第50話 後処理
アレックスの唇がアンドレアから離れる。すぐにごしごしと念入りに唇を拭っている所を見ると少々申し訳ない気がしてくるな。とは言えアレックスのおかげでアンドレアの傷はうっすらと跡が残る程度にまで回復しているし血色も悪くはない。気はまだ失っているようだがこれで一安心だろう。
立ち上がりこちらへと戻ってくるアレックスを迎え入れようとしたが体は全くいうことを聞かない。仕方がないので良くやったなと声をかけるに留める。アレックスは少しだけ気まずそうにしながらも微笑み返してきた。
「助かった。この功績には必ず報いる」
「いえ、王国の盾として当然のことをしたまでですので」
続いてやってきたヴィンセントはそう言い残すとすぐに元の仕事へと戻っていった。アンドレアがいなくなってしまったため負担は大きくなるだろうが、しばらくすれば本隊からも応援が来るはずだし下手に出しゃばるのは今後に影響しかねないからな。それがわかっているからこそクリスも黙って待機しているのだろう。
さて……
「すまんがアレックス。私を運んでくれ。体が限界のようでな」
「はい、お嬢様」
アレックスに抱き上げられてなんとも情けない姿のままその場を後にする。これ以上何も起こらないことを願いながら。
私の願いが通じたのかどうかは知らないがその後は特に何も起こることはなく、私は本隊からの応援が持ってきたテントの中で体を休めていた。本来ならば今日帰る予定ではあったのだがこんな事態が発生してしまったため帰るのは明日以降になるようだ。
全く動かなかった体は無理をすれば動かせる程度にまで回復している。とは言え軽く動かそうとするだけでミシミシとした痛みが走るのであまり動かしたくはないが。
こんな状態になるまで無茶をしたことは今までなかったからな。この状態がどの程度続くのかはわからない。今までの回復具合から考えれば明日には無理をすれば動ける程度にはなっているとは思うが。
そんなことをぼんやりと考えていると外から声がかかった。聞き慣れた声に入るのを許可する。
「お食事の用意ができました」
「すまんな、アレックス」
「いえ。これが僕の役割ですから」
ゆっくりと体を起こしてもらい、スプーンで運ばれる食事を飲み込んでいく。噛む必要もないほどに細かく刻まれたスープはおそらくアレックスが配給される食事にひと手間加えてくれたのだろう。本当に良くできた従者だ。私にはもったいないほどのな。
食事を食べながらなにか返すことができないかと考え、1つの案が思い浮かぶ。アレックスも気にしていたようだし、特に手間もかからないからちょうど良いだろう。
「では僕は片付けてきます」
「ああ、ちょっと待ってくれ。こっちへ来て耳を貸してくれないか?」
食事が終わり片付けをしようとテントを出ていこうとしたアレックスに声をかける。少し怪訝そうな顔をしつつアレックスが私のそばへより、私の口元へと耳を近づけた。私が何をしようとしているのか全く気づいていないようだ。少しニンマリしながらその耳に囁く。
「礼だ、受け取れ」
「えっ?」
驚き少しこちらへと向いたアレックスの頭を両手で掴み、その唇へと唇を重ねていく。アレックスの唇は思いのほか柔らかかった。目を白黒とさせた後、全てを委ねるように目を閉じたアレックスの赤くなった顔からして嫌がられてはいないようだ。男女逆なような気がしないでもないがそういった意味合いでもないしな。男同士でキスをしたという口直しにはなっただろう。
しばらくそのまま唇を重ね、そして頭を離してゆっくりと唇が離れていった。
「あっ」
残念そうなその声に少し苦笑しながら目を開いたアレックスを眺める。その潤んだ瞳はさながら子犬のようで小さかった頃のアレックスを想起させた。ふふっ、外見はかなり変わったようだがこういったところは変わっていないようだな。
「あっ、うっ。お嬢様、何を……」
「だから礼だと言っただろう。人命救助のためとは言え男同士でキスをさせてしまったからな。子供の私なんかで申し訳ないが少しは気持ちが晴れただろう」
「……あー、そうですよね。お嬢様はそういう人でしたよね」
「んっ、何か言ったか?」
「いえ。ありがとうございました」
落ち込んだ様子で何やらブツブツ言ったかと思うと、柔らかい微笑みを浮かべてアレックスは礼を言ってきた。うーん、やはり私では子供過ぎてダメだったのかもしれないな。とは言え他人に頼むわけにもいかないし……仕方がない。アレックスへのお礼は後日改めて何かを贈るとしよう。
アレックスが私の食べ終えた食器を持ってテントから出ていく。その背中が心なしか煤けて見えたのだが私の勘違いであれば良いのだがな。
結局その後の処理や襲われた私たちの疲労が憂慮されたようで出発は2日後ということになった。本隊からかなりの数の兵士が警備にやってきているため同じようなことが起きてもなんとかはなるはずだ。とは言え2度襲われたという話は聞いていないので問題はないはずだが。
私の体は次の日には歩き回れる程度まで回復した。無理をすれば戦うことも出来るだろうがそんな必要もないだろう。
テントの外では兵士たちが忙しそうにオークたちを解体して死骸の処理を行っていっている。昨日からやっていたようだがさすがにかなりの数だからな。全てを処分し終わるには今日1日程度かかるはずだ。
オークの肉は食べることが出来るし、毛皮も加工すればそれなりの防御力のある装備になる。魔石もあるし捨てるところの少ないモンスターだ。こんな小競り合いのような戦争でもかなりの費用が掛かっているからこういった部分で補填はしたいだろう。
座っている折りたたみ式の椅子の背に体を預けて、先ほど十数人の兵士たちが登っていった崖の上へと視線を向ける。おそらくそう時間の経たないうちにダンジョンが発見されるだろう。そしておそらく今回の出来事は未発見のダンジョンの暴走による不幸な出来事として処理されるんだろう。今までの歴史通りに。
クリスとアレックスはここにはいない。疲労が少なく動ける者には何かしらの仕事が与えられたそうなのでどこかで何かをしているはずだ。
「ここにいましたか?」
そんな声に視線を向けるとそこにはアンドレアがいつものニコニコした表情で立っていた。立ち上がろうとした私を手で制し、アンドレアが私の横に折りたたみ椅子を広げて座る。そして先ほど私が見ていた崖の上へとアンドレアも視線を向けた。
しばらく無言の時が過ぎ、面倒だがこちらから話しかけるべきかと考え始めたその時、アンドレアが小さく息を吐いてこちらを向いた。
「あなたは何者ですか?」
口調はいつもと変わらないもののその中にどこか決意のようなものが感じられる声を聞きながらその意味を考える。
今回の戦いについて、私の武力についてという単純なものではないだろう。
もっと根底の、私というものに対しての質問。
こいつが守るべきと信じているもの、ヴィンセント、そしてカラトリア王国というものに私がどう作用するのかその判断のための質問だ。
どう答えようか少し考え、そして視線の先を書類を持ちながら通りすぎたクリスの姿にふっと息を吐く。そうだな。私の有り様は変わることはない。嘘も誤魔化しも必要ない。
「私はクリスティ様の騎士です。私の忠誠はクリスティ様のみにあり、国には向けられていません。もちろんクリスティ様が国のために尽くすと決められたのならばそれに従いますが……」
視線を合わせ一拍おく。ごくりとアンドレアの喉が鳴った。
「誰かがクリスティ様を害するのであれば全身全霊を持って牙を剥きましょう。それが国であれ王族であれ。……そんなに警戒しないでください。例え話ですので」
笑みが消え鋭い視線でこちらを見るアンドレアへと力を抜いて笑う。この程度で態度を崩すとは思わなかったがわかりやすくて都合が良い。万が一にも私を飼い慣らそうと思ってもらっても困るからな。ここまで警戒されていればそんなことは起こらないだろう。
睨みつけるアンドレアを目を逸らさずに見続ける。しばらくしてその視線が私から逸れ、そしてアンドレアが立ち上がった。
「助けていただき感謝致します。謝礼は十分にさせていただきます。それでは」
「はい。楽しみにしております」
アンドレアの去っていく背中を見つめる。その背中に背負っているものが何か考えながら。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き】
(╹ω╹) 「ほ、ほ、本編ですごいことが……」
(●人●) 「そうか? あぁ、確かにそうだな。そう言われると感慨深いものがあるな」
(╹ω╹) 「そうですよね!」
(●人●) 「もう14年になるからな。短いようでここまで長かったもんだ。あれっくすのおかげでここまで来れた。感謝するぞ」
(╹ω╹) 「お嬢様……」
(●人●) 「じゃあ改めて言うぞ」
(╹ω╹) 「はい」
(●人●) 「本編50話達成だ。読んでくれてありがとう」
(╹ω╹) 「………」