第7話 懐かしい顔ぶれ
題名がちょっと変わりました。
悪役令嬢じゃないって言われまして……確かに! と納得してしまいました。
魔力を体にまとわりつかせることで身体能力が向上することを発見してから私は雑用をしつつその訓練をひたすらに続けた。
義母や義姉たちも最初の頃は頻繁に嫌がらせをしてきていたが私が従順に仕事をこなし反抗しないことがわかるとそれも減っていった。まあ減っていっただけで思い出したように嫌がらせはされるのだがそんな些細なことよりも私にとっては新しい魔力の使い道を習得する方がよほど重要だったので気にはならなかった。
(私が何もしなくても時が満ちれば終わるような儚い夢だしな)
直接手を出すことが出来ない訳ではない。5歳当時と変わらぬ非力な体ではあるがやり様はいくらでもある。しかしこんな勘違いをした愚か者どもの為に自らの手を汚す必要は無い。官憲に目をつけられて面倒なことになる可能性もあるし、何より自分の居場所ではなくなったとはいえ思い出深い家を奴らの血で汚すことの方が嫌だった。
だからこそ従順を装い、ただ爪を砥ぐ日々を続けるのだ。その時が満ちるまで。
そして3か月後、私は短時間ではあるものの全身に魔力を纏わせながら動けるまでになっていた。時間にして5分程度だろうか。静止している状態であれば1時間はもつのだが動けなくては意味がない。毎日の訓練は着実に動ける時間を延ばしている。自然に1日中纏うことが出来るようになるのが理想だがそれにはまだかなりの時間が必要そうだった。
とは言え魔力を纏えるようになったことで仕事は格段に楽になった。使用人たちによる嫌がらせのような仕事もあったがある意味でこの技術の修行のようなものだと考えればそれもまた面白く感じた。私への嫌がらせの仕事を作っている暇があるならしっかりと自分の仕事をこなせとは思わなくはなかったが。
そしてある程度自由に動ける目途が立ったため計画を実行に移すことに決めた。
「よし、行くか」
一日の仕事が終わり粗末な夕食を食べ終えた私は部屋に戻り眠ったと見せかけた。そしてこの屋根裏部屋唯一の小さな窓から身を乗り出し屋根の上へと立つ。
新月に近い月明かりが雲の間から弱々しい光で屋敷と庭を照らしている。門の外で立っているべき男はいつも通り門の中の待機所でさぼっているのだろう。その姿は全く見えない。それを確認し私は屋根から身を躍らせる。落下の浮遊感を感じながら魔力を身に纏い音も無く着地するとそのまま塀に向かって走り、3メートルはあるそれをそのまま飛び越える。気づかれた様子もなさそうだし大丈夫だろう。
「さて、町の食堂だったな。うまく見つかれば良いが」
そんなことを口にしながら町への道をひた走る。久しぶりに会う顔に思いをはせ、自分でも知らぬ間に笑みを浮かべながら。
魔力を纏い全力で走ったおかげもあり通常であれば30分はかかるであろう町への道のりを4分程度まで縮めることが出来た。
久しぶりに見たトレイシーの町は私の記憶からそこまで変わってはいなかった。まあ2年でそこまで大きく変わることは普通ならありえないだろうが好都合だ。
とは言え夜も深まってくる時間だ。既にほとんどの店は閉まっており、営業しているのは酒を提供している食堂やバーくらいなものである。まあ一部にぎわっている区画もあるようだがそこは私には関係無いしな。
人通りの少ない道をさらに人目につかないように注意しながら進む。使用人の服ではなく嫌がらせで渡されたボロボロの服を着ているため物乞いと思われるかもしれないが万が一私が外に出ていたと言う噂が立ってもまずい。まあ私の事を覚えている町の住人がどれだけいるかとも思うが自ら面倒事を招く確率を高くする必要は無い。
記憶の中の町を思い出しながら見比べていくが目的の場所はなかなか見つからなかった。トレイシーの町は城下町ではないが馬車であれば2時間程度で城へと着くことが出来るほどの場所にあるため小さくはない。
(仕方がない。今日の所は帰るか)
1時間ほど探したところで早々に見切りをつける。開いていた食堂もほとんど店じまいを始めたため残っているのはごくわずかな店だけだ。さすがに開いていない食堂にアレックスたちが居るかを判断するすべは無いしな。
そう結論付けて帰ろうとした私の目に私と同じような格好をした幼子たちが細い路地に集まっているのが留まった。何事かと少し興味を惹かれ、物陰からその様子を探る。
物乞いの幼子たちが集まっているのは細い路地にある扉の前だった。おそらく表通りに面した食堂の裏口だろう。物乞いの幼子たちは期待に満ちた目をしながらじっとその扉を見つめていた。そしてその扉が開くと、わっと言う歓声が沸く。
「静かにおし。いつも通り仲良く分けるんだよ」
懐かしい顔が持ってきたおそらく食堂の余りものを物乞いの幼子たちが争うこと無く分けていく。普通ならありえない光景だ。きっと彼女が教育したんだろう。そんなことを考えて自然と笑みが浮かぶ。
食事を食べ終えた物乞いの幼子たちが1人、また1人と散らばって行った。そして路地に人影が無くなったのを見計らいゆっくりと彼女の元へと歩を進める。そんな私に彼女が気づいた。
「すまないね。今日の分はもう……」
月を隠していた雲が晴れ、薄い月光が私を照らした。彼女の手から持っていた鍋が地面に落ちカランカランと乾いた音を立てる。驚きに染まったその顔に向けて私は微笑んだ。
「久しぶりだな、ヘレン」
「シエラ様……」
記憶にある顔よりも少々やつれ皺は増えていたが彼女は間違いなくメイドのヘレンだった。ヘレンは震える手を私へと伸ばすと力強く私をぎゅっと抱きしめた。ボロボロの服が濡れて肩に張りつく感触が、震えるその体が、ヘレンが泣いていることを教えてくれる。それがとても愛おしくて私もぎゅっとヘレンを抱きしめかえした。
「ただいま、ヘレン。苦労を掛けたな」
「いえ、いえっ。お帰りなさいませ……シエラ様」
私達の抱擁はヘレンが戻ってこないことを心配したダンが様子を見に来るまで続いたのだった。
店じまいが終わり扉の閉められた食堂には懐かしい顔が一堂に会していた。執事のマーカス、メイドのヘレン、料理人のダン、そしてアレックス。私の事を心配し、そして信じて待っていてくれた者達だ。
「本当にありがとう」
「もったいないお言葉です」
私の感謝の言葉にマーカスがハンカチで目頭を軽く拭き、そして記憶通りの優しい笑顔でそう答えた。他の3人も嬉しそうに笑っている。
「他の皆は大丈夫か?」
「はい。少々伝手がございましたので。この町には我々しかおりませんが皆元気でやっていると手紙をもらっております」
「そうか。それなら良かった」
マーカスの言葉を聞いて気がかりだったことが1つ消えた。
私が最も交流していたのはこの4人の使用人たちだがもちろんそれ以外にも屋敷で働いている者達はいた。それぞれが自分の仕事を完璧にこなし、私たちを温かく見守ってくれていた忠義者ばかりだ。彼らならどこに行っても仕事に困ることは無いだろうとは思っていたがマーカスの伝手であればより良い再就職先を見つけることが出来たであろう。
皆の顔を見ることも出来たし感謝を伝えることも出来た。気がかりも1つ消えたし時間も遅い。そろそろ潮時だな。
「色々と話したいところだが今日は遅い。また明日にしよう」
「そうですね。今お部屋を用意します」
「必要ない。私は屋敷へと戻るからな」
「どうしてですか!?」
私の答えが意外だったのかヘレンが声を上げた。その声には驚きと共に私が屋敷へ戻ることへの忌避が多分に含まれていた。そんなヘレンを諌めながらマーカスが言葉を繋げる。
「逃げてこられたのではないのですか?」
「なぜ逃げる必要がある。少なくともあと2年半ほどは屋敷にいるつもりだぞ」
「2年半ですか……」
「ああ」
考え込むように腕を組んだマーカスをニヤリとした笑みを浮かべて見つめる。しばらくして私の視線の意図に気づいたのかハッとした顔をしたマーカスが苦笑しながら私を見た。
「そう言うことですか。さすがシエラ様、博識ですね」
「どこかの執事の教育が良かったのだろう」
「お教えした覚えはありませんが、素直に喜んでおきましょう」
肩をすくめて笑うマーカスとは対照的に他の3人はぽかんとした顔で私たちを見ている。どうやら理解できているのはマーカスだけのようだな。
まあそういった知識は普通の人なら必要ないし必要になったとしても専門家を雇うことの方が多いから知らないだろう。マーカスが知っていると言うことが褒められるべきことなのだ。
「えっ、どういうことですか、マーカスさん?」
「アレックス。何でもすぐにマーカスに聞こうとするな。自分で考えなくては成長しないぞ」
「はい……」
しゅんと落ち込んだアレックスの頭を撫でる。私よりも背が高くなってしまったので少々やりにくいが。
「明日までの宿題だ。ではな」
「はいっ! また明日」
顔を上げ嬉しそうに目を輝かせるアレックスの姿にぶんぶんと振られる尻尾を幻視しながら皆に笑顔で再会を約束した別れを告げる。全員に見送られながら私は路地へと消え、そして魔力を纏って再び屋敷の自分の部屋へとひた走るのだった。
お読みいただきありがとうございます。
そろそろ反撃開始です。