閑話:とある夫婦の会話
カラトリア王国の王都ジェンナにあるモルガン城の中には立ち入りを制限された区画が存在する。それは宝物庫であったり、はたまた王家にのみ伝わる文献が保管された書庫であったりと様々だ。
そんな重要区画と同様にその部屋に立ち入ることが出来る者は両手の指で足りるほどしかいない。そんな部屋の中で2人の男女がソファーに座りくつろいでいた。
1人は壮年の男だ。いつもオールバックにしている王家の証であるその銀髪を風呂で解き、緩くウェーブを描きながら下ろしている姿はいつもの厳格な雰囲気を感じさせない。ワインを片手にしながらソファーへと体を預けゆったりと過ごしている。
その隣では赤髪の30ぐらいに見える美しい女性がどこかぼーっとした顔をしながらワインのつまみとして用意されたチーズをもぐもぐと食べていた。ワインも飲んでいないのにその手が止まることはない。
何を隠そうこの男女こそカラトリア王国の王であるダイオシニアス・モルガン・オウル・ホワイト・カラトリアと王妃のギネヴィア・モルガン・オウル・ホワイトだった。
そしてこの部屋は2人の寝室である。現在はゆったりとくつろぐために人払いも済ませこの部屋にいるのは2人だけだった。
「はぁー、可愛かったわねぇ」
ギネヴィアの何度目になるかわからないその感嘆の声にダイオシニアスが苦笑する。そしてどんどんと消えていくチーズを妻のために塊から切り出していく。その端からギネヴィアが食べていくのでダイオシニアスの口に入るチーズはわずかなものだ。
「声を掛ければ良かったのではないか?」
「そうなのだけれどね。あまり目をかけすぎるのも……ね」
「難しい立場ではあるな。王族になったからには公平公正でいてもらわねばならぬ」
「そうね。でもそれが簡単に出来るのなら順番に王家に嫁ぐ必要なんてないわよ」
あっさりと言い放ったギネヴィアの言葉にダイオシニアスがあいまいな笑みで返す。
実際カラトリア王国の慣習として3大侯爵家が持ち回りで王妃を務めているのだ。血を濃くし過ぎず、優秀な者の血を取り込むためとは言っているがその実、3大侯爵家の勢力を拮抗させるためという事は公然の秘密となっている。
しかし公然の秘密であるからこそそれを表にすることは出来ない。だからこそ身内をひいきにしているような態度をとることなど出来るはずが無かった。
「レオンも幸せ者よね。あんなに可愛いクリスちゃんをお嫁に出来るんですもの」
「そうだな……」
「あらっ、もしかしてクリスちゃんに不満でもあるの? 事と次第によっては……」
「そうではない」
ワインの瓶へと伸ばそうとしたギネヴィアの手をダイオシニアスが掴んで首をゆっくりと横に振る。「冗談よ」と笑いつつギネヴィアが掴まれていない方の手でダイオシニアスの口へとチーズを運んだ。
ダイオシニアスはチーズを咀嚼しワインで流し込むと空になったグラスを机の上に置く。
「もし今回ヴィンセントが死んでいたらと考えたのだ」
「ヴィンスが? あの子が死ぬなんて想像もできないけれど、そうね……もしそうなっていたらクリスちゃんには申し訳ないことになってしまったかもしれないわね」
「2代続けてスカーレット家が王妃と言うのは反発が起こるだろうからな。第2夫人に甘んじてもらうしかなかっただろう」
「カリエンテ君が産まれてなければスカーレット領を治める必要があるからと婚約破棄させたかもしれないわね。レオンとクリスちゃんには悪いけれど」
2人してそんな想像を働かせる。クリスティには酷な仕打ちかもしれないが、そこで感情に流されて判断を誤ればその先に待っているのはカラトリア王国の体制が歪んでしまう未来だ。姪がいくら可愛かろうともギネヴィアも国とは天秤にかけることは出来なかった。
「やめましょう。そんな未来は来なかったのだから」
「そうだな。すまなかった」
「いいのよ。色々な可能性を考えるのは王の務めなのでしょう」
頭を下げるダイオシニアスの額へとギネヴィアが軽いキスをして笑う。そして空気を変えるためかパンっと手を叩いた。
「そうだ。面白い子もいたわね。シエラちゃんだっけ。クリスちゃんの騎士の子」
「シエラ・トレメイン名誉赤女男爵だな。面白いと言って良いのかはわからんが」
「なんで? 可愛い子じゃない。ちょっと力は強いみたいだけれど」
ちょっとどころではないのだがなと思いつつダイオシニアスが苦笑を浮かべる。そして模擬戦の様子とその後のことを思い返す。騎士団長であるオージアスに相談したいことがあると言われて聞いた話のことを。
「本気ではなかったそうだ」
「えっ、オージアスが? それは当たり前……」
「違う。シエラがだ。正確には徐々に攻撃が速く重くなっていっていたらしい。オージアスも限界を見極めようとしたそうなのだがあの時はとっさに体が反応してしまったそうだ。しかしオージアスはそのことを後悔してはいなかったよ。あのまま続けていればどちらかが死ぬか大怪我はしていただろうとのことだ」
「そんな、まさか」
口を手で押さえて驚くギネヴィアに向けてゆっくりとダイオシニアスが首を縦に振る。その目にはふざけた色など全く見えなかった。その様子にギネヴィアが再び息を飲む。
「騎士団でどうにかなりそうかと聞いたら無理だと言われたよ。強烈すぎる個は全体の統率を乱すと。現状維持が最良だろうと言っていた。クリスティに懐いているようだしな」
「そうね。クリスちゃんも好いているようだしね」
その後2人はしばらくたわいもない話を続けながら過ごし、しばらくしてベッドへと横になった。
静寂はしばらくの間続き、そして聞こえてくるダイオシニアスの静かな寝息の横でギネヴィアは目を閉じたまま頭を巡らせていた。浮かんでいるのは可愛い姪とそのお付きの騎士の少女の姿だ。
(一度スカーレット領へと行った方が良さそうね。何か方法はないかしら)
そんなことをしばらく考え続け、そしてあることを思いついたギネヴィアはにんまりと口の端を上げて笑った。そしてゆっくりとまどろんでいき本当に眠りについたのだった。