第2話 新しい家族たち
ワタシが目覚めて2か月が経過した。本当に見えるようになるのかと少し不安に思っていた視界も徐々にではあるがはっきりと見えるようになってきており、シャルルの顔もまだ輪郭はぼんやりとしているものの視界は明るくなり最初と比べれば格段に見えるようになってきていた。
平穏な日々だったが今日は違った。何よりシャルルが上機嫌なのだ。基本的に明るい人ではあるのだが今日はいつにも増しており鼻歌まで歌っている。それというのも……
「シエラちゃん。もうすぐパパが帰ってきますからねー」
「あー」
「うーん、いい子でちゅねー」
ワタシを抱き上げ踊るようにくるくると回っている。楽しそうで何よりだ。この2か月間、甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれたシャルルには感謝してもしきれない。
空腹や下の関係で気持ちが悪くなると我慢できずに泣いてしまう私を夜中に何度も起きて世話をしてくれているのだ。もちろんメイドなども手助けしているが主にしているのはシャルルだ。昼に私の横で寝てしまうこともたびたびあるくらい迷惑をかけてしまっている。この恩はいつか返さなくてはいけないだろう。
とは言え今は父親の事だ。父親に関しては全く会いに来ないし、話題もほとんど出なかったのでてっきり生きていても夫婦仲が冷え込んでいるのかと思っていたのだがそう言うことでは無かったらしい。
「シャルル様、旦那様がお帰りになりました」
「ありがとう、ヘレン。じゃあ行きましょう、シエラちゃん」
40代くらいの恰幅の良いメイドのヘレンに案内されてウキウキとした足取りでシャルルが廊下を歩いていく。その揺れを感じながら視線を先へと向ける。ぼんやりとした視界に映る2つの人影のうちの1つは執事のマーカスだろう。そしてそのマーカスよりも頭半分ほど背の高い見覚えのない男性がおそらく父親だろうか?
その男性はこちらに気が付くと大きく手を広げた。
「ただいま、シャルル。そして初めまして、僕のお姫様」
「おかえり、フレッド!」
シャルルが父親、フレッドの胸へと飛び込んでいった。若干2人の間で押しつぶされて窮屈だがここは我慢するべきだろう。感動の再会に水を差すほどの事ではない。
「シャルル様、シエラ様が苦しそうですぞ」
「あっ、ごめんね。シエラちゃん」
マーカスに言われ慌ててシャルルがフレッドから離れる。そこまで苦しかったわけではないがありがたくはあった。シャルルは少し天然なのでもっと押されていた可能性もあったのだから。
「あー」
「いえ、どういたしまして」
まだ声がうまく発せないがマーカスに対して声をかけるとワタシの言葉がわかっているかのように返事をされた。それが少し面白い。
「おぉ、シエラはちゃんとお礼が言えるんだね」
「そうなの、シエラちゃんはとっても頭がいいんだから」
フレッドが嬉しそうにワタシを見る。そしてシャルルも胸を張ってワタシの事を誇っていた。
ワタシからしてみたらそんなに誇るようなことではない。むしろ言葉も未だに話せず感情のコントロールさえ未熟なのだから恥ずべきことだと自分では思うのだが、赤子としてはすごいことなのだろう。
2人はワタシがクリスと共に生きた経験があることなど知らないのだから仕方がないが。
「確かにシエラ様は手のかからない子供ですよ。泣くときは必ず理由がある時ですし、シャルル様が疲れて寝ている時には目を覚ましていても1人で大人しくしていらっしゃいますから」
「あっ、それは言っちゃ駄目って言ったでしょ」
「あらっ、そうでしたか? 最近物忘れがはげしくなりまして」
「ははっ。親思いのいい子じゃないか。どれ、僕にも抱かせておくれ」
舌をペロッと出してとぼけるヘレンをシャルルが片手でポカポカと叩いていたがそれが本気では無い事は誰の目にも明らかだった。片手で不安定に持たれているワタシが心配になったのかフレッドがシャルルから私を受け取る。シャルルとは違う力強い腕はがっしりとしながらもどこか不慣れで安定していない。
「おっと、これはなかなか……」
「ふふっ、ちょっと待ってね」
シャルルが笑いながらフレッドの腕の形を直し、ワタシをしっかりとそこへと乗せた。先ほどまでとは段違いの安定性だ。
「はい、シエラちゃんもこれで安心でちゅねー」
「ははっ、君もすっかり母親なんだな。じゃあ改めて……父親のフレッドだよ。これからよろしくね、シエラ」
「あー」
抱えられたフレッドの指を掴む。ワタシを見るそのまなざしはとても温かく優しい。シャルルがフレッドを好きな理由がわかったような気がした。
「君に似た可愛い子だ。髪の毛も君と同じで真っ白だし将来は君のような美人になりそうだな」
「でも目元はあなたとそっくりよ。ほら、黒真珠みたいでしょ」
「本当だ」
フレッドとシャルルが微笑み軽いキスを交わす。温かい家族とそれを見守る優しい従者。そういえばクリスも幼いころはこんな風に愛情に包まれて生きていた。
(クリスは今どうしているんだろうか?)
幸せな気持ちでいっぱいになりながら、そのことだけが心の中でくすぶっていた。
温かい家族と従者たちに囲まれながら私は3歳になった。
フレッドは商売をしているらしく家を離れるときは最低でも2か月、長い時は半年不在にすることが普通だった。トレメインという家名があったため貴族なのかもしれないとも思ったのだがカラトリア王国と違いバジーレ王国は大商人であれば家名を名乗ることが出来るのでおそらく商人なのだろう。
普段はいないフレッドであるが家にいるときには愛情をもって接してくれたし、旅の間の話を面白おかしく語ってくれた。
シャルルも相変わらず少し天然なところはあったがたっぷりと愛情を注いでくれた。それはもうマーカスやヘレンにたしなめられる程の注ぎっぷりだ。フレッドのいない寂しさをワタシで癒しているんじゃないかと思うほどだった。
ワタシは紛れも無く幸せだった。両親はワタシを愛してくれ何不自由のない生活を送らせてくれている。
でも本当にこれで良いのかという不安が襲ってくるのだ。幸せだからこそクリスはどうしているのだろう、泣いていないだろうかという思いが湧き上がってしまう。
6回だ。6回も私はクリスを救うことが出来なかった。ただクリスが歪み、狂っていくのを見守ることしか出来なかった。そして最後に一矢報いることさえ……
「くっ!!」
バチッと言う音と共に私の手に渦巻いていた黒い玉が弾けて消えた。自身の手へと少しの痛みと赤みを残して。軽く手を振って痺れをとってからふぅ、と息を吐く。
今ワタシが行っているのは魔法制御のための訓練だ。掌へ小さな魔法球を造りだしそれを球状に保ったまま高速で回転させる。クリスが15歳の時に独自に編み出した魔法制御の練習方法だ。従来の方法より難易度は高いがはるかに効率が良く、このおかげでクリスの魔法は一部を除いて他を圧倒していたのだ。
魔力はすべての物に宿っており、もちろん人も貴族、平民関係なく魔力を持っている。しかし魔法を使える者はその一部しかいない。それはひとえに魔力制御が出来ていないからだ。
魔力はいくら多く持っていても意味がなく、制御されて初めて魔法と言う事象として発現される。その制御方法は一部の学校や一族の秘伝としてしか教えられない。だからこそ魔法を使える者は少ないのだ。ましてや効率の良い制御方法を一から開発してしまうなど天才としか言いようがない。そういう意味ではクリスは正に天才だった。
このままの生活を続けるのならば魔法など必要ない。それはワタシにも十分すぎるほどにわかっている。しかし漠然とした不安、悔やみきれない悔しさがこの訓練を続けさせていた。
「おじょーさま、なにしてるの?」
「っ!!」
掛けられた声に慌てて視線を上げる。そこに居たのが見知った同い年の少年だとわかり少し胸をなで下ろす。
その少年、アレックスはメイドをしているヘレンと料理人のダンの息子だ。肩まで伸ばした青葉のようなみずみずしい緑色の髪を後ろで縛り、柔和な顔でスカートを履くその姿は一見すると女の子にしか見えない。小さいころに女の子の姿をするのは死亡率の高い男の子が健康に強く育つようにと言う願いからくるこのバジーレ王国の風習だそうだ。
ダンとヘレンには長い間子供が出来ず2人とも半ば諦めていたようなのだが、何の因果かシャルルが妊娠するとほぼ同時にヘレンも妊娠してしまったらしい。40を超える歳でしかも初産と言うことでかなり出産は危ぶまれたらしいのだが実際はすんなりと生み終えて2日後には仕事に復帰し、半月後にはシャルルの出産に立ち会って私を取り上げたそうな。まあそんなことはどうでも良いか。
「見たか?」
「えっと黒い玉のこと?」
首を傾げながら聞いてくるアレックスの姿に苦笑を漏らす。そんなに前から見られていて気づかないとは注意力が散漫すぎる。こんな裏庭の隅に人なんか来るわけが無いと過信しすぎた結果だ。
とは言えアレックスで助かったのは確かだ。アレックスは将来私の従者として働くことに決まっている。幼いながらもそのことを理解し私の言うことに従ってくれるのだ。
そうだな。いつかは始めるつもりだった。今回の事が良い機会だと思っておくか。
「アレックス、秘密を守れるか?」
「うん」
真剣な表情で一本指を口の前で立て、しーっとする姿は何というか微笑ましい。このくらいの年代の子供と接する機会などクリスはほとんど無かったので新鮮だ。
「わかった。さっきのは魔法の訓練だ。正確に言えば魔法を使えるようになるための訓練だな」
「まほう!?」
アレックスが身を乗り出し目がキラキラと光り出す。そんなわかりやすい反応に笑みを浮かべる。庶民にとって魔法は身近でありながら手の届かない存在であるし、いろいろな英雄などの話の中にも出てくる。それを使えるようになるための訓練と言えばそうなるのも当たり前か。
「やってみたいか?」
「うん!」
勢いよく返事したアレックスの頭を撫で、魔法制御の訓練について教えていく。こうしてワタシとアレックスの魔法の訓練は始まったのだった。
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