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師の仇

『今回の取引が終わる時に、次の港を決めるのですよ。おおよそ二月に一度の割合ですので、次はそうですなぁ……年の瀬の声が聞こえる頃でしょうかな』


『なるほど』


『それが終わると春まではありません。冬場は海が荒れますのでね。桜の便りが届き始めたころに再開というのが通年ですよ。三河屋さん、本当に乗る気ですか?』


『富士屋さんが嚙んでおられるんだ。私も腹を括りましょうよ』


『富士屋の大旦那さんはご存じではありません。この件は若旦那と私の二人だけで動いています。そしてもう一人一緒に動いているお方がおられましてね。この方がなかなかの切れ者なのですよ。三河屋さんのお覚悟は承知しました。ちょいと相談を致しましょう』


『そいつはありがたい』


 宇随が久秀を見て小さく頷いた。

 お市を見るとすでに準備万端で手ぐすねを引いている。


「さあさあさあさあ! 誰が開くか菊の花! さあさあさあさあ!」

 

 お市が五人の盃をひっくり返してひとつの膳に集め、その一つに丸めた懐紙を仕込んだ。

 その上で裾を捲って片膝をたてる。

 白いこむらに血管が浮き出ているのを見た久秀は、耳を染めて視線を逸らした。


「あちゃぁ! また負けちまいましたよう。もう酔っちまって立てやしない」


 お市の声が座敷に響く。

 宇随と久秀も仲間に加わり、どんちゃん騒ぎを繰り広げていた時、隣との襖が乱暴に開かれた。


「煩いぞ! 迷惑だ!」


 仁王立ちで怒鳴った男の顔を見た宇随が怒鳴り返した。


「なんだなんだ? せっかく楽しくやって……あっ……お前……五十嵐! 五十嵐喜之助!」


 名を叫ばれた男が目を見開く。


「あんたは……宇随さん……それに安藤まで……どういうことだ」


「どうもこうもねえよ! あの時は師に止められて涙を飲んだが、ここで会ったは神の采配だろうぜ。さあ表へ出ろ!」


 富士屋の護衛がまさか五十嵐だとは思わなかった久秀だったが、これは本当に神の采配かもしれないと考えた。


「誤解です! なあ安藤からも言ってくれよ。俺は小夜さんに手なんかだしていない!」


「やかましい! いいからさっさと表へ出ろ!」


 チラッと座敷を見ると、腰を抜かしたように尻もちをついている富士屋と、冷静な顔で見守っている三河屋が見事な対比を見せている。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!」


 段取り通りお市たちが大声で叫びながら座敷を出た。

 わざと廊下をバタバタと走り、使用人たちに助けを求めている。

 とはいえ、ちゃっかり三味線と小太鼓は持ち去っていた。


「何事でございますか」


 使用人たちが駆けてくるが、一触即発の空気に気圧されて近づけないでいる。


「三河屋さん! あんたの知り合いでしょう? 何とかしなさいよ」


 富士屋が焦った声で怒鳴る。


「いや、知り合いではありませんよ。お一方は同じ宿だが、もうお一方は存じません。あなたこそお知り合いなんじゃないのですか」


「知るわけ無いでしょう。おい、そこのあんた。見てないで何とかしなさいよ」


 富士屋は三河屋の護衛に叫んだ。

 

「私は大旦那様をお守りするのが役目です。側を離れるわけにはいきませんので」


 悠々と声を出したのは武士の姿をしている権さんだった。

 三文芝居過ぎて笑いも浮かばない久秀は、刀の柄に手を掛けた五十嵐に向かって言った。


「俺は小夜さんから全部聞いている。さっさと罪を認めろよ」


「うるさい! あの女の方から近寄ってきたんだ。俺は悪くない! お前だってそれを信じたから、今まで山名藩邸で出会っても何もしなかったのだろうが」


「いや、違うよ。俺は三沢様個人に仕えていたんだ。私闘は厳禁だったから我慢してただけさ。そうでなかったらとっくの昔に、そのそっ首なぞはねておるわ!」


 五十嵐の喉がひゅっと鳴った。

 誰もまだ抜刀はしていない。


「富士屋! 走れ!」


 護衛とはいえ正晴から付けられている五十嵐の方が立場は上なのだろう。

 その怒鳴り声に富士屋が立とうと藻搔いている。


「ああ、それが良い。そちらの御方達には関係が無いからな。怪我をせぬうちにとっとと出てお行きなさい」


 宇随が低い声で言った。

 

「ひぃぃぃぃぃ」


 富士屋がほうほうの態で廊下まで這い出ると、山城屋の使用人たちに両脇を抱えられて階段を降りて行った。

 途中でドタッという大きな音が響いたのはご愛敬というものだろう。


「そちらさんもお行きなさい」


 宇随の声に三河屋が立ち上がる。

 それを視線の端で捉えた五十嵐が、三河屋を突き飛ばして逃げ出した。


「待て!」


 どたどたと大きな音をさせて後を追う宇随と久秀。

 その背中をじっと見ている三河屋が、連れの権さんに言った。


「白確定だね。しかもなかなか使えそうな男だ」


 権さんは無言のまま頷き、富士屋がひっくり返した膳を元に戻した。


「さあ、帰って風呂でも使おうか。山城屋には弁償も芸者代も全部富士屋に回せと言っておいてくれないか?」


「畏まりました」

 

「それにしても騒げとは言ったが、ここまでとは思わなんだ。見たかい? 安藤のあの驚いた顔。あれは本当に知らなかったって顔だ。まさか仇に会うとはねぇ」


「あの五十嵐という男、相当人を切っている嫌な匂いがします。辻斬りでもしていたのかもしれません。腕は私と五分でしょうが、我らが習得する剣技とは違う、なんと申しますか……気色の悪い男です」


「ああ、気色悪い男だね。それに相当なバカだろ? あっさりと飼い主の名前を出してなぁ」


「しかし安藤と同じ家に仕えていたとは」


「いや、違うだろ。安藤は三沢に、五十嵐は次男正晴に仕えていたのだろうよ。だから顔を合わせることもあったろうし、私闘を禁じるという主君の命を守ったというのも納得さ」


「三沢と言うと、例の?」


「ああ、山名藩国家老だった男だ。なぁんだ、それなら安藤は全部本当のことしか言ってないってことじゃないか。時間をかけて調べることも無かったな。本当に鯉のぼりのような男だなぁ」


 権さんは無言で頷き、部屋を出ようとする三河屋の後ろに続いた。


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