第4話 目玉焼きの戦い
味噌汁が作れるようになってから、自炊が楽しくなってきた。
夜、夕飯の片付けが終わった後のレシピブックを見ながら、次は何をつくろうと考えていた。
「豆腐とニラが余ってるんだよな。何作ろうか?」
レシピブックをめくりなががら、材料と一致しそうなレシピを探す。コロッケやテンプラなどの揚げ物は、パッと見るだけでも難しそうだ。特にコロッケは何回も工程があり、恐ろしい。妻も「もう二度と作りたく無い」というコメントがしてあった。そういえば、修司がまだ三十代ぐらいだった頃、コロッケを作って貰った事があった。
当時は「うまい」という感想だけ言ったが、妻は不機嫌になった。今はその理由がわかる。他にポテトサラダのレシピも難しそうで、ジャガイモ料理は鬼門か? しかし、ポテトフライは、工程もシンプルだし、これだったら出来そうだ。
こんな寄り道をしながら、豆腐とニラが使えそうなレシピを発見した。ひき肉のニラ豆腐というメニューのようだ。片栗粉要らずにトロミがつき、工程も難しくない。そう言えば、よく酒のつまみで妻が出していたのを思い出し、口の中がヨダレが出る。
さっそく、次の日の夜にひき肉のニラ豆腐を作ってみた。
まずニラと豆腐を切る。その後に、ひき肉と小麦粉を入れ、炒める。妻のレシピでは油は要らないとあったが、ちょっと不安になって、サラダ油を一滴だけいれた。やっぱり後片付けを想像すると、フライパンがこびりつくのは、避けたい。しかし、そんな修司の不安はよそに、ジュージューと肉は炒められる。確かにひき肉は、火が通りやすく、初心者向けのようだ。
あとは、ニラと豆腐、水と鶏ガラスープの素を入れながら炒める。火加減をみながら、とろみがついていく。強火は、フライパンが焦げ付いて怖いので、中火で様子を見ながら炒めると、だんだんととろみがつき、良い香りもしてきた。最後にごま油をかけて完成!
これは、酒が飲みたいのだ。しかし、医者に酒を止められているので、ぐっと我慢し、皿に盛る。
ご飯を温め、食卓に並べる。今日は味噌汁はないが、これだけで十分だった。片栗粉も入ってないのに、トロットロで美味しい。あっという間にご飯が消えてしまった。
「大成功だ!」
以前は、肉豆腐に失敗していたが、これだったら簡単にできる。こうして成功体験がある為か、修司は自信がついてきた。
食べ終わった後、明日は何を食べようかと考える。朝はずっと和食続きだったし、たまにはパンも良いだろう。実際、今日の買い物では食パンを買ってきた。
焼いたパンに焼いたソーセージと目玉焼き。そんな朝食も良さそうだ。確かにソーセージや目玉焼きのレシピは、メニューブックに載っていないが、これぐらいは出来るだろう。
「よし!」
こうして明日の朝のメニューも決まり、風呂に入り、新書をいくつか読み、大学教授時代の知り合いとトークアプリでやり取りし、良い気分のままで眠りについた。
翌朝、早く起きた。時計は五時四十五分だった。よっぽどパンの朝ごはんが楽しみだったらしい。年寄りは、早起きというが、気のせいだと思いたい。朝食が楽しみで早起きするなんて、以前では考えられなかったが、実際に楽しいのだから仕方ない。
着替え、顔を洗い、髭を剃り、グレイヘアをセットする。その上にエピロンを着て、さっそくキッチンにた立つ。まずは、コーヒーを淹れる為にお湯を沸かし、保温ポットに注ぐ。
次にパンをトースターで焼く。良い香りに修司のテンションは上がりっぱなしだった。鼻歌まで出てくる。
次にソーセージをフライパンで焼く。これも簡単にできた。最後に目玉焼きだ。フライパンのソーセージの油をクッキグペーパーで拭き取ると、冷蔵庫から玉子を二個取り出す。フライパンの縁で玉子を割り、さっそく焼き始めた。
「あ?」
上機嫌だった修司だが、眉間に皺が刻まれていた。目玉焼きは、焦げ付き、フライパンから剥がれない。剥がそうとすると、半熟の黄身が溢れ出し、フライパンは悲惨な有様になってしまった。皿の上には、目玉焼きっぽい何かだ。ぐちゃぐちゃでボロボロだった。
「なんでだ?」
修司はコーヒーを淹れながら首を傾げていた。生卵をフライパンに落とし、焼くだけ。工程てきにはツーステップ。何の難しいところもない。
不満と疑問を抱えたまま、食卓につく。コーヒーやソーセージ、トーストもおいしい。目玉焼きっぽい何かも味自体は問題ない。しかし、見た目はぼろぼろで、黄身も半分溢れていた。味には問題ないが、あらゆる面で敗北した気分だった。
たかが目玉焼き。どこに難しい要素があるとうのか。
朝食を食べ終えた修司は、もやもした気分で片付け、妻のレシピ帳をめくった。目玉焼きの作る方など書いてなかった。ハンバーガーのレシピの上に目玉焼きは載っていたが、最後の工程で魔法のようにそれが出てきて終わりだった。
娘の咲子は何か知っているだろうか。元々プライドが高い修司は「目玉焼き作りに失敗した」とは娘に言いがたかった。お隣の美加子に聞けばいいか。それも恥ずかしかった。
だからと言って、このモヤモヤを抱えているのも苦痛だった。修司は生ゴミをまとめ、近所のゴミ捨て場に向かった。
「おはよう御座います!」
「美加子さん、おはようございます」
美加子がゴミステーションで掃除をしていた。ほとんど片付いているのか、綺麗になっていた。このゴミステーションの掃除は、町内会で役割が決まっていたので、修司も週に一回仕事をする事があった。さほど高級でもない庶民向けの片田舎の住宅街だったが、こうして役割分担もあった。大学教授時代は全部妻任せだったが、今はこういう雑用もしなければばならなかった。
今日は晴れている。うららかな春と言っていい。美加子の着ているエプロンも花柄で、やたらと派手に見えてしまった。修司と同じ歳の未亡人だが、老いぼれている雰囲気はなかった。
「あのー、少しいいですか」
「いいわよ、なに?」
美加子はゴミステーションの周りを箒で掃きながら頷く。会話しながら掃除するなんて、器用なものだ。修司は作業をしながら会話するなんて出来ない。料理中もテレビを消し、スマートフォンの通知も全部切ってたりする。
「大変恥ずかしいのですが、今朝、目玉焼きを作りまして」
「あら、美味しそう」
「それが、意外と難しく上手くできなかったんです」
「あらあら」
美加子は、頷いていた。笑われるかと思ったら、全くそんな事はなく、ホッとする。生ゴミの匂いがして少し気持ち悪くなってきたが、今は目玉焼きの方が大事だ。
「目玉焼きって案外難しいのよー。ぶっちゃけ味噌汁や炒め物より難しいわ。シンプルなものほど、誤魔化しが効かないからね」
確かに。目玉焼きはシンプルすぎて、逆に料理スキルが露骨にでる料理に思えた。
「大丈夫。目玉焼きの失敗なんてよくある事よ」
しかも励まされてしまった。こうして美加子に相談した事は全然恥ではなかったとホッとしてしまった。
「目玉焼きが失敗する理由ってなんなんですかね?」
「いくつか原因があるわ。一つは古い玉子を使うと、上手くいかない」
「あー、賞味期限に近いもの使ってました」
「古い玉子はゆで卵向きね」
それは妻のレシピブックにも書いてあった事を思い出す。煮卵やおでんのレシピにそう書いてあった。
「あとは冷たい玉子もだめ。常温に戻して、フライパンも温めた後に玉子を入れてね」
「なるほど」
失敗した原因が見えてきた。
「直接フライパンに玉子を割り入れるより、器に一回入れて、低い位置から入れてね」
「うーん、案外手間かかって難しいんだな」
簡単そうに見えた目玉焼きだったが、意外と奥深まった。正直、味噌汁も出来るようになって舐めていた。
「大丈夫よー。目玉焼きなんて誰でも出来るから」
「そうですかね?」
「そうよ。今日のお昼ご飯、チャレンジしてみなさいよ」
美加子に肩をバシバシ叩かれた。あまりにもおばさん臭い仕草に、ちょっと引いたが、目玉焼きを失敗したショックは失せてきた。
「掃除手伝いますよ」
「あら、ありがとう!」
せっかくアドバイスを貰ったので、美加子の掃除も手伝い、家に戻った。
家に戻ると、レシピブックの後ろの方に美加子から聞いたアドバイスを書き込む。冷蔵庫の中身をチェックすると、卵は切れていた。あとは、味噌もない。
・新鮮な玉子
・味噌
買い物メモも書き、洗濯や掃除家事も片付け、さっそくスーパーへ向かった。
玉子は鳥インフルエンザの影響で値上がりしていた。値段に慄きつつ、一番新鮮なものを選ぶ。どうせ鳥インフルエンザで値上がりしているのなら、平飼いの良い玉子と値段もたいして差がないように見えた。
財布の中見を見ながら悩んだが、思い切って平飼いの良い玉子をカゴに入れた。
目玉焼きに合う料理はなんだろうか。さすがに朝と続けてトーストというのも飽きる。
「ロコモコ丼か」
ふと、ハンバーグの丼ものがあったのを思い出す。妻の書いたレシピブックにもロコモコ丼があった。ただ、今のスキルではデミグラスハンバーグを作るのは難しいだろう。スーパーのチルドコーナーに直行し、レトルトのハンバーグを見てみた。
レトルトのハンバーグは百円代から四百円代の高級品がある。少し悩んでしまったが、二百円のものをカゴにいれた。
最後に買う予定の味噌をカゴにいれ、レジをすませて家に帰った。
家について手を洗ったら、さっそく、目玉焼きのリベンジだ。腕まくりをし、エプロンをつけると、胸をはりがらキッチンの前に立つ。まるで戦場に向かう武士の気分だ。料理は女のものと思っていたのが恥ずかしい。こうして再度戦いを挑むのは、勇気が必要ではないか。以前のプライドが高いだけの自分では、絶対にできない事だった。
まずフライパンを温める。油を数滴落としたフライパンを火にかけた。確か美加子のアドバイスでは中火だった。
その間に玉子を器に割った。洗い物は増えるが、これでリベンジが出来るのなら良いだろう。気づくと、修司の心臓はドキドキしてきた。
フライパンが温まっているのを確認すると、そっと玉子を流す。緊張する。少し黄身がズレた気もするが、白身に端っこが焼かれ初めていた。ぱちぱちと小さな音がする。火力は強そうだったので、慌てて弱火に調整した。
そういえばフタって必要か?
気になるが、妻は目玉焼きを作っている時、フタなんてしていなかった記憶がある。食べるだけが専門だった修司だが、朝、妻がキッチンに立っている姿は記憶していた。
そうか。目玉焼き一つ作るのも、こんなに大変だったんだな。
妻は涼しい顔で毎日料理を作っていたが、その苦労は全く想像していなかった。改めて恥を感じ、心の中で妻に謝った。もう手遅れな謝罪だった。今妻やパートナーがいる男で料理を馬鹿にしているものは、一回ぐらい目玉焼きを作っても良いんじゃないかと思うほどだ。
そうこうしているうちに目玉焼きは出来上がったようだ。フライ返しと菜箸を丁寧に使いながら、白い皿にもった。白身はカリっと焦げ、黄身はてりてりと輝いていた。
「あぁ、ようやくできた」
完成した目玉焼きを見たら、脱力しそうだった。こんなシンプルな料理が、こんなに難しかったとは想像がつかなかった。
出来上がった目玉焼きにパラと塩と胡椒をふる。今までの苦労を思うと、これだけでも美味しそうだった。
そんな衝動を抑えながら、ご飯とハンバーグを温め、丼ぶりに盛った。最後に目玉焼きを乗せる。
レトルトも使ったので、手抜きとしか言いようがないが、どうにか形になり、修司は盛大にため息をついていた。
「よし!」
綺麗に目玉焼きができた。正直目玉焼きなんて舐めていたが、奥深かった。もしかしたらネットにはもっと詳しい作り方も載っているかもしれない。次ももっと研究してみたい。
「いただきます」
食卓に持っていき、ロコモコ丼を食べる。まずは目玉焼きの黄身を崩し、とろっと中身が出てきた。うまそうだ。
目玉焼きのリベンジは、成功したようだった。明日の朝もトーストにし、目玉焼きを焼こう。まだまだ戦いは始まったばかりだ。この戦いは、百戦錬磨で挑みたい。