帰投
ブランシュは本来の姿に戻り、私は、人としての縁を手に入れます。人を愛することで生きる意味を見いだすのでした。
階下が騒がしい。
「…お取り次ぎ致します!お待ちを…!」
この5階建てのアパルトマンは、地下1階を含めて総て私の持ち物だった。と、言うか娼館の物だったが。1階にコンシェルジュを置いて、若い娼妓達を住まわせる事もあった。そのコンシェルジュが、何者かを留め損なっているのだった。
「…確かめたいだけです!何も狼藉をはたらこうとしているのでは無い!。」
「アウル様!!おいでですか?!。」
「…ケイン?!。」
その何者かの声にブランシュが、信じられない事態なのだろう、まるで、夢遊病者の足取りで、ふらりと立ち上がった。
追い抜いてドアを開けると、押しとどめ様としているコンシェルジュに、放せと合図を送った。
放たれた乱入者は、文字通り、必死の体で室内に踏み込み、ブランシュを認めてその場に崩れた。
「…御無事で…良かった…。」
込み上げる安堵と、解ける緊張に涙が頬を伝って居た。
「…お前…私を探して居たのか?!。」
「ああ、やはり何もご存じ無かったのですね?!リント伯爵が貴方を王にと、横やりを入れて来られたのです。」
「…そう言う事か…お前を遠ざけて置いて、私をあの療養所に隔離して、マーヴを廃嫡にか…。」
「はい。此方へ伺うのも1度は阻まれました。」
「四の五の言っている場合では無いな…。」
これはこれは…瞬く間に統治者の顔に戻る辺りが、これがブランシュの本質と言うことだろう。
「父様。これは私の執事のケイン。ケイン、この方が私を救い、これまで匿っていて下さったのだ。」
主人に言われて、慌てて涙を拭い、父と呼ぶのに怪訝な顔をしつつも、此方へ上げた時には、公家を取り仕切る執事に立ち返っていた。
「御無礼を致しました。2度目の連絡をするように申し遣って居りましたのに、この方をお見掛けしてしまって、矢も楯もたまらず…。」
膝に置いた手を握り占めていたが、決意したように顔を上げると、懇願する。
「重ねて勝手を申し上げます。本日これより直ちにこの方をお伴ないする事をお許し頂けませんでしょうか?!。」
真摯な態度に心が震えた。この人がブランシュの傍に居るのなら、安心しても良いと思えた。
「お助け頂きながら、非礼は重々承知でお願い申し上げます。この方を置いて、我がシェネリンデを未来へと導く方は他にありません。」
「この方のお気持ちにはそぐわぬ事かも知れません。ご幼少のみぎりよりのご苦労を思えば…お願いする事がどんなに酷な事かは存じております。が、どうか!!。」
この年若い家令の視野の広さに、ブランシュを思う心の深さに感銘を受けた。
「私には異存はありません。決めるのは君だよ。運命られた人では無いようだが。」
そう言って見詰めると、ブランシュは一瞬キョトンとしていたが、次いでぷっと、噴き出した。
「私もそう思う。だけど…一緒に帰ってやりたい。」
当面これで大丈夫、そう思えて涙が込み上げる。
「…ケインと言われたか、敵対者の監視が在る可能性が有れば、今この子を連れて戻るのは剣呑では無いかな?!。」
「は…それは。」
命に代えてもその身で庇い、国の未来を購いたいと願っての要求だが、急いては事をし損ずる。
「貴方は1度お国へ戻られ、この子が戻れるよう準備を整えられてはどうかな?!お知らせ下されば私がこの子を連れて行こう。」
「でも、それではあまりに…。」
「私がそうしたいのです。とても他人とは思えないものでね。」
戸惑う執事に、ブランシュが言い含める。
「もしも、もう一度咎められる様なことが有れば、私はここに来て直ぐ行方不明になっていたと。」
「無理をするな。お前の代わりは居ないのだからな。」
「は。」
低い応えと共に、深々と一礼を残して立ち去ろうとした。送ろうと声をかけると。
「ふらふらと憔悴した様に帰国する方がリアリティが有ります。」
そう、言い残して彼はこの屋を後にした。
ブランシュにもう一度礼を残して。
改めて言うまでも無かったが、彼の来訪を外に漏らさぬように言い置いて、ブランシュに向き直った。
「大変な時と場所にお生まれだったんだね。可哀想に。加えて君には、自分と周りの状況を掴む能力が長けていた、その為に正面から向き合う事に成ってしまった。」
「時と場所?!。」
「そう。君が、同じ場所、同じ両親の元に、今と同じ容貌、能力を持って生まれても、時がもう少し後か、前かなら今とは全く違う状況に成っていただろう。」
「そうかも知れない。あの時、貴方に遭わなければ、私はとうにこの世に居なかったものね。」
しみじみと言う。
「父様だ。ブランシュ。例え何処へ行こうと、何に成ろうと。」
「ほんとに?!。」
「うたぐり深い奴だな。」
何の利害も駆け引きも存在しない関係を、殆どの人間が持って生まれて来るのだが、私もブランシュも、これまで得られずに来た。
私に限って言えば、得られなくても与えることが出来ればこれ程の充足が生まれるものなのだと驚いている。
彼に引き合わせてくれた神に感謝する。
読んで頂き有り難うございました。彼等の大変な人生はまだまだ続きます。次回作もお楽しみに。