第22話 クルーズ商会
会って話したいと言うその言葉にクリスは密かに喜んでいた。既にクリスの元から幾人もの仲間だった者たちが去っており、平気な顔で過ごしてはいたもののその心の内は決して平穏では無かった。そんな時に久しぶりに幼馴染のエンリケから声をかけられたのだから当たり前だ。
次期侯爵とスカーレット領最大の商会であるクルーズ商会の跡取り。2人は親同士の縁もあり小さいころからパーティなどで見知ってはいたが領都コーラルで発生した疫病を契機にその交流を深めていた。そしてクリスは自身に不足している世俗に通じたエンリケを頼りにしていた。ラミルの薬屋の事を突き止めたのもエンリケのおかげだ。
そんなエンリケならば裏切らないと信じていた。だからこそ約束通り校舎裏へと向かったのだ。
そしてそこで見たのは衆目から隠れるようにして口づけをかわす婚約者であるレオンハルトと聖女の姿。幸せそうな2人はクリスに気づかず何度も口づけを交わしていく。その光景にクリスは目を見開き固まってしまった。
「わかったでしょう。あの2人は愛し合っているのです」
「エンリケ……」
背後からかかった声にクリスが振り向く。きっちりと七三に整えられた濃紺の髪に丸い眼鏡をかけたその姿は確かにエンリケだった。しかしクリスの記憶にある柔和な笑みはそこには無く無表情にこちらを見る視線に思わずクリスがたじろぐ。
そんなクリスの様子など一切介すことなくエンリケが淡々とした声で続ける。
「クリスティ様。今からでも遅くありません。聖女様に謝罪し、レオンハルト様との婚約の破棄を申し出てください」
「それは出来ない。私とレオンの婚約はお父様と国王様が決められたこと。私の一存で破棄できるようなものでは無い。それに聖女に関しても意見が対立しているだけだ。それだけで謝罪する必要はない」
クリスの言ったことは至極まっとうなことだ。しかしそれを聞いたエンリケは深いため息を吐き、そして顔をしかめた。それは今までクリスに向けられたことのない感情の乗った表情だった。落胆、そして侮蔑。
クリスの体から血が引き、そして細かく体が震えた。しかしそれでもクリスは堂々と立ちその視線を受けとめた。受け止めることしか出来なかった。
「わかっていないようですね。もうあなたの価値などその程度のことをするくらいしかないのですよ。ふぅ、この程度の時流もつかめないようではスカーレット領の先行きも危ういな。やはりあの疫病騒ぎの時に……」
講釈を垂れるようにして見下しながら言葉を続けるエンリケの姿は、もはや幼馴染として共に過ごした時とは別人だった。クリスの心からまた1つ大切なものが零れ落ち、そして地面に叩きつけられ粉々に砕けていった。
クリスの顔が徐々に凍りついたように無表情になる。そして講釈を垂れ終え心なしか満足げなエンリケへと発せられたクリスの声は低く冷たいものだった。
「言いたいことはそれだけか。では失礼させてもらう」
「だから……」
「それ以上続けるようならお父様にしかるべき処断をクルーズ商会に下してもらわなければならなくなるぞ。お前だけでなく一族の責任としてな」
「ぐっ、卑怯な」
エンリケが苦虫を噛み潰したような顔をし、そして忌々しそうにしながら去っていくのをクリスはただじっと見送っていた。その姿が完全に見えなくなり、クリスは逆方向へと振り返ったがそこにはレオンハルトも聖女の姿も無かった。ただ1人校舎裏に残されたクリスはその背を校舎へと預け片手で顔を覆うと深い息を吐いた。
「お前は違うと思っていたんだがな。エンリケ……」
そんなクリスの切なる願いのような言葉は本当に届いて欲しい者の元に届くことは無かった。
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「はぁはぁはぁはぁ」
あまりの夢見の悪さに布団をはね上げて起き上がる。荒くなっている息を整えようとするがうまくいかない。
「くそっ!」
苛立ち紛れに何かを殴りつけようと拳を上げ、そしてそれを止める。
窓の外はまだ暗く朝日が昇るまでにはもう少々の時間が必要だ。そんな時間に大きな音を立てて必死に働いてくれている皆を起こすようなことが出来るわけがない。ブルブルと震える拳を宙にさまよわせたままゆっくりと深呼吸するように心がける。
ぽつっ。
そんな音が耳へと届き視線をやるとひどく皺の入ってしまったシーツに小さなシミが出来ていた。どこからと思うまでもなく頬を伝う感触にそれが自分の瞳から流れた涙だと自覚させられる。
「夢のせいで涙を流したとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい」
シーツで荒々しく顔を拭い涙の形跡をなくす。
夢なんかで涙を流すはずがない。あんな夢程度で感じた絶望などクリスが受けた仕打ちに比べるまでもない瑣末なことだ。
そうだ。きっと嬉し涙だ。こんな仕打ちをしたエンリケへと復讐することが出来る機会が巡ってきたことに対する嬉し涙。そうに違いない。
半ば無理やり口角を上げて笑みを浮かべる。
治療薬の作成はラミルが上手く行ってくれた。恋人への投与も終わり症状が改善してきたという報告も受けている。ダンとヘレンに指示しておいた疫病にかかっている患者の把握についてもダンの作った食事の対価として孤児たちに情報を集めさせ、貧困層を中心としているが大まかには把握できた。
現在はその把握した者たちへ薬を投与している最中だ。しばらくすれば薬の効果はある程度実証されるだろう。クルーズ商会へと向かうには最高のタイミングだ。
ベッドへと寝転がりゆっくりと瞳を閉じる。しかしごろごろと転がるばかりで、朝日が昇りアレックスが起こしに来るまでに 寝付くことなどできなかった。
朝食を済ませマーカスと共に宿を出て、クルーズ商会へと向かう途中で待っていたラミルと合流した。ラミルの姿は初めて会った時とは別人のようになっている。髪を整え、無精ひげもそらせたし、ダンとヘレンが生活を管理しているので顔つきもましになった。ましになったのだが……
「ラミル、なんでそこまで緊張しているんだ?」
「むしろシエラ様はなんでそんなに堂々としてんだよ。今から行くのはあのクルーズ商会だぞ」
「あの……ね」
緊張からか顔を引きつらせぎくしゃくと歩いているラミルに大したことではないからだと示すように鼻で笑って返す。
確かにラミルが緊張するのはわからないではない。クルーズ商会はこのスカーレット領においてまぎれもなく最大の商会であり、このコーラルの街で営業する商人たちの元締めである。その影響力は絶大であり、領主たるスカーレット家とは言えおいそれと手出しが出来ないのだ。
クルーズ商会に目をつけられればこの街で商売することなど出来ないということはこの街に住む商人ならば誰でも知っている。裏稼業の者とも繋がっていると真しやかに噂されているがまあそれは本当だろう。大きな商会ならば大なり小なりその手の者とは付き合う必要があるからな。それを便利な手ごまとするのかどうかはその商会次第ではあるだろうが。
「緊張するな、とは言わんが黙って堂々としていろ。お前に求めているのは治療薬を作ることのできる薬師がこちらの陣営にいることを示すことだけだ。交渉はこちらで全て行う。それともなにか? 他に役割が欲しいか?」
笑いながら見上げてそう問いかければ、ラミルはぶんぶんと首を横に振ってとんでもないと伝えてきた。ただでさえ引きつっていた顔がぴくぴくと痙攣するように動いている。ふむ、ただの冗談だったのだが通じなかったか。
「冗談だ、本気にするな」
ラミルがほっと息を吐き安堵の表情を浮かべるのを確認し視線を前へと戻す。狙ったわけではないが多少は緊張がほぐれたようだし冗談も言ってみるものだな。
この2週間、恋人を救うためという自身の目的があったとはいえラミルは良く働いてくれた。しかしそのこと以上に私はラミルに対して感謝の念を抱いている。
なぜなら本当ならば彼はもうこの世にはいないはずなのだ。ラミルが今ここに生きていること、そのこと自体が運命を変えることが出来るという証左なのだ。だから本当にラミルはただそこに居るだけで良い。
運命を変え、クリスを救う未来を切り開くのは私の役目だ。ワタシだけの役目だ。
「なあマーカスさん。シエラ様ってまだ10歳なんだよな」
「ええ、もちろんです」
「本当は40を超えてるとか……」
「聞こえているぞ、ラミル」
「はい、すみません!」
ラミルが頭を下げている気配を感じつつ振り返りもせずに歩く。本人は小声で話しているつもりなんだろうが丸聞こえだ。マーカスもそれがわかっているだろうに注意しないとは良い性格をしている。いったい誰に似たんだろうな。
角を曲がり視線の先にクルーズ商会の建物が見えた。
「さて、行くぞ」
「おい、待ってくれよ」
小走りで近づいてくる足音に口元をにやつかせながら決戦の場へと私は歩を早めるのだった。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き】
(●人●) 「ふっ、いよいよ宿敵クルーズ商会に乗り込むぞ」
(╹ω╹) 「な、なんだってー!!」
(●人●) 「何を驚いている?」
(╹ω╹) 「お嬢様がまともなことを言ってる」
(●人●) 「シエラぱーんち」
(╹ω╹) 「痛っ!」
(●人●) 「失礼な事を言うな。私はまともな事しか言ったことがないだろうが。むしろ私から真面目をとったら馬鹿しか残らんともっぱらの評判だぞ」
(╹ω╹) 「とりあえずお嬢様が馬鹿だってことは同意します」
(●人●) 「そうだろう、そうだろう。んっ、何かおかしいような……」
(╹ω╹) 「気のせいじゃないですか?」




