第9話 節約ともやし
「うん? もやしが黒っぽいぞ」
自炊に慣れてきた修司だが、まだまだ食材の管理はプロとは言えない状況だった。
朝食を終え、近所のゴミステーション野掃除も終え、洗濯や掃除も終わり一息ついたところ、冷蔵庫の中をチェックした。一昨年値引きになっていたもやしを購入したが、色が黒くっぽくなっていた。袋の中でべちゃっとし、全くシャキシャキして見えない。安いので無計画にカゴに入れてしまったのが失敗だった。袋の賞味期限を見ると、一日過ぎれいる。これは捨てるしかないだとう。
「く、悔しい」
修司は悔しい声を上げ、もやしをゴミ箱に捨てた。もやしは節約メニューの定番だが、こんなに足が早いとは知らなかった。妻のレシピブックにもそんなような事が書いてあったのに忘れていた。
「本当悔しいわ」
食材を無駄にしたのが、こんなに悔しいとは知らなかった。妻が生きていた時は、調理に文句をつけ、残していた時もあったが、今ならそんな事は決してできない。少し自炊しただけでも、料理や食材のありがたみがわかるようになってきた。昔の人はお米に神さまがいると言っていたが、あながち間違いでは無いのかもしれない。
悔しい思いを抱えながら食卓に座り、スマートフォンを取り出す。SNSにもやしの保存方法教えてと書き込むとすぐに返事が帰ってきた。別にフォロワーでもなんでもない主婦野ようだが、世の中には親切な人がいるものだ。
『もやしは野菜室に入れるのはダメ。普通に冷蔵庫へ入れてね。あと、水につけたタッパーに保存するとけっこうもつって。試してね』
そんなアドバイスを貰ってしまった。タダでこんな良い情報をゲットできるなんてラッキーだ。もやしの保存方は以前誰かから聞いた記憶があったが、すっかり忘れていた。やはり重要な情報はきちんとメモをとっておくべきだった。
さっそくこの情報を妻のレシピブックの後ろの方にメモした。食材の買い物へ向かう事にした。もちろん、もやしを買う。リベンジだ。
レシピブックを見ると、もやしや豆腐、豆苗など安い食材を使いながらやりくりしていた形跡がある。余った食材の小銭は、娘の咲子や修司の財布のこっそり入れていたとも書いてある。
「全く知らなかったな……」
レシピブックを見ながら。自分は想像以上に妻に愛されピていた事がわかり、ちょっと目の奥が痛くなってきた。だからといってずっとセンチメンタルな気分に浸っているわけには、いかない。もやしだ。スーパーでもやしを買おう。メニューは、ピーマンともやしの炒め物、もやしの味噌汁、ナムルを作る事にするか。特にピーマンともやしの炒め物は、妻が作ってくれた味が重思い浮かぶ。
それに節約だ!
DVDを購入し、貯金額は減った。年金があるから良いじゃないかと思うが、無駄遣いをずっとする訳にはいかない。節約もしなければ。
しかし、節約ってどうすればいいんだ?
比較的裕福な家に育ち、大学教授として偉そうにしていた修司は節約の概念がわからない。とりあえず家計簿はつけよう。あとは、もやし料理を続ければ、今月の食費が浮くかも知れない。
家計簿はスーパーのそばにある百円均一で買うのが一番コスパが良いだろう。アプリも良いかと思ったが、家計簿を手書きでつけるなんて、節約やってる感が増えそうだ。
さっそく百均に行ってみた。開店直後に行ったが、二階建ての店舗はそこそこ混み合っていた。
「ええと、家計簿はどこだ?」
百均は意外と店内がごちゃごちゃとしていて、目当ての家計簿がどこにあるか迷う。仕方がないので近くにいた店員に聞いてみた。大学教授時代はプライドが高く、こんな恥ずかしい事はできなかったが、今は人に質問しない方が恥かと思ったりする。
店員に案内され、二階にある文房具コーナーへ向かう。
「ありがとうございます」
「いいえ」
店員はすぐ去っていき、文房具コーナーを見回す。ノート売り場に家計簿が置いてあった。いくつか種類があり、週ごとに集計するもの、月ごとに集計するもの、レシートを貼ろつけるタイプとある。子供がつけるような小遣い帳、事務員が使ってそうな機能的なものもある。どれをえらぶべきか悩んでしまった。
「あら、修司さんじゃないの!」
そこに美加子が現れた。どうやら買い物中にようでカゴには、ボールペンや消しゴムなどが入っている。消耗品を買いにきたようだ。今日はジョギング姿でもなく、純粋に買い物にきたようだった。
「何探してるの?」
「家計簿を探してるんです」
「あら、無駄遣いでもしちゃったの?」
美加子はここで大笑いをしながら、レシートを貼り付けるタイプのものをオススメしてくれた。
「これが一番楽ね。あとは現金は週ごとに必要な予算だけを封筒に入れて使うのよ」
「難しそうだ」
思わず修司は声をあげてしまった。そんな予算を決めて、必要な分しか使えないなんて。いつもどんぶり勘定をし、家計を丸ごと妻に任せていた修司にとっては高いハードルに思えて仕方がない。
「お金も神様がくれるものよ。大切に使わないと」
「そう言われると、無駄遣いできないな」
「そうよ。戦時中と比べてご覧なさい。今がいかに恵まれてるか」
「そうだよな」
この時に限っては修司も深く頷いてしまった。親からは戦時中の話をよく聞かされていた。そう思うと、今は恵まれている。無駄遣いもする気も失せてきた。
「じゃあね、修司さん。節約頑張ってね!」
美加子にも励まされ、やはり節約をしたいと思った。修司は百均でノートも買い、予買い物メモも作る事にした。
「よし!」
こうしてヤル気になった修司は、スーパーでも必要なものしか買わず、しばらくもやし料理を続ける事にした。
今日の夕飯は、ピーマンともやしの炒め物だ。さっそくキッチンに立ち、もやしを洗って、ピーマンを切る。妻のレシピブックでは、ピーマンの種は食べられる上に栄養豊富と書いてあったので、そのまま使う事にした。もやしも水洗いをし、ピーマンと炒め、オイスターソースや醤油で味付けをした。フライパンからはオイスターソースの良い香りが広がる。ジュワジュワとフライパンから響く音も楽しい。
炒められたもやしやピーマンは、くたっと色がつき、キラキラと輝いているように見えた。
「う、うまそうだ」
思わずつぶやく。見た目だけは節約レシピには全く見えない。
さっそく白い皿に盛り付ける。ご飯や味噌汁も温めて、食卓へ持っていった。
「いただきます」
手を合わせた後、食べ始めた。今日は美加子に戦時中より今が恵まれているという話を聞いた。そう思うときちんとお礼をし、食べたいと思ってしまった。
さっそく箸をもち、ピーマンともやしの炒め物を食べる。
「うまい!」
全く節約レシピと思えない。もやしはシャキシャキ、ピーマンの苦味もいい。濃いめのソースの味とよく絡む。
そういえば妻もよくこの料理を出していたが、節約レシピには全く見えなかった。
「ふふふ」
なぜか笑いたくなり、炒めものを白いご飯に乗せて食べてみた。
「あうなぁー」
炒め物は白いご飯とベストマッチングだ。結婚しろ!と言いたいぐらいよくあった。途中、味噌汁も飲み、口の中を変える。そうする事で余計に炒め物とご飯の味が引き立った。
「ご馳走さま」
あっという間に食べてしまったが、満腹感でいっぱいだった。とても節約レシピに見えない。ご馳走ではないか。お寿司やステーキだけがご馳走ではない。自分で作って食べる事も意外と満足感が高かった。
「うまかった!」
そう言う修司は、綺麗な笑顔になっていた。
こうして最初にもやし料理に成功した修司は、その後ももやしの味噌汁、もやしのナムル、もやしと野菜のちゃんぽん等を作った。順調にもやし料理のレパートリーを増やし、保存方法も工夫し、家計簿に書かれる数字も優しいものになっていった。気づくと惣菜やスナック菓子なども全く買っておらず、家計簿には節約の成果が見え化されていた。
それだけでなく、病院の検査でもだいぶ回復し、薬も減らされていった。
「よし!」
努力の成果が目に見えてきた。予算からも少し金が余る。
このお金を貯金箱に入れてもよかったが、それも違う気がした。そもそもこの節約が成功したのは、美加子のアドバイスがあってこそだった。
このまま何もしないのも違う気がした。修司はスーパーに向かった。今は信州フェアをやっていてスーパーの前にはお焼きの屋台ができていた。野沢菜と餡子お焼きを買う事にした。自分で食べるのではなく、美加子の家に持っていこう。
「あら、お焼き!」
「ええ。スーパーで売ってたんですよ」
「まあ、嬉しいわ」
美加子の家に持っていくと、かなり喜ばれてしまった。
「嬉しいわあ、好物なのよ。あ、修司さん、キャベツを貰って行って」
「キャベツ?」
「ええ。親戚からいっぱい貰ったんだけど、一人だとキャベツはかさばって全部食べられないの」
両手に袋いっぱいのキャベツを貰ってしまった。
降ってわいた幸運だ。もしかしたら、余ったお金を全額貯金していたら、手に入らなかったかもしれない。
節約は楽しかったが、ほどほどにしておくのも悪くないかもしれない。