第3話 穏やかな日常の終わり
月日はさらに流れ私は5歳になった。そろそろクリスには専属の家庭教師がついて勉強と魔法の訓練が始まったころだろう。とは言え今私が生きているのがクリスと同じ時代と言う保証はないのだが。
私の今住んでいるバジーレ王国はクリスが住んでいたカラトリア王国とは暦が違う。さすがに私もバジーレ王国の暦がカラトリア王国としては何年になるのかは知らなかったので判断がつかないのだ。
それにバジーレ王国から出国するためには成人である必要がある。15歳で成人として扱われるカラトリア王国とは違いバジーレ王国は10歳で一応成人として扱われるため、あと5年ではあるのだがそれまでクリスがいるかもしれないカラトリア王国へと向かう事は出来なかった。不法入国しても官憲に追われ、助けになれないのでは意味がないしな。
何事もない平穏な日々が続いていた。シャルルと一緒に過ごし、アレックスと魔法制御の訓練を行い、使用人のフレッドやヘレン、ダンと交友を深める日々だ。
6回ものクリスの人生をただ見る中で私は学んだ。クリスが裏切られたのは結局クリスが孤独だったからだ。
もちろんスカーレット侯爵家のクリスは多くの人に囲まれていた。しかしそれは侯爵家の令嬢で跡取りでもあるクリスに集まっているのであってクリス本人を慕ってのものでは無かった。
クリス自身もそういった交友関係を深めることなく自らを高める努力しかせず、むしろそういった努力を怠る者達を馬鹿にしているところがあった。
人に囲まれながらもクリスは孤独だったのだ。
だからこそあの悪魔に全てを奪われた。
だから私はまずは絶対に裏切られない関係を築くことにした。あまり用もないのにマーカスやヘレンに話を聞きに行ったり、ダンと一緒に料理を作ったりした。
最初は打算だった。しかしすぐにそれは当たり前のことになっていった。私を囲む人々は皆優しかった。嫌がらずに話を聞いてくれ、私が料理に失敗しても笑って許してくれた。
最初は雇われているからだと思っていたがそれも違った。彼らは心の底からフレッドを、シャルルを、そして私を慕ってくれていた。これまで6度見てきたような薄っぺらな笑顔の裏に貼りつけられた悪意は彼らには無かった。
次第に私はワタシではなくなっていった。クリスの事を心配する気持ちは未だに持っているし、あの悪魔を見ればすぐにでも襲い掛かるだろう。しかしクリスも悪魔もここにはいない。
優しい世界に私の心は癒されていった。そして同時に思い始めた。なぜ私はクリスと別れこんな幸せな人生を送っているのだろうかと。
「お嬢様、お嬢様」
「んっ?」
呼びかける声に顔を上げるとそこにはマーカスと同じような執事服を着たアレックスがいた。5歳の誕生日に私がプレゼントしてからアレックスはずっとこの執事服を着ている。
マーカスとヘレンと相談してアレックスに内緒で仕立てた物なのだが思いのほか喜んでくれたのでほっと胸をなで下ろしたものだ。5歳の子供のプレゼントなど買ったことは無かったので本当にこれで良いのかと少々不安だったのだ。
5歳になったアレックスは長かった髪をバッサリと切ったのだがその柔和な顔のせいもあり、まるで女の子が執事服を着ているようにも見える。本人も少し気にしているようなので言葉にすることは無いが。
「そろそろお食事の時間です」
「あぁ、もうそんな時間だったか。ありがとう、アレックス」
魔法制御の訓練をしていた裏庭から屋敷へと帰る。
魔法制御に関しては順調だ。既に魔法球5つを自在に操ることが出来るまでに成長していた。この私の体は思いのほか出来が良いらしい。アレックスも私には及ばないものの既に3つの魔法球を自在に操ることが出来るようになっている。私とは違う緑の魔法球を自在に操るアレックスはとても楽しそうだ。
クリスが3つの魔法球を自在に操ることが出来るようになったのは16歳の時なので5歳という年齢では脅威の魔法制御力だ。このまま制御の訓練を続ければ自在に魔法を使うことが出来るようになるだろう。
実際、基礎的な魔法をいくつか教えたが問題なく使えていたしな。まぁ威力の高い魔法を使う日が来るのかはわからないが。
「お母様、お待たせしました」
「お帰りなさい、シエラちゃん。アレックス君とまた遊んでもらったの?」
「はい」
「そう、良かったわね。けほっ、けほっ」
「大丈夫ですか?」
咳き込んだシャルルに駆け寄り背中をさする。ここ数日、シャルルは体調が悪いようでこうして咳き込むようになった。顔色もあまりよくないし心配だ。
しばらくして咳がおさまったシャルルが私を安心させるように優しく微笑む。
「お母様、やはりお医者様に見ていただいた方が良いのではありませんか?」
「大丈夫よ、ただの風邪だから。シエラちゃんは心配性ね」
「お医者様が嫌いだから嫌がっているんじゃありませんよね」
「ギクッ。な、なんのことかしら?」
わかりやすく目をそらすシャルルの姿にため息を吐く。シャルルは医者が嫌いなのだ。医者と言うよりも治療で渡される苦い薬や注射が嫌いなのだけれど。
本当に子供みたいな人だ。とは言えそれが似合ってしまう愛嬌がシャルルにはある。
「マーカス」
「畏まりました。食事が終わったら来ていただけるように手配してきます」
視線を向け名前を呼んだだけでマーカスが私の意図をくみ取り、一礼して部屋から出て行った。これで安心だ。
「えっ、大丈夫よ。シエラちゃんのいじわる!」
「いじわるじゃありません。お母様の事が心配だからです」
「うぅー」
「まあまあシャルル様もシエラ様も美味しい食事を食べて元気をつけてくださいな。ダンが腕によりをかけたんですから」
そう言ってヘレンがシャルルの前に食事を並べていき、それを真似するようにアレックスが私の前に同じように食事を並べていく。厨房へ続く扉へと目をやり、そこから覗いていたコック帽をかぶったダンへと手を振るとゆっくりとうなずいて力こぶを作り返してきた。どうやら今日は力作らしい。笑い返して食事へと視線を向ける。
2人で座るには長すぎるテーブルの上には色彩豊かな食事が並んでいた。消化に良さそうなものが並んでいるのはシャルルのためだろう。ありがたい。
「お母様、それではお祈りをしましょう」
「はーい。我らを見守るゴホッ、ゴホッ!」
「お母様!」
「シャルル様!」
今までにない激しい咳と共にシャルルの口から血が噴き出した。そしてその体が崩れるようにしてテーブルへと倒れこんでいく。落ちた食器が激しく音を立て、真っ白なテーブルクロスの上に美味しそうな食事がぶちまけられた。そしてそれを上塗りするかのように赤いしみが広がっていく。
「ヘレン、マーカスにお医者様を急がせるように伝えて! ダンはお母様をベッドに!」
「は、はい」
ヘレンが部屋を飛び出していき、慌てて走ってきたダンがシャルルを抱き上げた。そしてシャルルの寝室へと入りベッドへと寝かせる。シャルルの顔は青ざめており、ときおり咳き込みながら血を吐いていた。意識も朦朧としているようで一刻の猶予も無い事は明らかだった。
必死に頭を働かせる。クリスは医者ではなかった。しかしあることをきっかけに薬学を学んでいた。だから病気について私はそれなりに詳しかった。
風邪のような症状、そして突然の吐血……。まさか、と思いシャルルの服を脱がしそして発見する。シャルルの胸の中心からわずかにずれたところ、心臓の辺りに青黒い薔薇の花のような痣があることを。
「死神の薔薇……」
その病は不治の病として有名だった。何が原因かなど全くわからず、罹患すれば100%の死亡率を誇る恐ろしい病だ。治療法は……ない。ないのだ。
「う、あぁああ……」
目の前が絶望で暗くなっていく。シャルルはまだ死んでいない。浅い息を繰り返し、苦悶の表情を浮かべている。しかしその瞳が再び開かれることは無いだろうことを私は知っている。
これは罰なのか?
クリスを6度も救う事が出来なかった私に幸せな日々が続くはずがないというのか?
それならばなぜ私ではなくシャルルなのだ。
私の周りからも人がいなくなるという事なのか?
もしかしてクリスが1人になったのも私のせい……
「あああああー!!」
「お嬢様!」
今まで聞いたことのないようなアレックスの声が聞こえる。誰かが私を抱き上げシャルルから離そうとしている。嫌だ、シャルルから離れるのは嫌だ。私は私の大事なものを離したりなんかしない!
「父さん、離れて!」
「っ!!」
「あぁあああああー!!」
体の中から黒色が湧きだしてくる。景色は色を失いモノクロの世界が広がっていく。血の赤も青黒い薔薇も全部、ぜんぶ、ゼンブ黒く染まれば何もなかったことになる。
シャルルを助けるためにはこうするしかない。なぜかそんな確信があった。
お休み、シャルル。いつか私が助けられるようになるまで。
私の黒がシャルルを覆っていく。私にとって光のようなお母様を黒く、黒く塗りつぶしていく。それはまるで蚕の繭のように形どりそして次の瞬間その姿を消した。
景色が色を取り戻す。シャルルはもうベッドに横たわってはいなかった。赤いしみと乱れたシーツというシャルルの痕跡だけが残るその姿を確認し、私は満足したまま気を失った。
お読みいただきありがとうございます。
本日2話更新予定です。次話は午後8時頃に投稿します。よろしくお願いします。