝礼も必要だし、関係者への内祝いも……
「はぁぁぁ……着物を月に二枚仕上げても三年はかかるじゃない」
気が遠くなりそうだと思う反面、あと三年は今の暮らしが続けられるかもしれないとも思う咲良だった。




