第28話 今後の方針
夜の散歩をつつがなく終えた私は、警戒のために夜の間ずっと屋根の上で宿の出入り口の監視をしていた。いきなり宿を襲撃するほど馬鹿ではないとは思いたいが万が一ということもあるしな。まあ幸いにもそれは杷憂に終わり特に怪しい者が近づいてくるようなことはなかった。
朝日に照らされ色を取り戻していくコーラルの街並みとスカーレット城を眺めながら、くあっとあくびする。さすがにそろそろ集中力も限界だ。朝食を食べたら少し横になろう。
「お嬢様、おはようござい……あれっ、お嬢様?」
どうやらアレックスが起こしに来たようだ。屋根を歩きひょいっと窓の上部から逆さに顔をのぞかせる。
「おはよう、アレックス」
「お、お、お嬢様。なんでそんな場所にいらっしゃるのですか!?」
「昨日言っただろう。今夜は襲撃があるかもしれないから警戒しておけと。おっ……」
「お嬢様!」
頭がふわっとして力が抜けたせいで体が屋根から滑り落ち、そのまま宙へと放り出されて落下し始める。視線の先ではアレックスが驚いた表情をしながらもこちらへと手を伸ばし駆けてくるのが見えていた。その目の前には魔法陣が浮かんでいる。【風の一式】だな。展開速度も精度も申し分ない。
「シエラ様!」
アレックスが窓から走ってきた勢いのまま飛び出すのを見ながら私は窓のさんへと手を掛けて落下を防ぐ。ふむ、やはり寝不足はダメだな。
「よっと」
「えっ? ええええー!!」
アレックスが驚愕の表情でこちらを見たまま落下していく。発動寸前で止められていた魔法陣が消え失せているな。まあ2階だし、下は宿の庭で土の地面なのでそんなに大したことには……
「ぐえっ」
「ふむ、走った勢いがつき過ぎていたようだな。しかし何がしたかったんだ?」
地面にぶつかるまでもなく窓のそばに立っていた木へとぶつかり潰れたカエルのような姿でずりずりと地面へ落ちていくアレックスの姿を見ながら私は首をかしげるのだった。
その後、そのまま庭へと飛び降りた私はアレックスを回収し皆の部屋へともどると、ダンの用意した朝食を食べてようやく思考がまともに回り始めた。
「すまんな、アレックス。助けてくれようとしたのに」
「いえ、お嬢様にお怪我がなくて良かったです」
若干鼻のあたりを赤くしたアレックスが笑って返してきた。
私自身2階から落下した程度では怪我さえしないとわかっているので特に焦りもしなかったのだが、他人から見ればどう見えるかは想像できないわけではない。アレックスも私の頑丈さについては十分に知っているはずだが思わず体が動いてしまったのだろう。
結果としてアレックスの行為は無駄ではあったわけだがその忠義に報いなければ主人として失格だろう。
「そうだな。アレックス、何か望みはあるか? この疫病騒ぎが収まってからにはなるが私に出来ることであればなんでも叶えてやるぞ」
「なんでも……ですか?」
「そうだな」
首を縦に振って肯定してやると、なぜかアレックスの顔がみるみるうちに赤く染まっていった。なぜ赤くなるんだ?
意味が分からず周囲に視線をやるとマーカスもダンもヘレンも優しく温かいまなざしでアレックスを見ている。ふむ、皆はおおよそアレックスの願いに予想がついているようだ。その表情からしてそこまで大してことではなさそうなのだが、何をアレックスは躊躇しているのだ?
よくわからないまま待つこと10秒ほどだろうか。覚悟を決めたらしいアレックスが私を真剣な表情で見つめてきた。その態度に居住まいを正して言葉を待つ。そしてアレックスの口が開いた。
「もしよろしけ……」
「お客様、クルーズ商会より書状が届いております」
「んっ? マーカス」
「かしこまりました」
タイミング悪く部屋のドアがノックされ、宿の従業員が声をかけてきた。梯子をはずされた感のあるアレックスが呆けていたのでマーカスに指示を出しクルーズ商会の書状とやらを受け取らせる。戻ってきたマーカスが持ってきたのはクルーズ商会の印章が押された蝋で封のされた封筒だった。
昨夜の脅しは害意を持って接触することに対してだけだったのだがな。あちらも万が一を考えてのことかもしれないが。まあ慎重なのは良いことだ。その対応の変わりようには思わず苦笑せざるをえないが。
と、そうだ。邪魔が入ったがアレックスの願いを聞かなければな。
「アレックス、それで願いは何だ?」
「ええっと、また今度。また今度にしましょう。ほらっ、今は手紙を確認した方が良いですよね」
「そうか? まあお前自身がそう言うなら別に良いが……マーカス、頼んだ」
どことなくぎこちない笑顔でそう言うアレックスに違和感を覚えつつも、その言葉にも一理あるのでとりあえず願いを聞くことは後に回そう。マーカスたちが残念なものを見るような目でアレックスを見つめているような気がするがまあそれも後回しだ。
マーカスが私の指示に従い封を開け、そして書状を取り出してそれを目で追っている。そして読み終えたマーカスがふう、と息を吐き笑顔でこちらを見た。
「クルーズ商会は治療薬を無料で配布することに決めたようです。そして他で作成した治療薬については適正な価格で買い取るとも書かれていますね。またお嬢様とラミルさんには治療薬の作成方法を薬師の方々に教えて欲しいという依頼もあります。これについてもクルーズ商会が別途費用を出すそうです」
「そうか」
差し出された手紙を受け取り読んでみるとおおよそマーカスの言った通りのことが記載してあった。最後まで読み、マーカスがわざと読まなかったのであろう部分を見てにやりとした笑みを浮かべる。
「太っ腹だな」
「おおよそお嬢様の読み通りですな」
「まあな。こちらと向こう、どちらも最大の利を追求しようとすれば選択肢は限られるからな」
「へー」
感心したように声を上げるアレックスには申し訳ないが私の言っていることはすべて真実と言う訳ではない。私がここまで確信を持っているのはただ単に今まで6度クルーズ商会が同様の対応をしていたからだ。
本来であれば今日から5日後にやってくる女の薬師が治療薬のことを知っており、手持ちの材料で作れるだけの治療薬を作ってクルーズ商会へと売り込むはずなのだ。女とクルーズ商会の間でどのような取引が行われたのかはわからないが、その後クルーズ商会は足りないユリミールの花を街へと届けさせ治療薬を無料で配布しスカーレット家へと多大な恩を売ることに成功した。
とは言え治療薬が配布されるようになるまで1か月以上かかったため被害は大きく、スカーレット家はメリッサを失い、さらに人員面でも財政面でも苦境に立たされるわけだ。コーラルの復興に関してもかなりの面でクルーズ商会に便宜を図ったようだしな。
簡単に言ってしまえば私がしたことはその薬師の女の手柄を横取りしたようなものだ。そのことについて思うところが無いと言えば嘘になるが、その薬師の女もクリスに多大な影響を与えることになるのだ。必ずしも悪い影響ばかりと言う訳ではないのだが、あの未来を回避するためにはクリスから遠ざけた方が良い人物ではある。
まあ薬師としては腕も知識も確かなので生きるのに不自由することはないだろう。もしなにか困っているようだったら助けるくらいはするだろうが……まあそれはその時考えれば良いか。
時期も違うし、交渉相手も私たちだったので必ずしも同じ対応をクルーズ商会が取ると決まっていたわけではないが同じ人間が同じような状況で判断しているわけだしな。まあ同じ結論になる可能性は高かったわけだ。
「マーカス、委細承知したと伝えてきてくれ。後は治療薬の作成方法を教える薬師のリストがあればそれも受け取って来てくれるか?」
「食事の後でもよろしいでしょうか?」
スプーンを掲げて笑うマーカスの姿にふふっと笑いがこぼれる。
「あまりいじめてやるな。もう交渉相手ではなく協力態勢を取る味方だからな。それに疫病の終息は早い方が望ましい」
「ははっ、それもそうですな。かしこまりました」
おどけた礼をしてマーカスが部屋を出ていった。
さて、ひと段落したがまだまだこれからが本番だ。下準備はすべて終わったしな。あとは被害が拡大しないよう出来うる限り速やかに治療薬を広めることに注力すれば良い。
私とラミルがすべきことは薬師たちへと治療薬の作成方法を伝えることだ。今は人手が必要だからな。
「では食事を終えたら行動開始だ。そうだな、先にラミルにも伝えておいた方が良いか。伝えに行きたい者はいるか?」
残った3人を見ながらそう言うが見事に3人とも視線を私と合わせないようにしており、無言のまま誰か行けと視線で言いあっている。さすが家族なだけはある。まあ行きたくないという気持ちは十分にわかるから私も命令ではなく行きたい者はいるか? と聞いたんだしな。
仕方がない。あの苦行を頑張っている皆にさせるのも可哀そうだ。
「まあ良い。私が行こう」
「いえっ、お嬢様を行かせるわけには……」
慌てて立ち上がったアレックスを手で制して座らせる。ちょうど食事も終わったし、片付けやこれからの準備もある皆よりも私が行く方が合理的だ。
「大丈夫だ。ダン、今日も美味しかったぞ」
椅子から降り、部屋を出て隣の部屋へと向かう。私やアレックスたちの部屋と全く同じ扉のはずなのに何かがまとわりついているように見えるのはきっと私の思い込みなのだろう。
ふう、と息を吐きノックする。
「シエラだ。入るぞ」
返事も聞かずに扉を開ける。マナーからは外れているのは重々承知しているがノックと外からかけた言葉程度では返事がないのは経験上わかっているからな。部屋の中へと入りずんずんとベッドへ向かって歩いていく。
「はい、あーん」
「むぐむぐ、うまい! じゃあ、俺もお返しにあーん」
「もぐもぐ。ふふっ、ラミルが食べさせてくれるとダンさんの料理が一層美味しくなるわね」
「レーテル……」
「ラミル……」
2人の顔が近づいていく。うむ、いつもながらに砂糖を吐きそうな空間だ。まあ幸せそうで結構なことだがさすがにそろそろ気づいて欲しいものだな。
「うおっほん!」
「うおっ! シエラ様かよ。いきなり驚かせないでくれ」
「さっきからずっといたんだがな。調子は良さそうだな、レーテル」
「はい、おかげさまで」
体を跳ねさせて驚くラミルを見てその婚約者であるレーテルがふふっと柔らかい笑みを浮かべる。しばらく前までやせ衰えて今にも死んでしまいそうだった姿が嘘のようにその頬には赤みが差しており、その楽し気な瞳は幸せと生命力に溢れていた。
「食事を終えたら出かけるぞ。クルーズ商会から他の薬師に治療薬の作成方法を教えるように依頼があった。報酬も出るそうだ」
「いやっ、昨日の疲れが残っているから午前中はゆっくりしようかと……」
「報酬はなかなかの額だぞ。結婚に際して色々と入用だよな、レーテル?」
「ラミル……」
潤んだ瞳で上目遣いに見つめるレーテルの視線に耐えられなかったのかラミルが大きく息を吐いた。
「わかった、わかったって。行けばいいんだろ」
「ありがとう、ラミル。大好きよ!」
「レーテル……」
「ラミル……」
「じゃあな。後で迎えに来るからほどほどにしておけよ」
ラミルとレーテルが見つめ合い2人の空間を再び作り始めたのでこれ幸いと部屋を後にする。部屋の扉を閉め、はぁーと大きく息を吐き、気持ちを切り替えて自分の準備のために部屋に戻るのだった。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き】
(●人●) 「……」
(╹ω╹) 「……」
(●人●) 「……」
(╹ω╹) 「……」
(●人●) 「……」
(╹ω╹) 「……あの、お嬢様。無理があると思います」
(●人●) 「なぜだ。私のジェスチャーによる次回予告は完璧だろう」
(╹ω╹) 「確かにそうですけど。地の文のないここでは伝わるはずないかと……」
(●人●) 「……」
(╹ω╹) 「驚きも言葉にしてください!」