第106話 戦いの行方
シエラを飲み込んだそのヘドロのようにどす黒く波打つ球体の表面にまるで亡者のような顔が浮かんでは消えていく。飲み込まれた者を冥府へと連れ去っていくかのようなその禍々しさに寒気を覚えながらもアレックスは鋭い視線で王子妃を睨み付けていた。
体力的には多少回復したアレックスではあるが、未だ魔力は回復できていない。シエラを助けたいという気持ちはあるが、手を出すことさえ出来ないと十分すぎるほど自覚していた。しかしそれでも食いしばった口から流れる血がその悔しさを表していたが。
「さあて、ドラゴンでさえ腐らせる腐蝕毒のお化粧で少しは見れる顔になったかねえ」
王子妃が楽し気に笑いながらそう言い放ち、それが合図であったかのように球体がその形を崩し、ドロドロとした液が地面へと広がっていく。その腐蝕毒に触れた地面が白い煙を上げ、ツンとした匂いが辺りに広がっていく。
「くっ!」
アレックスがなけなしの魔力を振り絞って魔方陣を描き、その汚染された空気を追い返していく。レベルが上がり耐性があるだろうアレックスならば耐えられるかもしれないが、シャルルにとっては致命的となりかねないと判断したからだ。
アレックスが起こした風が白い煙を吹き飛ばしていく。そしてその煙の中から現れたのは……
「なにぃ!?」
王子妃の驚きの顔とそしてそれを球体に包まれる前と全く変わらぬ表情で見つめるシエラの姿だった。シエラのその白く輝く体には一筋たりとも傷のようなものは見えない。
「会話の端々に詠唱を混ぜるなんてことも出来るのですよ。あなたも魔法の神髄を学びたくなったでしょう?」
「このくそアマがぁ、舐めるな!!」
先ほどの王子妃の言葉を真似て挑発するシエラに、王子妃が口から泡を飛ばして魔法を発動していく。しかしそのことごとくがシエラには届かない。まるでその魔法を全て知っているかのように最小限の動きで、魔法で、その全てを回避していた。
王子妃の表情から余裕がなくなっていく。その額からは脂汗が流れ、その目は大きく見開かれていた。
「なんなんだ、お前は!?」
「私はシエラ。あなたを滅するものです」
「ふざけるなぁ!」
王子妃が大きな叫び声をあげると、その眼前に緻密な魔方陣が現れる。その完成までにかかった時間は1秒にも満たない。だがそれはシエラにとっては十分すぎるほどの時間だった。シエラが、たんっと地面を踏む。次の瞬間王子妃の中心とした地面に巨大な光の魔方陣が現れ、そして光の柱が奔流となって天へと向かって勢いよく立ち昇っていった。
「うぎゃぁあああー!!」
王子妃の人のものとは思えないような叫び声が辺りに響いた。そして光の奔流によってその体が少しずつ浄化され消えていく。
「許さない。許さないからねぇ。たとえこの体が滅びようとも、シエラ、お前は必ず呪い殺してやる」
「出来るものならどうぞ」
怨嗟の言葉を残し消えつつある王子妃をシエラはじっと見つめていた。そしてその体が完全に浄化され消える直前、王子妃の顔がほんの少しだけニヤリと歪んだことに気付いたシエラが言葉を続ける。
「世界中に残したあなたの分体も探し出して必ず滅しますから覚悟しておきなさい。まあ力の劣った分体でどこまで抵抗できるでしょうかね」
「貴様ー!!!」
「ではまた会いましょう。あなたが完全に消えるその日まで私は追い続けますから」
既に口だけになった王子妃の叫び声はすぐに聞こえなくなった。そしてパンッとシエラが手を叩くと立ち昇っていた光の奔流が勢いをなくしていき、そしてまるで雪のように光の粒が空から戦場へと舞い降りていった。その光の粒に触れた兵士たちはまるで悪い夢から覚めたように頭を振り、そして誰しもが膝をつき頭を垂れていった。その視線の先には光の雪原に立つ女神のようなシエラの姿があった。
そこは既に戦場ではなくなっていた。ただ静かな祈りだけがそこにはあった。
「アレックス」
「は、はい」
シエラの声に、その姿に見とれていたアレックスが慌てて返事をする。そして自分が呼ばれた理由を理解しシエラへと小走りに近寄っていく。そんなアレックスの姿をシエラは微笑みながら見続けていた。そして顔を赤くしながら目の前にやって来たアレックスへ口を開く。
「あなたにお話ししなければいけないことがあります」
「えっと、まずは服を着てください」
「重要なことなのですが……」
「服を着る方が今は重要です」
不思議そうに小首を傾げるシエラにアレックスは深いため息を吐くのだった。
「つまりシエラはもう……」
「ええ。あなたが知っているシエラはいません。私にこの体を返して皆の未来を託して消えました」
「そうですか。お嬢様、いえ、シエラらしいですね」
愛するシエラの最後を聞かされたアレックスは沈痛な表情ではあったが、その瞳から涙が流れることはなかった。目の前のシエラが自分の知っているシエラではないことは気づいていたし、それが意味することも半ば予想できていたからだ。
「ごめんなさい」
大人の姿のシエラがその頭を下げる。その悲しげな表情からは十分すぎるほどの感情がアレックスへと伝わっていた。アレックスが首を小さく横に振る。
「頭を上げてください。助けてもらったのは僕の方ですし。それにシエラの最後の願いを叶えてくれたのですから感謝しかありません」
そう優しく声をかけ、不器用に微笑みを浮かべようとするアレックスを、頭を上げたシエラが見つめる。そしてその微笑みに応えるように小さく微笑んだ。
「シエラからあなたへ伝言を預かっています」
「シエラから?」
「はい。クリスお嬢様を頼む、と」
「本当に、シエラは……最後までシエラだ」
泣きそうになりながらもアレックスが笑顔を浮かべる。在りし日の思い出が鮮明に思い出されていく。それは忙しくも楽しい日々。クリスのためにと、シエラの無茶に付き合いながら一緒に過ごした時間。かけがえのない時間。もう戻らない時間。
アレックスが零れ落ちそうになる涙を堪える。シエラが望むのは悲しむことじゃないとわかっているから。
「それと……」
そんなアレックスの姿を眺めていた大人の姿のシエラが言葉を紡いでいく。
「アレックスと共に生きたかったと。ずっとずっとそばに居たかったと。愛していると伝えたかったと。そして本当の家族になりたかったと」
「…………」
アレックスの目から涙が零れ落ちる。崩れ落ちるようにして地面に膝をつき体を丸めるアレックスの真下の地面に丸いシミが1つ、また1つと増えていくのだった。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き’】
(●人●) 「ふはははは、また更新が開くと思っていただろう。残念!」
(╹ω╹) 「いや、流石に長期間が空いて一話更新して終わるなんて流石に……」
(●人●) 「あるのだぞ」
(╹ω╹) 「えっ?」
(●人●) 「更新を楽しみに何度も繰り返し読んで待ち続け、そしてついに更新されたと喜んだ途端にまた間が開くことが……」
(╹ω╹) 「ほらっ、人には事情がありますし」
(●人●) 「新作は頻繁に更新しているのだぞ!」
(╹ω╹) 「ええっと」
(●人●) 「要はまあ頑張って終わりまで更新を続けますということだ」
(╹ω╹) 「よろしくお願いします」