第5話 新しい家族たち?
使用人用の館から出て庭を通り、そして私が住んでいた本館へと入って行く。その途中の光景から嫌な予感はしていた。
庭師が丹精込めて育てていた季節の花々が咲く美しい庭園にはどこのものかわからないような女性の像が置かれ、その周りを取り囲むように薔薇の花が植えられていた。しかし手入れが行き届いていないのかその像には汚れが目立ち、薔薇にいたっては枯れた花がそのままの状態で放置されていたのだ。
暖かい小春日和にシャルルとベンチに座り、ランチを食べ、皆で笑いながら過ごしたあの美しい庭園の姿はそこには無かった。
本館の中に入り私の嫌な予感が当たっていたことを確信する。玄関ホールは言わばこの家の顔とも言える場所だ。ここを見ればこの家がどんな家なのかある程度予想がつく。
以前はフレッドとシャルル、そして執事のマーカスによって季節に合わせた花々、そして芸術品がところどころにセンス良く置かれていたそこは見る影も無かった。
赤い薔薇がこれでもかというほどこんもりと活けられた花瓶に、金に輝く動物の置物たち。しかしその金色は見る人が見れば本物の金では無い事がすぐにわかる程度のものだ。見栄っ張りで自己満足、相手のことなど全く考えていないことが良くわかるホールだ。
巡らせていた視線をアレックスへと戻す。その私の様子だけで言いたいことがわかったのかアレックスが申し訳なさそうに顔を伏せた。
「アレックス。マーカスはどうした?」
「マーカスさんは……」
「あらあら、誰が来たのかと思えばごく潰しのお嬢様じゃないの」
アレックスの言葉を遮るようにかけられた悪意の乗ったその言葉に視線をホールから2階へと続く階段へ向ける。そこにはまるでパーティで着るような豪華なドレスを身につけた女がいた。
「奥様、お嬢様に対してその口のきき方は……」
「使用人風情が何を言っているの。今の主人は私よ。主人に口答えするって訳?」
「それは……」
「アレックス、気にするな」
歯向かおうとするアレックスに声をかけてそれを止める。使用人が主人に逆らえばどうなるかはわかりきっている。それにこの程度の言葉など私にとってはそよ風のようなものだ。
スカートを掴み軽く膝を曲げ一礼する。
「お初にお目にかかります。シエラと申します。新しいお母様でよろしいでしょうか?」
「お母様なんて呼ぶんじゃないわよ、このごく潰しが!」
女が持っていた扇子を私に向かって投げつけてきた。くるくると回転しながら飛んできたそれは私の腕に当たって床へと落ちた。避けることは出来た。しかしそうする気は起きなかった。
これが新しい母親か。
「お嬢様!」
「大丈夫だ。気にするな」
「しかし……」
アレックスが憎々しげに女を睨む。こんなアレックスの表情を見るのは初めてだ。私たちに視線を向けながら女がフンっと鼻を鳴らした。
「あぁ、やだやだ。フレッドもこんなお荷物残して死ぬなんて最悪ね。使用人の教育も出来てないし。あぁ、そうだアレックス、明日には出て行ってちょうだい」
「なにをおっしゃるのですか!」
「そういう約束でしょ。そのごく潰しが目覚めるまで無償で良いから勤めさせてほしいってあなたが言ったからわざわざ許してあげたのよ。約束通り目覚めたんだから出て行ってちょうだい。躾のされていない使用人なんて必要ないの。おわかり?」
私達をあざけるような笑い声を残しながら女が奥へと姿を消していった。アレックスは呆然としたままその後ろ姿を眺めている。こんなことがあったのにも関わらず使用人は誰もこの場所にはやってこなかった。それだけで現状が理解できた。
マーカスもヘレンもダンもあの女に解雇されてもうこの屋敷にはいないのだろう。そして私の世話をするために何とか残ってくれたのがアレックスだったのだ。おそらく皆で何とかアレックスが残れるようにと動いてくれたのだろう。あの女の性格からすれば私に利するような使用人を残しておくはずがないのから。
その事実がはっきりとわかり、そして呆然と立ち尽くすアレックスの姿により深い親愛の情が湧き上がってくる。こんな風になってしまった私を裏切らない大切な友人だ。
その体をぎゅっと抱きしめる。アレックスの大きくなった体は以前とは違い少しごつごつとしていたがその暖かさは私をとても安心させた。
「お、お嬢様?」
「ありがとう、アレックス。私を守ってくれていたんだな」
私に抱き着かれて驚き慌てていたアレックスの瞳からぽろぽろと涙が零れはじめた。
周囲には敵しかおらず、頼りになる仲間もなく、親とも離れ離れになりながらアレックスは私を守ってくれたのだ。嫌がらせも受けただろう。理不尽なことも言われただろう。それでも私の為に我慢してくれていたのだ。
感謝してもしきれない恩を私は受けたのだ。
「お嬢様……」
「アレックス、行く宛てはあるのか?」
「はい、お父さんとお母さんが町で食堂を開いています。マーカスさんもそこに……」
「そうか。ならば安心だな」
あの3人がいるならばアレックスは大丈夫だろう。自然と笑みがこぼれる。
町に住んでいるならばここからそう遠くはない。会いに行くことも出来るだろう。心配をかけてしまっただろう彼らには私自らが謝らなくては。なにより私自身彼らに会って話がしたかった。
「お嬢様、僕の心配はいいんです。それよりもお嬢様が……」
「気にするな。まあまともな扱いはされんだろうが仮にも義母だ。殺されるようなことはあるまい」
「殺されるって……」
私の言葉にアレックスが若干引いている。ダメだな、クリスの人生経験のせいで基準がおかしくなっているようだ。
周りから全てが無くなっていくあの絶望に比べれば、離れていてもアレックスやマーカス、ヘレンやダンのように私を心配してくれている存在がいるこの状況はとても幸せなのだ。クリスに比べればこの程度のことは絶望ですらない。
アレックスに曖昧な笑みを返し、本館から出て行く。ここはもう私の居場所ではない。シャルルや皆との思い出の詰まった家ではあるが本当に大切なものは別の場所に残っている。だから大丈夫。
そんなことより話をしよう。明日にはアレックスは出て行ってしまいなかなか話すこともできなくなってしまうはずだ。だからこそ、今日は夜まで。
私の後ろを忠犬のようについてくるアレックスを見ながらそんなことを考えて私は笑った。
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次話は午後8時頃に投稿します。