第39話 休息とは違う何か
「それでシエラは何か欲しい物はあるのかしら?」
「クリスが選んでくれる物ならなんでも嬉しいけど……」
「うーん、そういうところも可愛いんだけどねー……とりあえず見て決めましょう」
私を抱きしめてぐりぐりと体をこすりつけるようにしながらクリスが悩んでいる。その表情はとても嬉しげだ。今日は完全にオフモードのようだな。
クリスは普段からあまり私的な部分を出すことはしない。為政者となるべく教育を受けていたのだからそれは当たり前のことで、その教育が緩くなった今でもそうすることが癖のようになっているのだ。
しかし偶にではあるが今日のようにその仮面を外す日もあるのだ。そんな日に笑うクリスの顔は本当に幸せそうで、私が望んでいた姿そのものなのだ。
だからせっかく着たドレスにシワが入ろうとも、整えた髪が崩れようとも些細なことなのだ。
クリスに抱かれながらゆったりと過ごしていると馬車がゆっくりとその動きを止めた。扉が開けられ、手を借りて外へと出る。そこは王都ジェンナが誇る高級店が軒を連ねる商業区画だ。
話には聞いていたが初めて訪れるそこは想像以上に人気がなかった。通りを歩いている人など数えようとすればものの数秒で数え終えてしまうようなくらいしかいない。道の両側に連なる店々の作りが歴史を感じさせる堂々としたものであったり、シックで品の良いものであったりする分、その人気のなさがある種の違和感としてより感じられた。
「うーん、思ったのと違うわね」
「護衛はしやすそうだ」
「確かにそうですね」
「まあいいわ。行きましょう」
もっと人が多いことを期待していたらしきクリスが少し残念そうにしたが、それも一瞬のことですぐに気を取り直し手近な店へと歩を進めようとする。それに合わせてアレックスが先導し、そして私がクリスのそばに付く。最初の店は服飾店のようだな。
扉をくぐり店内を確認すると店内には数種類の女性用のドレスが並んでいた。一応私が着ることの出来そうな子供用のドレスも数着ある。とは言えこれらは商品として売っているわけではなくてこういったデザインも出来るという見本のようなものだ。こういった店はオーダーメイドが基本だからな。
先に店に入ったアレックスと何やら話していた店員の男がこちらへとゆったりと近づき礼をした。
「いらっしゃいませ、クリスティ様。どのような服をご希望でしょうか?」
「彼女に似合いそうな服を全て持ってきて頂戴」
「かしこまりました」
「えっ!?」
クリスの言葉ににこやかな笑みを浮かべながら去っていく店員の男を呆然と見送る。プレゼントを贈られるだけのはずがなぜか嫌な予感がひしひしと感じられるのだが……
満足げに私と同様に去っていく店員の男を見ていたクリスの肩をつんつんと突く。
「クリス、全部ってどういう……」
「大丈夫。シエラは何も心配しなくて良いから。私がシエラに似合う服を選んであげるから任せて」
「いや、全部って……」
自信満々にそう言ったクリスに私の言葉は届いていなかった。そしてしばらくして店員が持ってきたポールに掛けられた何十着ものドレスの姿に私はこれからの戦いが長いものになることを確信し軽く絶望した。
それから私はまるで着せ替え人形のごとく何十着ものドレスを着ては脱いでを繰り返していた。数着であれば私も笑顔で耐えることが出来ただろう。しかし10着を越えたあたりで限界が来た。数十着を着た今となってはもはや自分がどんな顔をしているのかさえわからない。私はいったい何時間こうしているんだろうか?
「これはシエラのイメージとは違うわね。もっと可憐に、でもどこか鋭さを持つそんなドレスが……」
「そうでしょうか。僕としてはこういった背伸びした可愛さが際立つドレスも良いと……」
「ではこちらのドレスなどは……」
そんな私の目の前では生き生きとした顔をしたクリスと、それに負けず劣らず真剣に、しかし楽しげな顔のアレックスが議論を交わしている。そんな2人の要望を叶えるべく、私の着替えをサポートするためにやってきた若い女性の店員がノリノリで服を勧めてくる。
未だかつてこれほど疲れたことはないだろうと思えるくらいに全身が気だるい。さすがにそろそろ良いだろう。
白熱した議論を交わしている3人に少しためらいがちに声をかける。
「別にどれでも嬉しいんだが……」
「シエラはちょっと黙っていて」
「そうです、そうです」
「お嬢様は何も心配しなくても大丈夫ですから」
遠まわしにもう終わろうと伝えたつもりだったのだがあっさりと3人ともに否定され、そして3人はそのままどの服が私に最も似合うかということ議論へと戻ってしまう。
「ダンジョンの方がはるかに楽だ……」
そんな誰にも届かない言葉を呟きながら天を仰ぐ。そこには服飾店の木目が鮮やかな天井があるだけで希望は見つけられなかった。
「シエラ、次はこの服よ」
「……わかった」
本当にどこにあるんだろうな。
体感としては半日以上、陽が真上にあることからするとおよそ3時間程度だろうか私はやっと解放され服飾店の外へと出ることができた。何かが口から漏れ出していきそうな私と比べてクリスとアレックスはつやつやとした顔で非常に満足そうにしている。
私たち3人の誰の手にも荷物はない。服を購入しなかったというわけではなくクリスとアレックス、そしてなぜかあの店員が選んだ服3着を私用にオーダーメイドしてあるのだ。一応戦争から帰ってきたら受け取ることが出来るようにしておくとのことだった。
しかし今の私にはそんなことはどうでも良い。クリスが楽しそうなのは良いことだがさすがにこのままでは私がもたない。ちょうどお昼でもあるわけだし食事のために休憩を取れば少しは気力も戻ってくるだろう。
視線を左右に振ってどこか食事のできるところはないか確認すると折良く対面の数件先にちょうど良さそうなレストランが開かれていた。この高級店の連なる商業区画に店を開いているのだし、身なりの整った紳士が今も入っていったところを見ると味も期待できそうだ。
振り返り視線をクリスへと向けるとクリスが満面の笑みを浮かべて首を大きく縦に振った。さすが、主が騎士の気持ちを察することができないと思うかとガストンに啖呵を切っただけのことはある。その力を服飾店にいるうちに発揮して欲しかったと少し思うが、今はそれよりも食事だ。
「わかっているわ。次は服に似合うアクセサリーね!」
力強く断言したクリスの言葉に思わず膝をつきそうになるのをなんとかこらえる。クリスの騎士としてこの程度のことで屈するわけにはいかない。いかないのだ。
気力を振り絞り、なんとか笑みを浮かべてクリスに言い返そうとしたときアレックスが私を庇うように目の前に立った。
「違いますよ、クリスティ様」
「アレックス」
アレックスの大きくなった背中が見ながら私は感慨にふけっていた。小さい頃から共に過ごし、そしてずっと私の従者として動いてくれていたアレックス。そんな彼にとって私の心情など手に取るようにわかる……
「アクセサリーは最後です。まずは靴選びではないでしょうか?」
「はっ! それもそうね。さすがはアレックス」
「いえいえ、アクセサリーも捨てがたいのですが調和を取るのがそういった小物の役目ですからね。それ以外のコーディネートが全て決まってからの方が……」
「違うわっ!」
長々と高説を垂れていたアレックスの横っ腹へえぐり込むようにして拳を突き刺す。ドスっという鈍い音が響き、苦悶の表情を浮かべながらアレックスがゆっくりと地面へと倒れ伏していく。
若干、力加減を誤ったかもしれんな。まあそのうち復活してくるだろう。
「クリス、もうお昼だからご飯に行くぞ」
「えっ、ええ」
「ちょうどあそこにレストランがある。なかなかに美味しそうだ。楽しみだな」
クリスの手を取り半ば強引にレストランへと連れて行く。そうだ、最初からこうすれば話は早かったのだ。
「アレックスは大丈夫かしら」
「気にするな。あの程度の攻撃で動けなくなるほどやわじゃない」
「今も動けないようだけど……」
「気のせいだ」
何度もアレックスの方を振り返りながら歩くクリスをレストランの席へと座らせ、しばらくして回復してきたアレックスも合流し私はなんとか休憩時間を獲得することに成功した。
その後は……まあ、予想通り午前中と同じように靴屋、宝飾店などでクリスとアレックスになんやかんや言われながら過ごし、屋敷へと戻った時には私はもう歩く気力もないほどの疲労に包まれていた。着の身着のまま自室のベッドへと倒れこみそして仰向けに寝転がる。
本当に大変な1日だった。でも……
「幸せな1日だったな」
クリスとアレックス、2人の友達が私のために頭を悩ませ、時に喧嘩し、しかし楽しそうに過ごすそんな1日だった。それはとても幸せな時間だ。こんな日がずっと続けば良いのに、そう思ってしまうほどの。
「そのためにも悲劇を回避しなくてはな」
天井へと右手を伸ばし、そして目に見えない何かを掴むようにギュッと握り締める。その手の中には何もない。でもクリスの幸せな未来を掴むことを夢想し、私はその手に力を込めるのだった。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き】
(●人●) 「あれっくす」
(╹ω╹) 「なんですか? この始まりはなぜか既視感があるんですけど」
(●人●) 「気のせいだ。そんなことより前回お前は従者だからどっちもイケると言っていたな」
(╹ω╹) 「前半は覚えがありますけど後半は事実無根です」
(●人●) 「私もあの後考えたのだ。お前の従者発言について。そして気づいた」
(╹ω╹) 「嫌な予感しかしませんけど何にですか?」
(●人●) 「従者だから着換え見放題だと!? この変態が!」
(╹ω╹) 「完全に濡れ衣じゃないですか」