第23話 ゆで卵の実験
毎日暑い。
もう7月も中旬から下旬へ差し掛かっていた。子供夏休みに入っている時期だ。美加子に教えてもらい、カーテンを遮光にしたりしていたが、やはり夏の日差しは厳しい。
あれから振り込め詐欺の電話は全くなかった。しかも美加子と瑠美は囮大作戦まで決行し、犯人をとっ捕まえたたという。おばさん二人の行動力にドン引きだった。まともな人は決して真似しないで欲しいが、あの鉄のフライパンを持った美加子を想像すると、全く不自然では無い話だ。
だからといってずっと家にいるのも嫌だ。冷房代も気になる。もちろん、熱中症で入院するぐらいだったら、エアコン代ぐらいは安いものだが。
色々考えた末、市内にある図書館に行ってみようと考えた。妻のレシピブックも順調に再現し、少々飽きているところだったし、図書館に行き新しい料理の知恵を得たい気分だった。
確か図書館のそばにはカフェがあり、お昼はそこで食べよう。今日は暑過ぎて弁当を作る気分にはなれなかった。こういう時は無理せず、自炊は中止し、冷奴にしたりしている。この歳になってわかるが、何事も無理していると続かないものだ。ゆるく、マイペースに自炊をやりたい。
そんな事を考えつつ、支度をし、財布に図書館の利用券も入れる。昔だったら全部妻に用意してもらっていた身支度も今は一人で全部やっていた。これも一種の自立だろうか。妻が生きてうた頃は、いかに人に頼って生活していた事がわかってきた。偉そうに仕事もしていたが今思うと恥だ。あのままずっと生活をしていたら、老害になっていたと思うとゾッとする。今は夏だが、背中が軽く寒くなってきた。
こうして身支度を終え、帽子をかぶって図書館に向かった。住宅地を抜け、県道沿いの道を歩いて数分のところにある。二階建ての大きな建物で、そこそこの蔵書数はあったはずだ。大学教授時代は、本に埋もれながら仕事をしていたので、なんだか懐かしい気分だ。もう仕事はやめていたのに、日本文学関連の本を真っ先に見ていた。修司が知らない本もあったりと、思わぬ発見がある。
図書館はしんと静かだったが、修司の心はワクワクしていた。今だに職業病からは完治していないようで、本来の目的をそっちのけで文学関連の本を読む。
閲覧室は、修司と同じぐらいの高齢者も多くいた。女性は少なく男性ばかりだ。修司と違い、一様につまらなそうに本をめくっている。
もしかしたら定年退職後、暇を持て余した老人たちが図書館に集まっているのだろう。修司も何となく他人事に感じられなくなり、そっと閲覧室を後にし、文学の本は返した。
新書コーナーに行くと、定年退職後の老人の問題、年金問題、孤独死問題、貧困老人問題のタイトルのものもズラっとあり、なんとなく憂鬱になってきた。修司は相当恵まれている方だとも思い、なんとなく居心地も悪くなってくる。
今は自炊という趣味がある。それがなかったとしたら、一日中暇で退屈だっただろう。失敗も重ね、時には嫌いになりそうな自炊だったが、は感謝したい気分だった。
気を取り直し、レシピや料理本コーナーに向かう。このコーナーは、主婦らしき人が何人かいて恥ずかしくなってくるが、気にしないでレシピブックを見てみる。図書館なので最新のものは置いてないようだが、悪魔とか罪深いと言っているレシピブックも多いな……。そこまでカロリーを摂る事は悪いのかと首を傾げつつ、煮卵の本や揚げ物料理、ホームベーカリーのレシピブックを借りる事にした。煮卵はうちに卵が余っている為だ。昨日スーパーに行ったら卵が値引きされていたので、思わず買ってしまった。揚げ物やホームベーカリーは、まだまだ実力不足を感じ、研究の為だ。
目的の本はだいたい借りられたようだ。自動貸出し機のところに行き、手続きを済ませた。もい図書館も自動化が進み、予約本も自分で探して取る形になっている。昭和生まれの修司は違和感が無いわけでもないが、これも時代の流れなのだろう。
こうして図書館を出る。強い日差しに思わず目を細める。空気はむわっとし、暑すぎる。暴力的な暑さにクラクラしそうだ。
「おじいちゃん!」
「おぉ、優斗くんじゃないか」
朝子の息子・優斗と偶然会った。優斗も図書館に用があったようで、大きなエコバッグを持っていた。大きな絵本がエコバッグからのぞいている。教え子の朝子とひょんな事から交流するようになっていたが、優斗とも仲良しになっていた。
「おじちゃん、カフェで一休みしよー。ね?」
優斗は上目つかいで修司を見てきた。この時ばかり「おじいちゃん」ではなく「おじちゃん」と言っている。子供らしく無邪気に目をうるうるさせている。
あざとい!
朝子の息子の割には、小賢しいとも思った。まだ十歳にも満たないぐらいの子供の割には、生きる知恵を心得ている。
「ねー、おじちゃん!」
優斗は修司のシャツの袖を引っ張ってきた。
「うっ」
あざとい事は承知だが、修司も人の親だ。優斗のかわいらしさに、咲子の子供時代も思い出し、きゅんとなってしまった。
「わかった、わかった。カフェ行こう」
「やった!」
結局、修司が折れてた。二人で図書館のそばにあるカフェへ向かった。
カフェにはチェーン店ではなく、個人経営の小さな店だったが、入ると冷房の風が心地よい。さっきまで流れていた汗がすっと消えていくようだ。日が入る窓際はさけ、奥の方の席に座る。まだ昼より少し早い時間なので、混み合ってはいないようだ。インリアも落ち着き、修司でも入りやすい店だ。
メニューも手頃で、サンドイッチを注文する。優斗はアイスを食べたいと駄々こねてきたので、説得するのに苦労する。自分の娘の咲子は、ガツンと叱ればいいが、他人の子供の扱いはなかなか難しい。
とはいえ、サンドイッチは美味しく、優斗の機嫌も良くなっていた。サンドイッチのカツはサクサクで肉厚。ハムや野菜もいっぱい入っている。
「おいおい、優斗くん。付け合わせのパセリも残さずに食べようね」
優斗はサンドイッチの上にあったパセリを残そうとしていたので、思わず注意した。パセリは栄養豊富でビタミン、ミネラル、鉄分も多く含まれている。消化にも良い。妻のレシピブックにも「パセリは残さず食べよう」とあったので、修司も守っていた。
「ふーん、栄養豊富なんだ」
「全部食べたら、アイス注文しよう」
「だったら食べる!」
アイスに釣られ、優斗もパセリを完食。良い気分で食後のアイスも楽しむ。濃厚なバニラアイスでトッピングのウェハースもいうまい。普段、自炊を頑張っているからこそ、カフェでの外食も特別に美味しい。食材の管理、賞味期限の不安、皿洗いが無いのも嬉しすぎる。
「ところで優斗くん、なんで図書館にいたんだ?」
「実はさー」
優斗は夏休みの宿題に手こずっている事を告白した。特に自由研究が難しく、テーマも決まらないらしい。
「自由研究か……」
修司も何かネタがないか考えてみた。ふと、今日図書館で借りた煮卵のレシピブックが頭に浮かぶ。確かゆで卵の茹で時間でトロトロ感が変わっていく図がのっていた。
これで自由研究できないか?
どの程度の時間茹でれば美味しい半熟卵になるとか、自由研究できる?
この事を優斗に提案すると、向こうも乗ってきた。
「美味しい半熟卵作るの? だったら楽しそう。でも、うち卵ないよ。高いから買えないってさ」
「そっか。だったらうちで料理するかい? うちに卵あるからね」
「えー、いいの?」
という事で家で優斗の面倒を見ることになってしまった。一応朝子に連絡もいれ、二人で家に向かう。
優斗は初めてくる修司の家に緊張しているようだった。きくと、集合住宅以外の家は全く知らないらしい。ごく普通の二階建て一軒家に住んでいると思っていたが、優斗からしたら珍しいようだ。
「おじいちゃん、手洗うの?」
「洗え、洗え」
二人で手を洗い、キッチンに向かう。本来なら子供用のエプロンをつけさせたいものだが、無いから仕方ない。まあ、ゆで玉だけならさほど汚れもしないだろう。
まず、卵を出し、鍋に水を入れる。沸騰した湯から茹でる予定だ。
あとはキッチンタイマーとマスキングテープ、ボールペンも用意し、さっそく鍋に火をつけた。
「わー、わ!」
ゆで卵も作ったことが無いと思われる優斗は、終始興奮気味だった。子供の背丈では鍋が見えにくいだろうので、時々背負って見せてやる。正直なところ、腰にくるが、少しぐらいなら良いか。
鍋はぽこぽこいい、沸騰してきた。ここから卵を投入。火を使っているので、ここは修司がやりキッチンタイマーは優斗に任せた。
六分から十二分まで茹でた卵を一つづつマスキングテープでラベルをつける。
「で、じいちゃん、この後からどうするの?」
つにじいちゃん呼びになってしまったが、いちいち腹を立てる必要もない。まず六分茹でしたゆで卵を取り出し、冷水につけて殻をむく。
「わー、トロトロ!」
六分茹ではかなり黄身がトロトロだった。色もオレンジ色だった。七分はトロッ、八分になってくると少し硬さが出てきた。縁がオレンジというより黄色い。九分、十分となるとかなり硬く、黄色くなる。十一分、十二分になると、固茹で卵と言っていい状態だった。一つ一つ写真もとり、優斗も硬さ、色、匂いなども記録していく。
「なんか、料理だけど、理科の実験みたいで面白いや!」
確かに。修司も深く頷く。
ゆで卵の時間と硬さを見ているだけなのに、いつものキッチンなのに、風景はどこかの実験室のように見えてしまった。たぶん、今日撮った写真と優斗のメモを上手く構成し、清書すれば立派な自由研究になるだろう。ついでに茹で玉子の殻剥きのコツも書いておけば、文字数も稼げる。
「よし、よくやった、優斗くん。何分の茹で卵が一番美味しいか試食しよう」
「うん!じーちゃん、わかった」
こうして二人でゆで玉に塩を振り、試食。料理というよりは実験結果を味わっているような気分だった。
「僕は十分の固茹でが好みだ」
「おぉ、渋いね。俺は七分ぐらいのトロトロ感も好みだ」
そんな事を言いつつ、あっという間茹で卵を感完食した。
そういえば、誰かが卵は割らないと食べられないという名言を残しているものがいた。
確かにそうかもしれない。こうして実際に実験してみて初めて好みの硬さもわかってきた。何事も実験だ。実際に行動してみなければ、わからない。失敗もあるだろう。しかし、動いてみなければわからない風景がある。料理も、最初は失敗した。コロッケも失敗した。それでも後悔は何もない。失敗は、それだけチャレンジした証拠だ。恥じる事は何もない。
「じーちゃん、なんか僕より楽しそう」
そんな事を思うと、自然と修司の表情も明るくなっていた。隣にいる優斗は首を傾げていたが、何よりも行動だ。今日、ゆで卵の実験をしながら気づいた。
この時、再びコロッケ作りをチャレンジしようと心に決めた。
いざ、立ち向かう。手作りコロッケへの道。
そう、リベンジだ。




