第95話 国境の町ラクスル
アンドレアへの手紙は万が一に備えて3通書いておいた。書き終わったころにはアレックスとフロウラも支度を整え終わっていたので、手紙をマーカスに託し私たちは早々にコーラルの街を出発した。
当初は必要最小限のものだけを持って馬に乗っていくつもりだったのだが、エンリケの取り計らいにより御者付きの小型の馬車を貸し出してくれたのでそれを利用することにした。
速度でいえば馬で進んだ方が早いのだろうが馬にも限界があるしな。なにより行く先々のクルーズ商会の支店で馬を取り換えることで、想定よりも早く楽に10日でバジーレ王国に最も近い町、ラクスルへと到着することが出来ることになったのだから今回のことが終わったらエンリケには感謝を伝えねばならないだろう。非常に面倒だが。
このラクスルの町は、9年前に野盗を捕まえたときに寄った町だがそこまで大きな町ではない。在住している騎士と兵士を合わせても100名以下であり、国境を警備する役割を持っていると思えないほど心もとない戦力しかいない。
というのもカラトリア王国とバジーレ王国は長い間友好的な関係を築いてきたため、だんだんとそういった意味合いが弱くなってしまい、名ばかりの国境警備になっているというのが実態なのだ。昔の名残として残っている立派な防壁にもあちこちにほころびが見えるしな。
基本的にバジーレ王国から来た者は一度このラクスルへと寄り、入国の審査を受けるというのが正式な手続き方法ではあるが、やろうと思えばラクスルを無視して別の町へと行くことも可能だ。それにバジーレ王国と接しているのはスカーレット領だけでなくセルリアン領もだ。私たちも最初はスカーレット領ではなくセルリアン領へと行ったのでこの町では入国の手続きをしなかったしな。
馬車から降り、町の様子を眺めるが特に変わった様子もなくゆっくりと穏やかに人々が日常を過ごしていた。今のところは大丈夫のようだな。
「無理を言って悪かったな。ありがとう」
「いえ。では私たちは支店へ向かいます。何か御用があればまたお申し付けください」
ここまで私たちを運んでくれた御者の2人へと感謝を伝えて別れる。すぐにでもこの町を治める領主に挨拶に行きたいところだが、もう日が落ち始め空が赤く染まりかけている。さすがにこの時分に向かうことは出来ない。
仕方がないので宿をとり、謁見の予約だけをした後、適当な食堂で食事を済ませて早々に眠ることにした。久しぶりのベッドの感触は心地よかったが、気持ちが落ち着かずぐっすりと眠ることは出来なかった。
翌日、私とアレックスは赤い騎士服を身にまとい、このラクスルを治める領主のケイン・ゼム・ラクスル赤子爵へと面会していた。通常であれば昨日の今日で謁見が叶うことなどありえないのだが、近衛騎士であり尚且つ貴族位を2人とも持っているため無理やり予定を空けて対応してくれたようだ。
ケインは戦いとは縁のなさそうなでっぷりとした腹をした30過ぎの男だった。国境の警備を担う町の領主がこれで良いのかと思わなくもないが今まで特に問題は起こっていないのだから仕方ないのかもしれないな。
「イムル聖国からの宣戦布告ですか。相変わらずあちらの国境沿いは不安定ですな」
どこか他人事のように聞こえるケインの言葉に内心でイラつきながらもそれを表に出さないように話を続ける。
「そうですね。現在はエクスハティオ様が戦場へと向かっています。私たちは万が一の可能性を考えてこちらへと寄らせていただきました」
「万が一とは?」
「バジーレ王国が攻めてくる可能性です」
真剣な表情で返した私の言葉に、一瞬呆気にとられて固まったケインだったがすぐに大きな口を開けて笑い始めた。
「はっはっは。若い方は想像力が豊かですな。バジーレ王国は友好国ですぞ。なぜ我が国を攻めるのです?」
「だからあくまで可能性の話です。何も起こらない可能性もあると考えています」
「それはそうでしょうな。実際起こらないのですから」
ケインの態度は私の話をまるで聞き入れようとしていないということが丸わかりだった。確かに荒唐無稽な話に聞こえるだろう。そんな予兆など今までまるでなかったのだから。
だから最初から全面的な協力が得られるとはそもそも考えていない。ある程度の協力さえ取り付けられれば御の字だ。
「しばしの間この町へと逗留します。もし何かが起こったら必ず連絡を入れていただきたいと思うのですが」
「その程度であれば問題ありませんよ。まあ連絡がいくことはないと思いますが」
「ありがとうございます」
これ以上ケインと話し合っても意味がないと考えて早々に要望を切り出し、それをケインが快諾したのでその場を辞すことにした。最後にこちらを見たさげずむような視線からして私たちがいなくなったら悪口が始まるのだろう。まあ別にどれだけ馬鹿にされようとも害がなければ気にすることではない。
「次は冒険者ギルドとクルーズ商会だな」
「はい。間に合うでしょうか?」
「わからん。私たちは出来うる限りのことをするだけだ」
アレックスと今後の予定について打ち合わせをしながら領主の館から出ていこうとしていたところ、背後から追いかけるような足音が聞こえてきた。タイミングからして我々に用事があるのだろうと振り返ると、どこか見覚えのある顔の男がそこにはいた。
「すまない、ちょっと待ってくれ」
「あなたは確か……」
「覚えていてくれたか。改めて自己紹介をしよう。私の名前はボーエンという。盗賊の引き渡しの時以来だな。もう9年も前の話だが」
「あっ、分隊長さんでしたね」
「今は警ら部の隊長になっているがな」
そういえばあの時に1人だけ馬に乗ってきた男がいたな。よくよく思い出してみると確かに年を重ねているが面影があちこちに感じられる。体力的にはピークは過ぎてしまっているだろうが、経験からくる重みは今の方が感じられるな。
「それで警ら部の隊長様が何の御用でしょうか?」
「ずいぶん刺々しいな。まあケイン様との謁見の内容を聞いた限りは仕方のないことかもしれないが俺に当たるのは筋違いじゃないか?」
「まあ、そうですね。申し訳ありません」
ふぅ、と息を吐き気持ちを切り替える。確かにボーエンの言う通りだからな。どこか疲れたような顔をしながら、私に同情するかのような視線を送ってくるところを見るとボーエンも思うところがあるのだろう。
「気持ちはわからないでもないがね。あの方は平穏がいつまでも続くと信じて疑わないからな。警告しようとしても無駄だ」
「ボーエン様も何か気になる点が?」
「気になるとまではいかないが、最近バジーレ王国の商人の出入りが少なくなっていてね。もちろん時期によってそういうことがないわけではないんだが特に今の季節は関係ないし。それにバジーレ王国の知り合いの商人の様子もおかしかったからな」
「おかしいとは?」
「妙にバジーレ王家の話をしたがったんだ。なんというのだろう、熱に浮かされていると言えばよいのか……仕事があったので話の途中で切り上げたんだがまだ話したそうだった。そんな奴ではなかったんだがな」
視線をアレックスへと向けると、アレックスも同じ印象を抱いたようだ。レイモンドから聞いた話とも一致する。少なくともバジーレ王国で何かが起こっていることは確かなはずだ。
「バジーレ王国の敵対、君たちは本当にあると思うか?」
「そうですね。ボーエン様のお話を聞いて、その確率が高まったとは思います」
「そうか。……では私も君たちを信じよう。もし助けが必要なら連絡してくれ。協力は惜しまない」
領主の意向を全く無視したその言葉にアレックスも私も驚き目を見開く。ボーエンが言っていることは完全にボーエンがなんとか出来る範囲を超えている。下手をすれば協力した結果処罰を受ける可能性もある。それほど重い言葉だ。
「良いのか?」
「君たちの話は聞いている。スカーレット家の恩人と言っても過言でない活躍の話もだ。それに君たちが9年前に盗賊を捕まえてくれたおかげで私は妻と巡り合えた」
「えっ、それはどういう?」
「自白に従って盗賊のアジトを強襲したときに捕まっていた女性がいたんだ。そして助けたことをきっかけにその人に惚れられてしまってね。それが今の私の妻だよ」
ははっ、と笑うその顔は少し赤く染まっている。幸せなのだろうな。
「それに私は命令違反をするつもりはない。警らの職務を忠実にこなす。それだけで君たちの力になれるだろうからね」
「ええ、それで十分です」
「期待に応えられるように頑張ってくるよ」
いつか私たちに向けたように胸に右手の拳をあてる敬礼をしてボーエンが屋敷へと戻っていった。思わぬ援軍に笑みを少しだけ浮かべ、私たちも私たちの出来うる限りのことをしておこうと次なる目的地へと向けて歩き出した。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き’】
(●人●) 「戦争といえば領土の奪いあいだが、実は国境線というのは曖昧なのだ」
(╹ω╹) 「そうなんですか?」
(●人●) 「うむ、緩衝地帯があるしな」
(╹ω╹) 「あー、確かにそうですね」
(●人●) 「国境全てに魔法で塀を作ったとしても維持管理出来ないからな。街道付近以外はモンスターがうようよ徘徊しているし、そんな管理をするなら街道の警備を増やせとなる」
(╹ω╹) 「他国も怖いですけどモンスターの方が身近な脅威ですからね」
(●人●) 「その通りだ」
(╹ω╹) 「なんか久々に真面目な話をした気がします」
(●人●) 「そうか?」