第4話 目覚めと変化
「シエラ、シエラ……」
シャルルの呼ぶ声が聞こえる。でもごめん。なんだかとても眠いんだ。もう少し、もう少しだけ眠らせて。
「仕方ない子ね」
誰かが私の頭を撫でている。その柔らかな手が気持ち良くて私は幸せな気持ちになる。こんな時間がずっと続けば良いのに。そんな叶いもしない願いが私の心に広がっていく。
叶いもしない? なぜ?
それは自分が一番よく知っているだろう。シャルルはもういない。いないんだよ。
その言葉を肯定するかのように私の頭を撫でていた手の感触が、温かみがすっと離れていった。残っているのは孤独な私。暗闇の中でひとりぼっちでうずくまっている私。嫌だ、こんなのは絶対に……
「いや!」
体を跳ね起こし離れていくその手をぎゅっと掴む。それは小さな手だった。シャルルの手ではなかった。
「お嬢様、目を覚まされたのですか!」
聞き慣れた声に思考がだんだんとはっきりしてくる。あぁ、そうだ。シャルルをどうにかしようとして私は意識を失ったんだった。目を閉じ軽く頭を振って思考を遮っているもやもやを消す。
目をゆっくりと開け、声のした方を向いた私は息を飲んだ。
「アレックスだな。何というか大きくなったな」
「……」
そこには私の従者で友達のアレックスがいた。その新緑の青葉のように瑞々しかった緑の髪の毛はどこかくすんでおり、座っているのにも関わらず身長が伸びていることがはっきりとわかるほど大きくなっていたが、その柔和な顔立ちと潤んだ瞳でこちらを心配そうに見つめる姿はそのままで見間違えることなどありえなかった。
私の手がぎゅっと力強く握られる。そしてアレックスの瞳から涙がぽろぽろと零れはじめた。
「おはよう、アレックス」
「はい……おはようございます。お嬢様」
アレックスは涙を流しながらくしゃくしゃの顔で私に向かってぎこちない笑みを浮かべるのだった。
アレックスが落ち着くまでしばらく待っている間、自分の現状を把握するために周囲を確認する。
ここは私の部屋ではない。ベッドと机、そして衣装棚などでほぼ部屋が埋まってしまっている程度の広さしかないこの部屋はアレックスたちが居住している使用人用の館の一室だろう。私自身あまりこの館に入るのは良しとされていなかったので入ったことは数度しかないのだが見間違えはしない。
私が寝ていたのも普段使っているような柔らかなベッドでは無く、ほとんど沈まない硬いベッドであったせいか体の節々の動きがぎこちない。ゆっくりとその動きを確かめるようにして体を動かしていく。
大きな問題は無さそうだ。
「すみません。お待たせしました」
ハンカチで涙を拭いたアレックスがこちらへと向きなおったのを見て私自身も確認をやめてアレックスへと視線を向ける。体は大きくなったが忠犬のようにじっと私の命令を待つその姿に思わず微笑んだ。
ここにアレックスがいて良かった、素直にそう思えた。
「状況を説明してくれ」
「わかりました」
アレックスが淀みなく説明を始めた。おそらく私が目覚めたらどう話をするべきか普段から考えていたのだろう。
アレックスによると私が意識を失ってから既に2年が経過しているそうだ。つまりアレックスも私も現在7歳。アレックスが大きくなるはずだ。まあこのことについてはアレックスの姿から予想はついていたのであまり驚きはしなかった。
眠ったまま目を覚まさない病というものも存在する。その病にかかった者は食事をとらないにも関わらず、痩せもせず年もとらずその姿のままで死ぬまで生き続けるのだ。私はその病ではなかったが同じような状況だったのだろう。
それは別に良い。それよりも重大なことがあった。
「そうか。お父様が……」
「はい。海上で嵐に巻き込まれ商会の船が沈んだそうです。遺体はあがっていませんがおそらく……」
「いや。遺体を確認するまでは生きていると信じよう」
「わかりました」
アレックスに告げられたのは父親であるフレッドの乗った商船が1年前に沈没したと言う悲報だった。自分の拳にぎゅっと力が入るのを感じる。シャルルを、家族を救おうとしたがために眠りにつき、その間に大切な家族であるフレッドを失ってしまった。船が嵐に巻き込まれたのだから私が起きていたとしても出来ることは無かった。そんなことは十分に理解している。しかしやるせない思いは消えはしない。
1年も前に船は沈没しているのだ。アレックスが言うようにフレッドが生きていると言う確率は万に一つといったところだろう。しかしそんな少ない希望にすがりつきたい、そんな気分だった。
「それと申し上げにくいのですが……」
「どうした?」
非常に言いにくそうに口ごもるアレックスに続きを促す。今まで見たことのない表情だ。それが私を不安にさせる。フレッドのこと以上の事は無いと思いたいが。
「お嬢様の現状に関する話です」
「使用人の部屋に眠らされていたということか?」
「申し訳ありません!」
「いや、責めている訳ではない。説明を頼む」
土下座するような勢いで頭を下げたアレックスの様子に苦笑しながら続きを促す。ぽつり、ぽつりと言いにくそうにアレックスが言葉を紡いでいった。
それはシャルルの事を思えば許しがたいことではあったが、妻を失い娘である私の意識が戻らないという絶望的な状況であったフレッドの事を思えば仕方のないことだったのかもしれない。
「新しい母と姉たちか……。現状を見るに私は邪魔者の様だな」
自嘲の笑いが口から洩れる。そんな私の姿にアレックスが本当に申し訳なさそうに再び頭を下げていた。
何のことは無い。フレッドが子持ちの後妻を迎えたと言うだけだ。そしてそのフレッドを失った今、新しい母や姉にとって私は血の繋がりの全くないただの他人の子供だ。眠り続けていたのだから当然交流も無く、愛情など注がれるはずもない。だからこそ使用人の部屋に寝かされていたのだろう。
「ではお母様とやらに挨拶に行こうか。今後の事についても話しておきたいからな」
心配そうにこちらを見つめるアレックスに微笑み、ベッドから立ち上がろうとしたところで思ったように足に力が入らず体がふらついた。このままだと倒れる、と床につこうとした手が力強く引き上げられ何とか倒れずに済んだ。改めて感じるアレックスの手は以前よりもどこかごつごつしていて、そして力強かった。
「だ、大丈夫ですか!? やはり休んでいた方が……」
そんなアレックスの声を聞きながら離れていった手の感触を思い出し、握られた自分の掌をじっと見つめる。そして視線をアレックスへと向けると以前は見下ろしていたアレックスの顔が自分の視線よりも高くなっていることに改めて気づいた。
2年というものは短いようで長かったようだ。
しかしそれでも変わらずに私の事を第一に考えてくれるアレックスがいる私は幸運なのだろう。
「男らしくなったな、アレックス」
「えっ?」
アレックスが驚き、そしてその顔が次第に赤く染まっていく。あぁ、男に対して男らしくなったと言うのはあまりよくない表現だったか? 自分の女のように見える顔の事を気にしていたから褒め言葉になると思ったのだが。
私が眠っていた空白の2年間の間にシャルルやフレッドだけでなく皆に何があったか今度じっくりと聞いた方が良さそうだ。
まあそれは挨拶の後で良いだろう。
「では、エスコートを頼む」
「えっ。あ、はい」
差し出されたアレックスの掌へと自分の手を乗せゆっくりと歩き出す。こちらを心配そうにチラチラと振り返るアレックスへ大丈夫だとわかるように笑みを浮かべながら。
お読みいただきありがとうございます。
明日も2話投稿予定です。
ブクマ、評価いただいた方、ありがとうございます。とても励みになっています。