3話
――カイニックの朝は早い。
午前5時00分。
彼は起床すると顔を洗い、すぐに寮を出て学院の隣にある教会に向かう。
その教会で祈りを捧げること1時間。この時間をカイニックは1日の中で最も大切にしている。
時たま闇神が起きており祈っている最中ひたすら話しかけてくるなどの妨害もあるが、それにもめげずに祈り続ける。
――毎朝祈ってるんですか?
「あー、まあ。そうなりますかね。僕にとっては光神様への祈りの時間は全然辛くないし、むしろ幸せな時間ですからね。
たまにコイツの妨害も入りますけどポジティブに、ええ。祈りへの集中具合が上がると考えて」
その後彼は寮に帰って来ると休みも挟まずに光魔法の特訓を始める。
…が。
「おはようございます、カイニック様。周りの眼を誤魔化すために光神なんぞの教会に行かれるとは…。
わたしは悔しくてたまりません。我々一同さらに精進し、一刻も早く世界を闇で覆いましょう」
祈りの流儀を自分の中で語っていたらなんか寮の前にいつもは見ない女の子がいた。
…いや、誰か知ってるけど。本当にいるのかよ。
「…エリゼ。どうしたんだい?」
「カイニック様の朝のお時間をサポートに参りました。礼拝には邪魔になるかと思ってここで待機しておりましたが…これから訓練のお時間ですよね!」
ふむ。まるでこの先ずっと一緒にいるかのような発言をしている。
「…その。僕はこれから光魔法の特訓をするのだけれど…」
「はい。お手伝いさせて頂きます」
……前途多難である。
「なあ、おい。あの子誰だよ?」
特訓を終えた後朝ごはんの前に一度寮の外で待機してもらって寮の中に荷物を取りに行くと、僕らの特訓を見ていたのかゴードンが話しかけてきた。
「…フォルン家の長女だ。1次魔法科に転校してくるらしい」
「はー。フォルン家つったら火魔法の名家だもんなー。いや、あんな美人と授業を受けれるなんて羨ましいぜ」
事情を知らなければそれで済むのだが…。
「ゴードン。僕は光神様の教義の通り彼女をそんな邪な目で見てないと誓おうじゃあないか」
「ふーん。それで何で一緒に訓練なんかしてたんだー?」
「それは…昔から家同士で多少繋がりがあったのさ」
これは事実である。貴族同士の繋がりはあちこちにある。その中でも同じ1次魔法の名家ということでそれなりの付き合いはあったのだ。昔は闇神のことなんかも知らずに気楽に接せていたというのに…。
一体いつから闇神なんぞ信仰し始めたのだろうか。
準備を終え、エリゼを連れて食堂に向かう。
そして食事を取ると、エリゼが不機嫌そうな顔をしてこちらに話しかけてくる。
「…カイニック様。我々がもっと上質な食事を用意しましょうか?明日より手配できますが…」
「エリゼ。そんな事を言うものじゃあない。貴族の舌を満足させようと彼らもかなり高級な食材を使ったりしている。美味にしようという努力は見えるさ」
この学院は王国立というだけあって金は潤沢にある。しかし大量の生徒に質の良い食事を毎食、というのは難しいようで学院内の食堂の食事を嫌って外で食事をとってくる生徒も多い。
まあ生徒は特待生を除き全員食費を払っているため倹約思考を持つならここで食べるのが一番だろう。
光神教の教義にも「食に感謝を」とあるしな。
そうやってエリゼの提案を断り、二人で席に着こうとすると妹のリンドが食堂に入ってくるのが見えた。
彼女は自分の学年で派閥のようなものを築いているようでいつも周りに数人女子生徒を連れている。
あ。目が合った。
「……!?」
なんかこっちを見てすごく驚いたかと思えばこちらに向かって歩いてきた。
「カイニック!そいつはどうしたの?」
物凄い勢いでこちらに詰め寄ってくる。
なんなんだ一体。
「なんだ、覚えてないのか?昔よく家に来てた―」
「エリゼ・フォルンよ。リンドさん、久しぶりね。わたしは今カイニック様と食事を頂くところなのですが…何か御用で?」
「あなたには聞いてないわ」
なんか怒っている。そしてどちらの言葉にも棘がある。
組織の人たちから見てローリック家は当然の如く敵対関係にあるので僕の家族にはいい印象を持っていない。
そういえば昔からリンドとエリゼは仲が悪かったような…。
「転校してきたんだよ。ああ、お前の先輩になるのか。挨拶しとけよ」
「…フン。燃やす以外に能の無い女が…」
「…へえ。言うじゃあないの」
なんかヤバい気がしてきた。
「ああ、ほら!リンド、お友達が待ってるぞ。あっちで友達と一緒に食べておいで」
「…ふん!うるさいわよ、バカ!言われなくてもわかってるわ。カイニックこそ才能ないんだからこの学院やめた方が良いんじゃないの?ここのご飯もタダじゃないのよ!」
そう言ってリンドは去っていった。
…リンドに罵倒されるのは心にくるものがある。年下に追い抜かされたことへの焦り、不安、悔しさ。色んなものが僕の心に押し寄せる。
「…カイニック様。そんなに悲しそうな表情をなさらないでください。あんな女のことなど気にする必要などありません。あなたには闇神様がついていらっしゃいます。ですから、顔をお上げになって…」
わかっている。落ち込んだところで得るものなど一つもない。ローリック家の者ならば、そんな暇があるなら努力を重ねている。
貴族の位を得た初代も、昔は落ちこぼれだったという。彼のように、努力を。血の滲むような努力を重ねないといけないのだ。
今日の授業が終わった。
普段ならこの後また光魔法の特訓をするか図書館で勉強するかなのだが、今日は魔法の触媒を買い足したいので町に出ることにした。
エリゼは組織でなんかあるのか色々忙しいらしく常に一緒に居られるわけではないと悲しそうに語っていた。
僕としては常に一緒に居られるのはものすごく困るのだが…。
「この『虹蛍』を買わせていただこう」
「へえ。5000ゴールドでごぜえます」
「なあなあカイニック。あっちの店に2000ゴールドで売っておったぞ。ここで買うのはやめにせんか?」
闇神が情報を伝えてくる。…ふむ。3000ゴールドなどぼくからしたらちっぽけな金額だが確かにここで買っては損な気がする。
しかし貴族たる者がその程度の金額のために買うのを途中で止め店を変えるなどあっていいのだろうか。
…決めた。買おう。
「ほら、5000ゴールドだ」
「ヘヘッ、ありがとうごぜーやす。またご贔屓に」
店を出ると、闇神が頬を膨らませて僕に抗議してきた。
「むー。せっかく妾が伝えてやったというにー。見たか?あの店主の顔。完全にぼったくられておったぞ」
「お前神のくせに案外ケチだよな…」
そんな事を喋っていると、悲鳴が聞こえてきた。
「誰か捕まえてください、ひったくりですー!!」
その言葉に振り向くと、一人の男が鞄を抱えて走っていた。
…僕の目の前でそんな事をするとは度胸がある。ローリック家の家訓に『弱者を見捨てることなかれ』とある。
見逃すことはできない。
「『黒の鎖』」
小さく言葉を呟くと共にひったくりの足に黒い鎖が絡みつく。そして転んだ瞬間に鎖を消す。
闇魔法を見られると不味いのだ。すぐにひったくりの上に乗り、手を抑える。別に筋力に自身があるわけじゃないが、貴族として多少は徒手での戦闘も訓練している。
手を捩じりあげると、すぐに悲鳴を上げた。
「イテェッ!悪かった、もうしねえよ!」
「…ふん。誰か、衛兵を呼べ。そこら辺にいるだろう。コイツを抑えておけ。僕はもう行く」
そう言って立ちあがると、鞄を取られた娘が駆け寄ってきた。
「あ、その…貴族さま、ありがとうございました!本当に助かります!」
「…別に構わない。ぼくはただ貴族としての責務を果たしただけだ」
そして僕はその場を離れた。
「あっ…お名前、聞けなかったな…」
さっきの魔法の発動の際、虹蛍が闇の魔力で浸食され、ダメになった。
…今度は安い方の店で買おう。
「さっきケチとか言っとったやつはどこかのー?」
うるさい。
とある騎士は優秀な男だ。王国の第三騎士団所属の騎士であり、休日に久々に自身の母校であるエクスト魔法学院がある町へとやって来ていた。彼は魔法が得意で学院でも優秀な成績を修めていた。
彼は剣術も巧みであるが、それは学院卒業後の見習い期間に身につけたものだ。
しかしそんなことはどうでもいい。重要なのは彼が魔力の検知に優れていたことだ。これは彼の特技であり、騎士団でもよく頼られる技能であった。
そして、衛兵を呼ぶ声に休日ではあるが帝国に仕える身としての自覚が強かった彼はすぐに飛んできた。
起きたのはなんでもないただのひったくりだったが、そこに残っていた魔力が重要だった。
それはただの残滓だった。騎士が来てすぐに感じ取れなくなった。しかしその騎士は確かに感じたのだ。
闇の魔力を。