第17話 王様のバジル
幸せな父の日も終わり、胸がいっぱいだった。
しかし、多幸感はそう長くは続かなかった。連日雨が降り、スーパーの帰りにゲリラ豪雨にみ遭遇した、すっかり濡れてしまった。その後ちゃんと風呂に入り温まったはずだが、風邪をひいてしまった。朝起きてから身体が重く、喉の奥がヒリヒリしていた。
もはや疫病に感染したのだろうか……?
不安でいっぱいになり、病院へ予約。まだ熱は出ていないので発熱外来ではないが、念のために内科に行く事になった。
朝食も作ろうと思ったが食欲もやる気もない。昨日の残り物の餃子とご飯を温めて丼にする事にした。最後に醤油と温泉卵を落とせば、立派なご馳走だ。餃子はニンニク入りだし、風邪っぽい時は沁みた。
テレビのニュースを見ていると、感染者は増えているらしい。かといって具合の悪い人を責めるのも違う。どんなに気をつけていても具合が悪い時は悪くなる。具合が悪い人に病原菌の素みたいに言うのは、小学生はする事だ。修司は決してそんな下品な事はしたくないと思ったりした。
こうして朝食を片付けたら、も身支度を整えて、近所の内科に行く。夏風邪でも流行っているのか待合室は満員だった。中には具合がかなり悪そうでぐったりしているものもいる。そんな彼らを見ていると、体調不良が自己責任などという人がいるのが信じられない気分になった。
「あれ?どこかで会った事ありません?」
隣に座った女性からは話しかけられた。女子大生ぐらいの若い女だった。少し派手目な茶髪や大きな目が印象的だった。前歯も大きく、どことなくリスのような雰囲気だ。
思い出した。
以前、運動公園に行く途中、オレンジジュースくぉくれた女性だ。大きな目は見覚えがある。待っている間暇という事もあり、二人で雑談などをする。彼女の名前は小林麗羅という。この近くの女子大で英文学を専攻中との事。
しばらく海外の文学の話題などで盛り上がる。待合室なので小声だが、麗羅もなかなかマニアックな古典を知っていた。
「しかし、風邪っぽいな。寒気がしてきたよ」
「私もですー。修司さんはハーブに興味ないですか?」
「ハーブ?」
「うちの実家はハーブティーカフェやってるんですよ。確か解熱にはバジルがいいとかいってたな」
麗羅は体調不良事には、バジルが良いと教えてくれた。パクチーに絶対的な信頼をおいておる修司は身を乗り出しバジルの話を聞く。
バジルはハーブの中でも王様と言われているらしい。消化促進、抗うつ、解熱作用と体調不良の時に良いとおすすめされた。また、イエス・キリストが復活した際、側に生えてうたハーブもバジルらしい。ギリシャの教会ではバジルを使う事もあるそう。
「なんか、縁起がいいね。復活なんて。風邪治りそうだよ。でもスーパーで売ってるか?」
「たぶん売ってますよ。最近のスーパーは何でも手に入りますし、ネットスーパーも活用しましょうよ」
「ネットスーパー?」
「ええ。体調のときはもってこいですね。このサイトとかおすすめ」
麗羅に色々教えてもらい、ネットスーパーを登録。待合室で暇なので、 野菜や肉、ジュースや飴、それにバジルも購入してしまった。しかも昼過ぎには自宅に届けてくれるようで修司はカルチャーショックだった。確かに手数料や送料もかかるが、値段は実際のスーパーの価格とほぼ変わりないし、風邪の時は便利すぎるサービスだった。
節約中にはあんまり利用したくないが、これも一つの方法だろう。
その後、修司は診察を受け、軽い風邪だと言われた。疫病でもなく、風邪薬を出され、栄養つけて早めに寝るように指導された。
確かに今日は、手抜きしよう。
内科の帰りは、コンビニへより、おにぎりやジュースをかった。普段は値段が高くて手が出せないコンビニ食だが、今日は良いだろう。こうしてコンビニで買い物できる今は、ちょっと気分がいい。王様気分だ。子供の頃の昭和時代を思い返すと、コンビニで食事を買えるなんて、今の自分は金持ちか?と思ったりしてくる。事実、日本人として生まれたのは、かなり運が良い方だろうと思ってしまう。風邪を引いている今は幸福の基準が限りなく下がっていた。コンビニ店員に笑顔で接客して貰い、箸やおしぼりをつけてくれる事も感謝の気持ちでいっぱいになる。
コンビニで買い物を終えると、自宅へ直行。手を洗い、うがいをすると、食卓でおにぎりを食べた。
何の変哲もないツナマヨおにぎりだが、自分で調理しないで良いというだけで、素晴らしい食品のように思えてくる。最後にコンビニで買ったカットフルーツでビタミンCを補給し、薬を飲んで寝た。
夕飯はネットスーパーで頼んだバジルとチーズでオシャレな一品を作る予定だった。妻のレシピブック第二弾にも載っていたもので、これを食べたら完全復帰できる気がした。夢の中でもコンビニのおにぎりやカットフルーツが出てきたが、よっぽどコンビニ食が嬉しかったのかもしれない。
そうだ、風邪の時は少しぐらい自分を甘やかしていい。自分が王様なんて言わないが、今日ぐらいは良いだろう。ずっと自分に厳しいのも疲れる。
思えば大学教授時代は、ずっと気が張っていた。今は適度に気が抜け、時々は自分を甘やかしてもいいのだ。
「そうだよ、お父さん。無理しないでね」
夢の中で咲子が登場し、励ませれてしまった。
ここで夢が終わり、起き上がると身体も心もスッキリとしていた。少し良くなってきたようだ。これだったら少し料理も出来そうだった。
ちょうどネットスーパーから注文したものも届き、宅配業者のお兄さんには暑苦しいほど感謝の言葉を述べてしまう。体調が悪い時は、宅配してくれる人が余計に有り難みを感じてしまった。
こうして注文したものを冷蔵庫につめ、さっそく料理をはじめる。妻のレシピブック第二弾をペラペラとめくり、手順を確認。今回作るのはカプレーゼというイタリア料理だ。
まずトマトを洗って丸く切っていく。ネットスーパーで買ったトマトなので色や形は選べないが、赤く熟した良いやつで修司の口元は緩んでいた。
次にモッツァレラチーズも切り、皿に並べていく。トマトとモッツァレラチーズを交互に重ね、色合いも綺麗だ。さらにネットスーパーで買ったバジルをちぎり、上にトッピング。これだけでも見た目は素晴らしいが、さらにオリーブオイル、塩、胡椒をふりかけて完成だ。スープは昨日のあまりのジャガイモのポタージュを温め、器によそる。
量は少ないが、具合が悪い時はこんなものだろう。さっそく食卓に並べて食べはじめた。
「いただきます」
正直、トマトは好きな食べ物ではない。子供の頃はべちょっとした食感が苦手だったが、結婚してからはナチュラルに克服した。妻によるとトマトは食物繊維、ビタミンCなどの栄養素も豊富なんだとか。美白にもよく効くらしい。そういえば結婚してから、皮膚が被れたりした事はなかったと思う。
健康も妻が支えてくれていたのか。
今は、うっかり具合が悪くなり、そんな事を実感した。こうして食べたカプレーゼは、やけに美味しく感じた。濃厚なチーズの味わいが癖になる。トマトの瑞々しさがチーズとベストマッチ。その上にバジル。スパイシーな紫蘇といった味わいのバジルが、良いアクセントになっていた。匂いも独自だが、元気になれそうだ。王様と言われているバジルだが、トマトとチーズとハーモニーを奏でいた。
そういえば優れた王様は、一番下に徹するという。麗羅からはバジルはイエス・キリストと関係あるハーブと聞いたが、 彼は貧しい人や虐げられた人と共にいて、謙り、弟子の足を洗っていたっけ。
クリスチャンでもなんでもない修司だが、そんな事を思い出すと身が引き締まる。ネットスーパーの食材を届けてくれた宅配業者のお兄さん、コンビニ店員、そして妻の顔が目に浮かぶ。他にも農家の人スーパの人、掃除してくれる人、工場の人。普段は、顔の見えない人々の様子が想像できる。病気で働けなくても頑張って生きている人の姿も想像できた。
本当に偉い人は、お金を持ってる投資家や政治家では無いのかもしれない。疫病騒ぎの時は、やたら医療従事者が感謝されたが、それも違う気がした。
「美味しいな」
そんな事を考えて食べたカプレーゼは、特別なご馳走に思えた。ゆっくりと咀嚼しながら、味わった。
最後にジャガイモのポタージュも飲み終えた頃には、身体もスッキリし、ほとんど治ったようだった。一応薬は飲んだが、この分だと明日の朝には回復しているはずだ。
今日は風呂も入らず、ベッドに潜り眠り続けた。翌朝、身体は回復していた。喉は少し掠れていたが、熱もなく、身体のだるさも消えていた。
「よし!」
修司は笑顔で妻のレシピブックを捲る。バジルはまだ余っているので、他に使えそうなレシピを探すと、タイ料理もガパオライスにもバジルを使う事を知る。スパイシーなガパオライスの匂いや味を想像するだけで、余計に元気になってきた。
今日の昼ご飯はガパオライスに決定だ。そう決めた修司の横顔は、希望に満ちていた。