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産声

「さて、これからどうしようかしらね」


 もう本当の意味で、家族もツバサもいない。逃げ場のない船内食堂で、眞子都の腕は成長した。鬼のような指導のおかげで料理の腕には自信がついたので、どこかの食堂に就職するにはいいだろう。綾小路社の近くであれば働き手はたくさんあるように思えた。メアリの紹介で電話交換の仕事ももらったが、自分の都合で働けなくなってしまったのでバツが悪いのだ。いまさら戻るなんて申し訳ない。


「あなたも、ご無沙汰になってしまったわ」


 眞子都は久しぶりに山の麓に訪れた。静かに佇む道祖神に、手を合わせる。枯れかけの菊が供えてあったので、今度来たときは新しい花でも添えてやろうと思った。眞子都に声が聞こえるわけではないが、施すことで幸せを感じられるならそれでもいい。

 自己満足だろうか。それでも相手を想い行動することで、どこかで救われる声があると感じていた。


 遠くで鳶が飛んでいく羽音が聞こえる。それを耳にすると、どこかでツバサがはためいているのではないかと目を奪われてしまった。


「なんて……そんなわけないわよね」


 再び目を下に戻すと、道祖神の周りにはシロツメクサの葉が細かく育っている。やがて大きくなり、幸せを実らせるのだろう。


「見に来てあげるわ。人知れず枯れていくのは、悲しいものね」

「ありがとう、眞子都」


 答えが返ってきたので、眞子都は言葉を失った。その声は、柔らかく。重すぎることも軽すぎることもない。待ちに待った、愛しい人の音だ。


「どう、して……?」


 どうにか絞り出し、その声がしたほうに視線を向けた。喋ったのは石でも植物でもない。いや、彼らもどこかで声をあげているのかもしれないが、誰にもその静寂なそれは聞き取れない。


「神様が、許してくれたんだ」


 天使の概念がないこの土地で、神の愛を説いた唯一の者だ。彼の耳はとても良く、ささやかな心の声でさえも聞き取られてしまう。この荒い心音も、湿った睫毛の瞬きも、すべて手に取るように気付かれてしまう。

 だが彼は、困ったように笑っていた。


「本当はもう少し早く迎えに行きたかった。けど、ボクは眞子都を傷付けてしまったから」


 言葉なく、眞子都は首を振る。生きていれば、傷は付けるものだ。だから間違いなくツバサは生きていた。ずっと隠れるように過ごしていたけれど、それでも彼は命の愛を受け取って、育てることができた。


「実は、もう神の声は聞こえないんだ。羽根がなくなってしまったから」


 顔は似ているが丞ではない。だって髪も目も鳶色で、口元には古傷があったから。飛んで行かなくてもいい。なので翼はもう必要ない。

 羽根がなくても、ツバサはツバサだから。


「ツバサ!!」


 腕を広げると、愛しい人が近付いてくる。半ば無意識だったので、どちらが足を動かしたのか分からなかった。あるいはその両方だったのかもしれない。

 熱く、熱く、鼓動が聞こえる。その音は重なりあって、ひとつになりそうだった。それでもふたつの心臓が脈打つのを感じている。


「でも眞子都がボクを愛してくれたから、こうして会いに来れたよ」

「ツバサ……ツバサは、壊れてしまったのに……?」

「もう、大丈夫なんだ」


 この体は、機械のものより傷付きやすい。肌はゴムじゃないし、目はカメラなんて内蔵されていない。羽根もなければ耳も良くない。不便で軟だけれど、とても愛おしい。


 なんたって眞子都の体温を感じることができる。数値化しなくても脳で直接想うことができる。


「人って、苦しいね。胸が動いて、弾んでいる」


 それでも、伝えなければならない。機械であったころはすんなりと言葉が出てきたのに、緊張して喉が詰まる。枯渇と焦燥を、ツバサは初めて味わった。眞子都のために、ただ自分ができることを望む。

 やっと、やりたいことができたんだ。


「ずっと、一緒にいよう」


 病めるときも、健やかなるときも、その言葉に嘘偽りなく誓う。人は素直じゃないから、本音では語り合えることが少ない。それでも、相手を想う気持ちは誰だって変わらないのだ。


 未来は不確かでいい。戦争もいつか終わるかもしれない。だって始まる前はこんなことになるなんて露ほどにも思っていなかった。それまでにはたくさんの悲しみがあるかもしれない、たくさんの痛みがあるかもしれない。

 けれどそれ以上の喜びと、幸せが注がれると信じて。なんたって、愛する人と一緒に歩んでいける。


 確かなものが手に入ったから。それを信じ続けることができれば、笑顔を絶やすことはない。



「愛している」


 ふたりはそっとキスをする。心から繋がった彼らに、神は静かに微笑んだ。


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