家族
部屋割りは、台所に近い六畳を共用として、その奥の四畳半を咲良が使うことになった。
その二部屋と廊下を挟んだ六畳と四畳半を久秀と新之助が使う。
裏庭に面した廊下は広縁で、その突き当りが風呂と雪隠という作りだ。
久秀が同室するのは護衛も兼ねているからだと言われると、新之助も納得するしかない。
「あれ? 新之助は咲良と一緒に寝ようと思っていたという顔だな」
口調を崩した久秀が揶揄うと、新之助は半泣きの顔で否定したが、顔は真っ赤だ。
ところどころ塗が剝がれた箱膳が三つ、板場の隅に積まれている。
それを見ただけで本当に家族になったような気がするから不思議だ。
「なんだか妙な気分ですね」
届いたばかりの布団を敷きながら、久秀が咲良に言った。
「本当に……夢でも見ているようです。今日から一人寝なのですね」
「咲良、寂しいなら一緒に寝るか?」
揶揄われたことに腹を立てたのか、咲良が久秀を睨む。
「はい、寂しいので一緒にお願いします。川の字で寝ましょう」
言いだした久秀の方が慌てふためいたが、考えてみれば旅籠では同室で過ごしていたのだ。
「うん、慣れるまではそうしよう」
結局六畳と四畳半を仕切っている襖を取り払い、同じ布団を三つくっつけて横になった。
が、本当に寝ているのは新之助だけで、久秀も咲良もなかなか寝付けないでいる。
話しかけるのも憚られ、何度も寝返りを打つ間に一番の鶏が鳴いた。
「では行ってまいります。咲良は新之助を柴田のところに送ってくれ」
「はい、畏まりました。帰りは買い物をして参ります」
「ああ、よろしく頼む」
昨夜の残りもので朝食を済ませた久秀を、咲良と新之助が並んで見送る。
新之助の着替えは久秀が用意していたので、それを着せて家を出た。
咲良は旅装に変えた時から保管していた三沢家のお仕着せを包んだ風呂敷を抱えている。
柴田の家までは、新之助の歩調に合わせると半刻ほどだ。
途中でどこに何の店があるのかを確認しながら二人は手を繋いで歩いた。
「おはようございます」
稽古初日ということもあり、今日だけは正面の玄関から声を掛ける。
柴田本人が顔を出し、にこやかに二人を迎えた。
「おはようございます。あれ? 安藤は?」
「久秀様は本日より柳屋へ出ております」
「そうですか。ではご夫婦と子供という態で?」
「はい、そのようにすると言われました」
柴田は小さく何度か頷いた。
「新之助様もそれはご承知なのですね?」
新之助が大きな声で返事をする。
「はい、そのように承知いたしております」
「では、着替えてきなさい。その横から入ると通用口があります。この者に案内をさせますので、詳細は追ってご説明させましょう」
新之助が柴田の後ろで白い稽古着に身を包み、黒髪をひとつに結んだ彩音が正座していた。
「彩音殿?」
「はい、彩音でございます、新之助様」
「彩音殿もお稽古を?」
「はい、父に指導を受けております。今日から同門ですね。よろしくお願いします」
新之助が慌てて頭を下げた。
「こちらこそどうぞよろしくお願い申し上げます」
彩音が先導して新之助がとことこと後を追う。
その姿を微笑ましく見送りながら、咲良が柴田に聞いた。
「迎えは夕刻でしょうか?」
「いや、幼い子たちはそれほど長くはできません。終われば家の方で預かりますので、咲良殿のご都合で大丈夫ですよ」
「恐れ入ります。本日はいろいろと買い揃えねばならない物もございますので、とても助かります。それと稽古着と竹刀はどのようにすればよろしいでしょうか」
「ああ、それはこちらで。彩音のお古ですが丁度良い大きさでしょう。それとも新之助様にお古は不敬かな」
「いいえ、とんでもございません。久秀様も私も新之助と呼び捨てております。隠し通すためとはいえ、心苦しいのですが……」
「いや、大事なことです。では私もそのようにしましょう。そういえば家内が咲良様がお見えになったら家の方へ立ち寄ってほしいと言っておりました。きっと茶でも付き合わせようという魂胆でしょうが、よろしければ寄ってやってください」
「ありがとうございます」
勝手口で声を掛けると柴田の妻女がすぐに戸を開けた。
「おはようございます。遠慮なくまかり越しました」
「ようこそ、さあどうぞ」
台所にある小上がりに腰を掛け、女二人でおしゃべりを楽しむ。
咲良は姉が健康であれば、このような時間を共に過ごしたのかもしれないと思った。
「そうそう、これをお渡ししようと思って」
奥の間から妻女が持ちだしたのは紺色の風呂敷包みだった。
「これは?」
「私が娘の頃に来ていた物だから、もう古くて申し訳ないのだけれど、良かったら着てください。家事をすると思いのほか汚れるものですから、着替えは数枚持っていた方が良いですよ。咲良様のお召し物は、絹物でしょう? 木綿の方が何かと便利なんですよ」
「これは……何から何まで本当に……ありがとうございます。なんとお礼を申してよいやら」
「お礼など言っていただくようなものではございません。もう古いですから、破れたらそのまま座布団にでも仕立てなおしてください」
「大切に使わせていただきます」
フッと息を吐いて湯吞を手に取った妻女が言う。
「私たちのことはお聞きになりました? 安藤様は変に義理堅いからお口にされていないかしら」
「はい、何も伺ってはおりません」
「私たちは両親に大反対されて、家出みたいにして一緒になったの。若い頃にね、私の友人が安藤様に熱を上げて、付き合いで道場に見物に行っていたのよ。あの頃の安藤様は、それはもう見目麗しいお方でねぇ、何人もの女たちが安藤様目当てで押しかけていたものよ」
「そうなのですか?」
「そうよ。本当に凄かったの。でも私は柴田を初めて見た時から、この人だって……一目惚れしたの。柴田は全然気付きもしないで、いくら声を掛けてもそっけなくてね。見かねた安藤様が取り持ってくださったのよ」
何度か茶を淹れ変えながら、馴れ初めから駆け落ちもどきで家を出たことなどを、楽しそうに語る妻女の横顔は、とても美しいと咲良は思った。
「子供が出来てやっと許してもらえたの。それまでの暮らしはもう本当に貧しくてねぇ。でも好きな人と一緒だから耐えられたし、安藤様が柴田には内緒だと言って助けて下さったの」
「久秀様が?」
「ええ、自分は何とでもできますからって仰って。そのご恩もお返しできないままお国許に戻られてしまったから、今回頼って下さったことは本当にうれしいの。それに咲良さんというお知り合いもできたし。私を姉と思ってなんでも相談して下さいね」
「あ……ありがとうございます……本当に……ありがとうございます」
城下を出てからずっと気を張っていたのだろう、思いがけない優しい言葉に咲良の目から涙が溢れた。
「頼りにしております。姉上」
ひとしきり泣いて落ち着いた咲良は、明るい顔で立ち上がった。
「では後ほど迎えに参ります」
咲良はその足で古着屋へ向かった。