第1話 7度目の始まり
視界が開ける。薄く暗くもやのかかったようなあいまいな視界だ。そのことに混乱する。
これまで6回、ワタシが目覚めたのは私ことクリスティ・ゼム・スカーレットがあのレオンハルトと王城で出会った時だったはずだ。3歳の時に父親に連れられ王城を訪れたクリスティが中庭の花園を眺めている時に話しかけてきたのがあのレオンハルトだった。
周囲に見えるのは専属の庭師によって整えられた美しい庭園のはずであり、こんな薄くもやのかかった視界などでは無かった。
(何なんだ、ここは? くそっ、体が動かない!?)
何とか状況を把握しようと周囲を見渡そうとするが全く体の自由が利かなかった。そして違和感に気づく。
(私が、クリスがいない!)
今まで生きてきた中でワタシはずっとクリスの温かい心に包まれて過ごしていた。目には見えないけれどそれは確かに感じることが出来ていた。だが今、ワタシの周りには何もない。ぽっかりとした喪失感が私を襲う。
(怖い、怖い、怖い)
突如として耐え切れないほどの不安がワタシに襲い掛かってくる。ワタシはずっとクリスを守ってきたつもりだった。しかし何のことは無い、本当はワタシがクリスに守られ続けていたのだ。それをはっきりと自覚してしまった。
目がしらが熱くなる。駄目だ。我慢できない。
「オギャア、オギャア、オギャア、オギャア」
流れ出る涙を拭くことさえ出来ず、無様な鳴き声を上げる。なんだこれは。本当に自分の泣き声なのか疑いたくなるような幼い声だ。駄目だ、思考がまとまらない。ただ恐怖に塗りつぶされていく。
「はいはい、ちょっと待ってね」
いきなりかけられた声にぼんやりとしか見えない目を見開くと何かが近づいてくるのがわかった。それはとても安心する匂いをしていて、そして抱き上げられたらしいワタシは温かな体温に包まれた。泣いていた私の口へと何かが突っ込まれ本能の赴くままにそれを吸い上げようとする。しかしなかなか吸うことが出来ず少しの温かな液体と共に大量の空気を吸い込んでしまった。
「じゃあ、げっぷしましょうね」
とんとんと背中を叩かれるとゲポッと胃から空気が逆流し音を立てながら口から出た。それを聞いた誰かが嬉しそうに笑う声を聞きながら私の意識は薄く淡くなっていくのだった。
再び意識を取り戻したワタシは先ほどよりも冷静になっていた。クリスがいないという喪失感は未だに残っているものの、現状を把握しなければ対処の仕様もないことはわかっていたからだ。
(先ほどの言葉はバジーレ王国の言葉だったはず)
ワタシを抱いた誰かの言葉を思い出しつつ考える。バジーレ王国はクリスが住んでいたカラトリア王国と隣接する同盟国だ。その繋がりは古くそして深い。留学生として貴族を相手国へと派遣するほどだった。
そんな背景もありクリスは貴族の務めとしてバジーレ語を習得していた。もちろん大陸全土で話されている大陸共通語も使えるのだが、一部の貴族や商人はバジーレ語を話すことを好んでいるため努力して覚えたのだ。ワタシ自身も6度同じ内容を繰り返し見ていたため自然とそれを覚えていた。
クリスがバジーレ王国で生まれたはずがない。なぜならクリスはカラトリア王国でも3大侯爵と呼ばれるスカーレット家の長子なのだから当たり前だ。父も母もカラトリア王国の人であったし、そんな話をワタシは聞いたことが無かった。可能性としては0とは言い難いが限りなくそれに近いだろう。
(なぜ?)
その疑問が頭から離れなかった。今まで6度、繰り返しクリスと共に生きてきたのになぜいきなり別れてしまったのか。考え続けたが答えは出なかった。答えなど出るはずがないとわかってはいたのだが。
それにしてもこの体は不自由だ。ワタシ自身、体を動かすと言う経験が少ないことを差し引いたとしても視界は光を感じられる程度しかなく、すぐに睡魔に襲われ、そしてお腹が減る。なにより感情の制御が出来ないのだ。
簡単に言ってしまえばすぐに泣く。止めようと思っても止まらない。
その度に私をあやしてくれている温かい存在がワタシの母親なのだろう。彼女に抱かれると安心するしお腹を満たすことも出来る。まるでクリスと一緒にいた時のような気持ちになるのだ。
あぁ、本当にワタシはクリスに守られていたんだな。
ワタシが意識を取り戻してから1週間が経過した。相変わらずほとんど動くことは出来ないし、視覚もぼんやりとしたままだ。
この1週間の間にしていたことは情報収集だ。耳はしっかり聞こえる。逆に言えばそれ以外にしようがなかったとも言えるが。
まずワタシの母の名前はシャルルと言うらしい。とは言えこの部屋に出入りしているメイドと執事らしき人物がシャルル様と呼んでいるだけなので正式な名前がそうなのかはわからないが。
そして私の名前はシエラだそうだ。完全にクリスとは別人と言うことが判明した。
父親は未だにここには来ていない。忙しいのかそれとも既にいないのかはわからない。父親の話題自体が出てこないのでそこについては判断が出来なかった。
そして私が居るこの部屋だがおそらくクリスの実家の私室の程度の広さがある。クリスの私室は普通の民の家が半分くらい入ってしまうほどの広さだったのだがこの部屋もそのくらい広いのだ。
大貴族、もしくはかなりの商人の家なのだろう。さすがにクリスもバジーレ王国には来たことが無かったので確証はないが一般の民がこの大きさの家に住み執事やメイドに囲まれているとは考えづらい。
視界がもっとクリアになればもう少し情報が得られるのだが、ない物ねだりをしても仕方がない。出来ることをするだけだ。
(さて始めるか)
シャルルが少しうとうとし始めた隙を狙い体から魔力を薄く放出させていく。モンスターの探知などに使う技術の応用だ。目を閉じその流れに集中することで大まかな物の形状などがわかるのだ。部屋の広さなどもこの技術で測った。
もちろん視覚と違って色などはわからないし細かな造形などを知ることも難しい。しかしこれ以外に周囲の状況を知る方法がないのだから仕方がないのだ。
仕方がないのだが……
(くっ、ここまで……か……)
僅かな時間探っただけで睡魔に襲われ、そしてそれに逆らうことなど出来ずワタシは意識を失うことになるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
同日投稿2話目です。次話は20時頃に投稿予定です。よろしくお願いします。