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#兄様のメモ帳

 時は少し遡る。

 P.S歌謡祭の配信が終了し、ステージのライバー達はそれぞれが和気あいあいと感想を言い合っていた。

 その中には、泣きながら音無を抱きしめつつ頭をわしゃわしゃと撫でる姉御の姿もある。

 感動のエンドロールだな。

 この後は打ち上げなんかもあるだろう。

 店を予約しているのか、事務所でやるのか、はたまた少人数で楽しむのかは分からない。

 だが少なくとも、部外者は早めに退散するに限るだろう。

 愚妹は、八重咲あたりが送ってくれるはず。

 兄者さんはクールに去るぜ。

 まぁ、これは気遣いというより自己防衛なんだが。

 うっかり残るとあのメンツと酒を飲まされかねん。

 まだ三途の川を渡る勇気はないので帰る。

 さっさと廊下に出て、ポケットのキーを弄る。

 その指先にはまださっきの感覚が残っていた。

 久しぶりの演奏。

 練習こそしていなかったが、夕飯担当であの場にいたのもあって曲自体は把握できていた。

 それでも、最低限のメトロノーム的役割しかできてはいない。

 音無と比べれば何枚も落ちる俺に合わせてくれたあいつらには、まぁ、感謝しなければならないだろう。

 それに、初めてやったが、セッションってのは存外、悪くない。

 誰かと合わせて何かをすることを、あまりやってこなかったからな。

 新鮮に感じるんだろう。

 と、そんな事を考えていたあたりで、手を入れた反対のポケットが震える。

 そこからスマホを取り出し、着信の相手を確認する。

 スミレさん?

 珍し過ぎる相手に困惑しながらも、呼び出しに応えてスマホを耳に当てる。


「もしも──」

『兄者ァ!今ドコやァ!』


 鼓膜、今日の日はさようなら、また会う日まで。


「うるせぇよ。うっかりトラウマ曲が流れたぞ」

『知らんわ!』

「てか何。なんでスミレさんのスマホから姉御の怒号が飛ぶの?窃盗?」

『盗んどらんわ!アンタが一番無視せんやろってことで借りとるだけや!』

「あそう。んじゃお疲れ」


 切った瞬間に着信が来た。

 拒否ろう。

 ついでにブロックしとこう。

 今から関わるとろくな事にならんな。

 俺のサイドエフェクトがそう言ってる。

 今度はスマホごと両手をポケットに突っ込む。

 怒られたくないし、さっさと帰ろう。


「見つけたッスよ!」

「待てこら兄者!」


 なんで来るんだよ司会コンビ。

 甘鳥と夜斗が全速力でこっちに向かってくる。

 無論、関わりたくないので俺も逃げる。


「廊下は走るなよ」

「お前が言うな!」

「兄者先輩!大人しく打ち上げするッスよ!」

「打ち上げを大人しくできるわけねぇだろ」


 すでに両手は走るためのフォームを維持するために振り上げられている。

 この歳になって鬼ごっこするとは思ってなかった。

 この場合相手は魔王(笑)と鳥(暗黒微笑)だが。

 鬼より怖いわ。

 流石に引きこもり組というか、夜斗がそうそうに減速していく。

 普段から動く事ねぇだろからな。

 逆に甘鳥は余裕がある。

 リア友と軽い運動するくらいの陽キャではあったからな元々。

 運動場に頭のネジを何本か落として来たと思うから今すぐ探しに行って欲しい。


「夜斗っち先輩!?フィジカルくそざこッスか!?」

「うっせぇ!オレは短距離型なだけだ!」

「じゃあせめて最初くらい先行して下さいよ!ずっとツバキの後ろッスよ!」

「いいから兄者を捕まえろ!モモの命令だ!」

「やっぱ姉御の差し金かよ」


 時間は21時を回っている。

 あのブース以外の従業員は皆帰っているようだ。

 なら、多少無茶しても事故らんだろう。

 突き抜けになっている部屋に入り、隣のフロアまでショートカットする。

 エレベーターは使えない。

 止まったら初陣の初号機よろしくこじ開けられる未来しか見えん。

 後ろには甘鳥、前には十字路。

 更にその奥に八重咲がいた。


「もちろん、階段を使いますよね?」

「先読みしてくんなよ」


 ブレーキをかけて左右を見る。

 それぞれの道の先をスミレさんと愚妹が塞いでいた。


「兄者くん、話を聞いて」

「兄者捕まえた〜」

「さて、殴るなら愚妹か甘鳥か……」

「なんか物騒なこと言ってるッスよ!」


 どっちでも罪悪感はあまりないが、流石に部外者が会社の事務所内で暴力沙汰はまずい。

 仕方なく、愚妹の方へ走る。


「は〜い!兄者スト〜ッ──」

「あ、足下にでっかいプリン」

「え!どこ!?」

「じゃあな」

「え……あ〜!だました〜!」

「なんでそんな手に引っかかるんですか!」

「バカなんッスか!?桜先輩バカなんッスか!!!」

「春ちゃん……」


 知らんのか。そいつはバカだ。

 遠回りにたどり着いた階段を駆け下り、正面。

 まだ開くであろう自動ドアの前には、やはりというか例の姉妹がいる。


「観念しぃや」

「だから先回りすんなよ」

「今日は帰さへんぞ」

「帰らせろ。そもそも部外者だ」

「なら、従う理由もないな?」

「それは俺もそうなんだが」

「やかましいわ!打ち上げすんで!」

「横暴な」


 流石に姉御と音無を押し退けて帰るのは無理だろう。

 姉御が割とスポーティーな人だし。

 渋々、後についてきたクレイジーモンスターズと打ち上げに参加した。


 まぁ、語ることは無い。

 事務所の大部屋で立食パーティー。

 知らんやつらの方が多い中で開会の挨拶をボスに丸投げされたり、バカが転んですっ飛んだエビフライが俺の頭に乗ったり、暴走したオタクの道づれで周りに引かれたり色々あったが。

 酒瓶を持った妖怪から逃げる鬼ごっこ二回戦が始まったり、狂った後輩の弁舌な布教を力ずくで止めたり、とりあえず夜斗をシバいたり色々あったが。

 まぁ、語ることは無い。

 てか語りたくない。

 人が多すぎて普段の倍は疲れた。

 二度とP.S式の打ち上げには参加せん。

 ギリ話せる内容を上げるなら、姉御に礼を言われたことくらいか。


「今日はありがとうな」

「なんだ突然。金は持ってねぇぞ」

「カツアゲちゃうわ!……アンズのことや」

「俺は何もしてねぇよ。どっかのバカが勝手にやったらたまたま上手くいっただけだ」

「そんな事ないやろ。アンタが背中押したんとちゃう?」

「いや、本当に何もしてねぇ」

「そうか?ま、アンタは素直やないって紅葉も言うとったからなあ」

「超素直だっつの。嫌なことは嫌って言うタイプだぞ俺は」

「の割に、打ち上げ参加しとるやん」

「逃げ切れなかっただけだ」

「負け認めるとか、珍しいな」

「ルールはルールだ」

「そんなもん決めてなかったやろけどな!」


 こっちの話だ。

 そんな悪態を内心つきながら過ごせば、存外早く会は終わりを迎えた。

 電車組はともかく、車で帰るメンバーはシラフだ。

 俺に優しい姉御もきっと酒のせいだろう。

 いつもより口数も多い気がする。

 やっぱ酔うと本心が話しやすいんだろうか。

 酒も入ってないのに暴れ尽くした愚妹を回収して駐車場に向かう。


「おう兄者、アンズのこと送ったってくれんか?」

「は?」

「え、姉御……!?」

「アンズの家、駅からはちょっと離れとるからな。ホントはウチも付いてきたいけど、時間もあってな」

「……まぁ、そういうことなら」

「いえ〜い!なっしーと帰れる〜」

「あ、よ、よろしく……」


 音無も酒が入ってる分、いつもより素に近いはずだ。

 果たしてどっちのテンションが素なのかは分からんが。

 二人を後部座席に乗せ、音無の家を目指す。

 最初こそ騒いでいた愚妹だが、走り始めて五分もしない内に寝息をたてていた。

 今日はずっと出力MAXだったからな。

 そら眠いだろう。

 シートベルトに頭を預けて寝るアホの隣をミラー越しに見る。

 普段から口数が多いわけではないからな。

 音無がただ静かに窓の外を眺めている様子に違和感はなかった。


「今日は、愚妹が悪かったな」

「え?……あ、ううん、全然そんなこと……」


 一言言っておこうと思っただけだったのだが、どもりながら返す音無は思いの外動揺していた。

 話しかけない方があいつとしては楽だったか。


「……お兄さんこそ、ありがとう、ございます」

「いや、姉御にも言ったが、俺は何もしてねぇって」

「そんなこと……それに、桜ちゃんも」

「そいつに感謝は本当に分からんが」

「……桜ちゃんがいなかったら、あたしは……今頃、一人ぼっちだった、と、思うから」

「そんな事ねぇだろ。少なくとも姉御がいるし」


 声ではなく、音無は首を振って俺の言葉を否定する。


「あたし、VTuber辞めようかなって思ったことがあって……」


 少し間を置いて話し始めた内容は、思っていたよりも込み入ったものだった。

 音無は大学卒業後、音楽関係の仕事を探したらしい。

 だが、本人のコミュ障加減もあり、見事に失敗。

 しばらくフリーターという名のニートになっていたところに、姉御からVTuberの話を持ちかけられたという。


「だから、VTuberを辞めるって、姉御には……話せなくて」

「まぁ、誘ってくれた相手には話しにくいな」

「でもね、そんな時に桜ちゃんと話すようになったの」

「また、絶妙なタイミングだな」

「うん。……それで、桜ちゃんはあたしよりも年下なのに、凄いなって」

「凄いか?凄いバカだが」

「桜ちゃんは、自信満々で、何でもすぐ決められて、失敗したらとか全然考えなくて、色んな人と仲良くできて、凄いんだよ」

「こいつをここまで褒める人類がいるのか」

「ふふ……。だから、あたしも、もうちょっと頑張ってみようって、思えるようになったから」


 ちらりと見た彼女は、大口を開けて眠る愚妹を優しく見つめていた。

 自信満々というか自信を失うだけの要素を考えれないくらいバカなだけなんだが。

 考えてないからとりあえずやるし、先は見えてない。

 コミュ力はあるが、それくらいだと思うぞ。

 そういう評価を受けるのも、もしや運がよかったからだろうか。


「……あたし、歌がすきなの」

「え?」

「歌を聞くのも、弾くのも……歌うのも、好き。……でも、上手く歌えないの」

「いや、ありえないくらい上手いだろ」

「ううん。……正しくないんだよ」


 アレンジとは、本来の音程をわざと変えるものだ。

 本家にはないもの。

 それは言い換えれば、間違いでもある。

 どれだけアレンジの音程がよかろうと、それは正しい音ではない。


「昔から、聞いた歌を歌えないの。どうしても、どうやっても……」

「音もリズムも分かるけど、か」

「うん。だから、歌わないことにした」


 音痴というのは、本来そういうものかもしれない。

 音域やテクニックとして思うような音が出せないのではなく、もっと根本的に思った通りに歌えない。

 技術や知識では無い、もっと感覚的な弊害によって。


「たとえば、ソの音を出そうとしたら出せるのか?」

「うん。簡単なメロディとかは、できるよ。でも、歌おうとすると、ね……」

「苦労したんだろうな」

「誰にも分かって貰えないのは、大変だったかな。あたし、口下手だし……」


 これだけ音楽的センスと才能がある人間が、思うように歌えない。

 その苦労を分かるとは言えない。

 むしろ想像すらできないほどに、別世界の話とすら思えてしまう。

 未熟な子供は、異常に対して厳しい。

 成熟した大人でも、理解できないものへ寄り添うことは簡単では無い。

 誰もが一度は彼女を分かろうとし、その過程で生まれた亀裂が傷を負わせたのかもしれない。

 あるいはそんな過去が無かったとしても、誰かと違う。

 ただそれだけのことが心に残す痛みは、深く鋭く、痛い。


「……まぁでも、今日の歌は最高だったと思うぞ。俺は」

「……うん……」


 三度(みたび)、ミラーに視線を移す。

 音無はいつかのように、声を出そうか戸惑うように口だけを小さく動かしていた。

 けれどそれは、決して消極的な戸惑いではない気がする。

 気を遣うような、沈黙を恐れているようなものではなく、あと一歩を躊躇うような迷い。

 俺は何も言わず、わざと遠回りに車を走らせる。

 しばらく続いた静寂を、音無の細い声が終わらせた。


「みんなと、音楽ができるのが……楽しかった」

「あぁ」

「桜ちゃんと、紅葉ちゃんの歌を聞いて、思ったの。……一緒に歌ったら、もっと、楽しいかなって」

「あぁ」

「……桜ちゃんが誘ってくれなかったら、多分、あたしはもう、歌うことはないんだなって思った。だから……あの時が最後だった」

「あぁ」

「歌ったら、みんなが困って、後悔すると思った。でも……歌わなくても、後悔すると、思ったの」

「……あぁ」

「だから、だから……えっと、ありがとう」


 誘ってくれた愚妹へのお礼だろうか。

 それとも反面教師となった俺への感謝だろうか。

 どちらかを確認する必要はない。

 どちらも結局、彼女のためを思ってやった事じゃない。

 彼女自身が悩んで決めたことだ。

 それはきっかけであれど、施しではないのだから。


「俺は聞かれたから答えただけだし、愚妹もただやりたいことをやっただけだ」

「え?」

「あの時歌うことを選んだのは音無だ。それは素直に自分を褒めてやれよ」

「あ、うん」

「あれだけの事ができたんだ。もう姉御にも胸張れるだろ」

「……うん」

「俺は愚妹より、音無の方が遥かに凄いやつだと思ってるしな」

「……うん……」

「まぁ、好きにやれよ。VTuberなんだし」


 VTuberはそういうもんだろう。

 やりたいようにやって、それがいいと言ってくれる人が集まって、笑い合う。

 理想も幻想もあるかもしれないが、今Vとしてできることがやりたいことならやればいい。

 やらかしても、まぁどうにかなる。

 そういう連中を集めたのがP.Sだろうし。

 俺の言葉への返事は聞こえない。

 音無は、もう窓の外すら見ていない。

 声を出す余裕も無いくらいには顔を隠すのに必死だ。

 感極まったという様子。

 あのステージはそれくらいの快挙であり革命だったのだろう。

 誰にも理解されなかったからこそ、あのチームが、ステージが、コメントが暖かかったはずだ。

 俺はもう少しだけ遠回りする。

 もう少しだけ。

 せめて女の子が、流れる涙を止めるまで。








































 例の打ち上げの一幕。


「夜斗、みんなに知ってるプロレス技をここに書き出して貰った」

「既に不穏だぞ!」

「あみだくじだ」

「何がだよ!やられんのか!かけられんのか!?」

「……パロスペシャルか」

「誰だこれ書いたやつ!」

「八重咲一択だろ」

「え、マジでやんの?え、おい、こんなのただの八つ当た……ぐああああああ!!!」


 夜斗にしては運がいい。

 甘鳥の出したデンプシーロールだったら即死だった。

 これプロレス技ですらないが。

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― 新着の感想 ―
[一言] あにじゃはほんとそういうとこ
2024/09/26 18:07 えびの草原
[一言] むしろ兄者デンプシーできんのかよ…( ꒪⌓꒪)
[良い点] キン○マンも履修してんのか八重咲はw タワーブリッジでもよかったのにw デンプシーロールはボクシングや、甘鳥さんw
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