第13話 不審な魔法使い
にこやかに笑いかけてくるその老婆には全く見覚えがない。しかも一瞬目をつむっただけなのにいきなり目の前にいたのだ。警戒しない訳がない。
「誰だ?」
「怪しい者じゃありません。ただの通りすがりの良い魔女ですよ」
「はんっ。人の家に無断で侵入し、いきなり人前に現れるような不審人物に怪しくないと言われてもな」
私の軽口にもその良い魔女とやらは笑みを崩していない。私も余裕の表情を崩してはいないが内心は迷っていた。
クリスと共に生きた中で強者と会ったり、強大な魔物と立ち会ったこともある。そんな経験から相手のおおよその実力が私にはわかるようになっていた。雰囲気と言えば良いのか匂いと言うのか。そういった何かを感じ取れるようになっていたのだ。
いや、そうなったと思っていたのが正しい。この良い魔女とやらのからは何も感じないのだ。いや違うな、空虚か。この魔女は空っぽなのだ。それがたまらなく気持ち悪い。
「それは悪かったね。お詫びに魔法をかけてあげよう。だーれも知らない特別な魔法。きっと王子も虜になるさ。カボチャとネズミを6匹、トカゲ2匹を持っておいで」
「お詫びなど……いや、そうだな。少し待っていろ」
一瞬断ろうかとも思ったのだが、断った結果面倒な事態になっても困る。本心で言えばこんな正体不明の魔女などに魔法をかけてもらうなど遠慮したいところだ。しかしこいつをアレックスたちに会わせるのは危険だと私の直感が言っている。申し出を受けてさっさと帰ってもらった方がましだ。
魔女を庭に残し、家の裏の家庭菜園になっでいたカボチャ、ダンが先ほど厨房を掃除している時に捕まえていたネズミの入った袋に、家の壁を這っていたトカゲを全力で走って集める。そして魔女の元へと戻る。所要時間は数分と言ったところだ。
まだ庭には誰も戻っていないようで少しほっとする。
「用意したぞ」
「ではカボチャは馬車に、ネズミは馬に、トカゲは御者と御付きに。あぁ、そうそう。ドレスも必要だね。服をきれいなドレスにしてあげるからそのまま待っておいで」
「むっ、ちょっと待て」
急いで古びた使用人の服を脱ぎ捨てかごの中へと突っ込む。ショーツと薄い肌着だけになってしまうが日もまだ昇っているし寒い季節でもないため問題はない。
服を着たまま魔法をかけられて実際はその効果範囲に自分まで含まれていたなんてことになったらたまらないからな。
魔女はいきなり服を脱ぎ捨てた私に驚いた顔をしていたが私がかごを渡して離れると何やら少し疲れたようにため息を吐き、そして気を取り直して指揮棒のような小さく細い杖を手に持った。私はその様子をじっと見守る。
魔女が言った魔法が本当にあるのならば驚異的な魔法だ。物質を変換させ、生物の種族を超えさせるだけでなく人間としての知識さえも植え付ける。
本当にそんなことが出来るのであれば神のごとき魔法だ。まあ、裏を返せばそんなことが出来る可能性は限りなく低いということだ。しかしはったりのようにも見えないのが気味が悪いんだがな。
魔女が杖をくるくると回し始める。その軌道上に金色の粒子で出来た線が残っていく。見たことのない魔法陣だ。しかも通常であれば広い範囲に一層で行う魔法陣の形成をこいつは小さな魔法陣をいくつも重ねて作っている。
多層式の魔法陣の研究は陣式魔法を使うカラトリア王国でも行われていたが2層でさえ相互の魔法陣が影響しあって効果を打ち消されたりと問題点が多かったはずなのだが……
「ピピデバビデブゥ」
魔女がそう唱えると展開されていた多重式の魔法陣が光を放ち、それが籠へと吸い込まれて行った。そして籠からあふれ出すようにカボチャが膨らんでいき私の背丈の2倍ほどまで大きくなると今度は形を徐々に変え、赤茶の車体に金縁の細工がされた豪華な箱馬車へと姿を変えた。そしてその馬車には6頭の駿馬が繋ぎ止められており、さらには2人のモーニングを着た紳士が私に向かって礼をしていた。
「この馬車の中に……」
「本当に変わった。それに陣式と声式の複合魔法だと!?」
魔女が何かを言い始めていたが私にとってはそれどころではなかった。魔法の効果が本当だったという事はもちろん驚きなのだが魔女の使った魔法の発動方法が私の常識からはかけ離れていたからだ。
魔法を発動する方法は1つではない。クリスのいたカラトリア王国では陣式と呼ばれる魔法陣を使用した魔法が一般的であるが、今いるバジーレ王国では声式と呼ばれる声に魔力を乗せて言葉で発動する魔法が使われている。他にも札にあらかじめ魔法を書いておく符式や変わったところでは足のステップで発動する足式なんてものもある。
今魔女が使ったのは陣式と声式の複合魔法だ。魔法を使えるようになるための基礎訓練は1つの方式を覚えるだけでも難しいが2つ覚えることが絶対に出来ないと言う訳ではない。
しかし魔女は陣式と声式の魔法の効果を掛け合わせてこの魔法を発動させたのだ。それがどれほど困難な事か。正に神のごとき魔法だ。
正体不明な存在ではあるが魔法の腕に関しては疑いようもない。魔法に関して天才だと思っていたクリスをも軽く圧倒する実力をこの魔女は持っている。
「………帰るんだよ」
「んっ、あぁ」
魔法について考え込んでいるうちに何か話が終わったようだ。と同時に異変に気づく。先ほどまで目の前にいたはずの魔女がどこにもいなかった。視線を左右に振り注意深く観察し警戒を続けるが変わったものと言えば目の前にある馬車たちぐらいだ。本当にいなくなったようだな。
ふぅ、と安堵の息を吐く。
「お嬢様、大丈夫ですか? 今、魔力の反応が……」
「んっ、アレックスか。先ほどまで妙な魔女がいてな。こんなものを残していった」
血相を変えて飛んできたアレックスがこちらを見て固まっている。どうやら魔法が使用されたのを察して心配して来てくれたようだ。
まあアレックスが固まるのは仕方がない。実際に魔法で変わるのを見ていた私でさえ信じられない光景だったのだ。いきなり庭に馬車や馬、それに見知らぬ男2人が現れれば驚いてしまうだろう。
それにしても御者とお付きの2人はアレックスを見ても同じように礼をするだけで一言も発することはない。もしかするとある程度の行動しか出来ないのかもしれないな。
しかしこれはどうしたものか? 旅に連れていくわけにもいかんしな。レイモンドに任せるしかないか。
「アレックス、レイモンドを呼んできてくれ」
「……」
「アレックス?」
こちらを見ているアレックスの顔がみるみる赤くなっていくのを眺めていたが返事がない。仕方がないので近づいていくと慌てて後ろを向いた。何なのだ?
「どうした?」
「お、お、お嬢様、服、服はどうされたのですか!?」
「服か? 服も魔法でドレスにされたようでな。そういえばドレスは見ていなかったな」
アレックスの言葉でそのことを思い出し、籠からドレスを取り出す。青を基調にしたもので立体感のあるレースとフラワーモチーフを組み合わせたデザインでところどころにキラキラと光る小さな宝石が散りばめられている。実際に着ればフリルの効いたスカートが広がりまるで青い薔薇のような姿になるだろう。
確かに美しいドレスだ。
まあ少々私には大きすぎるのだがこれは私の使用人の服の元々の大きさでドレスが作られたからだろうか。私の使用人の服は合うサイズのものが無かったため織り込んだりして使用していたからな。
「アレックス、どうだ?」
「振り返ってもよろしいでしょうか?」
ふむ。そんなに楽しみなのか。確かに馬車も侯爵令嬢であるクリスが乗っていたのと比肩しうるくらいのものだからな。ドレスについても期待値が上がっているのだろう。
ふふっ、背伸びしているようだがやはり子供っぽいところもあるものだ。
アレックスが見やすいようにドレスを高く掲げて持つ。視界がドレスで塞がれてしまいアレックスの反応を見ることが出来ないのは残念だがこのくらいはサービスしてやらねばな。
「よし、準備は出来た。いいぞ」
「わ、わかりました」
芝生を踏む音が小さく聞こえる。見ることは出来ないので想像するしかないが音からしてゆっくりと振り返っているのだろう。
「うわぁ!」
その感嘆の声に思わず頬が緩む。確かに魔女が言うようにこのドレスには人の目を引き付けるだけの魅力が詰まっている。怪しい魔女の魔法の産物と言うことを知らなければ私ももっと感動していたのだろうが。
「すごいだろう」
顔をドレスの横からひょこっと覗かせてアレックスの方を見ると無言で何度もコクコクと首を縦に振っていた。言葉に出来ないほど感動しているのか。その目はドレスに釘づけでキラキラと光っている。
「お嬢様が着られるんですか?」
「そんなわけがないだろう。長旅になるしな。余計な荷物を載せるような余裕はない」
「そうですか……似合いそうなのに」
しょげかえって残念そうにしているアレックスを見ると申し訳ない気もしてくるがクリスのいるスカーレット領に着くためには少なくとも半年はかかる。無理をしなくても良いと伝えたがついていくと言って聞かなかった、マーカス、ヘレン、ダン、アレックスの4人の荷物も考えると保管も大変そうで場所も取るであろうドレスを持っていくなど考えられないことだ。
「まあそんなに気を落とすな。これから未知の土地へと旅をするんだ。これよりも素晴らしいものが見つかるかもしれないぞ」
「そう……ですね。一緒に旅するんですもんね。お嬢様と一緒に……」
アレックスの顔がぽっと赤く染まった。旅が楽しみなようだな。まあ知らない土地に行くと考えると心が弾むというのはわからないではない。私も早くクリスに会いたいしな。
「あっ、レイモンドさんですよね。呼んできます」
「ああ、頼んだ」
とりあえずドレスについてはもういいな。頭を下げて礼をしたアレックスにうなずき返しドレスを龍へと戻す。振り返るとアレックスがまだそこに居り、赤い顔で固まっていた。
「どうした、アレックス?」
「服、服を着てください、お嬢様ー!!」
アレックスの悲鳴のような声が庭に響き渡った。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き】
(╹ω╹) 「熊の子見ていたかくれんぼ、おし……」
(●人●) 「シエラぱーんち」
(╹ω╹) 「ぐふぅ。……何するんですか、お嬢様!」
(●人●) 「アレックス、お前はわかってないんだ。奴らの強大さを」
(╹ω╹) 「奴らって誰ですか!? 僕にはお嬢様の考えがわかりません。散々練習したのに……」
(●人●) 「ふっ、坊やだからさ」
(╹ω╹) 「? えっとよくわかりませんが始めますか?」
(●人●) 「いや、アレックスのせいでもう時間だ。ではまた明日」
(╹ω╹) 「えっ、えっ? 本当に?」