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仕事

「承知いたしました。それで私は何をすれば良いのでしょう」


「うん、咲良には新之助様の世話を頼みたい。金はなんとかするつもりだが、なるべく節約してくれると助かるんだ」


「お任せください。こう見えても私、貧乏には慣れております。病弱な姉と年端もいかぬ弟を抱え、家事の合間に内職をする母と、仕事から戻ってそれを手伝う父を見て育ったのです。お陰で家事もひと通りのことはできますし、着物の仕立てには自信がございます」


「そうか。それは心強いな。これより我らは同志だ。同じ使命を持った唯一の仲間だよ」


「はい! 足手まといにならぬよう一生懸命努めます」


「うん、頼りにしているよ。俺の奥さん」


 咲良の顔が一瞬で真っ赤に染まった。


「それで、我々の目的は『腐れ外道正晴』を成敗し、三沢家を再興することだ。それを達成するためだけに生きていると思ってくれ。山名家はもちろん、頼りにしていた柴田様も当てにはできない。味方はいないと思ってくれ」


「え? 柴田様も?」


「うん、会えたけどあっさり断られちゃった」


「そんな……」


「まあ、かの方にはかの方のご都合もあるんだ、恨んじゃいけないよ?」


「はい……孤立無援なのですね」


「そういうことだ。でも孤立ではないね。俺には咲良がいるし、咲良には俺がいる」


 咲良が赤い顔をして言った。


「そうやって旦那様はおなごを誑かすのですね?」


「おいおい、俺は一度たりとも誑かしたことなど無いぜ? 誑かされたことはあるけど」


「まあ! 誑かされたことがあるのですか?」


「うん、でもみんな悪い人はいなかったなぁ。お嶋さんだってそうだろ? きっと俺は頼りなさそうで放っておけないんだろうなぁ。これは男としてどうなのだろう……」


「頼り無さそうではないですよ?」


 久秀がニコッと笑って咲良の手を取った。


「ありがとう。さあ、寝ようか」


「はい、旦那様」


 寝かした時とは反対に頭を向けて寝ている新之助を抱いて枕を宛がってやると、咲良の襦袢の襟にしがみついてきた。

 小さな手でギュッと掴んで離さないのは、何かを失う恐ろしさと戦っているのだろうか。

 咲良が優しく頭を撫でてやると、すやすやと寝息を立てながら胸元に顔を埋めてくる。


「羨ましい……」


 久秀の声は闇に紛れて咲良の耳には届かない。


 そして翌朝、昨夜炊いた飯を雑炊にして朝餉を済ませた久秀は仕事に向かった。

 奥の四畳半では箱善を積んで風呂敷をかけた急ごしらえの文机の前に座った新之助が、咲良の書いた手本を真似て筆を動かしている。

 その横で縫物をする咲良。

 静かな時間が流れ、全部が夢のような気がしてくる。


「御免なさいな」


 お嶋の声が聞こえた。


「はい、ただいま」


 咲良が立ち上がると同時に、勝手知ったるとばかりにお嶋がずんずんと入ってきた。

 新之助も筆をおいて居ずまいを正す。


「あら、お勉強中だった? ごめんなさいね」


「いえ、とんでもございません。ようこそお越しいただきました」


 新之助がハキハキと挨拶をすると、お嶋が驚いた顔をする。


「いったいどう育てたらこんなに良い子になるのかねぇ……なんだか感動しちまうよ。あれ?ちぃっと変わった文机ですね」


「あ……これは……」


 新之助が恥ずかしそうに俯いた。

 それを見咎めた咲良が厳しい声を出す。


「新之助、何を恥ずかしがる必要があるのですか? それはあなたのために父上が工夫をして下さったものでしょう」


「はい……母上。申し訳ございません」


 お嶋が無遠慮に新之助の横に座る。

 チラッと風呂敷を捲ると驚いた声を出した。


「こりゃ箱善じゃないか……ああ、そうか。お父上が作ってくださったの? 立派なお父上だね、新之助さん」


「はい、ありがとうございます」


 咲良の言葉に反省したのか、それとも嶋の勢いに押されたのか。

 新之助がそわそわと目を逸らした。


「ねえ、咲良さん、私の家に使わなくなって捨てちまおうかって思ってる文机があるのだけれど、良かったら貰ってくれません?」


「え……捨てようとなさっているのですか?」


「ええ、自慢じゃないが私は字が書けないんですよ。読み書きもできないのに机があっても邪魔だっていうのに、旦那が買ってきちまって。物置にしてたんだけれど傷がついちまってね。今じゃ埃を被っちまってるんですよ。あとで届けさせるから、使えなかったら風呂の焚きつけにでもして下さいな」


 咲良は三つ指を揃えて頭を下げた。


「お嶋様のお心遣い、ありがたく頂戴いたします」


 うんうんと満足げに頷いたお嶋がぽんと手を打った。


「そうだ。私が来たのは別件なんですよ。ねえ、咲良さん。さっき久さんに聞いたのだけれど、仕立てができるんだって?」


「きゅうさん? ああ……もしや旦那様のことですか? ふふふ、きゅうさん……なんだか可愛らしいお名前を頂戴したのですね」


「ははは! なんでも昔は『和ませの久さん』って呼ばれてたって。奥様が知らないってことはきっとこっちがらみだね」


 お嶋が咲良の前で小指を立てて見せた。

 笑いを嚙み殺して俯く咲良と、意味が分からない新之助。


「そうそう、仕立ての話だ。できるんだって? 久さんが自慢げに言うんだけど」


 自分の話を職場でしているなどと思いもしなかった咲良は驚いた。


「は……はい、母に仕込まれましてひと通りは」


「そりゃいいや。ねえ、頼まれてくれないかい? 反物はこちらで用意するから。仕立て代はどのくらいなの?」


「仕立て代でございますか? 今までお代を頂戴したことはございませんので……家族やご近所の方達に頼まれていただけです」


「そりゃ勿体ない。今縫ってるのは久さんの夏ものだね? 良い色じゃないか」


「はい、旦那様も息子も夏物を持ちませんので、古着屋で洗い張りした反物を求めて参りました」


「そうかい。頑張っていなさるのだね。だったら尚のことさ。仕立ての仕事なら困るほど回せるよ。そうだねぇ……この辺りの縫い賃の相場なら、夏物で千五百、冬物で千八百ってとこかね」


「えっ! そんなにいただけるのですか」


「ここらは着道楽が多いから高めの相場なのさ。その代わり質にはうるさいよ。どうだい? できるかい?」


「是非! ぜひともやらせてください」


「そりゃ何よりだ。では手始めに私の夏物を頼みましょうよ。反物は持ち込むよ」


「はい、よろしくお願いいたします」


「どのくらいでできるかい?」


 咲良は少し考えた後に顔を上げた。


「ひと月でいかがでしょう」


「うん、家事の合間にやるんだ。それでも早い方だと思う。ではよろしくね」


 咲良はなんとか生活費を稼ぐことができると心から安堵した。

 ひと月の猶予があれば丁寧な仕事ができるし、新之助の送迎にも支障はない。

 久秀が帰ってきたら喜ぶだろうと嬉しくなる咲良だった。


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