閑話:すれ違わなかった心
「さすがレオンハルト殿下。優秀ですね」
皆が私を褒めてくれる。だがそれを私は素直に喜ぶことなどない。その後に続く言葉を誰よりも知っているのだから。
ヴィンセント殿下には及びませんが。
その言葉が透けて見えるのだ。もちろん直接そのような言葉を私に投げかけるものなどいない。今のところ私はこれでも王位継承権3位の王族なのだ。さすがにそこまで愚かなものなどいるはずがない。とは言え私が王位を継ぐ可能性などほぼ無いに等しいのだが。
王位継承権1位であるヴィンセント兄さまはとても優秀だ。頭脳明噺で武術にも優れているし、性格は温和だが状況によっては決断を下すこともできる。既に父上から一部の仕事を引き継いでいるのだがそれも如才なくこなしているそうだ。ヴィンセント兄さまの治世の間はカラトリア王国は安泰だろうと城内の誰しもが思っているほどなのだ。
小さい頃の私にとってそんなヴィンセント兄さまは自慢だった。いや今でもヴィンセント兄さまは自慢の兄だ。それが変わることなど一生涯ないだろう。
それなのに……いつからだろう。ヴィンセント兄さまのことを疎ましく思ってしまうようになったのは。
私はずっとヴィンセント兄さまの背中を追いかけてきた。そのための努力を怠ったことはないし、そのおかげもあり同年代の者に比べれば私は突出した実力を持っていると自負している。しかしそれでもヴィンセント兄さまには全てにおいて及ばないのだ。
小さい頃はそれでも良かった。自分が成長しているということが実感できていたし、周囲も純粋にヴィンセント兄さまに追いつくようにと応援してくれていた。しかし成長するにしたがって自分がどうあがいてもヴィンセント兄さまに敵わないということが理解できてしまったのだ。
そしてふと気づいた。いつしか周囲の者たちが優秀だと褒めることはあれどヴィンセント兄さまに追いつくようにと応援しなくなっていることを。それは私がどうあがいてもヴィンセント兄さまには敵わない劣化品であると見限られたからだとわかってしまったのだ。
それがわかってしまってしばらくは地獄だった。そんなことはない、劣化品などではないと今まで以上にがむしゃらに努力した。わからないことがわかるまでどん欲に教えを請うた。もっと強くなれるように体をいじめ抜いた。そのことが逆にヴィンセント兄さまとの格の違いを浮き上がらせてしまうとは思いもせずに。
しばらく無駄な努力を続け、体を壊して寝込んでしまったことで私は悟った。私はヴィンセント兄さまには敵わない。そしてこの場所にいる限り純粋に私のことを私として見てくれるものなどいないのだ。私を私として認めてくれるのはきっとヴィンセント兄さまを知らない者だけ。そしてその知らない者でさえヴィンセント兄さまを知ってしまえば私のことを見てくれなくなるのだろう。
だから私は逃げ続けた。作り笑顔を張り付け、聞こえないふりをした。その目に気づかないふりをした。そうやって逃げることでしか心の平穏は得られなかった。
逃げ場所が欲しかった。だから婚約者であるスカーレット家のクリスティと結婚し、この場所から出ていく日を夢想した。
クリスティ自身は既にヴィンセント兄さまと会ったことがある。だから純粋に私のことを私としては見ていないのだろう。でもそれでも良かった。ここから出ていくことが出来るのだから。そう思っていた。
戦地からの急報でヴィンセント兄さまがスタンピードをおこしたオークの集団に襲われ危うく命を落とすところだったと聞いた時には私自身の心臓が止まるかと思った。そこにはクリスティもいたという事もあるのだが、それ以上にもしヴィンセント兄さまが死んでしまっていたらどうなっていたか想像してしまったからだ。
もしヴィンセント兄さまが死んでしまったとしたら、私はここから出ていくことは出来なくなる。ライアン兄さまは病弱なので王位継承権1位になることを自ら辞退している。つまり私が継承権1位になってしまうのだ。
そうなれば私はヴィンセント兄さまが今まで行っていたことをこなすようになる。そしてそこでも比べられるのだろう。ヴィンセント兄さまは死んでしまったと言うのに。
そこから逃げることは出来ない。逃げ場などない。
そこまで考えて全身から嫌な汗が流れ、そして震えが止まらなくなった。
私が何かを失敗するたびに、判断を誤るたびに皆が思うのだ。ヴィンセント兄さまならばこんなことにはならなかったのに、と。それはきっと私が王位についたとしても変わらない。ヴィンセント兄さまと言う届かない亡霊に私はずっと苛まれ続けなければならない。
それは終わることのない緩やかな拷問の日々だ。
本来であればヴィンセント兄さまやクリスティの生存を喜ぶべきところで、最初にそんな日々を回避できたことに安堵を覚えた自分自身がたまらなく汚く思えた。
ヴィンセント兄さまが戻り、実際の状況が本人から語られた。伝令や報告書では聞いていたけれども本当に一歩間違えば全滅していてもおかしくはない程度だったようだ。その話の中でクリスティやその従者のことをやたら褒めていたのが印象的だった。
婚約者の活躍を喜ばしく思わなければいけないはずなのに私の心はなぜか締め付けられるばかりだった。
そして褒美の下賜も終わり、約束通りクリスティとのお茶会が行われた。正直に言って気乗りはしなかった。戦地でクリスティはヴィンセント兄さまと交流があったようだし、実際に命を懸けて戦ったのだ。ヴィンセント兄さまのことを良く知ったクリスティが私をどんな目で見るのかが不安だったからだ。
しかしそんな不安をかき消すようにクリスティはいつも通りだった。いつも通り笑い、戦いの話を少し誇らし気に話すその姿は今までと変わっていないように見えた。しかしクリスティも貴族として心の内を表情に出さないことを教え込まれているはず。そう考えると心の不安は消えなかった。
そんな折にヴィンセント兄さまが現れ、クリスティと話し始めた。クリスは笑っていた。そのことが私の心を締め付けていった。
やはりクリスティもヴィンセント兄さまが……
「ヴィンセント殿下に全てを奪われてきたのですか?」
いつの間にか近づいていたクリスティの騎士、シエラの言葉に動揺し思わず声が出そうになった。すぐに取り繕い、いつも通りに戻ったつもりだったのにシエラは私の心を見抜いていった。
私の認められたいという思いを。
その冷たく私を見る瞳は私のことなど全く興味はないと物語っているのに。それでもシエラは私自身を見ていた。
「クリスはお前を心から愛している。私からすればお前なんかをな。その価値にすら気づかないほどの愚物ならお前を私が殺してやろう」
その言葉にはっ、とする。そして気づく。クリスがヴィンセント兄さまに向ける笑顔が自分に向けられるものと違っていることを。そしてその笑顔のどちらに価値があるのかを。
私は間違っていた。こんな身近にいたのだ。ヴィンセント兄さまを知りながらも私のことを認めて愛してくれた人が。最近では逃げ場所としか考えていなかったのに。
記憶がよみがえる。クリスティに初めて会った時の記憶だ。
3歳の時、ここで私は初めてクリスに会った。咲き乱れる花々の中に1人佇む姿はその赤い髪と相まってまるで薔薇の妖精が現れたのではないかと思うほど綺麗だった。私はその薔薇の妖精に恋をしたのだ。
あぁ、本当に私は馬鹿だ。こんな大切な事さえ忘れ、そして最愛の人の気持ちにさえ気づかないとは。
「忠告感謝する」
そう言い残しクリスの元へと向かう。愚かな自分が浪費してしまった時間が戻ることはない。しかし未来を変えることは出来る。私とクリスとの大切な時間をヴィンセント兄さまなどに奪わせはしない。
こんな馬鹿を愛し続けてくれる者などクリス以外にはいない。だからこれからはそんなクリスに見合う男になるために努力しよう。他の誰にも認められなくてもクリスに認められれば私は良いのだから。
そんな決意を胸に秘め、私は話し続ける2人へと声を掛けたのだった。
投稿が不定期になってしまっており申し訳ありません。
5月で一旦落ち着くはずです。