#兄ですが、なにか?
「ぜぇ……ぜぇ……」
「愚妹ー、大丈夫かー?」
「ぜん、ぜん……だい、じょうぶ、じゃ……ない!」
「そうか」
「ちょ……あに、じゃぁ……はや、い……」
日課というには少々日を空けているが、定期的にランニングをしている。
学生時代と違い、社会人には適度に汗をかく機会があまりない。
こうして意識的にやらないと運動不足になるというものだ。
腹ごなしの運動に珍しく付いて来た愚妹の目的はダイエット。
最近ようやく色々と気になって来たとか。
遅くね?
トドメは昨日、買ったばかりの体重計に乗ったからだろう。
現実逃避していた馬鹿を誘導すべく、好奇心を煽った俺の勝ちだ。
条件は全てクリアされている。
「八重咲を見習って、配信でもすればいいものを」
「ゲームで、やるの、超、しんどい、から〜……」
「そりゃそうだ」
「てか……兄者の、せいだから、ね〜……これ〜……」
「言いがかりもいいところだな」
「兄者が、ドーナツ……めっちゃつくるからじゃん!」
「食ったのお前だし自己責任だろ」
「だぁ〜!!!」
まぁ、わざとですが。
毎日3食プラスで山盛りドーナツと単品ドデカプリンを食ってたらそりゃ重力にも逆らえまい。
最近はチョコとかクリームとか付けまくってたしな。
「ダイエット目的なら、誰かを巻き込んだ方がいいってのはあるな。一人でやると甘くなるし」
「はぁ……はぁ……」
「おい無視かよ」
「ちが、う……最近、みんな遊んで、くれないし〜」
「お前何したんだよ」
「だから……そう、じゃなくて、外出たくないって、みんな言うの〜」
「まぁインドア派が多いもんな、お前の同僚」
冷静に考えると、こうして一緒にちゃんとした運動をする相手を見つけるのは難しい。
スケジュールや性格もあるしな。
甘鳥辺りは誘えばやってくれそうな気はするが、遠い。
近場でいうなら八重咲だろうが、うん。
色々と無理だな。
特に今は。
3kmくらい走ったところで無事帰宅。
休憩しながらでどうにか完走した愚妹の現状を見るに、無事という表現にはいささか疑問が残るが。
「ガクブルじゃん。寒い?」
「ぜぇ……熱いよ!」
「はよ風呂入ってこい」
「分かってる〜!」
軽く汗を拭きながらスマホのミュージックアプリを畳む。
そのままLIMEを起動し、珍しく俺からおふくろへメッセージを送る。
仕方ない。
心優しい聖人君子の兄者さんは、困っている人を放っておけないからな。
金曜日の今日は残り三時間といったところか。
やたらと労力を掛けて八重咲を自宅から引きずり出し、愚妹と共に車で運び、とある店に入る。
隠れ家的というべきか。
外装と入口の雰囲気は軽い気持ちで入ることを躊躇わせる。
というか見た目が完全にスナックだ。
まぁ、中身は酒なんて出すようなところではないわけで。
ドアを開けると店主が迎える。
「来たぞー」
「はーい、いらっしゃい。ちょっと待ってねー」
「久しぶりだな」
「あにちゃん!久しぶりね。少し見ない間に、って言うほどは変わらないわね。背が伸びたくらいかしら?」
「中学生の頃と比べればな。……いや、そんな変わらねぇ事ねぇだろ」
「言われてみれば昔より顔が優しく……なってないわね。前と変わらず強面」
「喧嘩売ってんのか」
「もう、冗談よ。さぁ入って。話は聞いてるわ」
どうやら相変わらずのようだ。
身長は俺と同じくらいで比較的高い。
髪はロングで、茶髪を後ろで一本にまとめている。
歳相応というべきか、化粧は少し濃いめだが決して人を不快にさせまいとする心配りが見て取れる。
「おねじさん〜!めっちゃ久しぶりだね〜!」
「妹ちゃんもおっきくなったわね」
「横にな」
「なってないから〜!」
「あの、兄者さん?お、おねじ、さん?ってことは、めねじさんもいるんですか?」
「何で急にボルトとナットの話になった」
「ふふ、もう一人可愛い子がいるじゃない。あにちゃんも隅に置けないわね」
「置いといてくれて損しねぇよ。愚妹の友達だ」
「あら、そうなの」
「は、はじめまして……」
緊張気味に頭を下げる八重咲。
おねじさんはそれに軽く返す。
愚妹が思い出話を始めたタイミングで、八重咲は俺を部屋の隅へ引っ張って来た。
隅に置いていいとは言ったけどそういう意味じゃなくない?
「なんだ」
「なんだ、じゃないですよ。なんなんですかコレ」
「見ての通りだが」
「質問が間違ってました。何者ですかあの人」
「見ての通りだが」
「いや見た目と中身が合ってないですよねどう考えても!」
「見た目がほぼ変装した時の第二部ジョースターだもんな。けど、まぁそれだけだし」
「それだけだし、じゃないですよ。軽くパニックですよこっちは!あの人はVTuberか何かですか?」
「それくらいのキャラの濃さではあるが、違う」
まぁ初対面で面食らうのは仕方ない。
おねじさんの正体は、ガタイのいいゴリゴリのゴリラ系オネエさんだ。
いや、オカマ?
生憎とLGBTには詳しくないから分類が分からん。
まぁ見た目は長身でエプロン姿の筋肉化粧ゴリラ。
道端であったら警察に通報するか動物園に脱走確認をしかねない。
しかしちゃんとした人格者ではある。
P.Sにいても遜色ないくらいには色々と濃いけど。
「おねじさん、改めて紹介するよ。愚妹の友達の八重咲だ」
「ちょ、兄者さん!?」
「大丈夫だ。この人はその辺はしっかりしてる」
「そうそう。身バレとか気にしなくていいわよ」
「は、はぁ」
「で、こっちがおねじさん。見た目はゴリラ、頭脳は乙女だ」
「あら、酷い紹介。その失礼さはどっちに似たのかしら」
「どっちも素でいいそうだな」
「ホントはミッコで通してるんだけど、好きな方で呼んでくれて構わないわ」
「あの……全く違いません?」
「だっておねじさんだから〜」
「説明する気ないですよね」
おねじさんというのは愚妹が命名したものだ。
しかもかなり小さい時からそう呼んでいる。
定着し過ぎて自然と出たのはそっちの名前だった。
「お姉さんだけどおじさんだから、な」
「昔は気にしてたのよ?今じゃそっちで呼ばれることも増えちゃって気にならないけど」
「そ、そうなんですか」
「紅葉ちゃん〜?緊張してる〜?」
「緊張というか、結局わたしは何でここに連れて来られたのか分からないんですけど」
「あにちゃん、説明してないの?それちょっとした誘拐よ?犯罪は顔だけにしておかないと」
「顔どころか全身不審者のおねじさんが言うなよ」
「あら、レディに対して失礼ね」
「レディどころかジャングルでレディファイトしてそうな存在が何を言うか」
「っぷ……」
不覚にも笑ってしまったと、そんなリアクションをしたのは八重咲だった。
おねじさんはそれを見届けた後、すぐに準備に取り掛かる。
元々BARだった店を改造しているからな。
従来の店とは異なる設備を出しながら、八重咲を椅子へ誘導した。
「あの、これ……」
「見ての通り、散髪用のイスよ。じゃあ、ここから先は覗いちゃダメよ?あにちゃん」
「恩を返しに来た鶴か。後ろ向いて寛いでるよ」
「おねじさん〜、ドーナツ持って来たよ〜」
「そうなの?嬉しいわね。後で頂くわ」
「は〜い!あとマンガ読むね〜」
「ええ、どうぞ」
ソファに座り、暇つぶしのソシャゲを開く。
ナーフくらってこの性能の『八重咲』は、もうしばらくリセマラランキングで上位にいるだろうな。
ソファのL字のもう一角で、愚妹がマンガを読み始めた。
店内には落ち着いたBGMとハサミの閉じる音が混ざるように流れる。
「これ、自分でやったのかしら?」
「はい……たまに自分でやるんですけど、失敗しちゃいまして……」
「そんな時もあるわよね。大丈夫。あとは任せて」
「おねじさんは、美容師だったんですね」
「そうよ?似合わないかしら?」
「そんなことないです。二人は、切ってもらってないんですか?」
「ここはちょっと遠いしな」
「おねじさん忙し〜いしね〜」
「そうなんですか?」
「ワタシの活動はそれなりにマルチなのよね。ここもVIP店みたいなものだし」
「そんなところに来ていいんですか!」
「あにちゃんと妹ちゃんとは縁があるのよ。さ、もういいわよ」
「え、もうですか!?」
「はや〜!まだ全然読んでないよ〜!」
「前髪を整えるだけだもの。そんなにかからないわ。確認して貰えるかしら?」
「は、はい」
口頭でいくつかの擦り合わせもしている。
詳しくはよく分からん。
手入れの話とか、正直なんだそりゃって感じだ。
いつの間にか愚妹も鏡を覗きに行っている。
どうやら上手くいったらしい。
「機織りは終わったか?」
「もちろんよ。さ、八重咲ちゃん」
「兄者さん……」
「ん?」
「どうですかね……」
「元を知らんから何とも言えねぇよ」
「あにちゃん?そこは可愛いって言うところよ」
「あー、かわいいかわいい」
「棒読みじゃないですか!」
「あら?あにちゃん、もしかして照れてる?」
「あー、てれてるてれてる」
「だから棒読みじゃないですか!」
いや、言うことないが?
ついさっきまで帽子を深く被ってたせいで今日は目すら合ってねぇし。
それに、こうして見ると今まで本当に人前に出れないほど失敗してたのか疑問だ。
完全に前髪を完全消滅させたわけではなかっただろうし、イメチェンしたと言われれば納得する。
その辺はおねじさんの腕もあるのかもしれんが。
「まぁ、これなら人前に出ても恥ずかしくないんじゃないか?」
「そうですね。おねじさん、ありがとうございます!」
「いいのよ。女の子は綺麗でいなきゃね」
「はい!……それであの、お代なんですが……」
「要らないわよ。言ったでしょ?あにちゃんとワタシの仲なの」
「いや、でも……」
「普通に請求したら10万くらいすんじゃねぇか?」
「ええ!?」
「たっか〜10分もかかってないのに〜?」
「プロにはそれくらいの付加価値あるだろ」
「おねじさん、何者なんですか……」
「ただのヘアスタイリストよ」
「兄者さんがここまで褒めるって、どう考えてもただのじゃないですよね?」
「俺を何だと思ってるんだか」
「んー、ま、ワタシ達は裏方の仕事だもの。有名より有能が誇りなのよ」
「かっこい〜おねじさん!それもらっていい〜?」
「構わないわよ」
「ガッツリ表で名を売る仕事のやつがどこで使う気だそれ」
持って来たドーナツを広げ、用意してもらったコーヒーに口をつける。
内装がBARなのにコーヒーを飲むのは少々違和感がある。
まぁ、違和感どころか異様なメンツで話している以上気にはならない。
カオス代表のVTuber2人と属性キャラ性能モリモリのオネェさん。
カメラを置いておくだけで撮れ高が無限に溜まりそうだ。
【アドフィット】久しぶりのオフコラボなのにガチタイマン!?【春風桜、八重咲紅葉、兄者】
「嘘つき!」
「待て八重咲、俺は何一つ嘘は言ってない」
「今日は普通に楽しくゲームするって言ったじゃないですか!」
「だからゲームするだろ」
「しかも兄者さんは実況兼解説とか言ってましたよね!?」
「これ対戦モードは一対一だし」
「というか全ての元凶は桜ちゃんですよね!!!」
「う〜ん、なんかごめん〜」
コメント:草
コメント:兄者の仕返し
コメント:嘘は言ってない
コメント:悪意しかないwww
コメント:鬼コーチ
コメント:さらっと不参加宣言してる兄者で草
お馴染み、『アドベンチャー・オブ・フィットネス』
他所の配信だとセンシティブな声が漏れるということで一時期はかなり話題になったゲーム。
P.Sメンバーがやると運動できない芸人の悲鳴を楽しむ番組になるのがコアコンピタンスだな。
アドを取るにはメタるだけでなく地雷でビートするのも一つの手だ。
最近は環境にないが、それ故に刺さる対面もあるしリーサルが通りやすい。
裏目もないしこの択はプレミじゃないだろう。
……うん。
これ、意識高い系じゃなくてただのTCGプレイヤーだな。
「なんだかんださ〜、これ全然やってないしもったいないな〜って思ったんだよね〜」
「そんな理由で巻き込まれたんですかわたし……兄者さんとやって下さいよ」
「兄者にこれ絶対勝てないもん〜」
「大抵のゲームは勝てないですけどね……」
「むしろ八重咲には勝てるつもりでいるんだな」
「ま〜、最近ランニングしてるし〜?」
「んな一朝一夕で変わるわけないだろうに」
「舐められたもんですね」
コメント:姫が勝てるわけない
コメント:八重咲も最近外出てないのでは?
コメント:泥試合の予感
コメント:これはひどいw
うん、これはひどい。
何が酷いって、もう阿鼻叫喚よ。
最初こそ余裕そうだったが、蓄積した疲労はすぐに表れる。
リズムに合わせてスクワットとかいうメニューは、さながら高校野球部の声出しトレーニングの域だ。
「ぬあああああああああ〜!!!」
「だあああああああああ!!!」
「ねぇうるさいんだけど。静かにできんのか?」
「できるか〜!!!」
「というか!なに!優雅に!コーヒー飲んでる!んですか!?」
「暇だから?」
「少しは!実況とかして、下さいよ!」
「──素晴らしい!最高のショーだとは思わんかね?」
「今!声真似しないでくれません!?リアクションとか無理なんですが!」
「──言葉を慎みたまえ。君はラピ○タ王の前にいるのだ」
「もう!何で今やるんですか!」
「くそ〜!この兄者超うざい〜!!!」
コメント:大佐w
コメント:見ろVがゴミのようだ
コメント:クオリティやっぱ高ぇ
コメント:カオス
コメント:バ○ス
相変わらずのエンタメに振り切った奴らだな。
もはや普通にプレイしてるだけなのに面白いってのは才能だ。
この回でボケてたの俺だけ説あるし。
今更になって気が付いたが、体への負担がデカすぎるから誰もやらねぇんだなこれ。
特に引きこもり族が多いVTuber界隈なら尚更。
逆にやった方がいい気もするが。
シンプルに運動不足解消には適している。
八重咲はオフコラボ復活してるし、リハビリにもなる。
愚妹はダイエットの理由付けで逃げられない。
俺はドーナツ無限製造機扱いした愚妹へ反省を促せる。
win-win-winの完璧な采配だったな。
なお、次の日二人とも筋肉痛で動けない問題は考えないものとする。
LIME
おふくろ『ミッちゃんが、今度はアンタが髪切りに来てよって』
俺『支払いが親父の給料天引きなら』
おふくろ『10割増で男前にしてあげるって言ってた』
俺『そこまで盛られたらもう別人じゃね』
おふくろ『あと近々結婚するんだって』
俺『急に怖い話するなよ』