とある展覧会にて
〈人物紹介〉
原田俊一
国際大学の学生。サークルメンバーの内の一人で、勇人と親友。
新生勇人
国際大学の学生。強い好奇心と幸運を持ち合わせる。だらしない割に賢い。
川岸迅
国際大学の学生。冷静沈着。真面目だが、オカルトに興味あり。サークルのリーダー。
流々江穂乃花
国際大学の学生。明るい性格で気は強め。美咲と仲良し。
池田美咲
国際大学の学生。冷静な性格。洞察力は人一倍高い。
ルべ・ヴォルコーニ
ドイツ人。複数の屋敷を持っている。過去の悪事がバレることを恐れて、使用人には軍事経験のある者を選ぶ。
ゲルト・ラルハーネ
高格の屋敷の使用人でハンスの後輩。スーツの上からでも分かるほどガタイがいい。
ハンス・ゴットフィース
屋敷の支配人。温厚に振る舞うが、裏の顔は誰も知らない。
アルノルト・シンザス
ハンスの元同僚。家族思いで優しいが悲惨な出来事が続き、その恨みから人が変わってしまう。
ハカ・グラディアン
不思議な刀を所持する謎の女性。男口調でかなり強情。
〈本文〉
俺は原田俊一、国際大学に通う大学生だ。今、夏休み中でサークルのメンバーと海外旅行でドイツに来ている。メンバーは親友の新正勇人、真面目で成績優秀な川岸迅、琉々江穂乃花、最後に穂乃花と大親友の池田美彩さんの計五人だ。俺達は様々な名所を巡りながら他文化を楽しんでいた。そんな中、勇人がとある広告を拾ってきた。それはある豪邸で行われる展覧会についてで、なんでも他では見られないいわく付きの財宝が展示されるらしい。
勇人「なあなあ、これ面白そうじゃないか?入場制限があるみたいで、チケットは抽選だが試しに応募してみてもいいか?一枚で五人いけるみたいだし。」
ソファごしに広告をチラチラし、興味をそそられた迅が寄って行った。
「いわく付きか、どんなのがあるんだ?」
「えっとね・・・展示数は少ないみたいだ。ここには仮面しか紹介されていないけど悪魔が宿っているんだとよ。他にもそういう類が展示されるらしい。」
「ふーん。行ってみてもいいんじゃないか。そういうオカルトチックなのは本当か確かめたくなるな。俊はどうだ?」
「俺か・・・観光地は行きつくしたし、暇つぶしになるならいいんじゃないか?当たればだけど。」(正直言うと興味無い…。)
穂乃花「ちょっと、女子の意見も聞いてよ!そんな所ほんとに大丈夫なの?変な宗教に入れられたりしない?オカルト好きが集まるんでしょ?ねえ美彩、怖くない?」
「・・・私は行ってみたいかな。」
話が振られず、不機嫌そうな穂乃花は美咲さんに同情を求めたが失敗したらしい。結局志望者多数ということで応募することになった。でも勇人以外は外れる前提でいた。大学生になって初めての長期海外研修…という名の旅行。観光スポットくらいなら恐れは無いが、現地で情報を得た怪しげな展覧会ともなると勇気がいる。チラシの応募期間は短く、結果は直ぐに出た。パソコンを開き、俺達は驚愕した。
「当選してる・・・。」
血の気が引いた。勇人は運の良さを喜んでいたが、他は少し緊張していた。展覧会は明々後日の夜。場所は郊外の山奥にある屋敷だ。何回か議論をしたが、せっかく当たったのだからと勇人の勢いで行くことが決定した。予報では今夜は嵐らしいが、当日の夜は快晴だとか。
〈その日の夜〉
強風の中、ゴゴーと唸る暗黒の木々からその者は屋敷の前に現れた。明かりを持たず裸足で青いローブを身にまとい、手には青白い刀を握り、青い瞳で真っ直ぐ見つめている。
「ここか・・・。あの忌々しい仮面があるのは。」
そして何かを唱えると体が僅かに青く発光し、その者は二階の窓に飛び込んだ。その晩、屋敷は警報音に包まれた。
展覧会当日の夜、俺達は集合時間ギリギリに屋敷に到着した。土地勘が無い為、辿り着くのには大変苦労した。屋敷には数十人が扉の前で開催を待っていた。この人数から見ても、当選率がかなり低いことが伺える。俺達、いや勇人はかなり運がいい。
穂乃花「ねえ、この人たちみんな年配よ。それにお金持ちそうだし、私達がここに居ていいのかしら。」
確かに俺達みたいな学生はおろか、一般人らしき人も見当たらない。だんだん不安になってきた。
美彩「大体お金持ちが開く展覧会は、まず友人や金繋がりの人を呼ぶでしょうね。一般用のチケットなんてその余りにすぎないわ。」
迅「そうだな。こういうのは金持ちが自分の権威をアピールする場でもあるだろうから、他の金持ちを呼ぶのは当然だ。それに俺達は正式な方法で通っているわけだから、堂々としていればいいだろう。」
勇人「何とかなるって、折角来たんだから暗い顔すんなって。」
俺はそう言う二人の冷静さと分析力、勇人の楽観的思考も羨ましい。後から入って来る者はおらず、どうやら俺達が最後の一組だったようだ。(一般人が見当たらないことからして、唯一俺らだけか…?)
暫くすると屋敷の玄関扉が開き、中からぽっちゃりした中年の男と、支配人と思われる清潔感ある長髪の若い男が出てきた。
「本日はこの展覧会にお集まり頂き、ありがとうございます。私はこの屋敷の持ち主であり主催者であります、ルベ・ヴォルコーニと申します。今宵限り、特別な品をお見せ致します。ツアー型で順にご説明致しますのでどうぞお楽しみに。」
挨拶が終わると観客達は順に通されていき、俺達もチケットを見せるとすんなり入れた。身構える必要など無かったのだ。中には広々とした玄関ホールが広がっていた。正面にはテラス状になった二階部分とそれに続く階段が右側にあり、ホールの左右に扉、奥には空間が続いている。床には赤い絨毯が敷かれ、天井のシャンデリアが全体をやんわりと照らしており、既にここにはガラスケースに入った物や壁に飾られた絵画等の展示物があった。全員が入ると入り口は閉められ、支配人とMr.ヴォルコーニが順に説明し始めた。絵画はどれも見たことのない物ばかりだが、どの絵も迫力があり俺達を魅了するには十分だ。迅は一つ一つじっくり眺めるためにツアーから遅れをとり、美彩さんもゆっくり見たいようだが穂乃花に連れられツアーのスピードに合わせている。俺は勇人とツアーの波に乗っているものの、説明は軽く流してただ眺めるだけだ。だがそんな俺でもいわく付き財宝の話になると耳が傾いた。迅も群れに戻ってくる。俺達は黄金色の指輪と銀のブレスレットのような、腕にはめられそうな物が入ったガラスケースの前に来た。
「こちらにありますのは古代に神から与えられたとされる、時を超える力を宿す指輪。そして空間を超越し異世界へ渡る力をもつとされる腕輪でございます。」
Mr.ヴォルコーニの声高々な説明は、にわかには信じ難いがオカルト好きにはたまらないだろうし、力が嘘でも財宝的価値は高いだろう。皆、真に受けてはいないが興味ある視線で鑑賞している。一通り語られると支配人から手袋が配布された。それは黒いゴム製の手袋で、はめてみるとかなり密着性があることが分かる。
支配人「皆様、これより本日の目玉へと移りますが、その前にこちらの手袋を着用して下さい。これより先は警備システムが厳重でして、指紋一つ付けば問題になりかねますので。」
そうして俺達は奥の部屋へと通された。そこはダンスパーティーができる程広く、全員が入っても余裕がある。そこで俺達を待っていたのは広告でも目にしたあの仮面だった。青く不気味な笑みを浮かべたそれは紙上で見たのとは段違いで、いかにもであった。
「これがその仮面かー。結構大きいんだな。」
勇人は顔をガラスケースに近づけてまじまじと見ている。迅は言わずもがなだ。背後でMr.ヴォルコーニが語り始めた。
「これは大昔に世界的怪盗が使ったとされる変身の仮面、ルーラ・シャトリレでございます。記録によれば、悪魔との取引で使用され今もその力が残っているとのこと。大怪盗はこれを使ってあらゆる人物に変身し、事を運んだようです。最期は自ら命を絶ち、その魂を悪魔に差し出したとか。その後仮面は行方不明になったようですが、先月に樹海から発見されました。その際、仮面に直接触れた者が気を失う等の奇妙なことが多発し、鑑定者は本物で間違いないと断言しております。どうぞこの機会にご覧ください。」
すると頭上の照明以外が暗転した。仮面の装飾がキラキラと光り、注目はいっそう増す。美咲さんは穂乃花が怖がるのか二人で少し離れており、他の観客は何やらお金の話をしながら見ている。買い取るつもりだろうか。俺はというと、実はさっきから仮面に見られているような気がしてあまり見る気にはなれない。周りの暗いのが、装飾の輝きよりも不気味さを煽っているように感じられた。
迅「これには銀の装飾がされているようだ。綺麗だが、俺は美術品としての価値は一番低いと思う。何故こんな物が展示されるんだ。」
勇人「そりゃお前、悪魔が宿っているからだろ?」
迅「ふん…。ここまで来て言うのもなんだが、それ本当なのか?」
そう言うとまるで鑑定人のように腕を組み、仮面を睨んだ。勇人がこの誘いをした時、最初に引かれたのは迅のくせに。
「うわっ!」
ふと、仮面を覗き込んでいた勇人が後ろに下がった。どうしたと聞けば仮面が自分に笑いかけたと言う。その顔には勇人が普段浮かべることのない恐怖の表情があった。
「か、仮面が…笑ったんだ…。なんか、俺、凄く怖くなってきた。」
「何言ってんだ、仮面は最初から笑ってるだろ。落ち着けって。」
俺は周囲の注目を避けるため、勇人を連れて部屋の隅に移動した。それに気づいた迅がこちらに寄って来る。
「どうしたんだ。」
「勇人が、仮面に笑いかけられたって言って怯えているんだ。そんなわけないよな?」
早くに不気味さを感じていた俺はさらに不安になり、迅に助けを求めた。勇人はぶるぶる震えていた。こんな彼は初めてだ。
迅「勇人、お前は覗き込み過ぎたのではないか?角度によっては動いたように見える。それか、あの仮面には何かあるというお前の先入観が幻を見せたのかもな。とにかく怖がらなくていい。」
迅の冷静な現実的解釈は俺にも安らぎを与えた。
「そ、そうだ勇人。こんなところで怖がってると笑われるぞ。お前らしくもない。」
俺も自分に言い聞かせるように言うと、勇人は一瞬ポカンとしていつもの表情に戻った。
「そうだよな、思い込んだかもな。ははは、俺らしくもない(笑)」
とりあえずは調子が戻って良かったが、変な違和感が残った。何だったのだろう、あの怯えよう。思い込みにしては怖がり過ぎでは…?気にすることもないかもしれないが。
一段落したところで、女子二人が来た。隅に移動した俺達が気になったらしい。勇人が軽く説明すると、
「ほんとうに笑いかけられたのかもよ。」とからかうものだからたまらない。ただでさえ不気味なのに、…やっぱり怖くなってきた。背後から視線を感じた…。
その時、突如中央の照明が消え部屋は暗闇と化した。
「何事だ!どうなっているんだ!」
周囲から混沌の声が上がり、この事態が催し物でないことは直感した。俺は周囲の慌てふためく足音と声で不安が絶頂に達したが、さらに追い打ちをかけるように部屋が揺れだした。地震にせよなんにせよ、もうパニックだ。俺は耐えられずにしゃがみこみ、耳を塞ぎ目を瞑って一切の情報を遮断した。
……止んだ。揺れはピタリと止み、目を開けると照明が付いていた。勇人と迅、美彩さんは無事のようだ。でも穂乃花は鼻血を出していた。
穂乃花「誰よ、ぶつかってきたのは。痛いじゃない!」
ご立腹のようだが、あの混乱でぶつかられて鼻血で済んだならいいほうだろう。美彩さんがすかさずティッシュを渡した。
勇人「女子力高ぇな。」
迅「のんきにしてる場合か、周りを見てみろ。」
部屋の中央には騒ぎ声の塊があった。何かもめているのだろうか。
「俺、見てくるよ。」
そう言って中央に行った勇人は驚いた表情で走って戻ってきた。
「か、仮面が消えた!ケースが割られているんだ‼」
「泥棒か!?」
迅「じゃあ、あの停電は計画的に…?」
「でもそれじゃあ、地震は…。」
「穂乃花の鼻血が止まらないわ。俊一くん、救急箱もらってきて!」
言葉は美咲さんに遮られ、俺は救急箱を探す旅に駆り出されたわけだが…場所など分かるはずもない。屋敷の人を探したが、ここには入り口で見た人たち以外にもう一人しかいないのか、他に使いらしき者は見当たらない。しかも二人とも他の観客と主人の対応に追われていて、とても構ってくれそうにない。俺はとりあえず玄関ホールに出た。驚いたことに、ここにある頑丈そうだったケースが割れており、中に展示されていたいわく付きの財宝二つが消えている。無くなったのはこの二つだけのようだ。仮面と合わせると三点、犯人はいわく付きの財宝だけを狙ったのか。暗闇に紛れて盗ったに違いない、あの状況じゃ盗りやすかったろう。だが今はそれよりも…玄関ホールには他に人がおらず、救急箱は依然として見つけられない。長居して怪しまれても困るし、仕方なく皆の所に戻ると穂乃花は長髪の支配人に手当てされていた。
勇人「俊一、どこまで探しに行ってたんだよ。ん?えらく慌ててどうした?」
俺は勇人を無視して支配人に言った。
「あの、玄関ホールに展示してあった物が二つ消えているんです。ケースが割られていて…。」
拙いドイツ語ではあるが、懸命に伝えた。
「本当に…。報告ありがとう。」
支配人は驚きの表情を浮かべ、玄関ホールまで走って行った。
勇人「マジかよ…。向こうも盗られてるのか。」
迅「犯人は一人ではないかもしれないな。」
美彩「私達は大人しくしておきましょう…。」
勇人「その前に警察に連絡した方がいいんじゃないのか?」
迅「俺もそう思ってさっき携帯を見たんだが、どうやら電波が届いてないみたいだ。」
俺達にできることは怪しい動きをした奴を報告することくらいか。
少しするとさっきの支配人が戻ってきた。そしてヴォルコーニさんに何か伝えると、彼は顔を青ざめた。観客たちは少し落ち着いたようだが、緊張の表情を浮かべて互いの様子を窺っている。
勇人「誰が怪しいと思う?」
俺が返事しようと口を開けた時、窓際に居た観客の一人が悲鳴を上げた。全員の注目が集められる中、その人は窓にかかっていたカーテンを勢いよく開けた。窓には闇に紫の霧がかかった異様な光景が映っていた。それはどこまでも続いているようで、現実世界とは思えない。落ち着き始めていた場は一気に恐怖の沼に沈み、気絶する者や玄関ホールへ走り出す者が続出した。ヴォルコーニさんの落ち着きを促す声も届かない。俺は衝撃と混乱で足がすくんだ。玄関ホールの方では走り出した観客達が扉に群がって開けようと力任せに引っ張っているが何かがつっかえたように開かない。だが、突如開いた。ここから見る限りでは外に広がっているのは窓に映った光景と同じ、異様な世界。それを認識すると同時に外から物凄い風が吹き始め、掃除機がごとく扉付近の観客たちを吸い込み彼らは暗闇へと消えていった。さらに吸引力は増し、今度は奥に居る俺達まで吸い込まれ始めた。
勇人「これ、マジでやばいって‼」
全身が浮き、必死に摑まって耐えるがもう限界だ。すると勇人が手を滑らせ、勢いよく玄関扉へと飛んでいく。助けに行けない‼
「勇人‼」
俺は必死に叫んだが成す術が無い。絶望したその時、風によって扉が閉まり勇人は扉に激突した。俺達も床に打ちつけられる。全身打撲だが、命は助かった。俺は痛みに耐えながらも勇人の元へ駆け寄った。何とか無事のようだ、本当に良かった。
「立てるか?」
勇人「ああ…なんとか。痛てて…。」
周りも徐々に起き上がり、安否を確かめている。…何人吸い込まれたのだろうか、ここには十何人しか居ない。…吸い込まれたらどうなるのか、考えるだけでも恐ろしい。
暫くして奥の大広間に集められた。皆平生ではなく、状況に説明を求めても誰も何も言えない。犯人探しどころではなくなったのだ。重い空気が漂うなか、支配人がとんでもないことを言い出した。
「…財宝の力でしょうか。あの噂が本当ならば、この状況にも説明ができます…。」
ヴォルコーニ「まさか…悪魔が動き出したのか!」
あの仮面の視線は気のせいじゃなかったのだろうか。動揺が場を包んでいく。本当に悪魔が目覚めたのか…?
迅「待ってくれ。仮に悪魔が宿っていたとして、そんな簡単に自発的に目覚めるものかな。俺は財宝を盗んだ犯人が何らかの方法で悪用したと思うが。」
「ええ、私もそう思います。先程まで、展示物に搭載されていた警備システムが妨害電波により機能停止しておりました。これは人為的かつ計画的です。停電もこの為でしょう、これができたのは…。」
そう迅に乗じたのは屋敷の使用人だ。彼は何かを言いかけて、ヴォルコーニさんに耳打ちすると大広間を出て行った。何か思いあたるものがあるのだろうか。
美彩「彼、地下を見るって言ったわ。発電機とか警備に関わるものがあるのかしら(小声)。」
勇人「マジかよ、よく聞き取れたな(小声)。」
迅「Mr.ヴォルコーニ、盗られた財宝にはどのような力があるとされていましたか。」
「皆様にご説明した通りで、それぞれ『時を越える』『空間を移動する』『成り代わる』といったものです。」
「ではそれらを悪用したならば、犯人はこの異様な空間で誰かに成りすましている可能性が高いですね。」
「おお‼貴方はなんて冷静なんだ。賢く物事を判断できるようだ。では君は、犯人は誰に成りすましていると思うかね。」
「現時点での判断は難しいですね。ただ、この俊一、勇人、美咲さん、穂乃花さんは俺と一緒に居たので本人なはずです。」
美咲「口を挿んでごめんなさい。犯人はケースを割ったり素早く動けるようだから、男性の可能性が高いと思うわ。」
勇人「けど、その仮面がどこまで性能良いかによるけどよ、男でも女性に化けられるなら厄介だぜ。」
ヴォルコーニ「なるほど。では犯人は財宝の力を悪用し、今も男女問わず成りすましている可能性があると。我々は電話も繋がらないので警察も呼べない。そもそもここが現実世界かも分からない。生き残るには犯人から財宝を取り返すしかないのか。」
話し合いの後、手荷物検査が行われたがケースを割れそうなものや財宝を隠し持つ者は居なかった。犯人はこの場に居ないのだろうか。地下に行ったであろう使いの人は、手荷物検査中に帰ってきてヴォルコーニさんにまた耳打ちした。若干彼の服が乱れているのが気になったが…走って来たからだろうか。とりあえずはこの場で全員待機となったが何の進展も無く、ただ時間が過ぎていった。それに空気も悪く、不調を訴える者が出始め、見かねたヴォルコーニさんが他の部屋も解禁してくれた。三階とキッチン以外なら自由に使っていいそうだ。
俺達はとりあえず玄関ホールに移動した。そこで使用人さんがケースの飛び散った破片を片付けているのを横目に、これからどうするか話し合った。下手にうろついて怪しまれても困るし、逆に犯人に出会っても困る。
穂乃花「とりあえず一人行動は危険よ、二人以上で固まりましょう。私は美咲と居るわ。迅くんも来てくれる?」
勇人「なんで迅なんだよ。」
穂乃花「だって女子二人だと危ないでしょ。俊一と勇人は仲良いんだから二人でも大丈夫でしょ?」
勇人「迅と仲悪いみたいな言い方やめろよ。」
美咲「なんでもいいけど、確かに男は欲しいわ。今回の出来事について迅くんの推理も聞きたいし、私は賛成ね。」
迅「構わない。それぞれ手がかりを探そう。」
勇人「おいおい、事件を解決しようとするなよ。危ねぇよ。」
迅「だがこのまま居ても進行しないだろ。犯人が動くのをひたすら待つなんて愚行だ。そう思わないか?」
確かに、このまま動かず犯人に怯えて暮らすのは納得いかないな…。こうして俺達は二つのグループに分かれ、それぞれ探索することにした。俺と勇人は二階、他三人は一階担当だ。因みに、今横で掃除しているガタイのいい使用人さんはゲルト・ラルハーネ、長髪の支配人さんはハンス・ゴットフィースというそうだ。日本の俺達からしてみると堅苦しい名前だな。
〈二階〉
階段を上ると廊下の前にテラス状の空間があり、一階を見下ろすことができる。奥にはいくつか扉が設置されており、床はご丁寧に全て赤いカーペットが敷かれている。
勇人「ひとつずつ開けていくか。」
「他の人が居るかもしれないから、そっと開けていこう。」
そうして一番手前の扉に手をかけた時だ。再び照明が消え、あちこちから悲鳴が上がったがそれはやがて叫びへと変わっていった。俺達は体が硬直して動けず、お互いに手を握って存在を確かめ合った。何も見えず、叫び声が飛び交う中、勇人がこんなことを言い出した。
勇人「なあ、誰かそこに居ないか?足音が…誰か動き回っているぞ。こんな暗い中で…。」
俺には足音は全く分からず、勇人の申告は恐怖を煽った。だが暫くすると静かになり、ふと電気は付いた。眩しさに目を眩ますが、廊下の奥に二人倒れているのが分かった。急いで近づくと、それは衝撃のものだった。血生臭い臭いを放つそれらに、顔は無かった。誰とも判別ができないほどぐちゃぐちゃに潰れており、原形をとどめず、体に切られたような痕もある。あまりのショックに声も出せない。目の前のものは人だよな…?言いようのない恐怖が俺達を襲った。すると今度は床から緑の煙がもくもくと現れ、瞬く間に視界は緑と化した。しかしそれは直ぐに消え去り、目の前には変わらず死体が横たわっている。一つ一つの出来事に脳が追い付いつかない。そうして唖然としていると後ろの扉が開く音が聞こえた。恐る恐る振り返ると、そこには一階に居たはずのハンスさん(支配人)が驚いた様子で立っていた。
「何故、私はここに…。それにその方たちは…‼」
彼は目の前の無残な死体に目をやった。
「あなた達ではないですよね…?大変なことを…。」
俺達は全力で首を振り、否定した。ここで俺の頭にある疑問が浮かんだ。彼の声は震えているものの、死体に恐怖を感じているようではない。暗転するまで一階に居たはずだし、勇人が言った足音が確かなら、あのとき動き回っていたのはハンスさんなのでは…。そう思った途端、俺は命の危険を感じ気づけば勇人を引っ張って階段を駆け下りていた。
「おいっ!なんだよ‼引っ張るなって、危ないだろ!」
勇人に引き留められ、俺はようやく我に返った。
「落ち着けって、急に走り出してどうしたんだよ。」
「なあ、お前足音が聞こえたんだろ?ハンスさんは一階に居たはずだ。怪しいと思わないか?」
「ああ、それもそうだ。隠れよう。」
そう言って周りを見回すと、ある異変に気付いた。ここは一階だ。記憶では照明が付いており、人も何人か居た。しかしその面影もない。無人でうす暗く、二階からの光が俺達の影をつくっている。そして何より埃っぽい。足跡が残るほど埃が積もっており、シャンデリアや、壁に掛けてあるはずの絵画にはシーツがかけられている。
勇人「なんか、まるで古い洋館みたいだな。」
戸惑う俺達の影二つに、誰かの影が近づいてきた。
〈一階〉 (迅の視点)
さて、一階の探索だが…ゲルトさん(使用人)に聞いたところ、ここには仮面が置いてあった広間以外に『客間』『ダイニング』『キッチン』があるらしい。俺は割れたケースを見てみることにした。ケースだったものは上部分が破損し、欠如している。恐らく物凄い力が加わったのだろう、これは何か固い物を叩きつけて割った可能性がある。
美咲「変ね。手荷物検査では壊せるような物を持つ人はいなかったわ。それに盗まれた物以外で展示されているのは絵画くらいで、花瓶はあるけど最初と変化は無いようだし…物で壊したとは考えにくいわね。」
穂乃花「え、じゃあ素手で壊したって言うの⁈」
「だとしたら特定するのは比較的やりやすい。いくら手袋をしていてもガラスケースを割って無事ということはないだろう。」
美咲「それに、犯人は力が強いっていうことも分かるわね。」
穂乃花「じゃあ、観客の人で力がありそうな人をマークすればいいのね。」
ということで、他の様子を見に行こうとした時だ。突然照明が消えた。穂乃花は悲鳴をあげ、しゃがみこんだ。他からは叫び声が上がった。暗転に驚いたにしては異常だ。ふと、真っ暗の阿鼻叫喚の中に気配を感じた。それは素早く誰かにぶつかっているようで、何かを潰すような音も僅かに聞き取れた。
「迅くん!そこにいるの?誰か動いてる?」
美咲さんも気配に気づいているようだ。
「ああ、俺はいる。誰かが動き回っているようだ。」
焦るせいか、目がなかなか暗闇に適応しない。すると足音がこちらに近づいてきた。ぶつかると思ったが、誰かは俺の横をすり抜けた。その瞬間、腕に鋭い痛みと美咲さんの叫び声、温かい液体がかかるのが分かった。何が起きた!?
「美咲さん!大丈夫ですか!?返事を‼」
手探りで彼女が居るであろう所を探るとぬるっとしたものに触れた。人体のようだが濡れている。名前を呼び続けるが返事が無い。すると明転し、腹を赤く染めて倒れた美咲さんが目に入った。傍では穂乃花さんがしゃがんで目を固く閉じ、耳を塞いでいる。俺の手は生温かい血液で真っ赤だった。
「美咲…さん。目を開けてください!美咲さん‼」
揺するも反応がない。そうする間にも血は広がっていく。止血しなければ…そう思った時だ、今度はそこら中から緑色の煙が噴き出しあっという間に視界が覆われた。だがそれは直ぐに消えた。今の煙が何を意味するのか、それを追究してる場合ではない。周りにも何人か倒れており、頭部あたりから血を流しているようだ。穂乃花もようやく気付き、美咲さんに駆け寄った。
穂乃花「どうして!何があったの⁈」
「暗転中に何者かが動き回っていた。俺の横をかすめた時にきっと…。止血できるものを探してくる。」
と言ったもののどうしたらいいか分からない。とりあえず俺はゲルトさんを探した。しかし暗転前はすぐそこに居たはずなのに見当たらず、ゲルトさんは広間でヴォルコーニさんを起こしていた。そこでも人が何人か血を出して倒れているが、構わず二人に駆け寄った。
「助けてください!友人の出血が止まらないんです。」
玄関ホールを指さして必死に伝えた。
「ああ、君か。ゲルトくん、私のことは後にして行ってあげなさい。」
ヴォルコーニさんの腕からは血が滴っていた。ゲルトさんを連れて戻ると穂乃花が泣き崩れていた。
ゲルト「これはひどい出血だ。だが生憎、止められる物が無い。」
そう言うと、彼は汚れるのも気にせずに美咲さんの傷口を手で圧迫し始めた。だが美咲さんはピクリとも動かない。
ゲルト「…脈がない。彼女は…もう。」
まさか身近な者が殺されるとは思わなかった。穂乃花は受け入れられず、必死に呼びかけている。
ゲルト「力不足で申し訳ありません。しかし何もかも追い付いていません。…これは可能性ですが、犯人はあなた達の会話を聞いていたのかもしれません。正体がばれるのを防ぐ為に殺しにかかったのかも。」
「そんな…。」
ゲルト「犯人を捜そうとする意志は尊敬しますが、危険も伴います。彼女のように…。これは犯人からの警告かもしれません。」
彼が血で汚れた手袋を外すと、筋肉質の手が現れた。
「私は他の方を見てまいります。それと支配人を見かけましたら広間へ来るようお伝え願います。失礼します。くれぐれも警戒してください。」
そう言うと広間へ行ってしまった。美咲さんに向き直ると、いつの間にか穂乃花は泣き止み、広間を睨んでいた。
穂乃花「犯人はきっとゲルトさんだよ。私の親友を、美咲を…殺したのは。」
声には怒りがこもっていた。俺も、もしかしたら彼なのではないかと思っている。だが美咲が殺られた以上、慎重に動かなければならない。
「まずは二階に行った二人に合流だ。」
俺と穂乃花は美咲さんに別れを言い、階段に向かった。先程から二階から人が降りてくることはなく、やけに静かだ。階段傍には人が横たわっているが死んでいることは明らか、頭が潰れているのだ。まるで握り潰されたかのよう…。
目を逸らしながら階段を上って唖然とした。そこには誰もおらず、静まり返っている。客間や来客用であろう小部屋を覗くも人がいない。しかしソファやベッドには使われた形跡があり、まるで人だけが消えてしまったかのようだ。
穂乃花「勇人や俊一は何処に行ったの?皆、消えちゃった…?」
不可思議だが、消えたと結論づけるのはまだ早い。もしかしたら三階にいるのかもしれない。
「三階に行ってみよう、誰かいるかもしれない。」
穂乃花「もし犯人がいたらどうするの?もう死体は見たくないよ。」
これは仮定だが、もし犯人がゲルトさんだとしたら屋敷ぐるみの犯行の可能性が高い。そうなると侵入禁止の場所に証拠たるものを隠すだろう。危険は承知だが、これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない。今、二階には俺と穂乃花だけ。行くなら今しかないだろう。俺達はゆっくり三階への階段を上っていった。
〈二階グループ 俊一視点〉
振り返ると、ハンスさんが二階から俺達を見下ろしていた。
「急に走り出して、どうかなさいましたか?・・・これは、どういうことです…?」
彼もこの一階の異常に気付いたようだ。それが演技なのかは分からないが。俺達が身構えていると、二階の照明が点滅し、やがて消えた。目が暗闇に慣れるまで恐怖でしかなかった。犯人がまた襲ってくるのではないかと。しかし今回は照明が消えただけで他に何も起こらない。
勇人「ハンスさんは犯人じゃないのか?(小声)」
どうだろうか。今の停電が故意ならば、俺達を襲うチャンスだったと思うが…。俺達が話していると、ハンスさんが咳き込み始めた。何かを手で掃っている。
「どうしたんですか?」
「ゴホッ。急に埃っぽくなってきました。私は耐えられません。」
二階にも埃が?階段を上がってみると確かに何か舞っている。
「とりあえず、電気をつけて状況を確認しなければ。」
そう言って彼は壁に付けられたスイッチを押したが、点灯しない。
「…これはブレーカーが落ちていますね…。」
勇人「ブレーカーは何処に?」
「地下にありますが…。あそこへ行くのは…。」
彼は何故か躊躇している。見せたくないものでもあるのだろうか。勇人がお得意のトークスキルで説得すると、訳を話し始めた。
ハンス「実は、数日前から地下には事情徴収のためにある不法侵入者を閉じ込めているのです。その者は言葉が通じない上に強情なので、どうにもならず…。しかし今はこの異常事態ですし、もしかしたらその侵入者も一階にいた人達と同じく消えているかもしれませんが。」
既に不審人物を捕まえていたのか。
勇人「じゃあ、そいつが逃げ出して暴れている可能性はないのか?」
ハンス「それは一度考えました。しかしゲルトが言うには、展示品が盗まれた時も地下から出ておらず、従って盗難品は持っていなかったそうです。」
なるほど、あの時ゲルトさんがヴォルコーニさんに囁いていたのはこのことだったのか。だがこの暗いままでは行動しづらい、電気は必要だ。俺達はハンスさんと一緒に地下に向かうことにした。地下の入り口はなんとキッチンにあった。途中ダイニングを抜けたが、椅子はテーブルに掛けられた状態で白いシーツが被せられていた。何処もかしこも埃だらけ。階段を下りるとそこも当然ながら真っ暗で、ひんやりとしている。ハンスさんに導かれながら、壁伝いに奥の倉庫に入った。そこには重々しい機械が蜘蛛の巣だらけで並んでおり、彼が慣れた手つきで機械をいじると照明がついた。そこら中、煤と埃だらけだ。
「水道と電気をオンにしました。侵入者は隣の倉庫に閉じ込めてあるはずです。」
外に出ると、長い通路に倉庫の扉が他に二つ並んでいるのが分かった。どの扉も鉄製で重々しく、覗き窓がついている。隣を恐る恐る覗いてみるが、木箱が積んであるだけで人は居そうにない。
「やはり居ないですか。では一階に戻って状況を確認しましょう。」
一階はシャンデリアに布が掛かっているせいでまだ薄暗いが、見渡せるほどには明るい。この埃といい…この状態はどういうことなのだろう。
ハンス「これは…数か月前の光景ですね…。」
勇人「数か月前?」
ハンス「ええ。ヴォルコーニ様は普段は別のお屋敷に住まわれておられます。そして展覧会などを行う時にのみこの屋敷を利用するのですが、長く空けておくことが多く荒れた状態となってしまいます。この光景はまさしく修繕する前の状態です。」
ということは、俺達は過去に飛ばされたとでも言うのだろうか。そんなことがあり得るのか…?犯人は何を企んでいるんだ。
勇人「そういえば、盗まれた宝のなかには『時を超えられる』物があったよな。これはそういうことか?」
ハンス「かなりオカルトチックですが、そう考えてもいいのではないでしょうか。」
「ほ、他の人はどうなったんだ。二階にはもう生存者はいないのか。」
ハンス「探してみましょうか。それと、ご遺体にはせめて布をかけておきましょう。」
俺達は部屋を見て回った。一階、そして二階…どの部屋も埃があったり蜘蛛の巣が張られていたり、長く使われていないことを十分に納得させる状態だ。しかも誰もいない。生存者は俺達三人だけなのか…?三階へと続く階段に差し掛かった時、勇人がこんなことを言い出した。
「なあ、犯人について考えていたんだが…顔を潰すってことは変身した時に偽物ってバレないようにする為じゃないか?」
ハンス「と、言いますと…?」
勇人「ほら、誰が死んだか特定されると変身するときに死者に化けられなくなるだろ?お前、死んだのに何故ここにいるんだよってなるじゃないか。」
確かに、化けて行動するなら対象と入れ替わる必要がある。それで候補を減らさないように顔を潰しているのか。警察も呼べないんじゃ、特定なんてほぼ無理だしな…。勇人はなかなか良い点に気付いた。
ハンス「では生存者を確認したいところですが…ここには我々しかいなさそうですし、困りましたね。元の場所に戻らないと…。」
勇人「招待客リストとか無いのか?」
ハンス「ええっと…。ネット抽選の方以外は数か月前から決まっていましたから、保存しているはずです。三階にあるかと思います、見てみましょう。」
勇人が引き金を引いたことで、俺達は犯人特定へと切り替えた。ここでも分かることがあるかもしれない。
〈迅と穂乃花 三階〉 (迅の視点)
三階は暗く開けており、部屋が三つある。誰もいないがここは侵入禁止エリア、色々な危険が伴う。一人見張りが必要だろう。
「穂乃花さん、階段を見張っておいてくれないか。」
穂乃花「分かった。誰か来たら知らせるわ。」
部屋は大中小あり、俺はまず手前の小さい部屋の扉に手を掛けた。が、どうやら鍵がしてあるようだ。その隣、中くらいの部屋の扉も試すが開かない。
(侵入禁止にするくらいだから鍵くらいかけてあるか…。)
だが向かいの大きな部屋は開いた。覗くも中は暗く、人の気配は無い。鍵を閉め忘れたのだろうか、電気を付けると彫刻や絵画、剥製が姿を現した。他に机や金庫があることから、恐らくここはヴォルコーニさんの部屋だろう。あまり触れるのはまずいので一周見て回ると、ある台が気にかかった。それは彫刻と彫刻の間にあり、曲線を帯びた棒状の物を置けそうな形をしている。時代劇とかで見るような刀を置く台だ。肝心の刀は無いが…。
(ん?待てよ。この部屋だけ鍵が開いていて…部屋の中でこの台だけ空だ。ここに刀を置いていたとしたら、凶器はここから持ち去られた可能性が大きい…。)
「迅くん、誰か上がってきたよ。」
穂乃花の知らせと同時に心臓の鼓動が早まったのを感じた。まずい…。
「電気を消せ!机の下に隠れよう。」
足音はもう階段を上りきっていた。慌てて隠れ、息を潜める。こちらに入ってくるかと思ったが、向かいの部屋を開けたらしかった。鍵を持っているならゲルトさんかヴォルコーニさん、あるいは犯人だろう。しかし思ったより早く足音は下の階に降りて行った。さっきのは誰だったのだろう、是非とも向かいの部屋の中が知りたい。
穂乃花「鍵開けとかできたらいいのに。さっき隠れた部屋に鍵とか無いかな?」
「ダメ元で探してみるか。」
部屋に戻り絵画の裏や引き出しなどを見ていくと、驚いたことに机の裏に鍵が貼り付けてあった。その鍵を向かいの部屋に試してみると…なんと開錠された。
「とんだ幸運だな。入ってみよう。」
中には簡易ベッドや棚、小テーブルなどが置いてあった。どうやら使用人部屋のようだ。
「大した部屋ではなかったか…。一応ベッドの下とか見ておくか。」
そう軽い気持ちで覗くと、ゲルトと名札のかかったベッドの下に何か細長い物が見えた。取り出すと、鞘付きの刀が顔を出した。
「ほんとに出てきたじゃん!刀って…これはもう確定だよ。」
穂乃花は興奮気味で言うが、俺はまだ確信が持てない。刀にしては軽いのだ。鞘を少し抜いてみると青白い刃が出てきた。抜き切ると手に感じる重みのほとんどは鞘で、刃は驚くほど軽く、材質はよく分からないが少なくとも金属ではなさそうだ。このような物で人は斬れないだろう。それと…この刃は異様な気配を放っている。いわく付きと言われれば誰もが納得するだろう。
「迅。なに見つめちゃってるのよ、犯人が分かったんだから撤収しましょう。」
「待ってくれ、まだゲルトさんと決めるのは早い。この刀っぽいのは凶器にはなれない。こんな物で斬れはしない。向かいの部屋の物かも怪しい。」
結論が出ないが、このまま三階に長居するのはまずかった。
「そろそろ戻ろう。」
俺は刀をベッドの下に置き、鍵も閉めて元に戻し二階へ降りた。主人部屋の刀置き、ベッドに隠されていた異様な刀(?)これは結び付けていいのだろうか。あれがやはり凶器なのか?
穂乃花「行き詰まっちゃったね。どうしようか。」
あと調べていないとしたら地下だ。この屋敷には何処かに地下があるはずだ。
一階に降りると遺体にはシーツが掛けられていた。美咲さんにも…。
「君たち。」
突然声をかけられ、慌てて声の方を向くとゲルトさんがこちらに近づいてきていた。
ゲルト「何処に行っていたのですか?二階に居た方々含め、お二人の姿も無かったものですから。」
「ええっと、二階の客間に居ました。」
ゲルト「いつ居ましたか?私が確認した時には誰も居ませんでした。」
「カーテンを被って外の様子を見ていたので、多分見えなかったんだと思いますが。」
ゲルト「…そうですか。だとしても呼びかけには答えていただきたい。外の様子はどうでしたか?」
「相変わらずの紫がかった暗闇で、窓越しでも吸い込まれそうでした。」
ゲルト「精神を保つためにもあまり見ないことをお勧めします。兎に角今は広間にいてください。これ以上人が消えることは避けたい。」
「分かりました。」
咄嗟の嘘だったが、上手く言いくるめられたようだ。広間には人は十人も居なかった。他の人は…消えたか死んだか…勇人や俊一は無事だろうか。犯人の目的は?何故殺し回るんだ?色々考えれば考えるほど分からなくなる。
穂乃花「迅、あのさ…。…聞いてる?…ねぇってば。」
俺は考えるあまり穂乃花さんの声を無視して黙り込んでいた。…一人になりたい。そう思って顔を上げると目の前にヴォルコーニさんが立っていた。
ヴォルコーニ「君たち、お疲れのところすまないがちょっと来てもらえないか?」
そう小声で玄関ホールを指した。ついて行くとゲルトさんもいた。
ヴォルコーニ「君たちは信用ある人達だ。そこで頼みがある。」
穂乃花「頼みですか?」
ヴォルコーニ「あまり大きな声で言えないのだが、実は今日展覧会が行われる…何日前だったかな。」
ゲルト「三日前です。」
ヴォルコーニ「三日前の夜に侵入者があったのだ。そいつは展示品を盗りに来たようでなんとか取り押さえて地下に監禁したが、その先どうにもならん。言葉が通じない上に気が強く、何も答えてくれないのだ。」
「…それを俺達にどうしろと言うのですか。」
ゲルト「事情を話すよう説き伏せてほしいのです。彼女は見たところ、あなた達と年も近く顔立ちの雰囲気もどこか似ている。もしかしたら聞き出せるかもしれない。」
「でも俺達日本人ですよ?こんなところに、しかも女性の方が入り込むとなると訓練等を受けた危ない人なのでは?」
ゲルト「ですが脅しても痛めつけてもダメとなると、もう手が無いのです。地下へは私も同行します。元軍人ですから、あなた方をお守りできます。」
ヴォルコーニ「それに犯人が分からない以上、彼女も容疑者だ。当時は刃物を振り回していたし、青い炎を放つ等不思議なこともしていた。時々ゲルトくんが様子を見に行ってくれているが、影で糸を引いているとも限らんだろう。彼女が何か知っていれば聞き出さねばならん。頼めないかね。」
穂乃花「どうして直ぐ警察に出さなかったんですか?」
ヴォルコーニ「警察に出すと展覧会を予定通り行えなくなる。それに今回の展示物は普通の物ではない。変に調べられて問題が起きては困るのだよ。もちろん終わってから出すつもりだったが。」
このままずっと行き詰るようなら協力した方が進展はありそうだ。疑問の答えが見つかるかもしれない。
「その方は刃物を振り回したと言いましたが、その刃物はどのような物ですか?」
ゲルト「そうですね…私から言わせれば、あれは刃物というよりは刀を模したレプリカでしょうか。とても軽く、人は斬れそうにありません。」
(ん?刀を模したレプリカ?使用人のベッドの下にあったのは侵入者の物だったのか。)
ゲルト「どうされました?心当たりがあるのですか?」
「いえ、刀なんて日本っぽいなと思いまして。では協力ましょう。」
ヴォルコーニさんは一階に残り、三人で地下へと向かった。
地下は電気が付いても少し暗く、少し寒い。直線の廊下に倉庫の鉄扉が三つ並んでいた。
ゲルト「彼女は二つ目の扉です。名前も不明です。」
扉には覗き窓があり、照明が点灯した中を覗いてみると大きな木箱と木箱の間で誰かが俯いて地べたに座っている。青いローブのような物を身に着けた姿はどこか現代離れしている印象だ。まずは穏便に接し、出方を窺おう。ゲルトさんに扉を開けてもらい、中に入った。全員入って扉を閉めると部屋が狭く感じ、相手がいくら女性で年が近いと言われても少し怖い。しかしその女性は俺達が入ってきても無反応で、どうやら後ろ手に縛られているようだ。寝ているのだろうか、目を閉じている。
「気を引き締めて。彼女は油断させて私達の隙を窺っているのです。見ていてください。」
そう言うとゲルトさんは女性にゆっくり近づいて行き、拳を振り下ろした。途端に彼女は目を開け、素早く体を転がして避けた。拳は傍の木箱に命中した。縛られていながらなんという反射神経、あのまま近づいていたら何をされていたか分かったものじゃなかった。
「この通りですから警戒を怠るな。」
ゲルトさんもさっきとは違い荒い態度になった。それだけ危ないのだろう。女性の顔立ちは確かに日本っぽいが目が青く、年は同じくらいか下だろう。肩ほどまでの黒髪、首にはひし形の水晶のようなものが並んだ飾りをしている。俺は穂乃花さんに後ろで待機するように言って彼女に近づいた。年の近い来客に驚いたのか、彼女は横に居るゲルトさんを気にしながらも俺を見ている。距離一メートル程まで近づくと、彼女もガタイがいいことが分かる。やはり何かの組織かで訓練を受けたスパイとかなのだろうか。
「あ、あの…。言葉分かります?(日本語)」
目が青いので日本人とは思えないが、ダメ元で話しかけると少し反応した。通じたのか、それともドイツ語でない言葉に驚いただけなのか。
「私は迅といいます。あなたのお名前を教えていただけませんか?」
優しく語り掛けて促すが、女性は俺を真っ直ぐ見たまま喋らない。
「なに人ですか?名前はあります?(英語)」
試しに英語も使ってみるが無反応。ゲルトさんもため息をついた。やっぱり通じていないのだろうか。
「…名前を知ってどうする。」
女性が喋った、しかも日本語で。自分の鼓動が早まったのを感じた。
「この場において、まずは名を名乗るのが礼儀です。互いを何も知らないまま警戒し続けるのは疲れるでしょう。名前くらい教えてくれませんか?コードネームでもいいですけど。」
一応スパイの線も考慮して鎌をかけてみる。だが慎重に。
「コード…?…ハカだ。ハカ・グラディアン。」
「ハカさん…。貴方はなに人です?」
「…はぁ、お前が本当に聞きたいのはそんなことじゃないだろう。仮面について知りたいんじゃないのか?」
慎重にいこうと思ったが、彼女の方から本題を上げてくるとは驚いた。彼女は何者だろうか。
「仮面について何か知っているのか。」
「教えてやってもいいが、その前に。」
ニヤリとそう言って俺に顔を近づけてきた。
「お前、私の刀に触れた奴だな?」
心臓がドクンッと鳴った。何故刀に触れたことを知っているんだ。ここで言う刀は使用人部屋で見た物だろう。ゲルトさんは日本語が分からないはずだから、ここで話しても大丈夫だろうが…。
「何故知っているんだ。あれは貴方の物なのか。」
「そうだ。見て分かっただろうが、あれはただの刀じゃない。肉を斬るものではなく…。ま、刃に触れていたら危なかったな。それで…あれに触れられたのだから、何処にあるか知っているはずだ。その場所を言えば、私も知っていることを話そう。」
「場所を知ってどうするんだよ。逃げるんですか?生憎だが外は異世界ですよ。」
「分かっているさ。…お前は思わないのか?こうなった以上、財宝について知っている私を解放した方がお前達の得になると。」
「それは…。貴方が財宝について知っているが故に簡単には解放できないんです。犯人も、少なくとも財宝の使い方を知っているはずです。それがあなたとも限らない。」
上手い話を持ち掛けてきたが、相手の口車に乗せられてはならない。ゲルトさんに相談したいところだが、部屋を勝手に見たことを知られるのはどうしてもまずい。穂乃花さんにも目線を送りたいが、ハカさんに背を向けるわけにもいかない。どうするべきか。
「ではこのまま悲劇が幕を閉じるのを待つつもりか。言っておくが私は拘束されているし、こいつ(ゲルトさん)も常人じゃない。到底逃げられない。」
確かにこちらが有利に思えるが…。俺は、さっきから俺達の会話を見守っているゲルトさんに相談することにした。勿論、彼女には分からないであろうドイツ語で。
ゲルト「言葉が通じたようですね。」
「ゲルトさん、この方はハカ・グラディアンというみたいです。それで財宝について何か知っているようですが、刀の在処を言わないと教えてくれないみたいで…。」
俺が彼に話し始めるとハカさんは苦い表情を浮かべた。彼女にとってゲルトさんは厄介な人なのだろう。
ゲルト「…刀の在処?まだそんな舐めたことを…。」
そう言うやいなや彼の表情は冷酷なものに一変し、ゲルトさんはハカさんの胸倉を掴んで簡単に持ち上げた。
ゲルト「いい加減にしろ‼お前が犯人と繋がっていることは分かっているんだ!さっさと吐け‼」
そう言って壁に押しつけ、詰問し始めた。人が変わったようだ。軍にいた時はこんなだったのだろうか。俺は気迫に押され、思わず下がった。しかしハカさんは怒りの表情で彼の腕を掴み、抵抗している。どうやら縄はほどいていたみたいだ。
ハカ「相変わらずだな!なんて言ってるか分からねぇよ‼」
そう言うと彼女は袖から何かを出し、床に叩きつけた。途端、ものすごい量の煙が噴き出す。煙幕か!そう思うより先に俺は目と鼻を覆った。扉がこじ開けられる音とゲルトさんの声は瞬く間に横を通り過ぎた。そして目を開けた時にはもう二人はいなかった。状況は危うい、犯人かもしれない奴が屋敷に放たれたのだ。
「大変だ、二人を追いかけよう!」
一階では騒ぎになっていると思ったが、そうでもなかった。我々以外奥の広間にいるので追いかけっこに気が付かなかったのだろうか。するとヴォルコーニさんが不思議そうな顔をして広間から出てきた。
「先程、二階へと走っていく足音があったように思えましたがどうかなさったのですか。ゲルトはどこです?」
やっぱり気づいていないんだ。騒がれるよりはいいが…。
「地下に居た人が逃げたんです。彼はその女性を追っていきました。」
「なんということが…!他のお客様に騒がれても困りますし…ここはゲルトくんに任せましょう。くれぐれも二階へは行かないように。」
あと俺達に出来ることは考察だけ。彼女から色々話を聞ければ良かったのだが…。ヴォルコーニさんは広間へと戻って行った。
穂乃花「あの女の人、結構気が強いみたいね。ゲルトさんにひるんでなかったし。」
「ああ。それに使用人部屋にあったのはあの人の物だったんだな…。」
「じゃあ、あの人が犯人かな?もしかしたらゲルトさんとグルなんじゃない?解放する為に芝居したとかさ。」
…ありえなくはない。本当は言葉が通じていて、自分の疑惑を無くす為にあのハカという人を犯人役に仕立てたとか。仮にグルだとしたら、俺達二人では到底敵わない。追究したところで口封じに消されるだろう。これ以上は無理か…。
あれこれ考えていると、ゲルトさんが二階から降りてきた。歪んだ表情を浮かべている。
「さっきの人はどうしたんですか?」
「悔しいが、逃げられました。どういうわけか角を曲がった所でフッと姿が消えて、どの部屋にもいません。」
「でもこの屋敷にはいますよね?」
「恐らく…。」
「恐らくって、出る方法があるんですか?」
「あの者は…何というか、普通でないんです。侵入してきたときも、女性とは思えない程の力で我々を突き飛ばし、刀を一振りすれば青炎が行く手を阻んできました。不思議な力を持っているようです。」
使用人部屋の刀を手にした時に感じた異様さは、気のせいではなかったようだ。本当に何者なんだ。
・・・チカッチカッ・・・
突然照明が点滅した。広間からはいくつかの声が上がる。
ゲルト「奴が何かしているのかもしれません。私が地下を見てきますから、お二人はここにいてください。」
ゲルトさんを見張りたい気はするが、美咲さんのことを思うと危険すぎる。一先ずゲルトさんを信じて様子見するとしよう。
〈地下 ゲルト視点〉
この屋敷のブレーカーは地下にある。電灯が点滅するとしたらそこに問題が生じているに違いない。奴が逃げた時に直ぐ捕らえられなかったのが悔やまれる。今電灯をいじって俺を地下に誘っているのだとしたら、今度こそ捕え直し異空間から出る方法を聞き出してやる。奴は必ず何か知っている。
しかし、入り口で様子を窺うも気配が無く、一番奥にあるブレーカーを見ても異常は無い。故意的なものではなかったのか…?そう思った時、背後に人の気配を感じた。素早く振り返るとそこには何者かが立っていた。通路の電灯は付いているのに、その者が立っている所だけ黒い靄がかかったようで顔も服も見えない。だが背丈は俺より少し大きい。少なくともあの生意気な女でないことは分かる。
「誰だ。」
「…コロス…オマエ…ノ…カオ…ヨコセ…!」
その感情の無い声の後、俺の目の前に刃物が迫り、顔をかすめたものの何とか避けた。狙いが精密だ。返しに俺は瞬時に距離を詰め、腹に拳を食い込ませた。しかしこの距離でもその者は真っ黒で、かなり力を入れたつもりだったが微動だにしない。刹那、腹に痛みが走った。口から血が溢れ、体は言うことを聞かずにそのまま倒れた。見ると腹は赤く染まっていた。ふと首に鋭い物を感じ、見上げると血で赤く色づいた刃が苦の表情をした俺を映していた。主人部屋にあった刀だ。部屋から無くなっていることは気付いていた。…犯人はこいつだ。そこで俺の意識は途絶えた。
〈三階へ 俊一視点〉
三階も二階と同様、無人で埃っぽい。
ハンス「三階の各部屋は施錠されていますので、ヴォルコーニ様のお部屋で鍵を取りましょう。」
「そこは鍵がされてないんですか?」
ハンス「いえ、されているのですが…特殊なことをすると開けられるのですよ。」
そう言う彼はいたずらに笑った。恐らく公認ではないのだろう。ドアの前まで来ると開ける工程は見ないよう言われ、目を逸らしてから僅か数秒で開く音がした。
勇人「あの人鍵開けができるんだな。(小声)」
「ハンスさんもタダの支配人ではなさそうだ。(小声)」
中には色々な美術品が置かれていた。ハンスさんが机を探っている間見てまわると、壁に飾られた刀に目が行った。赤っぽい鞘で重々しく、本物みたいに見える。
「それは〝霊魂〟という名の日本刀です。」
声に振り返ると、さっきまで机にいたはずのハンスさんが背後にいた。
「妖刀らしいのですが、定かではありません。わざわざ日本から取り寄せたのです。」
勇人「本物じゃないですよね、流石に。」
「刀自体は本物です。驚くほどよく切れます。」
…密輸したんじゃないだろうな。
勇人「マジかよ!すげえ。でももしこんなの持って暴れる奴が現れたら、タダでは済まないっすよ。あ・・・。」
気付いてしまったような気がする。そのもしかしたらが、今起きているとしたら…俺達が見た二つの死体には切り傷があった。一階に居た人達はもっと殺されているかもしれない。確定はできないが、これが凶器の可能性が浮上した。今、俺達は恐らく過去の屋敷にいるから刀があるが、迅達の場所にはこの刀が無いかもしれない。で、ここを鍵無しで開けられたハンスさん…明転した時に何故か二階に居たのもハンスさん…やっぱり彼が…?そう思うと、すぐ後ろに彼がいるという状況に俺は背筋が凍り付いた。だが勇人は全く違うことを思いついたようだった。
「この霊魂が暴れだしたとか?」
まさか、流石にそれは無いだろう。突拍子なことを言い、冗談っぽく笑う勇人の横でハンスさんは何かを考える素振りをした。
「な、なにか気付いたんですか?」
「いや、別に。」
恐る恐る聞いたが彼は言葉を濁し、足早に部屋を出て行ってしまった。後を追うため踏み出すと、足に何か小さい物が当たった感触がした。拾い上げると、キラキラ光るそれは黄金色の指輪だった。
勇人「これって。展示されていた、時を超える財宝だよな⁈」
なんでこんなところにあるんだ…?試しに指にはめたが何も起きない。だが確かに展示されていた指輪だ。ハンスさんに知らせようか否か迷った末にポケットへ入れ部屋を出ると、階段近くの扉が開いていた。中にはガラス戸の棚と机があり、棚は書類らしきもので埋まっている。ハンスさんはその中の一冊の紙束を真剣に見ていた。
勇人「あのぉ…ハンスさん?」
「ああ、すみません。これが招待客リストです、大半がここに載っています。」
そう言って名簿を右手で差し出してきたが、左手には別の紙があった。そこには一人の人物の名前が載っている。
俺「アルノルト・シンザス…?」
ハンス「これはね…。」
そう言うと顔が曇り、ためらう素振りを見せたがやがて話し始めた。
「私はアルノルトと同僚でした。ゲルトが来る前に私と働いていましたが、それよりも前からの古い付き合いです。私達はとある政府組織に居ました。アルノルトは特殊部隊で、実はゲルトも元軍人のようですが彼よりはるかに強かったと思います。彼は正義感が強く、家族を大切にしていました。組織を辞めてからここで使用人をするようになったのですが、突然彼は姿を消しました。その日以来顔は見ていませんが、悲惨な事が起きたようです…。あの刀はアルノルトが運んだ物なので、思い出してしまいまして。」
元政府組織なんて、映画みたいな話だ。スパイとかだったのだろうか。
「今回の犯人は、アルノルトかもしれません。」
「え⁈」
「複雑な事情になるのですが・・・まあ、いつかは明るみに出てしまうことですし…話しましょう。アルノルトは恐らくここを追い出されたのです。当時、ヴォルコーニ様は麻薬商人でした。私はそれを知りながら黙っていましたが、彼はそうはいかなかったのでしょう。私の情報網によりますと、彼は追い出された後に家族を麻薬服用者に殺されています。その後その犯人と思われる人物は、逮捕される前に無残な死体で発見されました。誰に殺られたのか検討はつきます。仕事を追い出され、麻薬に毒された者に家族を殺され、しかも使えていた主人は麻薬商人だった。相当悲しみに暮れ、恨んだはずです。彼が死んだという知らせは未だありませんし、復讐の機会を窺っていてもおかしくありません。今回の催しの事はネットにも流しましたし、彼にとっては絶好のチャンスでしょう。」
そう言うとハンスさんはため息をついた。なんてことだ…そんな過去があったなんて。ヴォルコーニさんが使用人に、元軍人とかを雇うのはボディーガード代わりなのだろう。あまりの衝撃に言葉を失ってしまった。
ガタンッ!
突如、下の階から音が鳴った。誰かいるのだろうか。恐る恐る階段を降りると、廊下の先には死体を見つめる誰かがいた。俺と同じくらいの年代の女性で、青いローブの様なものを身にまとい、赤く染まった布をめくってむごい状態の顔部分を見ている。俺達に気付いていないのか、こちらを見ようともしない。
勇人「あの人誰だ?他の観客にあんな人いたか?(小声)」
ハンス「あの人が、地下に閉じ込めていた人です。もうこちらに気付いているでしょう、警戒してください。(小声)」
しかし電灯を付ける為に地下に行った時は居なかったし、足跡も無かった。どうやってここに?
俺達がこそこそ話していると、その女性はゆっくりと立ち上がりこちらに向き直った。その立ち姿はどこか不思議な雰囲気を放っている。
「お前だな?迅とかいう奴の仲間は。ここはお前ら三人だけか。(日本語)」
ここにきて他から日本語が聞けるとは思わなかった。それに…
「迅を知ってるのか!?どうやってここに来たんだ?元の場所に戻る方法があるのか?」
「ほう…お前らは私を犯人呼ばわりしないんだな。勿論出る方法はあるさ。私は、お前らを連れ戻す為に来た。」
勇人「マジかよ、ありがてぇ。」
信じていいのだろうか、だって時を越える指輪は今俺が持っている。
俺「いや、待ってくれ。何故ここに来られたんだ。だって財宝が無ければ来られないだろ?」
「誰がそう決めつけた。財宝が無くとも私なら来られる。向こうでも疑われたよ、犯人または一味じゃないかって…。だから疑惑を払拭する為に先ずはお前らを戻してやろうと思ったのさ。」
納得のいく返答ではないが、財宝無しでも移動できるのか…?ハンスさんはこの会話内容が分からないだろうから説明してあげないと。彼に女性が言ってきたことを伝えると、
「今は信じるしかないでしょう。」
と、あっさり女性を肯定した。ハンスさんも怪しいが、一度信じてみるか。
「分かった、信じよう。俺は俊一。それでどうやって戻るんだ?」
「あ、ハカ・グラディアンだ。その前に…いい物を持っているじゃないか。それがあれば何時でも戻れたのに、使い方を知らないのか?」
そう言うと彼女は俺を指差した。何故俺が指輪を持っていることを知っているんだ…。ポケットから取り出すとハカさんは薄っすら笑い、ハンスさんは仰天した。
「何時から持っていたんですか⁈」
「三階で拾ったんです。お伝えするつもりでしたがタイミングが…。(ドイツ語)」
ハカ「それを私に寄越してくれ、直ぐに戻してやる。」
「渡さなくたって、使い方を教えてくれればいいだろ。」
「それもいいが…移動にはかなりの精神力を使う。使った途端に倒れたらどうするつもりだ?」
精神力か…そんなものを消費するとなると独自での使用は危ないか。ハカさんが犯人でないなら、元の場所には犯人が紛れているということ、動けなくなるのは困る。
「分かった、じゃあ頼んだ。」
俺は指輪を投げてよこした。彼女は指輪を手にすると掌の上ではじいて何かを唱え始めた。その声は空気と同化していき、足元から緑色の煙が噴き出し始めあっという間に周りが見えなくなった。
「お仲間のことだけど、少し悲しいことになってるよ。」
それを最後に意識が遠のいていく…。
気が付くと、俺達は暗くひんやりとした空間に立っていた。戻って来たのだろうか、ドアの向こうが明るい。
ハンス「ここは地下ですね。そんなに埃っぽくないですし、戻ったのかもしれません。出て見ましょう。」
ハカさんは一緒に戻らなかったらしい、ここには三人しかいない。戻れたことを期待してドアを押すと、重たい何かがつっかえて半分しか開けられない。そこからなんとか出ると、衝撃の光景が目に入ってきた。重たい障害物はなんとゲルトさんだったのだ。腹部から血を流してうつ伏せに倒れている。
「ゲルト‼しっかりしろ!」
ハンスさんが揺さぶるも全く動かない。既に息絶えているようだ。アザや服の乱れ具合から、ここで誰かと攻防戦があったのだろう。あんなに強そうだったゲルトさんが負けるなんて…相当だ。
「これは…犯人に殺られたのでしょう。腹部を一刺しですか。」
勇人「じゃあ、もう上には強い人がいないんじゃあ…。」
まずい。俺達は急いで階段を上った。そして人声のする広間へと入る。
「俊一!勇人!ハンスさんまで‼」
入った途端、穂乃花が真っ先に気付き猛ダッシュで向かってきた。それを機に他もざわつき始め、迅とヴォルコーニさんも来た。
迅「よく生きていたな。安心したよ。」
ヴォルコーニ「停電のあとに姿が見えなくなったのもだから心配した。ハンスも無事で良かった。」
…あれ?美咲さんの姿が無い。
「美咲さんはどうしたんだ?」
俺がそう聞くと、三人とも暗い顔をした。まさか…。
迅「美咲さんは…殺されたんだ。暗闇で斬りつけられて。」
なんてことだ、ハカさんが言っていた悲しい事ってこのことだったのか。悔しくてたまらない。
ヴォルコーニ「気の毒に。ゲルトに案内してもらって死に顔だけでも会うといい。」
ん?今ゲルトって言ったか?
俺「あの、ゲルトさんは…。」
「ゲルトならそこにいる。案内してもらいなさい。」
そう言って呼んだ先に、地下で倒れているはずのゲルトさんが姿を現した。自分の鼓動が早まったのを感じる。彼は死んでいたのだ、ここに居るはずない。
勇人「おい、なんでここにゲルトさんがいるんだよ。地下で死んでいたのに!」
勇人が焦った様子で大声を上げると、場が固まり、彼は歩みを止めた。不気味に、笑っているようにも見える。
ヴォルコーニ「ど、どういうことだね…?(震え声)」
俺が回答するより先に、ゲルトさん(?)が口を開いた。
「不謹慎なことを言わないでくださいよ。彼は死んでなどいませんよ。」
発せられた声は確かにゲルトさんだが、
「…彼…?」
一人称を使わなかった。
「あぁ…、しまった。俺としたことが、他人に化けるとこういうことが起きる。」
ねっとりと言った彼の手には、いつの間にかあの三階で見た刀が握られていた。赤く染まった刃がギラギラ光っている。
「もう、隠れるのは止めだ。最後の仕上げといこう。」
刹那、彼の横にいた人の首が飛んだ。すると凍っていた場は滝のごとく流れ出し、阿鼻叫喚となった。俺は入り口付近にいることを幸いとし、直ぐに玄関ホールまで駆けだした。迅らも続いた。しかし、部屋を出るとどうしたことか足が重くなった。二階に上がろうと階段を目指すが広間から離れるほど足が鈍くなる。背後からの叫び声が助けを求めているように聞こえた。振り返ると部屋は真っ暗だった。見えない壁があるのだろうか、入り口まで逃げた人達が必死に何もない空間を叩いて「出してくれ‼」「助けてくれ‼」と叫んでいる。が、その人達も血しぶきと共に崩れ落ちた。何もできず、見ていることしかできない。やがて、服を赤黒くしたゲルトさんが壁など無かったように普通に出てきた。刀を引きずりながら狂気じみた笑みを浮かべて、足の動かない俺達に近づいてくる。
「指輪を無くしたのでねぇ、どうやって殺しに行こうかと困っていたんですよ。来てくれてよかった。」
刀で指差され、背筋が凍った。彼は俺の少し後ろで固まっているヴォルコーニさんに迫っていた。逃げて、そう言いたいが喉が動かない。
「よ、よしたまえ…。」
ヴォルコーニさんは懐の銃をゲルトさんに突き付けた。だが狂人はひるむことなくさらに近づいていく。彼は引き金を引こうとしているが、身体が言うことを聞かないらしい。そのまま狂人は彼の目の前まで迫り、目が赤く光ったかと思うと
「オマエノセイダ…‼」
ヴォルコーニさんに斬りかかった。彼が倒れた後も何度も何度も刃を突き立てている。血が飛び散り、俺にも生温かい液体がかかった。そして狂人は次の獲物に取り掛かるようにゆっくり顔を上げ、俺と目が合った。にたりと笑うその顔は悪魔のようにも見え、俺は途端に息ができなくなった。
「ツギハオマエダ…。」
そう言うと刃を向けじりじりと迫ってくる。足が動かない!逃げられない‼ 刀が振り下ろされ、切り裂かれようとしたその時、
ズサンッ‼
青光を放つ刃が目の前に突き刺さった。それは光力を増し、その光を浴びた途端体に自由が戻った。見上げると、二階のテラスにハカさんがいた。彼女は手すりを乗り越えるとそのまま飛び降り、床に突き刺さった刀を抜くとひるんだ狂人に構えた。
「下がってろ。」
まさか戦う気なのか…?俺達はそのまま階段へ走った。ところが先頭の迅が階段に足を踏み入れると、それは火を帯び生き物のようにうねり燃え出した。炎はあっという間に階段全てを覆い、勢いの強さに近づくことさえできない。
「ハハハッ‼ニガスワケナイダロ?」
「余計な事しやがって…全員殺す気か…。」
狂気染みた声に対して、ハカさんは舌打ちした。俺達は成す術無く、対峙する二人に注意を払いながら玄関扉まで下がるしかなかった。
迅「ハカさんはそいつの仲間じゃないのか?俺達を助けてくれるのか。」
「見りゃ分かんだろ。仲間でないし、こいつはもう人じゃない。」
「オマエ…ジャマモノハ…キエロ‼」
狂声はそう言うなり斬りかかった。普通なら反応できないだろう。しかし彼女は迫りくる刃を自身の刀で滑らせ、一瞬空いた相手の背に振り下ろした。が、間に合わず、受け止められてしまった。そしてギリギリと音を立て暫く互いの刃が擦れ合ったが、凄まじい突風がハカさんを吹っ飛ばした。
「ぐあ……っ⁈」
彼女は壁高くに叩きつけられ、床に落下した。その際、刀はホールの中央まで転がってしまった。
「ハカさん…!」
手をついて立ち上がろうとする彼女に疾風のごとく赤刃が迫った。彼女はそれを認めるなり片方の手を飛んで行った刀にかざした。すると横たわっていた青刀はカタカタ震えたかと思うと、目にも止まらぬ速さで彼女の手に戻り、刀の勢いよくぶつかり合う音が響いた。しかし、起こしかけた体を支えながら片手で攻撃を防ぐのは歪んだ表情から見てもかなり厳しいのだろう。じりじりと押されていき、彼女の首元にまで死が迫っていた。
「おい犯人‼」
俺は考えるより先に叫んだ。奴の気を引ければなんだっていい。狂人はこちらに目をよこした。途端にハカさんは身体を横に転がすとこちらに向かって大きく飛び上がり、そして身を翻して着地と同時に青刀を空中に一振りした。刹那、そこから巨大な青炎が出現したかと思うと、狂人に向かって弾丸のごとく突っ込んで爆発した。その爆風で二階のテラス部分が崩れ落ちる。とても人間業ではない。
ハカさんは肩で息をしながら燃え盛る青炎を見つめている。炎から人が出てくる様子はない。
穂乃花「た、倒したの…?」
俺も安堵しかけたその時、炎の壁に穴が空いたかと思うとそこから飛び出した鋭い何かがハカさんの右肩に突き刺さった。
「ぐ……っ‼」
飛んできたのはなんと刀だった。彼女は右手の青刀を手放し、膝をついて顔を歪めながら赤黒く染まっていく肩を押さえている。すると刀は独りでに抜き出、青炎に戻るとそこから刀を手に持った彼が出てきた。あの弾炎を躱したというのか…!
「頭を狙ったつもりだったけど、アタラナカッタネェ…。」
残念そうに言うと、血濡れた刃をこちらに向けた。今度は俺か…!? そう焦った時には弾刀はもう目の前まで迫っていた。恐怖を感じるより先に、俺は目を固く閉じた。
ガシャン‼
金属がぶつかるような音に目を開けると、二本の刀が頭上を舞っていた。そのまま落下するかと思いきや、浮いたまま青刀は赤刀の行く手を阻むようにしてせめぎ合い、しばらく攻防戦が続いたが赤刀は狂うばかりで今にも降ってきそうだ。そして赤刀が青刀を退けると、大きく旋回し刃は静止した。その矛先が穂乃花であることに気付いた時には、もう血しぶきが上がっていた。
「穂乃花‼」
胸から大量の血液を吹き出し、彼女は崩れた。しかし近寄る間もなく、頭上の死刃は近くの勇人に迫った。その時、
「アルノルト‼」
声に刀はピタッと止まった。叫んだのはハンスさんだった。
「アルノルト。お前なんだろ?仮面の中はアルノルトだろ?」
そのままゲルトさんの顔をした狂人に語り掛けた。するとゲルトさんの顔はみるみる色を失い、口は裂け、目は節穴になっていき、あの不気味な笑みを浮かべた仮面の顔になった。
「…チッ…シラレタカ…。」
そう言ってこちらにかざした右手には浮いていた刀が戻って行き、左手で仮面を外すと赤髪で充血した目を見開いた男の顔が現れた。これが犯人の顔なのか。明らかに様子が普通ではない。
「バレては仕方がない…。」
「アルノルト。私だ、ハンスだ。覚えていないのか!?」
「…ハンス…?ハンスかぁ。お前も消えてもらおう…。」
アルノルトは正面から迫ってきた。しかし刀が振り下ろされる直前でハカさんが前に立ち塞がり、刀がぶつかり合う。
「仮面が外れればこっちのものだ。貴様、これ以上余計な犠牲者を出すなら、もう黙ってはいられない‼」
彼女は左手で燃え盛る青刀を大きく振り回し、アルノルトを後退させた。しかし息は荒く、右腕は肩から指先まで黒く染まり力なく垂れていた。長くは戦えないだろう。かと言って出来ることは何も…。
「俺の邪魔をするなら、オマエも消してやろう。」
「消えるのは貴様だ!この愚か者が‼」
ハカは確実に怒っていた。それは友を殺された俺達の怒りを代弁してくれているようにも感じた。彼女は吐き捨てるように言うとアルノルトに構え、向こうも違うかたちで構えた。一気にカタをつけるようだ。両者の刀は怪しく光り始め、緊張した空気は一秒を何倍にも感じさせる。
次の瞬間、両者は一気に間合いを詰め、刀がぶつかり合った途端に爆発音と共に赤とも青とも言えない炎が噴き出し、衝撃と一緒に俺の視界は暗転した。
「…俊一…?大丈夫か?」
暗闇で呼ぶ声に目を開けると、迅が俺を覗いていた。
「どう…なったんだ?」
あまりの熱さに起き上がると、あちこち火の手が上がり、黒い煙がシャンデリアの光を遮っていた。
「皆はもう目を覚ましている。お前、立てるか?」
迅に肩を任せながらも立ち上がると、煙で肺が痛みだした。
「あまり猶予はない。早くここから出ないと。」
「俊一、大丈夫か!?」
勇人も無事のようだ。ハンスさんも火の向こうで鼻と口を覆っている。
「ああ、何とか。あの二人はどうなったんだ?」
「全然分からん、倒れてるかもな。とりあえず火を何とかしねぇと‼」
火はもうそこまで迫っていた。ハンスさんも見えなくなった。
「くっそ。どうすりゃいいんだよ‼」
火に包まれようとしたその時、あらゆるところから緑の煙が噴き出してきた。それが視界を覆うと火の熱さも黒煙も消え、気づけば薄暗い場所に立っていた。俺はこの場所を知っている。
「ここ…過去の屋敷だよな?」
勇人も気づいたようだ。迅には俺達が以前ここに居たことを説明した。
「危なかったですね…。」
声の方を見ると、ハンスさんが階段前からこちらに向かってきていた。
「間に合って良かったです。火傷はしていませんか?」
彼の手には金色の指輪が握られていた。
「さっきの緑煙は、ハンスさんが?」
「…はい。何とか使うことができました。」
「助かりました。ありがとうございます。」
…とはいえ今頃、現在の屋敷は焼け落ちただろうから、この過去の屋敷から出られなくなった。日を置いて戻ったとしても、瓦礫で埋もれるかもしれない。焼け死ぬという運命から逃れたはいいものの、今度は飢え死ぬ運命が見える。
ヴォン‼ …ゲホッ!ゲホッ‼ゲホッ‼…
突然、部屋の中央に青炎が現れたかと思うと、そこからハカさんが転げ出てきた。焦げた臭いと煙を上げてのたうち回り、床に手をついて動かなくなった。
「ハカさん‼」
近づくと熱が伝わってきた。浅く早い呼吸を繰り返し、息を整えようとしているのだろう。彼女の服はフードから全身焼け焦げてはいるものの、破けておらず青い部分も少し見える。丈夫な服のようだ。近くには黒く変色した刀が二本転がっていた。
「…ハカさん?大丈夫ですか?」
問いかけても返事は無く、床を見つめて必死に息をしている。恐らく体が熱すぎるのだろう。
「ハンスさん、水はありませんか?」
「ええっと…確か水道を使えるようにしていたので、持ってきます。」
「俺も手伝うぜ。」
ハンスさんと勇人がキッチンに向かい、暫くするとバケツ一杯の水を持ってきた。
「とりあえず上からぶっかけろ!」
そうして彼女の背中に水をかけた途端、シューという音と共に白い煙が上がった。様子を窺っていると彼女は徐々に呼吸が落ち着き、大きく息を吐いた。
「…はぁ…はぁ…。助かった…。」
「…大丈夫ですか?」
「重症だが…まだ生きている…。」
そう言うと刀に手を伸ばし、杖代わりにして立ち上がった。苦の表情をした顔は半分火傷していた。
「よく来られたね…。」
「…熱さで目が覚めた。何とか飛んできたが、すぐには動けない。」
「犯人はどうしたんだ?焼け死んだか?」
「…あいつは私が斬った。体も全部消し飛ばした。…返しに腹を斬られたが、火で血は止まったらしい。」
「にしても、これからどうしたら…。」
「……?お前らはどうやって…ここに来たんだ?」
「ハンスさんが指輪を使って飛ばしてくれたんだ。」
「指輪ねぇ…。」
指輪と言った途端、ハカさんの目つきが変わった。そしてハンスさんに向き直り、
「ハンスと言ったか。貴方は何故指輪を使えた?正しい順序で、しかも呪文を唱えなければ使えない代物だ。最初から使い方を知っていたな?」
真剣な表情で疑いをかけ始めたが、日本語では通じないだろう。
「…ハカさん、多分通じていないとおもっ…」
「いいや、こいつは私の言うことが分かるはずだ。なぁ、最初から通じない振りをしていたんだろ?」
彼女は俺の言葉を遮り、ハンスさんに詰め寄った。そんなことはないと思う矢先、ハンスさんはフッと笑ったかと思うと日本語でしゃべりだした。
「フフフ…。ええ、最初から分かっていましたよ。日本語くらい簡単なものです。指輪のことも…ええ、使い方を知っています。」
これには驚いた。体が反射的に距離をとる。
「何故、黙っていたのですか。」
「…それは…警戒されない為であり、観察する為でもありますね。」
そう言ってニヤリと笑った。全く意味が分からない。観察?アルノルトとグルとでも言うのだろうか。困惑しているとハカさんが口を開いた。
「こいつはある邪教の信者で、邪神を復活させようと動き回る愚者だ。」
「愚者とは失礼ですね。主様が復活なされば、世界は素晴らしくなりますよ?」
「あれの何が素晴らしいのだ。その為にどれだけの犠牲が要ると思っている。一世界を支配する神など、いない方がまだマシだ。」
「フフフ。…ところで、どうして私が信者だと分かったのです?」
「三人を送った後、ここを探索した。その時にお前の部屋で邪教の本を見つけた。ご丁寧に中身を見られないよう細工してあったが、どうせ魂集めとか企んでいたのだろ?」
「あの本を見つけられるなんて、さすが超霊媒師なだけある。噂には聞いていましたが、日本の外で会えるとは思っていませんでしたよ。」
「ハカさんって、霊媒師なんですか。」
「…まあ。だが私は鬼や悪霊、こいつみたく魂を道具みたいに考える邪悪な奴を主に退治する。霊能界では超霊媒師とか言うらしい。」
どうりで、火を出したり不思議なことをするのか。
「魂なんて、道具じゃないですか。生きていて、体があってなんぼですから。死者は枚挙にいとまがありません。世にあふれるくらいなら、有効活用した方がいいと思いません?」
「でもよ、死んだ人は天国か地獄に行って転生するんじゃねえの?」
先程から神妙な顔して聞いていた勇人が口を挟むと、ハンスは笑い出した。
「天国なんかあると思っているのですか?あんなの気休めですよ。ほとんどは転生する前に妖怪などに喰われます。所詮はその程度ですよ。」
少し前までは、そんな心無い言葉が彼から出てくるなんて思ってもいなかった。人は見かけによらないとはこのことだ…。
「…もう口を閉じてくれ。お前の言うことを理解する気など無い。だが最後に、今回の企みの内容だけ聞いてやる。」
ハカさんの声には怒りがこもっていた。だがハンスは調子を変えず、傍に転がっている変色した赤刀を手に取った。
「最後に?それは私の最期ですか?今の貴方に私が倒せるとは思えませんが、いいでしょう。せっかくですから、聞いてもらいましょう。当初は催しが始まる前に、あの仮面の悪魔を呼び出す予定でした。ですが貴方が来たものですから、目覚めさせるだけで終わってしまいました。ところがアルノルトが暴れ始めたので、霊魂の妖刀を使って利用させてもらいました。後は自分が斬られないよう指輪で避難して…まあオマケが付いてきましたが、そうして身を守りました。思わぬ客があったものの、こうして妖刀には魂が集まりましたよ。」
そう言って彼が刀を軽く叩くと、刀の黒ずんだ部分が赤く怪しい色に変わっていった。あの刀はまだその力を失っていないようだった。ハンスも不思議な力が使えるのだろうか。するとハカさんが前に歩み出た。しかし、誰がどう見ても戦える状態ではない。
「ハカさん、戦ったら殺されます!」
「だが…このままこいつを放っておけない。」
彼女は悔しがっていた。負けることは明白、けど引き下がれないのも事実だ。このまま…俺達は彼に殺されるのか。そう覚悟したが、ハンスは意外な提案を持ちかけてきた。
「このまま戦ってもいいですけど、今回は見逃していただけませんか?せっかく集まったこの魂を無駄に使いたくない。そうでなくてもアルノルトの戦いで消費しているし、今四つだけ手に入れても割に合わない。どうです?お互いの為になるでしょう?生きて帰っていただいて結構ですよ。」
…つまり、何もせずに帰れってことか。殺さないでいてくれると…。
「…チッ、分かった。このまま帰ってやる。ただし、次来た時はお前を止める。せいぜい、怨霊に喰われるなよ。」
「ええ、今度来られた時は盛大に歓迎してあげますよ。」
ハンスは不気味に笑った。あの優しそうな面影はもうどこにもない。
「…はぁ。行くぞ。」
ハカさんはよろめきながら中央に移動した。ついて行くと三人固まるように指示され、俺達を囲むように円を描いた。
「なあ、俺ら帰ってからどうしたらいいんだ?美咲らのことはどう説明する。」
ハカさんが準備を進める中、勇人が心配そうに言った。迅も腕を組んで考える素振りを見せる。確かにどうしたらいいんだ。殺人にあったとでも言えばいいのか。
「そのことだが…。」
準備を終えたのか、ハカさんが真剣な顔でこちらを見ていた。
「残念ながら、妖刀に取り込まれた魂を取り出すことはできない。だが、戻った後のことは心配しなくていい。私が何とかする。」
「ど、どうするつもりだよ。」
「それは…知らない方がいい。それよりも今心配すべきなのは自分自身のことだ。このまま元に戻すと瓦礫で埋もれる。だから別の場所に飛ばす必要があるが…今の私では厳しい。だからお前らの力も借りるが、気を抜いていると気絶して目を覚まさなくなる。気をしっかり持っていろ、それだけ言っておく。」
そう言うなり彼女が両手を広げると頭上に青光が集い、何を考える間も無く何も見えなくなった。
…強い光に目を覚ました。自室だ。クーラーは付いているが、何となく蒸し暑い。カーテンを開け、時計を見ると朝6時。夏休みはもうすぐだがまだ課題が残っているし、サークルで行く研修旅行についても色々決めないといけない。メンバーは迅と勇人と俺の三人だけだから話はまとめやすいはずなのだが、勇人の要望が多いせいでなかなか予定が決まらない。オーストラリアは広いから、あちこち行きたくなる気持ちも分からなくはないが…。
俺はサッと朝飯を済ませ、大学に向けて自転車をかっ飛ばした。
三人の姿が消えると、ハカは血を吐いてその場に崩れた。
「彼らの記憶だけでなく、女性二人の存在を消したのですか?しかも時間を巻き戻して…残酷ですねぇ。」
「…黙れ…。誰の…せい…だと…。覚悟…しておけ…。」
女性二人の存在を消し、時間を巻き戻してなお立っていられる程、彼女に力は残っていなかった。嘲笑の声を背に、怨恨の念を残してハカは姿を消した。 〈終〉
〈人物紹介〉 物語の裏話
ルべ・ヴォルコーニ
麻薬の密売により大金持ちになった。しかし辞めて以来、過去を知られることを酷く恐れて使用人をボディーガード代わりにし、胸元には常に拳銃を忍ばせている。
ハンス・ゴットフィース
ある邪教の信者。あらゆる知識を持っており、邪神復活の機会を窺っていた。今回の催しを提案したのも、いわく付きの品を手配したのもハンス。最後は異空間の屋敷で邪神復活に自身を捧げる。
ハカ・グラディアン
日本で秘密裏に活動する霊媒師。本物の悪魔が宿った仮面を破壊するべく屋敷に侵入したが取り押さえられてしまう。そして脱出する機会を窺っているところでアルノルトに会う。彼の悲惨な過去を聞いたハカは仮面や財宝の使い方を教え、事を終えると仮面を自分に渡すという話を持ちかけた。しばらく様子を窺っていたが、アルノルトがヴォルコーニだけでなく全員を殺そうとした為に敵対する。最後は俊一たちの記憶と時間を一部変え、さらに殺された女性二人の存在を消して生活に支障が出ないようにした。そして一度元の世界に帰り、回復させた後にハンスを倒すべく異空間に戻ることとなる。
アルノルト・シンザス
ハンスと屋敷の使用人をしていた頃にヴォルコーニが麻薬商人だったことを知り、正義感の強かったアルノルトは罪を償うことを主張したが屋敷を追い出される。その後、家族を麻薬人に殺され、ヴォルコーニの殺害を企てた。ある日展覧会が行われるという情報を掴み屋敷に侵入、そこで監禁されたハカと会う。彼女に財宝の使い方を教わって計画を実行するが仮面に精神を乗っ取られてしまい、殺人衝動に駆られる。最後は敵対したハカに消された。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。