閑話:アンドレアの想い
部屋を出ていくその小さな背中を見送る。その本性を知らなければ人形のような可愛らしい少女だと誰しもが思うだろう。私も初めはそう思っていたし、本性を知っているはずの今でさえそう思ってしまいそうになるのだから。
私が彼女を初めて見たのは戦地へと出発する前、同行する貴族たちがヴィンセント殿下へと挨拶に来た時だ。スカーレット侯爵家のクリスティ嬢の背後に控えるスカーレット家の騎士服を着た場違いな少女。その程度の印象だった。それよりもクリスティ嬢に対する落胆の方が大きかった。
クリスティ嬢のことはレオンハルト殿下の婚約者として直接の面識こそほぼないものの以前から見知っていたし情報も集めていた。スカーレット家の得意とする火の魔法を自在に操り、勉学、作法についても申し分ないともっぱらの評判だった。将来この国を支える有用な人材と期待した1人だったのだ。
それがふたを開けてみれば戦地へと向かうと言うのにこんな小さな少女を連れてくるような愚か者だった。その少女は私と同い年と言う話だがどう見ても6,7歳程度にしか見えなかった。
別に少女を可愛がってそばに置くと言う事に問題があるわけではない。それを実際に参戦するわけではないとはいえ戦地へと連れて行こうとする浅慮さが問題なのだ。所詮クリスティ嬢も他の貴族の子女と同じだったかとそう思ったのだ。
その少女についても少ないながら情報は入っていた。名前はシエラ・トレメイン。スカーレット領の名誉女男爵でバジーレ王国出身。スカーレット領に蔓延していた謎の疫病の治療薬を作成したとかレオンハルト殿下のお付きだったガストンを完膚なきまでに叩きのめしたとかいう噂はあったが詳細は不明で、一度会ってみたいと思っていた人物だった。こんな子供とは思わなかったが。
実際に会った印象とその噂は全くかみ合っていなかった。優秀な従者がいると言う話も聞こえていたのでおそらくその従者の手柄なのだろうとその時は考えていた。
戦地へと着きシエラが体調を崩したと聞いた時はそれ見たことかと心の中で思ったものだ。馬車での移動とは言え慣れない旅は体力を使う。体調を崩す可能性は少なくない。男でさえ体調を崩した者もいるのだ。こうなることは予想できたはずだ。
そんなこともありクリスティ嬢の評価をさらに下げながらも、私の関心はシエラへとは向かわなかった。
戦場の実地体験はつつがなく進んでいき、私自身の隠れた目的である使える人材の発掘も問題なく進んでいった。将来ヴィンセント殿下が王位へと就いた時にそれを支える有用な人物を把握しておくのは宰相となる私にとっては義務のようなものだ。
今回の視察でこれは、と思う人物も数人見つかったがやはりそれでもクリスティ嬢に勝る人材はいなかった。
その後少々クリスティ嬢の評価を上げることもありつつ、件のシエラと話す機会があった。話してみるとその受け答えは見た目の年齢よりかなり上の印象であり、なにより非常に癖の強い人物だとわかった。噂の話に軽く触れつつ挑発するようなことも聞こえるように呟いてみたのだがそれについては流された。シエラにとってはどうでも良いことだったのだろう。
シエラにとって優先すべきはクリスティ嬢なのだ。短い時間の会話であったがそれがとても印象に残った。
そして最終日の前日、あのオークたちの襲撃が起こった。
叫ぶ声と何かが破裂する音に目を覚ました私は急いで外へと出た。警備していた兵士たちが慌ただしく動き出してはいたが何が起こっているか正確に判断が出来ずにいた。近くにいた兵士に話を聞いて状況を把握しようとしているとそこにクリスティ嬢がスカーレット家の面々を連れてやって来た。その表情から事態は非常に切迫していると即座に判断した。
「何事ですか!?」
「モンスターの襲撃です。防衛体制の構築をします。急いでください!」
そう指示を飛ばして即座にスカーレット家の面々が陣を作っていった。その姿を横目に見ながら私自身も未だ混乱を続ける他の領や中央の貴族の子弟やお付きたちに指示を出すべく動き始めた。
事実確認は取れていない。何かがぶつかるような大きな音は響いてきているがそれが本当にモンスターの襲撃によるものかはわからない。しかし有無を言わせぬほどの力がクリスティ嬢の言葉にはあった。だから信じることにしたのだ。
なんとか防衛体制を築きあげた頃に実際のオークとの戦闘が始まった。倒しても倒しても波のようにやって来るオークとじりじりと下がりながら戦い続ける。前衛が受け止め、魔法を使える者が広範囲で攻撃を加え、戦えない者たちも補給や治療などそれぞれが出来ることを最大限に行っていた。
その中でも特筆すべき戦いを行っていたのはクリスティ嬢とシエラの従者だと言う男だった。魔法陣の構築速度、威力共に他の追随を許さず、王宮魔術師にも匹敵するだろう実力をもっていた。
それでもオークにじりじりと私たちは押し込まれて行った。戦える者はどんどんと減っていく。私は決断を下すべきか迷っていた。自分たちを囮にヴィンセント殿下を逃がすべきかという決断を。絶対に承知されないだろうと考えながら。
その時だった。私の視線の先で宙に何かが打ち上げられる姿が映った。それは小さな人影。かなり前にオークの中へと飲み込まれ既に死んでしまったのだろうと思っていたシエラの姿だった。
「シエラ!」
今までどれだけのオークを目の前にしようとも動揺を見せなかったクリスティ嬢が声をあげ、届かぬことがわかっているはずなのに手を伸ばす。
宙に浮くシエラは返り血によるものか全身が赤黒く染まっていた。それは彼女がどれだけ多くのオークを屠ってきたかの証左だった。
噂は本当だったのか、そんな考えがふと浮かんだがすぐにそれどころではないと気持ちを切り替える。今までシエラに群がっていたオークが少なくない数いたはずだ。今でさえギリギリのところで均衡を保っていたというのにそのオークがこちらに来ればどうなるかは明らかだ。
「撤退してく……」
「ガァアアア!」
人とは思えぬその雄叫びに私達だけでなくオークでさえも動きを止め宙を見上げた。その声の主であるシエラが空中で体をのけぞらせていた。一回り大きくなったようにも感じるその姿を認識した途端、私の足は震えてしまい言うことをきかなくなっていた。
私は恐怖していた。オークではなく小さなその少女、シエラに対して。
その後の事は良く覚えていない。私の目で追えないほどの速さでオークたちを殲滅していくシエラの姿が印象的すぎて自分がどうしていたのか記憶に残らなかったのだ。そしていつしか日が昇り、生きたオークの姿はどこにもなくなっていた。
モンスターがいなくなったことで危機的状況は落ち着いたがその後の対応のためにヴィンセント殿下と私は忙殺されることになった。それでも2人ともこの危機を救う最大の功労者であるシエラの事を気にかけていた。
そしてシエラがクリスティ嬢とアレックスに肩を貸されながら戻ってきたその時それは起こった。いるはずのないセルリアン家のガストンがシエラへと襲い掛かったのだ。そして身動きの取れないシエラの前にヴィンセント殿下が走り込んでいくのを見た瞬間、私の体は動いていた。
この人を殺させるわけにはいかない!
ヴィンセント殿下を突き飛ばした私の体へと剣が振り下ろされた。鈍い音を立てながら異物が体を通り抜けていく妙な感覚と共にその部分が熱くなる。痛みはなぜか感じなかった。しかし自分の体を見てこれが致命傷だとすぐに認識できるほどの傷でもあった。
地面に倒れ伏しながらヴィンセント殿下がガストンの首をはねる様子を見つめる。良かった、怪我はないようだ。
そして最後となる言葉をヴィンセント殿下と交わし、私の意識は消えていった。
目覚めたのは翌日の日が昇る直前のことだった。寝ずに看病していた従者に話を聞くとどうやらシエラが持っていたハイポーションで命が救われたらしかった。うっすらと残る傷跡をなぞりながらこの恩をどう返せばよいのかと思案した。
しばらく1人で考えていたがこれと言ったものは浮かばなかったため私と同じく休養しているというシエラに直接会って話してみることにした。
シエラは椅子に座ってぼんやりと景色を眺めていた。その姿は年相応であの苛烈な姿の片りんさえ見えなかった。
シエラと話し、彼女の望みがクリスティ嬢と共にあること、クリスティ嬢を幸せにすることであることがはっきりとわかった。そのためならば国さえ敵に回すとさえ言い放ったのだから当たり前だが。
その姿に私は一種の憧れを抱いた。私には出来ない、言えない言葉をこうもあっさりと言えるシエラがうらやましく感じたのだ。
シエラの望みがはっきりとわかったため私の謝礼の方法もある程度目途がついた。今後の動きを予測し、シエラが望むクリスティ嬢と共にあることという希望を邪魔しようとする動きを潰せば良いのだ。口で言うほど簡単ではないが、父様を含めこの動きに賛同しそうな貴族には心当たりがある。現状自分では動けないため多くの借りを作ることにはなってしまうが仕方がないだろう。
小さな背中を見送った後、しばらくして自分も隠し部屋から出る。そして店内に戻るとこの店を任せているレキシーが笑いながら店の出入り口を見ていた。
「面白い子ですね、坊ちゃん」
「ああ、そうだね。暗号を解ける頭があるのに、こんな場所に少女が来る時点でおかしいということに気づいてないんだ。あんなに堂々と合言葉を言うとは思わなかったよ」
「違いますって。いや、それも面白いんですけど」
くつくつと笑うレキシーを首を傾げながら見つめる。何か他におかしいことでもあったかと考えたが思いつかなかったのでそのままレキシーの言葉を待つことにした。
しばらく笑ったレキシーが私の目をまっすぐに見つめる。
「主人のためなら国も敵に回すって言ったんでしょ。素直で面白い子よね。どこかの坊ちゃんも見習えば良いのに」
「誰の事だい?」
「さてねー。ヴィンセント殿下にぞっこんのどこかの坊ちゃんの事じゃないですか? 言い訳みたいに国のため、王家のためって言ってる誰かさんじゃないですかねー」
心の内を覗き込むようなその瞳からゆっくりと目をそらす。レキシーはしばらく前までずっと私のお付きのメイドだった姉のような従者だ。はっきり言って分が悪すぎる。そんな私の反応も予想通りだったのかレキシーが柔らかい笑みを浮かべる。視線をそらしつつ私はシエラの背へと聞こえないようにかけた言葉を心の中で唱えた。
(ヴィンセント殿下の未来を救ってくれたあなたへ最大の感謝を)