第94話 果たされた約束
「お待ちください!」
マーカスの静止の声は聞こえていた。しかし私の体は動きを止めなかった。
沈没して死んだのだと半ば諦めていたフレッドが生きていた。フレッドに早く会いたい。その想いが私を突き動かしていた。
屋敷を駆け、ノックをすることもなく応接室のドアを開く。年を重ねて貫録を増したレイモンドの横にかなり痩せてはいるが面影を多分に残したフレッドが座っていた。
「お父様!」
私の声にフレッドがのろのろとした様子で顔を上げてこちらを見る。確かにその顔はフレッドに間違いはなかった。しかしどこかうつろなその瞳は、あの私やシャルルを温かく見つめていたそれではなかった。フレッドは何も言わない。ただじっとその焦点の合わない瞳で私を見つめるだけだ。何なんだ、これは。
「シエラ様」
「……レイモンドか。久しいな」
「はい。およそ9年ぶりでしょうか」
そうだな。私がバジーレ王国を出国したのが10歳のころだ。もうそんなに月日が経っていたか。
「申し訳ありません」
「いや、謝らなくて良い。とりあえず状況を説明してくれ」
「はい」
頭を下げたレイモンドにそれをやめさせ、このフレッドの状態について話を聞く。
レイモンドがトレメイン商会の本店のあるバジーレ王国のファーブスの街からローラン帝国への航路の途中の小島でフレッドを発見したのは約半年前だったそうだ。私を見ても何も反応しなかったことから半ば予想していたがフレッドは記憶を失っていた。
その島でフレッドはただただ海を眺め続けていたそうだ。それでも何とか生きていられたのは島民の老婆が漂流者であるフレッドを哀れに思い何かと世話を焼いてくれていたからだそうだ。
一目見てフレッドだと確信したレイモンドは老婆へとかなりの謝礼を払ってフレッドを引き取りバジーレ王国に連れ帰ったらしい。そして私に会わせる前に少しでも記憶を取り戻せないかと屋敷に住まわせたりトレメイン商会に連れて行ったりしたそうだが症状は回復しないままずるずると半年過ぎてしまったそうだ。
「苦労をかけたな」
「いえ、お代は既にいただいていますし、それにフレッドは私にとっても親友ですので」
辛そうなその顔からはその言葉の重みが感じられた。確かにフレッドは私にとって大切な人間だが、それは共にトレメイン商会を盛り立ててきた者たちにも言えることだろう。きっとありとあらゆる手段で記憶を取り戻させようとしてくれたはずだ。そしてそれが失敗に終わり何度悲しみに暮れたのだろうか。
おそらくフレッドの記憶を取り戻そうとしたのも自分たちの想いもあったのだろうが、記憶をなくしてしまったフレッドの姿を私に見せるのは忍びないという思いもあったはずだ。だからこそずるずると連絡が伸びてしまったのだろうな。
「感謝する。これからはフレッドの面倒は私たちに任せてくれ。娘の私や顔なじみの使用人たちと一緒に過ごすことで記憶を取り戻す可能性もあるだろう」
「はい。もしフレッドの記憶が戻ったら知らせてください」
「わかった」
「……そしてもう1点お伝えしたいことがあります」
私の言葉にふっと顔を緩めたレイモンドだったが、すぐにそれを引き締め真剣な表情で私を見つめた。
「バジーレ王国にお気を付けください」
「どういう意味だ?」
まるで図ったかのようなその言葉に逆に警戒心が湧き上がる。私の表情を読んだのかレイモンドが重々しく首を下げる。
「最近バジーレ王国はおかしいのです。国民の間で愛国心が高まりすぎていると言えば良いのでしょうか。愛国心を持つこと自体は悪いことではないのですが、誰も彼もという状況は異常すぎます」
「お前はどうしてその違和感に気づいたんだ?」
「最初に違和感を覚えたのは私がフレッドを迎えに行くために1か月程度国を離れて帰ってきた時でした。ある程度の空白期間があったために気づいたのではないかと考えます。船員たちも私と同じように違和感を覚えているようですが、国に残っていた従業員たちは感じないようでした。あたかも以前からそうだったかのように王家を熱く信奉しているのです。そしてそのことを誰もおかしいと思っていない」
「……」
「もしかしたら気づいていないだけで私も既におかしいのかも知れません。だからこそフレッドを預けたかった。取り換えしのつかなくなる前に」
レイモンドがフレッドを優しく見つめる。
そうか。レイモンドがなぜ今になってフレッドを連れてきたのか疑問だったが商人として培った経験からくる危機察知に従ったという訳か。私が見た限りレイモンドがおかしいとは思わない。しかしそう伝えたとしても納得するような男ではないだろう。
「お前は逃げないのか?」
「これでもトレメイン商会の代表ですしね。それに、もしフレッドの記憶が戻ったら従業員として雇うという計画も成し遂げなければいけませんし」
「ふふっ、それは良いな。存分にこき使ってくれ」
「もちろんそのつもりです。心配をかけた分、一生をかけて償ってもらわないと割に合いませんから」
レイモンドが立ち上がる。不安定な状況だ。本来であればレイモンド本人が来るべきではなかったかもしれない。しかしレイモンドは商人としてではなく、フレッドの友人としてここに来るという決断をしてくれたのだろう。
死なせるにはあまりに惜しい。戦争になれば民間人であるレイモンドが巻き込まれて死ぬ可能性は0ではないのだから。
「レイモンド、私からも忠告だ。戦争が起こる可能性がある。いや正確に言えばバジーレ王国がカラトリア王国へ戦争を仕掛けてくる可能性があるということだが。もし戦争が起きたら商会のことは気にせず逃げろ。そんなものよりもお前の命は重い」
「……ご忠告感謝します」
レイモンドはこちらに向かって一礼し、そして去って行った。その背中はどこか仕事へと向かっていくフレッドの姿を思い起こさせた。
「レイモンドは帰りましたか?」
「ああ、約束を守り、そして今から大切なものを守るために国へと帰った」
「そうですか。フレッド様が記憶をお取り戻しになったら昔を思い出しながら話してみたいものです」
「好きにしろ。マーカス、お父様のことを頼む」
「はい」
気持ちの上ではフレッドについていたい。しかしもし本当にバジーレ王国が攻めてきて、このコーラルが蹂躙されるようなことになってしまえば全て終わりだ。クリスもフレッドもそしてマーカスたちも、大切な者たちを失う訳にはいかないのだ。
「お父様、戦争に行ってきます。帰ってきたら昔みたいにいっぱい話してくださいね」
相変らずぼんやりとした表情のままのフレッドの額にキスをし、自分の準備に向かう。時間は刻一刻と過ぎていくのだから。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き’】
(●人●) 「ふれっど……聞いたことのある名だな」
(╹ω╹) 「いやいや、お父様じゃないですか!」
(●人●) 「んっ? あー、かすかにそんな気も」
(╹ω╹) 「かすかじゃなくてそうですって!」
(●人●) 「しかしな、たびたび名前が出てきたしゃるると比べると読者視点では誰だっけとなるはずだぞ」
(╹ω╹) 「確かにそうかもしれませんけど」
(●人●) 「つまり……」
(╹ω╹) 「あっ、それ以上は嫌な予感がするので聞かないでおきます」