天使のシナリオ(前編)
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─────────ふと、目が醒めた。
ずっと、長い夢を見ていたかのような感覚が微かに残っている。
それは思い出せそうで、簡単には思い出せない。
意識は朦朧としていて、目に映るものは酷く歪んでいて気分が悪い。
「⋯⋯⋯⋯う、くっ」
ずきりと頭に強い衝撃が走った。
脳天がかちりと割れるような音が響いている。
尋常じゃない程の痛みで、膝から崩れ落ちてしまう。
「ここは、どこだ⋯⋯」
息を切らせながら懸命に絞り出した声も虚しく空に溶けていった。
全く、判らない。
まだ頭が正常に作用していないのがもどかしい。
重い身体を何とか起こして周囲を見渡してみる。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
息が漏れる。
そこに広がっていたのは「無」であった。
純白だけで彩られた変わり映えしない景色。
大した建造物は特に見られず、全くと言っていいほど人の気配も感じられない。
ただどこまでも続く地平線のように延々とこの世界は広がりを見せていた。
その果てにあるものが何なのか知りたくて、グッと大地を踏みしめた。
ザッザっと軽快なリズムを生む足音だけが聞こえる。
どうして僕はこんな所にいるんだろう。
判らない。判らない。判らない。
何も思い出すことが出来ない。
けれど、どうしてだろうか。不思議と体が軽い。
先ほどまで随分と苦しめられた頭痛も、いつの間にか治まっている。
今なら、大空を舞う鳥たちのようにどこまでも羽ばたけるような気がした。
「⋯⋯⋯⋯⋯あれ」
どれほど歩いたのだろうか。
不意に歩みを止めた僕はある一点に目から離せなくなったのと同時に、大きな違和感を覚えた。
何も存在しないはずの空間に、何かが浮き彫りになっている。
それは明らかに注目してくださいと言わんばかりにその存在感を放っている。
あれは、まるで──────────
「教会、なのか?」
西洋の趣を残した荘厳で秀麗な建築物が聳え立っていた。
ここに至る道中で、人はおろか、人工物など一切見られなかった筈なのに、今ではさも当然のようにそれは存在している。
もちろん意味など判るはずもなかったが、結局どうすることもできないため、興味本位でその建物に入ってみることにした。
円柱で支えられた大理石のアーチをくぐり、内部へと続く道を進んでいく。
そこには、絢爛たるシャンデリアが室内を照らし、ただ、ぽつんと椅子が2つ取り残されているだけであった。
「何なんだ、一体⋯⋯」
この状況に困惑する他ない。と、その時だった。
「⋯⋯驚きました、ここに客人が現れようとは。でもここに来たという事は⋯⋯えぇ、把握しました」
突然、背後から誰かの声がした。
コツコツと踵を踏み鳴らす音が少しづつ近づいてくる。
歩いているリズムに合わせて、ダイヤモンドのように透明で光り輝く白銀の長髪がふわりと揺れていた。
鈴を鳴らしたかのように美しく透き通った声。女のそれだ。
決して声量は大きいわけではないのに、なぜか耳元で囁かれたかのように、深く突き刺さった。
女の放つ光がとても眩しくて直視できない。
目を細めて注視すると、その全容が徐々に明らかになっていった。
ベールから覗く顔立ちはさも彫刻のように美しく整っており、愁いを帯びた表情はどこか儚げな花を連想させる。
そして、なんといっても存在感を放つ、かの天使の特徴ともいえるその十二の翼は、見るものを圧倒する迫力を纏っていた。
これらの特徴を一言で纏めるなら、一級の芸術作品を目の当りにしているようだった。
その凛々しい姿に目を奪われていると、天使は乾いた笑顔で
「ここまで来るのに随分と時間を要したことでしょう。顔から見るに少し疲れているようですし、良ければそこにある椅子に腰かけて休んでくださいな」
そう言うと、手前にある椅子を指し示した。
しかし、どうしてだろうか。その椅子に座ってしまえば、終わりな気がした。
それを裏付ける根拠は全くといってない。ただの直感だ。
それに、この女はどこか怪しい。
先程の笑顔がとても、冷たくて空虚なものに感じられてしまう。
自分がおかしいのかもしれない。けれど直感ってのはよく当たるものであって。
だから椅子には座らず、立った状態で話をすることにした。
「その厚意には感謝するよ。でも気持ちだけで十分だ。ところで、あんたは」
「貴方様に我が真名を明かす動機も義理も、その必要性もございません。しかし、お前とか、あんたとか軽々しく呼ばれるのも癪に障ります。ので、せめて申し上げるとするならば、私のことは『シャヘル』とお呼び下さい」
その名前に少し違和感を覚えた。
どこかで聞いたことあるような、ないような。
何とか思い出そうとするも、耳障りなノイズが頭を締め付けてくる。紛れもなくその女の妨害によるものだ。
嫌でも真名を明かされるのは避けたいのだろう。そのことに関しては諦めることにした。
「……シャヘル。状況を確認したいんだが、なぜ僕はこんな場所にいるんだ」
「ふふっ。この異常な状況に一切取り乱すことなく、ただ目の前の現実を見極めんとするあなたの冷静沈着さ、私はとっても好きです」
「質問に答えろ。どうして僕はここにいるんだ」
「……随分とお堅い人なんですね。少しくらい、冗談というものに付き合って下さってもよいではありませんか」
「…………」
そう言っては口元に気味の悪い微笑みを浮かべていた。
何なんだ、この女は。無性にイライラする。
ペースがかき乱される。
僕の内心を見透かしたのか、女はため息を吐いてこう言った。
「……はぁ。仕方ありませんね。端的に申し上げますと、あなたは死にました」
「…………は?」
「そんなに驚かれることではないでしょう。貴方自らが死を望んでいたではありませんか」
「僕は……自殺したってのか?」
「ようやく見つけることが出来ました。1000年前に溢れた私の力がまさか貴方に受け継がれていたとは」
「何の話だ」
「しかし、どうも腑に落ちない。あれは皇族、もしくはそれに準ずるほどの高貴な家柄の者にしか継承されないはず。なぜあなたのような凡庸な方に……」
「おい、ちょっと待……」
「私の認識が正しければですが、昨今では五摂家の筆頭、近衛家に伝わっていた筈ですが、私の記憶違いでしょうか?」
「なぁ、そろそろ……」
「これでは完全な力の発現に至るのは困難を極めますね。死因を見るに、身体に蓄積されたエネルギーが許容量をオーバーしたことによって力が暴走を起こし、内側から浸食されたのとのこと。まぁ、あなたの自殺願望も相まって引き起こされた結果でしょうか。現象として中々興味深いものではありますが、これが使い物になるかは些か怪しいですね…………」
「おい!何なんだよ、いったい!」
自分でも出したことのない大声がこの空間に響き渡る。
その数秒後に、ああ、しまったと後悔の念が頭をよぎった。
どんよりとした厭な空気が漂う。
同時に得体の知れない感覚が体全体を巡り始めた。
おそるおそる女に視線を向けると、女は僕をじっと見つめたまま、微動だにしない。
すべてを見通すかのような琥珀色の瞳を鋭く細めたその表情からは、表面的に作られた薄っぺらい笑みは跡形もなく消え失せていた。
ただ、どこか冷めたような、軽蔑の眼差しが途切れることなく僕一点に注がれている。
あまりにも不気味なその迫力に僕は圧倒されてしまい、思わず尻もちをついてしまった。
ふと見上げると、くしゃりと顔を歪ませて不敵な笑みを浮かべている女の姿が眼前に広がっていた。
それは瞬きのような刹那の光景であり、女はふっと微笑み、耳元で優しく囁いた。
「いえ、こちらの話です。気にしないでください」
ゾクゾクと寒気が手から足へと走る。
喉がつっかえているのか、何か言葉を発することもままならない。
先程、自分は幻覚を見せられていたのかと錯覚してしまう程、彼女の豹変っぷりに戦慄するほかならなかった。
「おやおや、顔が強張っていますよ。もっと落ち着いて、リラックスして下さい」
僕が動揺しているのを見抜いてか、女は安心させるような言葉をかけてきた。
空気を読んでいるのかいないのか判らないその発言に、少々苛立ちを覚えたが、その感情は一瞬で消え去った。
単純に、この女に抱く感情が『恐怖』で支配されてしまったことに気が付いてしまったからだ。
抵抗なんてすれば、反逆なんてすれば、間違いなく殺される。本能がそう訴えている。
そんな僕の状態など気に留める様子を全く見せず、唐突に女はおかしな事を口にした。
「さて、素晴らしい話をしましょう。貴方は我が主に選定されました」