一ヶ月後
一
「どうしたの? 何かあったの? そんなにうなだれてしまって、かわいそうに」
「かなしいことがあったの?」
「何?」
「ごめんね、それは話したくないの」
「わかった、話さなくてもいいわよ。でも、それって、誰か死んだんじゃない?」
「ううん、死んでない。死ぬことよりかなしいことよ」
「死よりもかなしいことってあるの?」
「あるよ、そんな簡単に死ねないんだからね」
「そう、わたしは死が一番かなしいことって思っていた」
「甘ちゃんね」
「あらっ」
‥
「わたしは、死が一番かなしいことだと思っていた。だから、時代小説をよく読んでるの」
「どうして?」
「武士はその死を乗り越えるんだから、すごいと思う」
「まあね、武士だからね」
「殿様のためにいつでも命を捨てる、どうすればそんなことができるのか? わたし、わからなかった」
「そうね、わからないの?」
「武士は、きょう死ぬことになっても、その覚悟をしている。かなしいことだけれど、そうして毎日を暮している。そのために、たゆまず体を鍛え、心を鍛錬するのよ」
「心の鍛錬って、何?」
「それよ、わたし、それを知りたいの、そして見習いたいの」
「殿様に対する、忠義とか、忠心、奉公といった心ね」
「それが、どうしてできるかってことを知りたいの」
「そう、そういうことなの」
「ちょっと待って、あなた、わかるの? さっきから、そんな言い方よ」
「うん、わかる」
「えーっ、それっ、・・うそー」
‥
「ごめんね、疑ったみたいで、でね、よかったら、そのことを教えてくれないかな。わたし、ずっとわからなくて、あきらめそうになっていたの」
「いいわよ」
「えっ、いいの? そんな簡単に・・」
「何よ、友だちじゃない、いいわよ」
「ありがとう」
‥
「どうしたら、命を乗り越えれるの?」
「その日一日生きることを感謝することだと思う、その感謝を一日一日積み重ねていく、大きくしていく、そういうことだと思う」
「感謝かあ・・それがむずかしいんだろうね、それが心の鍛錬なのね」
「具体的にどうすればいいか? それは、それぞれが自分で見つけることだと思う、これこれをしなさいということはないと思う」
‥
「最後の日、その日を思って、カウントダウンはしない。きょうがその日かもしれない、あしたがその日かもしれないと思って、一日一日を生きていく。そのためには、一日一日心を成長させていく、いかなければならないのよ」
「あしたかもしれない、わかっているんだけどね」
「誰も、あした死ぬなんて思わない、でもありうることよ。それでも、ほんのちょっとでも思わない。あしたじゃなくて、一ヶ月後はどう? いくらかの人は思うかもしれない、あたし、そう思うようにしたの」
「もうしているの? 一ヶ月後なの?」
「一ヶ月後に死んだとしても、受け入れる、怖れない。――感謝するって、そういうことでしょう」
「できるの?」
「まだできてない、でもそこを目ざす、近づこうと粉骨努力している」
「そう」
「生きるって一日が単位だから、本当は“一日後”ってしたいんだけど、あたし、そこまで強くないから、“一ヶ月後”にしたの」
「それだって短くない?」
「でも一年は長すぎるでしょう」
「まあ、そうだけど」
「いいのよ、とりあえずでもいいの、だから一ヶ月よ」
「そうね」
‥
「武士もそうだったと思う、そして“そのとき”になったとき、試されると思う。できていたか、できていなかったか」
「一日か、一ヶ月か、それはわからないけどね」
「うん、それぞれだと思う」
「どのくらいだったんだろうね」
‥
「質素な生活でないと、命を捨てきれないでしょうね。お金持ちの武士っていないのよ、いたら、そんなの見かけだけの武士よ」
「“武士は喰わねど高楊枝”、カッコいい」
‥
「どうしてあなたが“武士”のことを考えるの? 武士の妻ならわかるけど」
「あら、そうね」
「別に、男女は関係ないんだけどね」
「そうね、武士の妻も同じなのかもしれない、それも表に出ない」
「昔昔は、武家だけでなく、夫婦とか男女はそうだった、男尊女卑だった」
「もちろん作中に妻も出てくる、妻が主人公の作品もある。そうよ、武士の妻も、心は武士よ」
「わたしも、そんな気がする」
「一歩も二歩も下がって、考えてみれば妻の方が、女の方がもっとかなしいかもしれない、――いいえ、そうよ」
「“かなしい”か、そうだね、かなしみね。でもそこから何かが出てくるのね」
「うん、人間の大切なもの、すばらしいものよ」
‥
「あたし、まずお金のことは考えないと決めた、生活に必要な最低限のお金だけあればいいとしたの。で、お金のことは考えなかったら、何を考えると思う?」
「たくさんの時間だろうね、何かなあ?」
「お金のことを考えなくなったら、自分のことは考えなくなった、自分の幸せは考えないのよ」
「へぇー」
「そしたらね、誰かのことを考えるの」
「誰かって?」
「かなしみにある人、困っている人、貧しい人」
「ふーん」
「これが、人生で一番大切なことなんだと思った」
「何なの? 難しいわよ、すぐには出てこない」
「一つね、わたしが考えたのは、“献身”よ」
「そうか、武士とつながるね」
「あたし、できるかどうかわからないけれど、かなしみにある人、困っている人、貧しい人に何かしてあげたい、――奉仕や献身を、ほんの少しでもしたいと思っているの」
「お見事! 敬服しちゃう」
「あらっ、そう、えへへ」
‥
「と言うか、お金が余っているとダメなのね、足りない方がいいのよ。いいえ、足りないといけないのよ、足りないから真摯に生きるんだからね」
「きびしいんだね」
「きびしく生きないと、命は捨てれない」
「あたり前か、だよね」
二
「一ヶ月後、あたしはどうしているだろう? ――そのことを思う、もちろん死も考えている、そしていろんなことが浮かんでくる」
「そんなに死を考えるの?」
「うん、それから、そこから考えが始まる。そんなセンチメンタルじゃないわよ、逆よ、どんなに生きようかって考えるんだからね」
「わかった」
‥
「ひと月ごとに気候が変わる、日本は四季があるからね、いいね」
「十二ケ月、みんな違う。気候は一年が周期で、一年で繰り返していく。春夏秋冬、それぞれの気候、そして自然の営み、それに従う人間の生活。生命の誕生と成長、その歴史は延々と続いてきた」
「うん」 ‥
「一日の終わりに、“あたしは、きょう成長したか?”って問うの。答えはわからないけれど、成長しようと思っていたのは確かだから、それでいいとする、そしてあしたまたやってみるさって思うの」
「心の成長ね」
「目ざしていけば、そうなりたいという気持ちがあれば、日々、ほんのわずかでも成長していると思う。あたしは、それで生きていける」
「生きていけるってことは、いつ死んでもいいってこと?」
「それを目ざしているってことね」
「壮絶ね、そんなことを考えているって、そのくらいきびしく生きなければいけないのね」
「きびしく生きないと、感謝する心は生まれてこない」
‥
「十二月と一月、――一年の終わりと始まり。具体的な何かはわからないけれど、その思いだけで過ごすことができる」
「二月。――寒さがきびしいけど、もう慣れている。そして次が三月だと思えば、うれしくなる。あたし、胸がワクワクする、一つ前って独特の気分になるね」
「あたしは三月が一番好きだけど、二月も好き。一つ前、“前夜”って大好き。胸が高鳴ってくる、少しずつ、だんだん、そしてあふれてくる。少しずつ、そこがいい、それと同じかなあ、夜が明けてくるときが好き、少しずつ白んでくる」
「三月、――文句なしね。四月、――春爛漫、過ぎていくのが惜しまれる。五月、――若葉が陽を浴びてまぶしい、自然の生命と息吹きでいっぱい」
「六月、――雨が主役ね、恵みの雨よ。七月、――心もからだも、思いっきり背伸びできる」
「八月、――灼熱の夏。あたしは海を見たい、もちろん山も歩きたい」
「九月が嫌なんだなあ、次に十月、十一月でしょう、だんだん秋へと向かう。十月になったら、もう覚悟をしないとね。でも紅葉がきれい、何という色彩でしょう。十一月、あーあ、ついに来た、これから寒さがやってくる」
「しっかり生きてる」
‥
「月が変わったら、またひと月生きた、うん感謝しなければと思う。そして次の月を思う、またひと月生きようと思う、生きることを感謝しようと思う」
「よいのう」 ‥
「ちょうど、冬至の次の日から、一日一日陽が長くなるように、ほんの少し、ほんのわずかではあってもね」
「大海の一滴かあ」
「いい言葉ね」
「パクリよ、へへへ」
‥
「貧しい人や困っている人が目の前にいれば、助けることがあるんだけど、毎日の生活や仕事の中にも、奉仕や献身できることがあると思う。そういう気持ちをもっていれば、見つけられなくても、してあげれていると思う」
「そうかあ」
‥
「死に近づいていくぶん、感謝が大きくなっていく。“多くなる”より“大きくなる”ね、何かをつかむということよ」
「うん」
「おぼろげが、だんだんはっきりしてくる。不安がなくなって、確信(核心)に近づいていく。――理想よ、そうなればいいなって」
「うん」
「嫌なことやつらいことを乗り越えれば、感謝することができる、貧しい人たちに近づける」
‥
「あたしよりもっと不安がある人たちが、がんばっている。なのに、あたしがどうしてがんばれないでいられようかと思うの。こうして、あたしは貧しい人たちから助けられているのよ」
「そうなの」
「あしたに不安があってもいいと思う、あしたやその先に不安があるから、きょう生きることに感謝する心が生まれるのよ」
「わかった、不安を受け入れる、ごまかさない」
「あたし、嫌なことやつらいことに対して、“(かかって)来い!”って気合を入れる」
「うん、乗り越えるのね、何とかなるのよね」
‥
「雨は嫌じゃない、草木が喜んでいるのがわかる、土も恵みを受けている、自然は雨から命をもらっている。植物も動物も、雨の水で生きている、生かされている」
「地球は、一つの大自然ね」
「わたしも自然の一員よ、雨を喜んで、そして水をいただく、命をいただく」
「感謝だね」
「生きることに感謝すれば、死を恐れない。――真理よ」
三
「比べるんじゃなくて、絶対的なものもあるのかなあ? ――手の届かない、従う、崇める、っていうの」
「それはちょっとね、あんまり好きじゃないわね」
「うん、感謝だよね、感謝する心があるんだからね。そんなの要らないね」
「必要な人もいる、それはあたしにはわからないことよ」
「そうね、それでいいね」
‥
「ゴッホの『15輪のひまわり』は、貧しい人たちと思った。それでよかった、十分だった。いつ見ても心が洗われる、生きる力が湧いてくる。そしてね、今あんたと話していて、武士にも見える、その妻や家族にもよ」
「ほんとにいい絵ね、メッセージがあるんだからね。ゴッホはすごいね」
‥
「作品のむずかしいところはわからないんだけれど、ジャン・ヴァルジャンはお腹が減っている子どものためにパンを盗んだんでしょう。もしあたしの子どもがお腹が減って死にそうだったら、あたしはパンを盗む」
「でも、そうしない人がほとんどよ。その人たちは、死より大切なものがあるのよ」
「正義なの?」
「たぶん、道徳とか、法律とか、世間体とかだと思う」
「そう、あたしは何だろう?」
「あなたは、死を覚悟するんでしょう。でも、パンを盗まずに別のやり方があるかもしれない、生きる方法を考えてほしい、生きていてほしい」
「死よりもかなしいことを選ぶの?」
「自分からは死を選ばないでほしい、自分ではどうすることもできないのであればしかたがないかもしれない」
「そういうことか」
‥
「食事がおいしいってことは、どれだけ感謝して食べたかに尽きると思うの。高級とか何とかは関係ない、そのときの心の有り様よ」
「うん」
「お腹がペコペコに減って食べるご飯は、どんなにおいしいか。腹ペコが一番のごちそうよ」
「うんうん」
‥
「やっぱり比較なのかなあ? 真似をするとか、憧れるとかって、比較なんだろうね。“自分もそうありたい”と思うことって、向上心でしょう、自分にないもの、あっても足りないもの、ということ」
「自分を捨てないのよね、まだできなくても目ざしていくのね」
「他人だったら、捨てるの? それとも引っ張っていく?」
「引っ張れないわね、だって、その人がどんな人かわからないんだもの」
「見捨てるかあ」
「どうすることもできない、他人の心はわからないし、変えることはできない」
「向上心がないのはどうすることもできないのかあ、例外もないかあ」
「ないと思ったほうがいい、そうじゃないと、引っ張ってあげようとしたら、しっぺ返しをもらうんだからね」
‥
「ゴッホの晩年の『ドービニの庭(後作)』だけど、あの絵は“覚悟を決めた絵”だと思うの」
「死ぬ覚悟? わかってる、自殺じゃない覚悟ね」
「ゴッホはいつ死んでもいい覚悟をもった、そのことを前作と後作の絵で語っている。どうやって死んだのかはわからないけれど、あたしは自分からではないと思っている」
「うん、覚悟ができたのね、できるのね」
「ゴッホは、武士になったのよ」
「お見事!」
四
「“命より大切なものがある”、――あたしはそう思って、心を静めるの。心をその思いにゆだねる、浮かばせる、そう、ゆりかごのようにね」
「心なのね、――奉仕ね、献身ね」
「具体的には考えない、誰でもだけど、あたしも、死がいつどんな形で現れるのかわからない。でも、“死よりもかなしいことがある”、そのことを考える」
「それは、武士の心にも通じるのね」
「その心を捨てるのは、死よりかなしいことよ」
‥
「死よりもかなしいことを知ったら、死はもうかなしくないことになる。――それでいいの?」
「そう聞かれたら、難しくなる。あたし、わからなくなる」
「いいのよ、わからなくてもいいのよ。わからなくても、迷ってもいいよ」
「死はかなしいことよ、でも死ぬことは怖れない、いつ死んでもいい覚悟をもちたい」
‥
「あたし、試合に負けた人の気持ちがよくわかる、勝った人の気持ちはあまりわからない。あたし、ずっと負けてきたからね。でもしかたがない、それでも生きていかなければいけないし、そうして生きてきたからね」
「あなたは、心がやさしいのよ」
「あたしね、何もかも成し遂げて満足して死ぬよりも、果たせなくて申し訳ないと思って死ぬ方が好きよ」
「あなたはいい人ね、本当にやさしいね」
「そんなことない」
「あなたがかなしむのは、あなたがやさしいからよ、その人のかなしみを思っている。かなしみをもたない人は、他人のことを考えない、自分のことだけを考えている。あなたは、死よりもかなしいことがあると言った、それだけ、その人のかなしみを思っている、――きっとそれが奉仕や献身なのよ」
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