第6話 雌伏の日々
アレックスのいなくなった屋敷で私は使用人のように扱われた。いや違うか、使用人たちが私を見る蔑んだ視線を考えれば私は彼らよりも下の扱いだろう。今この家に残っている使用人たちは義母たちが連れてきた者達だけらしい。主人があの女であれば使用人もこの程度だろう。使用人は主人を映す鏡なのだから。
朝早くの水汲みから始まり、使用人たちに嫌がられるきつい仕事や汚い仕事を押し付けられる日々。食事も満足のいくものは与えられず当然義母や義姉たちとそれを共にすることは無かった。
義姉たち2人は義母の教育の賜物か性格がねじ曲がっているようだ。私の仕事に文句をつけてくるのは当たり前で時には目の前でごみをぶちまけたりと明確な邪魔をしてくることさえあった。
サイズの合わない古いボロボロの使用人の服を着せられ、私が眠っていた使用人の部屋の使用も禁止され、小さな窓しかないため薄暗く不用品の物置にされていた使用人の棟の屋根裏部屋へ住むように言われた。そこは埃っぽく用意されたマットレスにはカビが生えている始末だった。
客観的に見てひどい扱いだとは理解しているのだが不思議と怒りは湧いてこなかった。直接の暴力を振るわれることは無かったし、心のどこかでこの扱いが私に対する罰なのではないかという想いがあったからかもしれない。クリスを救えなかった私の罪へ対する。
いや、もしかするとアレックスたち、私を心配してくれている者たちがいてくれるということを知っていたからかもしれないがよくわからない。
どんなにきつく汚い仕事であっても手は抜かなかった。義母や義姉のためではない。私が懸命に仕事をしたその部分は在りし日の姿へと戻っていくのだから手を抜くはずがなかった。
むしろ今までそういった苦労を私達に全く見せずに屋敷を完璧に保っていたマーカスたちに感謝の念を抱いたくらいだ。しかし一方で問題もあった。
「失敗だな」
自分の手のひらを見つめため息を吐く。目の前にあるのは整理を言いつけられたフレッドの私室に乱雑に積まれた本の山だった。
本を収納する棚は私よりもはるかに背が高く、そのしっかりとした装丁の本はなかなかの重量で5歳児の体である私には少々重すぎる。もちろん脚立はあるが子供が使用することをあまり想定していないであろう高さと作りであるためバランスを崩して落ちる可能性が高そうだった。
ちなみに置いてある本には全くほこりなど被っておらず、分厚く背の高い場所に戻さなければならない物ばかりが積まれているところから考えるとわざわざ私の為に仕事を作ってくれたようだ。
「毎度毎度、ご苦労なことだな」
そう呟き、もう一度意識をして魔力を操り魔法陣を描いて魔法の発動を試みる。描く魔法陣は【風の一式】。単純に軽い物を浮かべたり重い物を持ち上げる補助の出来る魔法陣なのだが発動しようとした瞬間に完璧に描かれていたはずの魔法陣はみるみる崩れていく。もちろんそれで発動などするはずがない。
「ふむ。やはり無理か。私の中で何かが変わったのだろうな」
とりあえず魔法で解決するのは無理そうなので地道に一冊ずつ戻すことに決め、少し危なっかしくも整理を続けていく。
私の知っている陣式と呼ばれる魔法の発動は魔力による魔方陣の作成によって行われる。各個人の魔力の色によって威力や消費魔力に違いは出てくるが魔法陣さえ正しければ発動しないと言うことは無いはずだった。
この魔法陣をいかに素早く正確に描くことが出来るかが魔術師の実力に直結しておりそのための魔力の制御訓練が重視されていたのだ。
ちなみに私の黒は傾向としては消費魔力が少ない代わりに威力も少々減衰しているようだった。まあ黒色の魔力を持つ者はクリスと一緒の人生でも他にいなかったので違うのかもしれないが。
まあそのあたりは置いておくとして眠りにつく前の私はちゃんと魔法の発動が出来ていた。それが出来なくなった原因はシャルルを取り込んだこと以外にないだろう。
なぜそんなことが出来たのか、そして出来ると思ったのかはわからないのだが。あの時は無我夢中だったからな。
しかし逆に言えば魔法が発動できないということはシャルルが存在しているという証左なのだ。そう考えればこの不自由さも好ましく思えてくるから不思議だ。
半分ほどの本を危なっかしくも片付け一息ついているとノックもなく部屋の扉が勢いよく開かれた。マナーのない態度に一瞬イラッとするが入ってきた顔を見て何も言わずに作業を続けることに決めた。
入ってきたのは私の義姉であるトリゼラとアナスタシアだ。トリゼラは私より3歳上の10歳、アナスタシアは9歳になる。あの性格の悪い義母の趣味なのかお人形のようなパーティドレスを着ており、性格もやはり似たり寄ったりだ。顔自体は悪いわけではないのだがその性格が見え隠れしているので婚姻には苦労しそうな2人である。まあ私にとってはどうでも良いことだが。
2人は書斎に入ってくるなり追いかけっこを始めた。私の顔をしっかり確認してから始めたところを見るといつも通りなにか仕掛けてくるんだろう。本来ならこの無作法者どもを叱りつけるのが正しいのだろうが私の言葉を聞かないのはこれまでの経験上わかりきっている。むしろ早く何か難癖をつけて去っていってくれれば良いのだが。
そう考えながら脚立に乗り本を戻しているとそばを通ったアナスタシアが私の脚立を思い切り蹴飛ばした。脚立の上で背伸びして本を返していた私は傾いだ脚立にバランスを保つことが出来なかった。手と足が宙を泳ぎ地面へと向けて落下していく。とは言えそう高さのない脚立だ。少々怪我をする可能性はあるが私なら十分回避でき……
「ちっ!」
倒れる先へと視線を移し思わず舌打ちする。そこには先程までは無かったはずの割れたガラスが撒かれていた。おそらくトリゼラがアナスタシアが脚立を蹴ったと同時に撒いたのだろう。
このまま落ちれば確実に怪我をする。下手をすれば大怪我だ。しかし既に宙に浮いてしまっている私に出来ることなどほとんどなかった。せめて怪我をする場所を最低限にするため必死で手を突き出す。
その時、直感が働いた。なぜかはわからないがそうすべきだという確信があった。それに従って掌に黒い魔力がまとわりつかせる。その手は割れたガラスに触れても全く痛みもなく、そして反発するように私の体がガラスのない本棚方向へと飛んだ。
「ぐっ……」
背中をしたたかに本棚へと打ちつけそしてバサバサと本が私に向かって落ちてくる。頭も打ったらしく視界にチカチカと星が飛んでいた。
「あーあ。何仕事を増やしてるのよ。このクズが」
「行こ、お姉さま。ここにいるとクズが伝染っちゃう」
「そうね。キャハハハハハ」
私を嘲る言葉と笑い声を残して2人の義姉たちが出て行った。しかし私の関心は砂粒ほどもそちらに向くことはなかった。今とっさに起きた不可思議な現象へと私の意識の全ては注がれていたからだ。
自分の体の上に乗る落ちてきた本をどけて立ち上がり、頭を軽く振って改めて自分の手を見る。割れたガラスに触ったはずなのに怪我どころか跡さえ全く見えない綺麗な手だ。
「どういうことだ?」
先ほどの状況を思い出しながら手へと魔力をまとわせようとする。しかし先程はとっさに出来たその芸当はすべての集中力をそこへ集中させなければならないほどに難しかった。
ゆっくりと非常にゆっくりと黒い魔力が手を覆っていく。額からは汗が流れ、脳が焼ききれてしまうのではないかと心配になるほど頭が熱くなっていく。もし何かが起これば集中力が切れて雲散霧消してしまうだろうことがはっきりとわかった。
なんとかそれを維持しつつ床に落ちた分厚い本をその手で持ち上げる。まるで外見だけのスカスカの入れ物を持ち上げるような感覚に思わず笑みがこぼれた。
「あっ」
そこで集中力が切れ本は元の重さを取り戻し、片手では支えきれずに取り落とす。バタンという重い音が響くのを私は笑みを深めながら聞いた。
魔法を失ったがそれに代わる新しい道を見つけたのだ。習得は難しそうであるがもし出来れば私の切り札になり得るものだ。ここでの生活にも役立つだろう。
「ふふっ。災い転じて福となすか。たまには役に立つな、あの2人も。さて、とりあえずは片付けを再開するか」
来た時よりも汚れてしまった書斎を見渡しつつ私は掃除を再開するのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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